アンジェとの約束
「アンジェ姉さんはたしかに絵が上手かったけれど、そんな話は初めて聞いたわね」
「そっかぁ」
リンゼちゃんの姉、アンジェとの約束。
それは「マンガを描いたら見せてくれる」というものだった。
この世界には娯楽が少ない。
退屈な日々に飽き飽きしていた幼少期の私は、よくアンジェと共にお絵描きをしていた。
お互いの顔や、部屋にある家具や置物。窓からの風景。
そして。
もう二度と見ることは出来ない、アニメやマンガのキャラクター。
アンジェが褒めてくれるのに気を良くして、請われるままに色々と描いたものだ。
「密かに期待してたんだけどなあ、アンジェのマンガ」
デフォルメやコマ割りの概念を教えて鍛え上げたアンジェの画力は私を上回っていたし、そろそろ良い作品ができててもいい頃だと思ったんだけどな。最近まで忘れてたけど。
「そもそもマンガなんて描けるわけないじゃないの」
「え、なんで?」
リンゼちゃんがさも当然のように否定する理由がわからず、私はリンゼちゃんのツインテールを弄びながら聞き返した。
「なんで、って……本当にわからないの?」
「うんー」
なんでだろ。新婚生活に忙しいとかかな?
あ、せっかく綺麗な三つ編みが出来たのに紐がなかった。どうしよう。
仕方ない、根元の紐で合体させて……こう輪っかに……うん、かわいい。
ほら見て見てと鏡を勧めると、そこに映った自分の姿を一瞥して、反対側の頭を差し出してくれた。
ふふふ。お姉さんに任せなさい!
「あなたはもっと世間を知るべきね。平民にとって紙やインクがどれだけ高価なのか、考えたことはある?」
……リンゼちゃんのその言葉を聞いて、私は自分の失策を悟った。
私、アンジェにマンガの材料費渡してない!!
「リンゼちゃんにお使いを頼もうかな」
「それだけじゃないわよ。貴族の夫人とは違って、平民は結婚した後だって外に働きに出るものなのよ。あなたの様に毎日暇を持て余しているわけではないの。忙しいのよ」
お、おう。リンゼちゃん今日はまたいつにも増して辛辣だね。
私だって一応学院の勉強とかヘレナさんの研究のお手伝いとかしてるんだけどな。
それにリンゼちゃんの髪の毛を弄っているこれだって、別に暇を持て余してるわけじゃない。暇な時間を堪能しているだけだ。
言わば心の余裕だ。必要な時間なのだ。
「貴族から急に紙やインクが届けられたら無視もできない。あなたの軽率な行動が、アンジェ姉さんの平穏な日常を脅かすことにもなりかねないの。あなたはもう少し、自分の影響力を知るべきだわ」
「……はい。ごめんなさい」
なんで私はこんなにリンゼちゃんに怒られてるんだろう。
そりゃちょっと考え無しだったかもしれないけど、そんなに怒ることないじゃん。なんか今日のリンゼちゃん、マジっぽくて怖い……。
おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。
……っていうかさ。
「リンゼちゃん、アンジェのこと好き過ぎない?」
「好きよ。当たり前じゃない」
ノータイムで即答ですよ。
「じゃあ、私のことは好き?」
問題はここだ。
なんかリンゼちゃんの態度が、いつもより辛辣というか。
いつもですら割と辛辣なのに、今日のは優しさ成分が少なすぎる気がする。まるで「アン姉の敵は許さない!」って言われてる気分。
「……まぁ、嫌いではないわね」
「え? そんなに評価低いの?」
うそでしょ。本気でショックなんだけど。
リンゼちゃんのことだから照れることも無く「もちろん好きよ」とか言ってくれるものだと疑ってなかった。
え? うそでしょ。
「私のこと、好きじゃないの?」
「……それなりには好きよ」
それなりには?
それなりってなに?
うわー……。
「……なんか涙出てきた」
わー……ショックぅー……。
リンゼちゃんが私のこと、それなりにしか好きじゃなかったなんて……。
「……なんで泣いているの? 私があなたを好きだなんて、そんな期待させるような言動はしていないでしょう?」
やめて、追い討ちやめて。今は結構つらいからぁ!
「だって、だってリンゼちゃん、私の、私だけのぉ~」
うあ、言葉が。
どうしよ、なんか。なんか止まらなくなってきた。
「ううぅ~。リンゼちゃんん~」
ボロボロと泣き出し始めた私を見て、リンゼちゃんも言いすぎたと思ったのか、優しく頭を撫でてくれる。
「……仕方ないわね」
よしよしと頭を撫でられながら、私は泣き止むまで、リンゼちゃんの胸を借りた。
……あとから思い出すと、けっこー恥ずかしかった。
包容力のある幼いメイドさん。
う~ん、ありだね!




