ロランド視点:疑念
――なんだ、お兄様か。
そんな幻聴が聞こえた気がした。
違う。そんなわけは無い。
ソフィアが僕を厭うだなんて、そんなわけが。
「誰か待っていたのかい?」
それでも表面上だけは取り繕うことができたと思う。
意識するのは母上の鉄面皮。
喜ばず。哀しまず。
今だけは感情の機能を切り、浮かび上がろうとする表情を絵図のように塗り替えて。
感情を相手に悟らせない術にも、もう慣れたものだった。
「ええ。~~」
ソフィアの耳障りの良い声を聴きながら思考を巡らせる。
今ある情報から推察できる、あらゆる可能性を考慮する。
ソフィアの待ち人はカイル。学院でお菓子を貰う約束をしたのは知っている。
そしてそのお菓子を、ソフィアが楽しみにしている事も。
だが、本当にそれだけか? なにか見落としは無いか?
フェルからの報告で、とても楽しみにしているようだと聞いてはいたが、ソフィアのこの嬉しそうな表情は本当にお菓子を楽しみにしているだけの顔なのだろうか。
少なくとも外で同じ様な表情をした少女を見掛けたなら、僕は「なにか良い事があったのだろう」と思うはずだ。それが「美味しいお菓子を貰う約束をした」というものでも違和感はなかっただろう。
しかし、僕は知っている。
ソフィアは確かにお菓子が好きだが、お菓子ならなんでもいい訳じゃない。実はかなり味にうるさいんだ。
僕が同級の子からプレゼントされたお菓子をあげた時にも喜んで食べるけれど、何回か、僕が愚かにも聞いた話を鵜呑みにして「これは美味しいらしいよ」と前置きしたお菓子を食べた時には、他のお菓子の時とは違って一瞬だけ表情が曇った。その表情からは「期待外れ」という感情がありありと伝わってくるのだけれど、実際に食べてみるとこれがかなり美味しい。期待外れなどとんでもないと思う味なのだ。
これは別にソフィアの舌がバカな訳では無い。
むしろ、その逆。
とんでもなく舌が肥えているのだ。
その証として、ソフィアが美味しいと言うものは間違いなく美味しかったし、偶にソフィアが手作りしてくれる料理は本職の料理人が舌を巻くほどの美味だと言うのに、本人はどこか不満げだったりするのだ。
そんな、味にうるさいソフィアが。
――ただのお菓子を、これほど心待ちにするだろうか?
「お兄様はこの後、自室に戻られるのですよね?」
疑心は晴れない。
疑い出すと、この言葉だってソフィアが自分を追い払いたがっている為だと思い込んでしまいそうになる。
ソフィアが僕に、そんなことを言うはずが無いのに。
「そのつもりだったけど、このままソフィアの待ち人が来るのを待ってようかな。僕も挨拶したいからね」
酷い言い訳だ。本当はただ、ソフィアを疑っているだけなのに。
「そうですか? 来るのはカイルですから、お兄様が気にする必要は無いと思いますが」
この言葉だって、いつもよりも素っ気無く感じてしまう。
ソフィアはただ、僕を気遣ってくれているだけなのに。
難しい顔をしているのだって、僕を追い払うのに失敗して気分を害しているからではなく、自分の都合で僕の時間を奪うことに心を痛めているだけ。そのはずなのに。
「……カイルくんを待っているにしては、いつもと雰囲気が違うね」
少しでも疑念を晴らしたくて、遂にはこんな言葉まで口にしてしまう。
慣れたと思ってはいても、僕はまだ、母上の様に自分の感情を完璧に制御できている訳では無いみたいだ。
「え、そうですか? んん……」
否定も肯定もせず、ソフィアは顔を揉み始める。
その行動自体は愛らしいものなのに、疑心に溢れた今の僕には、その行動すらも何か別の意図があるように見えてしまう。
例えば、そう。
付き合い始めたのを看破されて、赤くなった頬を隠している、だとか――。
我慢できずに耳の裏を叩く。
エッテへの合図だ。
ソフィアの前で念話を行うリスクはあるが、これ以上心が乱れれば自分が何をしでかすか分からなかった。
「(お呼びですか~、ロランド様?)」
「(エッテ。ソフィアの――ッ、!!)」
まずい。気付かれた。
咄嗟にエッテの集中を乱して、念話を無理やり中断させたが……。
「…………(じーー)」
ソフィアの疑いの視線が突き刺さる。
純粋で、綺麗な瞳。
ソフィア相手に秘密を持つことには罪悪感を覚えるが、それでも、素知らぬ顔で返した。
「……ソフィア? どうかしたかい?」
「いえ……」
少し不思議そうにはしていたが、なんとか誤魔化せたようだ。
しかしその後、エッテと戯れていたソフィアは急に玄関へと走り出す。そして――。
「カイルっ! いらっしゃい!」
「っ」
僕にしか向けないはずの満面の笑みで、彼を迎えるのだった――。
ロランド「(ソフィア……カイルくんが来たのがそんなに嬉しいのか……)」
ソフィア「(お菓子来たー♪)」




