アイリス視点:幼すぎる天才
「ソフィアは?」
「眠っているだけだ」
「そう……よかった」
突然倒れ込んだソフィアを抱えた夫が安心させるように微笑んでくれる。
ソフィアは体をくったりとさせているけれど、幼い寝顔は苦痛とは無縁に見えた。
その顔を確かめて、私も知らず張っていた気が抜けたようだ。
「はあ……」
溜息をつくと疲れがドっと押し寄せてきた。
当たり前だ。今日は色々とありすぎた。
本当はアイゼンでやることだって残っていたのに、ソフィアのお陰で何にも手がつかなくなってしまったのだから。
「それで、今日は何があったんだ?」
夫のもっともな疑問に苦い笑みが浮かぶ。
「私の人生が変わるくらいのとんでもないことよ」
半ば投げやりになってしまった私の答えに夫は驚いたあと、楽しそうに笑った。
「俺との結婚に匹敵するくらいか?」
まさかそんな聞かれ方をされるとは思わなくて、つい顔を見つめ返してしまった。
その顔は自信に溢れていて、自分の考えが外れるなんて微塵も考えていないことが手に取るように分かる。
本当にこの人は。
自然と笑みがこぼれる。
それが切っ掛けとなり、自分が思った以上に気負っていたことを自覚した。
意識して息を吐き出し、心身を整え努めて言葉を吐き出した。
「そうね。そのくらい、驚いたし、嬉しかったわ」
そう。
驚いたし、不安になりもしたけれど、嬉しくもあったから。
だから私は、こんなにワクワクしてる。
これから、何かが始まるんじゃないかって。
「何!? まだ俺のアイリスを狙う輩がいたのか! どこのどいつだ!?」
「あは! 違うったら! あはははは!」
あまりに頓珍漢なことを言うものだから我慢出来ずに吹き出しちゃった。
もう、せっかく私が頑張って、公爵家の娘、そして子爵夫人としても恥ずかしくない振る舞いをしているのに、この人はいつも素の私を引っ張り出してくれちゃって!
ああ、ソフィアの魔法で空を飛んで、昔のことを思い出したせいかしら? キョトンとした顔が、最っ高に可笑しい!
「本当にもう、アナタったら! あははは!」
「んん? よく分からんが、楽しいのはいい事だ! ははははは!」
そうね、本当にそう! 私はソフィアもアナタのことも、家族みんなが大好きなんだから!
ソフィアを部屋に寝かせたあと、執務室まで来てもらった。
ソフィアのことは私一人の手には余る。
夫の協力を仰ぐ。
考えていたことは同じだけれど、笑ったおかげで心はとても軽くなっていた。
これから話すのは大切なことだ。でも必要以上に気負う必要はない。
「ソフィアの魔法は異常よ」
意を決して話を始める。
私がソフィアから聞いた話。魔物と対峙している時にソフィアが使った魔法。帰りには空を飛んだ事。
どれも俄には信じられない御伽噺みたいな話だ。
けれど私はそれが真実だと知っている。
常に先手を取って対応できなければソフィアが不幸になる未来も起こりうると分かっているから、今こうして相談しているのだから。
「アナタは知っていた?」
「いいや。聞いた今でも信じ難いがお前が言うなら信じるさ」
「ありがとう」
私のことを信じてくれると知っているから不安なく話せた。
改めて考えてみてもやはり一人で抱えるには大きすぎる問題だ。
ソフィアの両親として二人で立ち向かっていくべきだし、そうしなければという責任感もある。
「ソフィアと話をしないとな」
「ええ私たちがあの子を守らないと」
胸の前で固く握りしめていた手を、大きい手でゆっくりと解かれた。
「あの子は頭が良い。だから今まで隠していたんだろう」
「そうだけど、やっぱり心配よ。あの子はアナタに似て突拍子もないことをするから。今回のことだって……」
そうよ。アップルパイのために一人で遠出なんて危ないことまでして。
それもこれも、この人に似ちゃったから!
私が批難を込めた目を向けると両手を上げてヘラヘラと笑っている。
本当に、事の重大さを理解しているのかしら?
「俺に似ていると言うなら尚更、良いところはちゃんと褒めて伸ばして欲しいな。天才と呼ばれた君が言うんだ、あの子は魔法の才能があるんだろ?」
ほら、やっぱり。
そんな脳天気なところも好ましいけれど、ね。
「私なんか、足元にも及ばないわ」
ソフィアの魔法は根本から違う。凄すぎて嫉妬すらできなかったんだから。
「ソフィアに比べたら、私だって凡人よ?」
だからかつての私に言ったら信じないで憤慨しそうな台詞も、心の底から出た本心だった。
公爵家令嬢を射止めた子爵家子息。その大恋愛は戯曲にもなったとか。