安心と不安
「あら。そっちの子――」
「ん? あー、気持ちよさそうに寝ちゃってるねぇ」
母娘水入らずで話していたら、いつの間にか唯ちゃんが寝落ちしていた。わりと声出して騒いでいたと思うんだけど、それだけ気疲れしてたんだと思う。
然もありなん。唯ちゃんって人見知りタイプなのに、今日はずっと見知らぬ人と一緒だったもんね。……その前には私のお世話だってしてくれた訳だし。
この小さな恩人さんを蔑ろにしたんじゃ私の女が廃るってもんだ。無事の帰還を果たせたわけだし、明日は盛大に唯ちゃんの歓迎会といきたいとこだね。その為にも今日はさっさと休息をとって明日に……いや、もう今日か。夜明けに備えるのが最善だと思う。
壁にかかった時計を見れば、時刻は既に午前三時を回っていたようだ。
私達は世界を超える前の時間が朝だったからアレだけど、お母さんがこの時間に起きてるのって結構レアじゃね? もう若くないんだからあんまり無理しない方が……と思ったけれど、その無理は私の為にしてくれたんだと思うと、朝には隙間風がビュービュー吹き荒れてた心の中がじんわりと温かいもので満たされていく感じがした。
……んあー、でもお兄様の癒しとお母さんに感じる癒しはちっがうんだよなぁ……。お兄様のは掛け値ない全幅の情愛だったんだよなぁ……失ったものが大きすぎる……。
お兄様の愛が、体長二メートル近くあるおっきなクマさんの温かくて幸せな抱擁だとしたら、お母さんの愛は歩く度に足にまとわりついてくるドデカ猫の割と鬱陶しめの押し付けがましい愛情表現だと思う。自分がしたいからするという行動原理が正にそれだ。
愛は感じる。嬉しく思う。
でも時にはその愛情を免罪符にして、私の都合なんて二の次三の次で己の欲望を優先するのが私のよく知る母の姿だ。この母にしてこの娘ありとしょっちゅう言われてしまうのも納得の自己中レベル。そのくせ外面は良いからタチが悪い。
……だからね。私としては、今日が分水嶺になる予感がさっきからビンビンしてるんだよね。
人は寝ている時に記憶を整理すると言われている。
では、ある日娘が全くの別人の姿で帰ってきたらどうなるだろうか。その驚きはいつまで持続し、いつから違和感なく過ごせるようになるだろうか。私は一睡したら結構馴染んじゃうんじゃないかと予想している。
お母さんは初対面の人には堅物そうな性格に見られがちだが、その実情は大きく異なる。逆だ。異常な程に懐が広い。未知の概念に対する適応力が高いのだ。
だから下手をしたら、明日起きる頃には「聞いて聞いて! さっき知り合いのテレビ局の人から連絡が来て、あんたの魔法を番組で検証させてくれたら報酬百万はくれるって言うのよ! あんたちょっと行って出てきてくれない?」なんてことになっていたとしてもおかしくはない。いや明らかにおかしいんだけど、その位の行動力と人脈は備えているめんどくさい人だ。油断出来ない。
――美少女になった私。魔法。唯ちゃん。お母さんの現状。
……状況がどう転ぶか分からない中でお母さんから目を離すのはとてつもなく不安だ。これはある種の信頼と言っても過言ではない。
今から寝て、起きた時のお母さんが……私という存在をどう扱うのか。朝になった途端に「一晩じっくり考えたのだけど、やっぱりまだ、あなたを娘とは受け入れられないわ……」とか言われる予感は皆無なのに不安しかない。なんだこれある意味すごいわ、流石は私のお母さんだぜ。
「寝るのは部屋で構わないわよね?」
「それは構わないんだけど……唯ちゃんは何処で寝かせるつもり?」
「あんたの部屋でいいでしょ」
「いやベッドひとつしか無いじゃん」
「ふっ……」
なんか鼻で笑われたんだけど……。
「一緒に寝ればいいでしょ。それとも、なに? こんなに可愛い子と一緒に寝たらイタズラせずにはいられないとか? あ、分かった。久しぶりだから私と一緒に寝たいんでしょう。全くこの子は、しょーがないわねー!」
「唯ちゃんと寝ます。おやすみ」
あんまりにもうざかったのでさっさと部屋に引き上げようとしたら、唯ちゃんを浮かせたところで「んおぉっ!?」と間抜けな声が。ああ、そうか。お母さんは私の魔法見慣れてないんだったね。失念してたわ。
「あ、魔法! 魔法ねこれ!? はー、これが魔法……。いや、え? 凄すぎない?」
「うん、すごい便利で手放せなくて。ぶっちゃけ元の身体に戻らない理由の大半がこれよ」
「……疲れたりしないの?」
「これくらいなら別に」
「ほーー」
なんか……なんだか新鮮な反応かもしれない。あれ、もしかして魔法見せて驚かれるのって久しぶりでは?
でもそっか。この世界だと魔法なんて技術は存在しないから、神殿で暮らしてた時よりも更に人目に気をつけて使う必要があるのか。それに関しては気付かなかったな。
物を浮かせて取るのもNGだし、《アイテムボックス》も使えなくなるか。あとは……水? 《浄化》とか? トイレも普通に行った方がいいかな?
そう考えると……あれ? なんだかこっちの世界で普通に暮らすのって、結構難易度高めな感じですかね……? あるいはお母さん以前に私の方が問題かもしれぬ。
魔法の無い生活、か……。
うっかりそこら辺で魔法を使わないように気をつけないとなぁ……。
「……変に煽らないで、一緒に寝る方向に話を持っていくべきだったかしら。いやでも、これからはいくらでも機会があるのよね。焦る必要はないはずだわ」
変わらぬ母の姿を見せようと装ってはいても、図抜けたソフィアの愛らしさを前に、お母さんは少々戸惑っています。
 




