心の故郷
結論として、私はこの「ソフィアの身体のままで」元の世界に戻ることにした。その一番の理由は「元の身体に戻ると魔法を使えるか分からない為」だ。
これねー、これについては本当に、すっごくすっごく悩んだんだけどねー。結局どこのタイミングでも魔法が使えないと困るんだよねー。
アネットに会って無理やり身体を返却することも当然考えはしたんだけど、まずアネットに会ったところで「あんた誰?」ってなっちゃうでしょ? アネットに宿ってるソフィアの魂にしたって多分、私の記憶は残ってないんじゃないかと思うんだよね。
なのに強引に肉体の返却なんてしたら、下手したら「知らない人の身体を押し付けられた!」なんてことにもなりかねない。で、優秀な人格が抜けちゃったアネットは商会長の仕事が務められなくなって不幸になり、私は私で魔法も使えない状態で家族も頼れる人もいない天涯孤独のひとりぼっち。寂しくて悲しくて死ぬほど不幸。誰もが全く得をしない。
だからこの肉体をそのまま持ち出しちゃうことについては、まあ仕方の無いことなのかなと。
魔法使えないと世界を越えることも出来ないしね。そうなると、頑なに元の世界に帰りたがってる唯ちゃんを連れていくことも出来なくなっちゃうからね。どう考えても仕方ないよね。
一旦送り届けて自分だけ帰ってくればいいじゃない、なんて無慈悲な正論はノーサンキューだ。私の心は独りになったら間違いなく崩壊する。それはもう、予測ではなく確信の域にある決定事項だ。てゆーか今でも相当キツい。
いやもう本当に、マジのマジでね。お兄様に、私の存在が忘れ去られるってね……。あ、ダメ。考えんのやめよ。胃がムカムカして身体がガクブル震えてきた。また魔法で精神整えなくちゃ……。
もはや数え切れないくらい繰り返してきた作業を終わらせると、待ち侘びた様子の唯ちゃんを連れてさっさと世界を越えることにした。
白の世界を抜けて、不可思議な闇の中を通り過ぎればあら不思議。一瞬にしてあの理科室めいた室内へと……、って……?
え? は……? な、なんで?
「お、お母さん?」
「ん?」
思わず零れてしまった呟きに反応して、室内にいた唯一の人物が振り返る。
――もはや記憶すらも薄れていた。あるいはもう二度と会えないかもしれないと、密かに覚悟して枕を濡らした夜もあった。
私のことをたった一人で育ててくれた、唯一の肉親。
時に笑い、時に怒り、時には泣き叫び、時には貶しあって……それでも、必ず最後には深い愛情で受け止めてくれた、私の……わた、し、の……〜〜ッ!!
「お……、っ、くぁ…………っ!!」
――お母さんだッッ!! お母さんが、ここにいるッ!!
何故? なんで?? なんでこの場所にお母さんが??!
分からない。知らない。でもそんなのどうだっていいッ!! 生きてまた会えた喜びを、どう表現していいのかわかんないっ!
十五年も見ていなかったはずなのに、後ろ姿を一目見ただけですぐに分かった。すぐにお母さんだと確信した。振り返った姿を目にして「ああやっぱり」と安堵した。私はお母さんを忘れてなかった!!
安堵、歓喜、種々様々な感情が次から次へと溢れ出てくる。いや、溢れているのは私の涙だろうか、随喜に迸る歓声だろうか?
ぐちゃぐちゃになった感情が、大きなうねりとなって私の身体を突き動かすかと思えたその時――「え、子供!?」という懐かしさを憶える驚愕の声で、私の意識にブレーキがかかった。
――そうだ、子供だ。今の私は西洋風の美少女ソフィアであってお母さんの娘ではない。
その事実に気付き、咄嗟に感情にブレーキを踏んだ。けれど止まらない。止められない。フルスピードで走ってた車が急には止まれないのと同じように、私の感情と理性は盛大な衝突事故を起こした。結果として私は、顔を覆ったままブツブツと意味不明な漏らしつつ妖しげな踊りを舞う妖精と化した。そして机にぶつかって物の見事にズッコケた。
「んぶっふ」
あー、あー、もう……なんだろ、感情が振り切れてるのか何も考えらんない、何も感じられない、何もまともなことが考えらんない。
惨めとか無様とか、そーゆーのを感じる感覚はある。でもね、それよりも嬉しいとか懐かしいとか、そんな感情が強すぎてね。身体を起こすことさえままならない。てゆーかそんなことに意識を向ける暇があったらその分、喜びを噛み締めるのに使いたい。
「え、なに!? ちょっとあなた、大丈夫!?」
「ソフィアさん?」
ああああ……。ああ……嬉しい、嬉しいよお。お母さん、全然変わってない……。最後に見た時と同じ顔で、同じ声で、同じ姿だ……。同一人物なんだから当たり前ではあるんだけど……。
もう、なんだ。なんだろ。全身の細胞が喜びに震えてて制御出来ないとでも言えばいいのか? 自分の身体が自分のものではないみたいだ。
いつまでも地面に転がっている訳にはいかない。それは理屈として理解している。
それでも、もう少しの間だけでも、この喜びを心の底から堪能させて欲しい。そう思った。
ソフィアの心が上がったり下がったり急加速したり急停止したりで大忙しな件。




