決壊
――今日が私にとっての、運命の岐路だ。
そう確信せざるを得ない決定的な出来事がついに起こった。「いつかはこんなことが起こるかも」と、覚悟だけはしていたつもりだった。でも、そんな心構えは何の役にも立たなかった。
リンゼちゃんも迎えた唯ちゃんの部屋で、昨日と同じように三人で話していた時にそれは起こった。
「――根本的な解決にはならないけれど、ソフィアが眠り続けるというのはどうかしら。意識がなければ『願い』が叶うことも無くなると思うのだけど」
「それ遠回しに死ねって言ってる!? 永眠だよね!? 明らかに起こす理由なくなっちゃうよね!?」
「ええと……私もソフィアさんがずっと眠り続けてしまうというのは、あまり解決になっていないんじゃないかと……」
そんな会話をしていた時に例の感覚。
立ちくらみのような、地震にあったような……足元が一瞬だけ不安定になる感覚。
なんじゃい今度は「私を永眠させたかったらリンゼちゃんを抱き枕にして献上するんだな!!」という願いでも叶ったのかおぉん!? とか思っていたら、そのリンゼちゃんが妙な表情をして固まっていることに気付いたんだ。
まるで狐にでもつままれたような顔をしてるリンゼちゃんに、いつもの調子で「どしたの? なにか気になることでもあった?」と尋ねたところ、何故か目を丸くしたリンゼちゃんが唯ちゃんの方へと顔を向けて言ったのだ。「この人、唯の知り合い?」と。
その言葉を聞いた途端、私の頭は一瞬にして様々な可能性に思いを馳せて――導かれた結論に絶望したね。遂に居場所を失ったか、って。
それからの私は、恐らく意識をトバしてたのだろう。気付いたら唯ちゃんと初めて出会ったあの白い空間にいた。
我ながら驚く程に見事な逃げっぷりだ。凄まじすぎて涙が止まらん。
心が、感情が、記憶が、生きる意思が、全てが涙になって白の世界に溶けだしていくみたいだった。
けれど、私はカラッポにはならなかった。私の傍らには唯ちゃんがいた。
いつから繋いでいるのかも分からない手を、ずっと、ぎゅっと、握り締めてくれていた。繋がった手から伝わる熱が、私の心の存在を認め続けてくれていた。カラッポになるのを防いでくれた。
それが幸いだったのか、救いと呼べるものだったのか。私には何も分からなかったけれど、唯ちゃんがずっとなにか声をかけ続けてくれていたのだけは伝わっていた。そのお陰で、私は辛うじて自分というものを保てていた。それだけはきっと確かだと思う。
◇◇◇◇◇
「……もう、大丈夫?」
「…………あんま、だいじょばない」
あんま、なんてものではない。ボロッボロだよ。私の心は砕け落ちる寸前だよ。液晶全体にヒビの入ったスマホくらいご臨終の一歩手前だよ。あとは捨てるしか使い道のない粗大ゴミだよ。
ぶっちゃけ記憶はあやふやだ。
最後の記憶は、リンゼちゃんに信じ難い言葉を投げ掛けられたことで本能的に「この世界から私の記憶が消えたんだ」ってことに気が付いて、それで――それで?
……唯ちゃんに縋りついて泣き腫らしてた、ってことになるまでの記憶の一切が抜け落ちてるね。これはあれかな、羞恥心のあまり記憶さんがお仕事さぼっちゃったのかな。
出来れば唯ちゃん記憶さんも仕事を放棄してくれてると助かるんだけど……。あの心配そうな顔を見る限り、そんな都合の良いことはないんだろうなぁ……。
「…………」
「…………」
そっと身体を離して、《浄化》で顔面を整えたところで私が情けない姿を晒した事実は変わらない。気まずさ半端ないんですが。
「えっと……」
まずはこれからの事を考えないと、と思った途端、胸にとんでもない苦しさがキた。まるで身体が思考を拒否しているみたいだった。
「ぐぅっ……!」
「……ソフィアさん」
あー……、ハハッ。悲しみって突き抜けるとこんなんなるんだ……。すごい、まるで肺に大っきな穴でも空いたみたい……。
生きる意味を丸ごと失うに等しい、圧倒的な喪失感。
……でも私は、この苦しいだけの感覚な奇妙な懐かしさのようなものを感じていた。これって、確か……――?
――そうだ、どうして忘れていたんだろう。私は過去に、これに近い喪失感を味わったことがある。大切なものを喪ったこの感覚は、ずっと私と共にあったものだ。
異世界生活の始まり。この世界にソフィアとして転生を果たしたことで、私は前世の母を失っていた。その喪失感を感じなくなったのは一体いつからだっただろうか。
……そうか。居場所を失ったと気付いた私が、どうしてわざわざここまで逃げ込んで来たのかようやく分かった。私は母さんの温もりを求めてここに来たんだ。
確かに私は前世の母という存在を失ったが、正確には失われたものは私の肉体であって、母さんは未だに前の住所に健在のはず。私の肉体だって今は無事に取り戻してる。
あちらの世界にだって好きに移動できる今であれば、私が異世界を捨てる決断さえすれば何の障害もなく元の生活へと戻れる状態にある。
……ああ、そうか。
私が望みさえすれば――また母さんに、娘として会うことができるんだね……!!
唯の母性が100上がった。




