唯ちゃんの帰還のお手伝い
――喪神病の問題が片付いてしまった。
学院生活は平穏無事で、聖女としての仕事は無く、神殿騎士団としての活動も無い。
こうなってくると必然、私の意識は先送りにしていたとある問題に向かざるを得ない。
――そう、唯ちゃんを日本に戻すか否かの問題だ。
……というか、もう送り返すこと自体はほとんど決めてはいるんだけどね。単に私の覚悟が足りなくて未だに決意が揺らいでいるだけだ。
なので――。
「ねぇ、唯ちゃん」
紅茶を飲んで、ほうっ、と一息。
本日のおやつタイムに誘った唯ちゃんを真っ直ぐに見据えて、その愛らしい、くりりんっとした瞳に向かって問い掛けた。
「――まだ日本に帰りたい?」
「はい」
はい、即答いただきましたー。これは随分と待たせていたようで申し訳ないね。
私がこの世界を捨てて、元通り日本で生活する……という覚悟はまだ出来ていないけれど、それは唯ちゃんをこの世界に留めておく理由にはならない。
いや正確には私だけだと世界を渡れない可能性はあるんだけど、その確証を得る実験すらしてないからね。単に心の負担になるようなあれこれから私が逃げていたってだけの話だ。
でも私とは違って唯ちゃんはもう決めている。自分の居場所は元の世界だと、自分の意思で決定している。
なら私はそのお手伝いをするだけだ。
だって私は、唯ちゃんの頼れるお姉ちゃんだからね!
「じゃあ今から帰る?」
「えっ? ……今から、ですか?」
帰りたいかという質問には即答した唯ちゃんでも、流石に今すぐの話とは思っていなかったようだ。戸惑っている様子がなんともかわいい。
まあ私だって本当に今すぐ帰るとは思っていない。
最悪今すぐでも無理なことはないけど、唯ちゃんの意思を改めて確認したかったのと、なにより未だにつじうじしてる私自身の逃げ道を塞ぎたかっただけだ。
……それだけのつもりだったんだけどね。
「せめてお世話になった人達には自分でお礼を言いたいので、一時間……いえ、二時間後くらいにしてもらえませんか? それとも今を逃したら帰れなくなるとか、そういう事があるんでしょうか?」
「いや、そういうのはないかな」
「あ、そうなんですね。よかった……」
ホッとしている様子は年相応の愛らしさなのに、何でだろうね。私は今、この子のお姉さんぶってたことが何故か猛烈に恥ずかしいんだ。
……お世話になった人達にお礼って、それ子供の発想か? え、私が子供の頃ってどうだったっけ?
前世でまだ小学校に通ってた頃は、確かに友達の家に遊びに行った時にはその子の家族にも挨拶はしていたけど……帰る時にまで全員に挨拶して回るってのは流石にしなかったような気がする。精々玄関までの途中で見かけたその家のお母さんに「お邪魔しましたー」って言う程度じゃなかったかな。
それを唯ちゃん、二時間て。何人くらいを想定してるの? 屋敷内の移動に計三十分は掛かるとして、九十分て確実にお母様だけじゃないよね? なんなら屋敷にいる全員と話す余裕を確保してるね? 私の妹いい子すぎない??
その後唯ちゃんと一緒に挨拶回りに付き合おうとしたのだけど、一人目であるお母様に報告した時点で私だけとっ捕まったのでその後唯ちゃんが誰の元を訪れたのかは知らない。知ろうとする心の余裕すら残ってなかった。
「報告はきちんとするようにと、何度、言わせれば、気が済むのですか?」と笑顔のまま脅迫してきたお母様の相手してたら挨拶回りの終わった唯ちゃんがリンゼちゃんと一緒に戻ってきたんだよね。あの時はホントに二人が天使に見えた。二時間近くもお説教するとかお母様って実は相当な暇人なんじゃないかな。同じこと何度も言われなくたって分かるっちゅーの。
そんな愚痴を零す暇もないままに唯ちゃんと二人で宇宙空間、世界の端へと移動した。
お母様とのやり取り以上に短い言葉でリンゼちゃんと最期の別れを交わす唯ちゃんの姿が、やけに印象的だった。
◇◇◇
「――っと、到着できたね。やっぱり鍵は魔力の質かな……?」
「そうなんですか? なんにせよ、これでここに来るのに私の力が必要ないことは証明されたんですよね? ソフィアさんは魔法の扱いが上手なのできっと成功すると思っていました」
というわけで、懐かしの白一色の空間へ到着かんりょー。
招き入れられない形での訪問は初めてだったからちょぴっと緊張したけど、特に問題もなかったね。唯ちゃんの煽てに思わずにんまりと笑顔になってしまう私は我ながらとてもチョロい性格をしていると思う。幸福の壺とか売り付けられないように気をつけなくちゃ。
しかし、これで遂に唯ちゃんが元の世界へと戻る際の懸念点が全て解消されてしまったわけだ。
唯ちゃんは確かにこの世界を創造した神様なのかもしれないが、この白い世界に留まらなくても世界が崩壊したりはしない。私が好きな時に帰れなくなったりすることもない。
――自由だ。なにをしてもいいんだ。
――もはや行動を縛り付ける者は誰もいない。誰はばかることなく好きなようにしても許されるんだ。
その事実を改めて実感しているのか、唯ちゃんは穏やかな顔で何も存在しない世界を見つめていた。初めて出会った時の無気力な顔が嘘みたいだ。
「…………」
唯ちゃんは今、何を考えているんだろう? この場所は唯ちゃんにとっての牢獄だった。
その場所が今は、異世界と地球とを結ぶ――ん?
ふと、唯ちゃんの視線が何かを見ているのに気が付いた。思考を飛ばすのではない、特定の何かを見定めるようにして、じっと何かを見つめていて……?
視線の先を追うと、その方向に確かに何か違和感があった。
この違和感は……そうだ。まるで白紙の用紙に一点、修正テープがぺたりと貼り付いているかのような……ん?
よく見ると、あそこ……世界を構築する白とは違う、白い何かが落ちてる? なんだあれ? えっ、ていうかここに落し物とか……んんんん???
重大事であればあるほど、ソフィアは努めて軽い調子で口に出す。
それがソフィアなりの心の守り方であるのだと幼い神様は気付いているようですよ。




