過剰労働の末に
「――はっ!?」
気付いたら馬車の中にいた。車窓からは夜空に浮かぶ綺麗な半月が覗いている。
……あれ、確か私って、喪神病の治療をしていたような……?
あ、違う。それはもう終わったんだった。
やっとの思いで最後の一人を治療し終えて、そしたらなんか、あの屋敷でお世話係してた人達が何故か集まってて私を崇め始めたのがうざかったから、「疲れているので休ませてください」とか言って寝たふりをしていた……ような気が、しなくもなくもないよーな……?
ふむ。つまり私は寝落ちしたということかな。
まぁほぼ一日集中しっぱなしだったことを思えばむしろよく持った方だと言えなくもない。私ちょー頑張った。お兄様に褒めて欲しいなー。
本能が導くままに頭を動かせば、視界には私の顔を覗き込んでいるお兄様の微笑みが目に入ってきた。私の頭はどうやらお兄様の膝の上にあったらしい。
「ああ、起きちゃったのか。今日は疲れただろうからそのまま寝ていて構わないよ。屋敷に帰ったら部屋まで運んであげるからね」
「……んん、んー。……いえ、起きてますから大丈夫です」
くぁ、と欠伸を噛み殺し、姿勢を……いっか姿勢はこのままで。思ったより身体に力が入らなかったからね。
お兄様の膝枕で眠れるというのは確かに幸せなことではあるのだけども、出来れば私は起きたままの状態でお兄様にぴたっと引っ付いていたい。
お姫様抱っこでお兄様に部屋のベッドまで運ばれるというのは、確かに私の願望にぴったりとマッチしたとびきりの素敵シチュエーションではあるのだけども……ッ!
今だけは、今ばかりはその提案を飲むことは出来ないのだ。
目覚めたばかりの私は、既に自分の身体が異常を訴え始めていることに気付いていた。こんな状態でずーっとお兄様にくっついているのはリスクが大きい。
このままではいずれお兄様の前で恥を晒すことになってしまうだろう。そんな未来は避けなければならない。
緊張に強ばった身体のことは既にバレているも仮定して、私は即座に予防線を張った。
「お兄様。私達、もしかしなくても夕食を食べ忘れているような気がするのですが」
――だからお腹が鳴っても許してね? 「色気より食い気かよ」とか思わないでね? お願いだから幻滅しないで?
ちょっぴりびくびくしながら、空っぽのお腹が「飯ヨコセー!」と叫び出そうとするのを力技で押さえ込みつつ質問すると、お兄様は口元に手を添えて「ふふっ」と愛らしく笑っておられた。なぁにその顔、空きっ腹にちょー効く。
今ならその笑顔をおかずにしたらパンでもライスでもいくらでもいけそう。
あ、やば。そんなこと考えてたらヨダレ出てきた。バレないように処理しないと。
「そうだね。ソフィアが真剣だったから口を挟むのは邪魔になるかと思って言わなかったけど、いつもの時間はとっくに過ぎているね。でも気にしなくていいよ、僕は食事の時間にはそれほど拘りはない方だからね」
お兄様の言葉に浮かれていた気分がスウッと冷めた。そうじゃん、お兄様の夕食も預かってたの私じゃん。なのに私が……あぁあああ。
即座にお兄様の膝から離れて謝罪した。
「完っ全に忘れてました。ごめんなさい。えっと、今から食べますか?」
「……今からかい? この揺れる馬車の中で?」
言われて気付く。我が家の馬車は特別製で揺れが格段に抑えられているとはいえ、全く揺れないというわけではない。食事をするには適さないだろう。
「すみません、どうもまだ寝惚けているみたいで――」
「いいねそれ。馬車の中で食事か……なるほど、それはいいね、とてもいい。ソフィア、頼むよ」
「え……あ、はい」
あれ、なんか絶賛されたんだが? なんだ、何がお兄様の琴線を刺激したんだ??
よく分からないけれど頼まれたのなら否やは無い。
お兄様の真横に座れないことを寂しく思いながらもお盆を出し、その上に今朝用意してもらったお弁当を並べていく。
スープでしょー、サラダでしょー、お肉にパスタに飲み物にー……。
並べながら改めて思うけど、この《アイテムボックス》の中ってどうなってんだろうね。スープも零れてないしサラダも朝に入れた時のまま盛りつけの形さえ崩れてないしで、もはやこれも一種の時空超越魔法なんじゃないかと思えてきた。
朝の料理をタイムマシン使って夜に直送、みたいな?
まあ便利だからなんでもいいけど。
「っと、お兄様、スープはやっぱり無理ですよ。少し減らしてもらわないと零れちゃいます」
「ああ、そうだね。でも……ふふっ。どうしよう、困ったな。こんなに楽しい食事は初めてかもしれない」
えーなになに? 今日はどうしちゃったのお兄様?
今日のお兄様は笑顔がなんだか子供っぽくて、胸がキュンキュンしちゃうんですけど!? 私の胸きゅんゲージが軽く天井ぶち破られて、こっちの方こそ困っちゃうんですけど!!?
やっべぇですよ、もうお兄様の顔みてるだけでお腹いっぱいになってきた。顔面がによによしないように取り繕うのがツラいですよう!!
「ふふ、どうしたんですかお兄様? 随分とご機嫌みたいですけど」
人の感情は伝播する。
楽しげなお兄様に当てられ私まで笑顔になって尋ねてみれば、お兄様は居心地が悪そうに頬を掻きながら弁明した。
「いや、夜に人目をはばかるようにして摂る食事というのが、なんともね……。男の子はどれだけ成長しても、こういうものに憧れる気持ちがあるものなんだよ」
――その恥ずかしそうにしているお兄様の愛らしさったら!!
私は心の中で手を合わせ「ご馳走様です」と感謝の言葉を述べたのだった。
「ソフィアは食べなくていいのかい?」
「私はもう、お腹いっぱいなので」
「?そっか?……なら僕のを少し食べるのはどう?」
「それなら喜んでいただきます!!」




