好きで食べるんじゃないんだからねッ!
貴族には色々とルールがある。お互いが知っていることを前提とした、膨大な数にのぼる暗黙の決まりごとだ。
中には「アホらしい」とか「なんという屁理屈」としか思えないようなルールもあるが、知っていて破るのと知らずに踏み荒らすのとでは意味合いが大きく異なる。子供であっても貴族の一員と看做される為、貴族社会のルールを知らないことは、家族に不利益を齎すことと同義なのだ。
……えっと、だからね? つまり、これは私の意思とは関係なくてね?
貴族が集まる学院に通う一人の淑女候補たる生徒として、尊敬する先生からの心尽くしの持て成しなんて光栄の極み。これを断るような失礼極まる行為はとてもではないけど出来ないのだよ。
「必要なことだけ話したら帰るつもりだったんだけど、ごめんね、カレン。少し帰るのが遅くなりそうだよ」
「う、ううん、いいよ。気にしないで」
ああ、カレンちゃんはやっぱりいい子だね。それに座学も優秀だから、格上にあたる先生からの招待は断れないことを理解している。
そう、これは断れないんだよ。私の意思じゃないの。ヘレナさんがこうなることを望んだ時点で私達の選択肢は消失してるの。
だから私が大量のお菓子に目が眩んだとかね。お腹の虫の大合唱に屈したとかそういう訳じゃなくてね。
これは我が家とカレンちゃんのお家の名誉を守る為には避けられない義務みたいなものなんだよ。
……で、そうなると、ほら。……ねぇ、ほら、あれよ。言うまでもなく分かるでしょ?
折角なら楽しんだ方が得じゃない。
決して、決して私が望んだことではないのだけど、折角だからね。私もまあ、お菓子は好きだし? 私の好物を用意してくれたヘレナさんの気遣いを無碍になんて出来ないでしょうよ。お母様が私の立場だったらきっと同じ行動をすると思うの。
……だ、だから、いいよね? もうこれ、食べてもいい……んだよね? どれもこれも好きなだけ食べてもいいんだよね? じゅるり。
ご飯をお預けされた飼い犬のような顔してシャルマさんを窺うと、くすりと微笑んだ後にヘレナさんの方へと視線を向けた。釣られた私がヘレナさんを期待の籠った瞳で見つめてみるも、お許しの言葉は未だに出ない。な、何故なんだい……?
え? ダメ? まだダメなの? ならいつなら手を出してもいいの?? 何秒後?
いつなら手を出しても許されて、いつなら貴族ルールに気付かなかった振りして食べてもいいの? いつなら手を出してもガッツかれてると思われないの??
喜びと我慢と僅かな理性が私の顔面の上でせめぎ合い、ちょっぴり人に見せられない表情になってしまっている自覚がある。だが私の理性はお腹の虫の調伏とヨダレの抑制で大忙しだ。表情筋にまで気を遣っている余裕はどこにもない。
ていうか早く食べさせてよもぉぉおおお!!
完璧に理論武装したんだから後からお母様に叱られるのだって覚悟済みなの! どれから食べるかだって頭の中では完全に決まってるの! 後は実行に移して味わうだけなんだから焦らさないでよもぉぉおおお!!
早く早くはよしろ早くと心の中で唱えながら、数多あるお菓子から漂う甘く芳ばしい香りを吸い込み至福の味を想像していると――ようやく! ようやくだ!! 主催者であるヘレナさんがようやく重い口を開きやがりましたよ!! いやっふぅ、待ってましたァ!!!
「シャルマ」
「ソフィア様、カレン様。お飲み物は如何なさいます――」
「白ブドウをお願いします」
「……未開封でも分かるとは、流石はソフィア様ですね。それではカレン様は如何致しましょう?」
「え、えっと、あの。ソ、ソフィアと同じものを、おね、お願いします」
「かしこまりました」
ぶっちゃけ飲み物とか後回しでもいいんだけどね。ホントにもう、どれだけ焦らせば気が済むのって感じ。また魔石でも積み上げてやろうか。
あとそれが一番美味しいのだと分かったのは、さっきからヘレナさんがチラチラ見てたせいです。それに未開封状態でも明らかに一本だけ格が違うし。どうせヘレナさんオススメの逸品とかでしょそれ? 私の目は誤魔化せませんよ。
そう思いつつ、実際飲み物にはあまり期待していなかったんだけど、コルクが抜かれたら気が変わった。部屋中に漂っていた焼き菓子の甘い香りすら塗り替えるような、あまりにも芳醇な果実の香り。これ絶対おいしいやつじゃーん。
「いい香り……」
「ヘレナ様のとっておきですから味も保証いたしますよ。どうぞご堪能下さい」
「ありがとうございます」
堪能したいから早く進めて。飲み物の準備ができたら次はいよいよだよね? 早くして早く。こっちはもうずっと前から待ってるんだよーう!
急かす心の声が身体をそわそわと動かし続ける。
――準備は万端整った。
さあ早く、今すぐ許可を出しやがって下さいと望むまま、待ち侘びたヘレナさんの号令が下る。
「あんなに大きな魔石を貰っちゃったからね。お礼にもならないけれど、好きなだけ食べてちょうだい」
――ええ、ええ、それはもう! 好きなだけ食べさせてもらいましょうとも!!
お高い白ブドウジュースは少しでも頂いた魔石に報いる物をと考えたシャルマが屋敷に帰って持ってきたもの。
特別な日のお祝いにと取っておいた秘蔵の品を持ち出され、ヘレナは涙目になっていたらしい。




