プッツンしちゃった……
私の前ではあまり見せてはくれないひんやりクールなお兄様の姿に後ろ髪を引かれながらも応接室を後にすると、カイルが廊下を歩いてくる姿が見えた。妄想タイムが思いのほか長かったのか、想定していたよりも時間が経過していたみたいだった。
あのままお兄様を堪能していたら、迎えに行くよりも先にカイルが部屋に到着していたかもしれない。
……まあ結局カイルに会いに行くことはバレてたから、みんなの前で連れ出すことになったって結果的には何も変わりはしないんだけど。
それでも、私の心のハードル的にね?
みんなが見ている前で誘い出すよりかはみんなに見られてないところで誘う方が、まだ心情的に楽かなぁと思うわけでして、うん。
……つまりは、まあ。私はこの期に及んでも、カイルに頭を下げる事に物凄い抵抗があるということだ。
カイル、絶対に怒るし。
……怒らせるようなこと、してる方が悪いんだけどさ。
一人でうだうだと悩んでいるうちにカイルがすぐ傍まで辿り着いてしまった。何も知らない脳天気な顔が、怪訝な表情を形作る。
「……ソフィア? どうしたんだ、こんなところで。俺になんか用か?」
「…………うん」
……うぅ、ううぅぅうぅう。
やっぱり物凄く言いづらい。
改めて考えると、無理に真実を伝える必要なんか無いんじゃないかとか思えてきた。
今回お母様に呼び出されたことで、この件はある意味で既に解決したと言えるのではないか。私の忘却魔法で私とカイル二人分の記憶を消せば、何も問題はなくなる。そういう解釈だってできなくはない。
――私の記憶。カイルの記憶。罪の所在。冤罪。世間体。罪悪感。真実。周囲の視線と、猜疑心。
それに加えて――私の逃亡癖。
私の行いは私が知っているというやつだ。
私はこれまでも、覚えているのが辛い記憶を封印しながら生きてきた。
その内容が凄惨な過去であればまだ言い訳も立ったかもしれないが、大抵は自業自得というか、大ポカの結果として羞恥心が限界を迎えた事案が殆どである。
身も蓋も無い言い方をしてしまえば、黒歴史というやつだ。ふとした拍子に思い出すと死にたくなるほどに恥ずかしくなるから、そんな事が起こらないように忘却魔法ですっぱり忘れて、楽しい毎日を何の懸念もない状態で過ごしているのだ。言わば毎日を明るく過ごすために必要な措置なのだ。
……まあそのせいで、似たような失敗を何度か繰り返すみたいなことも起きてたりはするんだけど、それはそれ。
忘却魔法による「恥ずかしい過去は無かったことにする作戦」により、私の心は伸び伸びと健康に育ったのだ。
だから今回も、別に無理してカイルに説明する必要は、無いといえば無いんだけど……。
珍しくカイルが本気で反省してるせいか、カイルばかりが凹んじゃってるのも不公平かなぁとか、優しいソフィアちゃんは思っちゃったりしてだね……? 本気で申し訳なさそうにしてるカイルの姿を思い出すだけで、私の良心がメキョッとね。良い音を立てて痛むんですよ。
これ、カイルの方も罪悪感凄いんだろうなーと思ったら、流石にね。
私とカイルの記憶だけ消したって周囲の認識は残るんだから、やっぱり謝ってしこりを消しておくのが大事かなと。思う訳でして。
「……なにか言いにくいことか?」
「…………」
サクッと言ってしまえ、サクッと。
初めの一歩さえ踏み出せれば、後は流れでなんとかなるなる!
「その、朝のこと……なんだけどさ」
「ああ」
頭の中で言葉を組みたて、覚悟を決める。
私の言葉にカイルがどんな反応を示すかなんて一切考慮に入れずに。ただ分かりやすさだけを重視した。
「カイルが脱いでたのって、おねしょをしたからでしょ? でも実はあれね、おねしょじゃなくて、私が夜中に忍び込んで水を掛けてただけなんだ。だから朝のことは……全ての元凶は私っていうか……」
改めて言葉にすると、我ながら極悪なイタズラを仕掛けたものだと思う。徹夜明けの私はこれを最良の作戦だと思い込んでいたのだから笑えない。
精神的に不眠にするのは勿論のこと、脳にもきちんと休息を与えたのと同じだけの効果をもたらさないと《不眠魔法》が完成したとはとても言えないなー、なんてことを現実逃避気味に考えていると、今まで固まっていたカイルがようやく現実を受け止められたのか、再起動を果たした。
「……じゃあ、なにか。お前は、俺が漏らしたって事実を作るためだけに、俺の部屋に忍び込んで水を掛けたと。朝にノックもなく飛び込んできたのは、俺が漏らしたと思って焦っているのを確認する為だったと……そういうことか?」
流石はカイル。あれだけの説明で私の行動の理由までを当ててみせるなんて、私の思考をよく理解しているね!
「まあ、そういうことになるかな」
「ふ…………」
お、笑った? って、そんなわけないよね。知ってる。これは「ふっ……ざけんじゃねぇ!!」の前振りですよねハイすいません。
来たる怒鳴り声に備えて《聴覚強化》を解除、ついでに軽く耳を抑えて備えていると、予想に反した特大の溜め息が聞こえてきた。不意に肩に手を置かれ、その手に徐々に体重が……ってあの、ちょ、お、重いよっ? ぉ重いぃッ!!
「ソフィア」
「はい」
潰れる! 身長が! 縮んじゃうぅ! と内心悲鳴を上げつつも真摯な態度で返答すると、肩に圧しかかっていた圧力がふっと解かれ。疲れきったような表情をしたカイルが、弱々しく口を開いて――
「――ふざけんなよお前」
言葉と同時に、今まで肩を押さえつけていたカイルの左手が私の首を絞めてきた。
……えっ、首? 絞殺? そこまで怒って!?
ごめん、ごめんってカイル! 私が悪かったから!! まずは落ち着こう、ね!?
首を絞められてる事実より、見たこともない顔で笑うカイルが怖いんですけど!!!!
ソフィアの防御魔法は衝撃の強さによって強度を変える。
赤子が触れれば脆弱に。打ち砕く威力が加われば頑強に。
カイルくんの首絞めプレイでは首に触れられていることを認識できているようなので、多少は手加減されているようです。




