自宅に誘拐されました
――今にして思えば、逃げられるタイミングはあったんだよね。
例えば、そうだな。帰り道の最中、「この馬車本当に揺れないわね」とか言われてた時にそこらのお店にでも入って馬車を外から観察したりとかさ。そういう行動を取っていれば未来は変わったんじゃないかと思うんだ。
けれど、今日の私たちは、外の風景よりも車内で話すことに集中していた。馬車が神殿に向かっていないことなど誰一人気付かなかった。
その結果がこの惨状というわけだね。
「さて、ソフィア。説明してもらいましょうか」
到着したとの報せを受けて馬車を降りると、何故かそこは私の屋敷で。
玄関前には、まるで誰かを待ち構えていたように仁王立ちするお母様がいた。
私はそっと背後を振り返った。
――この中に誰か別のソフィアさんはいらっしゃいませんか? 呼ばれてますよ。
とても残念なことに、私の友人の中にはお母様から「ソフィア」と呼ばれる理由のある人物は存在しなかった。考えるまでもなく当たり前である。
ソフィアとはきっと人の名前で、馬車が到着した時点でその名前を呼んだということは、きっと馬車にはそのソフィアという名前の人がいたんだろうと思う。お母様はその人に呼び掛けたと考えるのが自然だと分かる。
そして偶然、不思議なことにね。
私の名前もソフィアっていうんだ。
「ソフィア。分かっているとは思いますが話があります。直ぐに私の執務室まで来るように」
「はい……」
冷たい瞳で真っ直ぐに射抜かれ続けた私はすぐに降伏して自身が指名されているソフィアであることを認めた。お母様が相手じゃいくら現実逃避したって無駄だからね。
屋敷から追い出して即日連行とか、私は何をやったんだろうか。あれかな、アネットのお店に行ってチョコレートパーティーを開催された件かな。
まさかお母様も参加したかったとか? いやそんなわけないか。
……このまま連れられた部屋ではお菓子の準備が整っていて、「アリシアから昨日の話を聞いて私も参加したいと思っていたのです。既にパーティーの用意は整っています。さあ、好きな物を好きなだけ食べて良いですよ」とか言われたら、私は喜びよりも前に己の命を危ぶむと思う。
あれよ。死刑囚の最後の晩餐がちょっぴり豪華になるとかそういうやつ。
私のお母様は私を甘やかすようなことは一切してくれない。
お母様からの優しさを感じたその時は、そうしなければ私が限界を超えると判断された時だけだと思う。
つまり今回は普通のお説教ってことだね!
「カイルもソフィアと一緒に来るように。残りの二人は、応接室で待っていてください。後ほどロランドが説明に伺います」
えっ、待って、ちょっと待ってお母様。私もそっちがいい。私もお兄様を出迎えて、あの魅惑的な声の説明聞いてたい。
無意識のまま顔を上げると、そこには私を見下すお母様の視線が待ち受けていて、要望を口に出すことすら叶わずに沈黙させられた。こっわ、お母様こっわぁ!
え、なにこれ。なんだこれ。お母様が結構本気で怒ってる。え、なんでこんなに怒ってるんだ??
今度はちょっと真面目に考えてみた。
――神殿。二日。昨日の行動。状況の変化。私。カイル。「残りの二人」……。
ふー……む。カイルも一緒にってところが難しいな。それさえなければヨル関連で確定だと思うんだけど。
いや王族関連ならカイルが呼ばれるパターンも存在する……か?
とにかく情報が足りない。そしてお母様に睨まれている以上、逃げ出すことも叶わない。
こうなったらもう諦めて、お母様から直接事情を伺う他ない。
お母様の怒りか、はたまた私の緊張が伝わったのか。
神妙な顔をしているカイルを促して、私達はお母様の執務室へと重い足取りを向けた。そして――
「学院で妙な噂を聞きました。【聖女】であるはずのソフィアが、禁忌を犯したと……」
……どれだけ怒られるのかとビクビクしていた私の心境が分かるだろうか?
お母様の第一声を聞いた時。私は嘆くでも驚くでもなく、まず初めにこう思ったんだ。
嗚呼お母様、貴方もですか、と。
「この件に関してはロランドも確認は取れないようでしたので二人に直接聞くことにしました。先ずは初めに確認しておきましょう。……貴方達は、肉体関係に及んだのですか?」
「「及んでません」」
なんか今日はこればっかりだな、なんてことを考えながら、私は自分の緊張が解けていくのを感じていた。なんだこの茶番。
……ん? っていうか、ちょっと待って。今お母様、「ロランドも確認は取れないようでしたので」とか言った? え? 「この件に関しては」ってことは他のことに関しては確認が取れていると? お兄様に私のことが筒抜けだと?
……………………え? えっと、…………え?
「……言っておきますが、この件に関して虚偽の報告があった場合、家族にも累が及ぶと考えておきなさい。その上で改めて問います。貴方達は――」
「ちょっと待ってくださいお母様」
口を挟んだ私を見て、お母様が痛みを呑み込むように目を閉じた。何を考えているかは分かるがそうじゃない。
カイルとどうこうとか、存在しない言い訳とか。今はそんなことどうだっていいんだ。
「お兄様の確認、とは一体どういうことですか? お兄様が私を監視している……という意味と捉えてもいいのでしょうか?」
見事に表情を取り繕ったようだけど、私の超感覚は誤魔化せない。お母様は今、ほんの僅かにではあるけども「しまった」と取れる動揺を見せた。
……ほー。へー、ほー、ふーん。そうなんだぁ。
お母様ってば、他にも何か知っていそうですね……?
どこまでも広がる朝の波紋。
その裏には、事件の詳細を知りたがっているとある人物の思惑が……?




