淑女は肉を咥えない
無知は罪だという考え方もあるけれど、物事によっては知らないままでいる方が良いこともあるのだと、私は今、身に染みて実感していた。
女性誌って控えめに言って情報の劇薬だよね。
「ソフィア、どうしたの? 調子でも悪い?」
「いえ、なんでもありません」
お皿の上に残ったソーセージを見つめたまま固まっていた私。傍から見れば、そりゃあどうしたのかと思うことだろう。
だが心配してくれたお姉様には悪いけれど、まさか本当のことを言う訳にもいかない。
肉色のソーセージが程よい太さで食べづらいとか言えるわけない。というか私だって、実際にいざ食べようとするまでそんな連想ゲームが発生するだなんてまるで考えもしなかったのだ。
……つまるところ。
私は、その……カイルと、とても人には言えない朝を過ごしたせいで、深刻な病に罹患してしまったのだろう。
その病は日常生活に困難をもたらす。
あらゆる細長い物を見るとカイルのアレを思い起こしてしまうという、誰に相談することも出来ずに苦しみ続けることが確約された、女性にとっては致命的に深刻な病毒だ。
「……………………」
…………いや、その。男性の発症率がゼロかどうかは知らないけども。
って違う。そうじゃない。その思考が既におかしい。
カイルの股間にウォルフが顔を寄せて「やめろよ……」「恥ずかしがんなよ……」と頬を染めながらエロエロしている絵が思い浮かぶのがおかしい。狂っている。私の脳がバグってる証拠だ。
危うすぎる妄想を強制的に中断する。
私が今為すべきことは想像の断絶。
妄想に割く脳の領域を限りなくゼロにして、目の前にある現実だけを素直に真っ直ぐ受け止めることだ。
――神殿。食堂。朝食の時間。
皆そろそろ食べ終わる頃合いで、私もさっさと食べ終わらないと注目を浴びる。さりげなく避けていたお陰で食事自体はハイペースで進んだけれど、余り物は残るから余り物なのだ。食べなければ減ることはなく、お皿の上に唯一つ残ってしまえばその存在感は隠しようもない。
お皿の上に堂々と鎮座し、僅かな弧を描いたその姿は、まるで朝に見た後光差すカイルの――ではなく。
引き結ばれた先端が、まるで象の鼻のような愛嬌を感じさせ――でもなくてェ!!
くっ、なんと恐ろしい。流石はバナナと並んで双璧とされる代表的隠喩アイテム。一旦「そういうものだ」と認識してしまったら何がなんでも想像に割り込んでくるのね。
だがその認識を、私はなんとしてでも断ち切らねばならない。
これは食品。ソーセージ。
食べることに何の呵責も必要の無い、単なる豚の腸詰めに過ぎないのだから。
食べ物なのだから当然、咥えることだってあるだろう。歯を立てることに躊躇なんてする訳ない。噛みちぎる? ああ、それも必要ならばすればいい。誰に遠慮をするというのか。
これは私に与えられたソーセージ。ならば余計なことは考えず、ただ食せばいい。余計な思考など一切不要。
だって食べ物だから。食べる為に作られたモノだから、これ。
今までだって何も考えずに食べてきた。
今回も同じように、ただ同じ行動をなぞればいいんだ。
……意を決してフォークを突き立てる。
プツッ、と抵抗を突き破った感触が手に伝わる。同時に何処からか「……っ」と息を飲むような声が聞こえた気がした。オイやめろ凄く気が散る。
――雑念を排し。持ち上げて、口に運ぶ。
舌に触れる滑らかな感触に頬が赤く染まりそうになるのを必死に堪えながら、「これはエッチなことじゃない、これはエッチなことじゃない」と脳内で念仏のように唱える。咥えてる姿が他人からどう見えるかなんて一切全くぜーんぜん気にしてない。てゆーか何も考えてませんし!!
ブチリと噛み切り。もぎゅもぎゅと咀嚼する。
口の中に肉があるという事実さえ恥ずかしいことのように思えてきて、無心のままに噛み砕いて飲み込んだ。これでミッションコンプリート。
……いやまだソーセージは残ってるんだけどね。気分的にね、峠を越えたみたいな。一歩目を踏み出せたことが大切だと思うの。
大仕事をやり終えたような気分で一息つくと、不意に周囲が静まり返っていることに気がついた。恐る恐る顔を上げると、みんなの視線が何故か私に集まっている。
…………み、見ないで。お願いします、こんな私を見ないでください。
「……そ、ソフィア?」
「なんでしょうか、お姉様」
声が震えなかった私を褒めてやりたい。
あ、でもダメかも。今私、ちょっと涙目になってるかもしんない。心から羞恥の涙が溢れてるわこれ。
「えっと……なにか心配事があるなら相談してね? 私じゃ頼りなかったら、ほら。ロランドもいるから。ね?」
…………ん? いや、何の話だろうこれ。……んん?
お姉様の表情。これは……戸惑い? あるいは怯え?
思ってたのとは違うお姉様の反応に、何故そんな顔をされているのかと考えて。ふと視界にそれが入った。
お姉様のお皿の上に乗ったそれ――ナイフで切り分けられたソーセージである。
「……そ、そう、ナイフ! ナイフで切ればよかったんですよね!? いやその、私、寝ぼけてちょっとうっかりしちゃって!」
イライラして喰いちぎったように見えたんですねわかります! 家族が急にそんなことしたら確かに怖いよねごめんね!?
誰だよ普段と同じ行動をすれば〜とか思ってたの! 私だよ!! ソーセージ丸かじりとか食堂でした事ないよ! そんなのお母様に見つかったら間違いなくお説教だよ!
私はしみじみと実感した。冷静さを欠くと、人って本当に、頭がパーになるんだなぁ、と。
唯一の救いといえば……私に視線が集中しているお陰で、私と同じくらい顔を赤くしたカイルが誰の目にも留まっていないってことくらいかな……?
「(なんか……)」
「(今日の二人……)」
「((絶対なにかあったよね??))」
一時の表情とか見るまでもなく、異常な雰囲気は余裕で察知されてた模様。
なおカイルくんはこの後ソフィアの過保護な兄姉に呼び出され、ベッドが謎の液体で湿っているのがバレましたとさ。南無。




