お風呂には危険がいっぱい
――もっと早くからフェルとエッテを喚べば良かった。
そう思ってしまうくらい簡単に、私はくすぐり包囲網からの脱却を果たしていた。
やっぱり小動物って最強だよね。
可愛がるのには勿論、生け贄にだって適切な千両役者。なのにお駄賃はちょこっと多めにデザートを用意するだけで事足りる。実に優秀なペットたちだ。
難点といえば、段々と要求されるお菓子のグレードが上がっていることくらいだけど、フェルたちはその無害そうな見た目に反して驚く程に知能が高い。私が渋るような要求を続けていればどんな結末が待っているかということを推察できるだけの知能がある。
私たちは末永く良い関係を継続できる、理想のパートナーとも呼べる存在なのだ。
「ねぇソフィア、さっきの話の続きなのだけど」
――だからね?
『フェルたちに任せてさえおけば大丈夫。フェルとエッテの愛らしさから彼女たちが逃れる術などありはしないッ!!』と高を括っていた私は、はじめ声を掛けてきたのが現実のミュラーだということを認識出来なかった。
湯船に入り、自然な動作で距離を詰めてくるミュラー。
あまりに想定外な出来事に私が固まっている内に、既に逃げ道は塞がれていた。
「あなたのあの速さの秘訣はなに? 私にもその技術を教えてくれない?」
ミュラーの真剣な瞳が私を真っ直ぐに見つめている。……が、そうと理解してもなお、私の意識は未だミュラーがエッテから逃れられた謎の解明に取り残されていた。
――ミュラーだってあの子たち好きだったでしょ? お風呂だよ? 洗えるんだよ? まさか洗ってる最中に唐突に可愛さ欲が満足したとか? そんなことってありうるの?
――理解できない。あまりに想定を外れている。
他人の行動を常にシミュレートしながら生きている私にとって、ミュラーが取った行動は、いっそ恐怖にすら該当するものだった。
――その声が聞こえるまでは。
「きゃっ! ちょっと、やぁっ! あんっ!」
「キュウッ!」
「キュイッ、キュイ〜♪」
声に導かれて視線を向けた先では、カレンちゃんがアワアワになったエッテとフェル両名によって弄ばれていた。
……んー? なんでそこにいるのかな、エッテちゃん? 君にはミュラーの相手をお願いしたでしょ? ちゃんと仕事してよエッテちゃん〜!
腑に落ちた。納得が心を落ち着かせた。
要はエッテがカレンちゃんに取られたから、手持ち無沙汰になったミュラーが私の方へやってきたというわけだ。
現実が思考の内に収まったことに密かに溜め息を吐こうとして――水中から急速に伸びてきたミュラーの手を認識すると同時、慌てて逃げようとしてすっ転んだ。
バッシャン!!
「ふもがぅ!」
……湯面に顔面を強かに打ったが、常に張っている防御膜のお陰で痛みはない。痛みはないが……心が痛い。
大股開いて顔面からお湯の中に突っ込んだ私の姿は、傍から見たらさぞかし滑稽に見えたことだろう。痴態を晒したショックに動けなくなってる今だって、秘すべきお尻がぷりんっとミュラーの眼前に突きつけられているのだ。心を閉ざす以外の何が私に出来るというのか。
……いや、怒るべきだね。ここは怒っても良い場面でしょうよ。
ゆっくりと体勢を立て直した私は顔面に張り付いた髪を無造作に退けた。明瞭になった視界で振り返ってミュラーを見れば、彼女は中途半端に手を伸ばした状態のままで固まっていた。
「……ミュラぁ〜?」
「ご、ごめんなさい。くすぐろうとしたことは謝るわ」
はぁ〜? 謝るぅ〜?
謝っただけで済むなら警察はいらないんですよォ!? ここはしっかりと落とし前をつけてもらいましょうか!?
やられたらやり返すが心情の私が荒ぶる感情のままに手をわきわきさせると、「あ、それくらいなら問題なさそう」とばかりにミュラーの表情が安堵したので、私の怒りゲージは更に一段上がった。
女友達用の専用ゲージとはいえあんまり溜めるとトラウマとか植え付けちゃうよ? そんな覚悟できてる? できてないよね?
二度と舐められないようにいっそ感度三千倍にしてぬっちょんぬっちょんの粘液まみれにでもしてやろうかしら。
「そう? 反省してるの? ならミュラーには特別な罰を受けてもらおうかな」
「えっ……」
そこで初めて嫌そうな顔をしたミュラーを見て、多少溜飲の下がった私は、トラウマ級のお仕置を選択肢から除外した。……が、何故か次の瞬間には、ミュラーが不敵な笑みを湛えてファイティングポーズをとっていた。その顔はもう「どこからでもかかって来なさい!」と言ってるようにしか見えない。
誰がご褒美あげるなんて言ったよ。
ミュラーが受けるのは罰! ミュラーが嫌がることに決まってるでしょ!!
「ミュラーは明日のオヤツ抜きね」
「えっ!!?」
おっ、効いてる効いてる。そーよ、そんな顔になるのが罰ってもんよ。
周りのみんなが美味しいオヤツを堪能する様を、一人寂しく指をくわえて見ているがいいね!!
「(アノ人のオヤツが減るってことは)」
「(僕タチのオヤツが増えるってこと?)」
――降って湧いた幸運に喜ぶエッテとフェルは失念していた。
ここは屋敷ではない。神殿である。
それは即ち、自分たちを甘やかしてくれたメイドたちがここには誰もいないことを意味するのであった――。




