アネット商会のフィオナさん
おかしい。
何もかもがおかしい。
「本店を任されておりますフィオナと申します。この度はわざわざ御来店頂き誠にありがとうございます」
「……ソフィア・メルクリスと申します。こちらの商品にはそれだけの価値がありますから、こちらこそお礼を言わせていただきたいです。良質な商品をいつもありがとうございます」
「……! 勿体ないお言葉です」
このフィオナさんというお偉いさんが部屋に入ってくるなり、私達の中で一番の年長者であるお姉様を無視してまっすぐ私の元へと向かって来たこと。何故かいきなり私の前で跪いたこと。全てがおかしい。
明らかに変だ。おかしい。何か異常な事態が起こっている。
それだけは疑いようもなく確かなのに、私にはその原因が分からない。原因が分からないから対処もできない。
これ、素直に乗っかってもいいやつなのかな……? 後で誰かと勘違いしてたとか言われない?
分からないって怖いわー。
「……あの、それよりもまずは立って貰えませんか? そのような態度を取られる理由が私には無いと思うのですが」
「そのような事はありません。……ですが、些か性急ではあったかもしれません。ソフィア様が望まれると仰られるのであれば直ぐに立ちます」
言葉通り、澱みの無い動作でスックと立ち上がる美人さん。
何を考えているのか全く読めない顔ではあるが、その表情はキリリとしていて凛々しくさえある。直前まで子供に頭下げてた人とは思えない。
……入ってきた時にも思ったけど、このフィオナさんって人、女性にしては背が高い方だよ)。少なくともカイル以上はあるように思う。
そんなでっかくて見るからに仕事出来そうな人が、通された応接室で魔法チャンバラを始めるような見た目相応の子供にしか過ぎない私に、やけに遜った対応をしてくるとはこれ如何に。
カイルの視線が痛すぎてほっぺたに穴でも空いちゃいそうだが、この件に関して私は本当に何も知らない。断固無実を主張させてもらう。
フィオナさんと私は間違いなく初対面であるはずなのだ。
こんな特徴的な美人さん、一度見たら忘れるものかよ。
「失礼ですけど、私たちって初対面ですよね?」
「はい。直接顔を合わせたのはこれが初めてとなります。ですが、会長からもお話はよく伺っておりましたので」
念の為にと聞いてみるも、返答は記憶の正しさを証明したのみに留まった。追加で得られた情報は想定の範囲を出ていない。
会長。アネットか。アネットが商会の人に私のことを? こんな尊敬を受けるに値する話をしたとでも?
んー……どうだろ。アネットも私のことを過大評価してるところがあるからな〜。
伝言ゲームで理想像が膨れ上がった可能性はあるかもだけど、それにしては熱量が高めな気がするし……。
甘やかされるのは好きだけど、理由の判然としない特別待遇は案外居心地の悪いものだということを、私は今日学んだ。
まあこの程度の気持ち悪さだったら、心の持ちようひとつで気にならなくなるとは思うけどね。
「ちなみにそれ、どんな話ですか?」
ちょっぴり気になったところを突っついた途端、フィオナさんは「その言葉を待ってた」とばかりに瞳をキラリと光らせた。……よう気がした。
「革新的な発想の全てはあなたから受け継いだものだと。あなたがいなければこの商会が存在することは無かったのだと伺っております」
……んー、恩人の恩人、的なやつかなぁ。
私がアネットの恩人だというのは、私としては未だに認めづらいところではあるんだけど……。
――フィオナさんの言葉には、隠そうともしていない崇敬の念が込められている。
初対面の人から尊敬される私のことを唯ちゃんとカレンちゃんは素直な感動の瞳で見ているし、お姉様は「さすがは私の妹ね!」とばかりに自慢げだ。リンゼちゃんとカイルからは若干呆れたような目を向けられている気がする一方で、ミュラーは私の……え、頭? まさか頭を狙ってる? あ、違う、ただフェルを見ていただけか。フィオナさんの話には全然興味がなかったようだ。
正直なところ、私もあんまり興味無い。だって今日はお菓子を買いに来たんだ、アネットの話を聞きに来た訳では無い。
でも丁寧に対応してくれてる美人さんに「そんな事よりお菓子はよ」と言えるほど私の心臓は毛深くないので。
なんとかここから自然な流れで……流れで、なんとか……!
あるいは一階で名前を出したことが間違いだったのか、と過去の行いを悔やみ始めたその時。扉の向こう側で複数人の気配が立ち止まったのと同時、「チリン」と鈴の音が扉越しに聞こえてきた。……何かの合図?
「ああ、もうそんな時間ですか。楽しい時が経つのは本当に早い……。本日はチョコレートのご購入を検討されていると伺っておりますがお間違えないでしょうか?」
「はい、そうですね」
売り切れと聞いていたけど、まさかチョコレートを探して持ってきてくれたのだろうか。なるほど、つまり今の会話は時間を稼ぐ為のものでもあったわけか。店長さんがわざわざありがたいことだ。
流石VIP待遇はひと味違うなと一瞬前の後悔をケロリと忘れた私の目の前に現れたものは、しかし、予想をはるかに越えた光景だった。
「おおおお」
――それはいったい誰の声だっただろうか。あるいは私の声であったのかもしれない。
チョコレートにクッキー。プリンにアイス、ケーキまで。
続々と部屋に運び込まれてきたのはこれから此処でパーティーでも始まるのかと言うような大量のお菓子の数々。しかもそれらは全て、チョコレートが使われているお菓子だった。
驚きに言葉を失った私たちに向かって、フィオナさんはにこりと微笑んだ。
「こちらが現在当商会で扱っているチョコレート製品全てになります。どうぞお好きなだけ味見をして頂いて、気に入ったものがあればお申し付けください。もちろん飲み物も好きな物をお選び頂けますよ」
続々と運び込まれるお菓子の山。甘い香りで満たされる室内。
その幸せな光景を眺めながら、ソフィアはストンと理解した。
――ああ、フィオナさんはとてもとても良い人なんだな、と。




