喪神病の治療依頼
お兄様に任せておけば最善の結果が得られる。そのことに間違いなんてあるはずない。
……つまりはコレで最善なのだ。
私はお兄様に手渡された、依頼内容の書かれた紙を読みながら、心の中で溜息を吐いた。
「えーと……『喪神病の治療方法については一任する』ってこれ、要するに私が治すんですよね?」
「そうだね」
私の確認に軽い調子で返したお兄様は、アツアツのピザを一欠片、そっとフォークで掬いとると、ゆっくりとした動作で控えめに開いた口元へと運び込んだ。
噛み締め、味わい、うっとりと蕩ける顔がなんとも艶かしい……じゃなくて。
「ここに記載してある三十二名を、ここに指定してある日時に治療すると」
「そうだね」
淡々と返すお兄様とは対照的に、私たちの周囲は賑やかしい。
お姉様はひとくち食べる度に「んー♪」と幸福感溢れる声を上げているし、カイルとミュラー、カレンちゃんは何故か中庭での訓練方法について語り合っている。
ピザを庭の縮図と見立てて話すのはまだ理解できるけど、会話の中で「壊れたら……」とか「耐久性が……」という言葉が頻出するのは如何なることか。
ミュラーも気軽に「直してる間に使える場所があれば」とか言わないの。普通は庭なんて壊れないし壊れること前提にして使わないのよ。
……って、だからぁ。私が考えるべきはそこじゃなくてぇ。
ついつい思考が逃げちゃうけども、私にはカイルたちが盛り上がってる話題とは別に、ちゃんと考えなければならないお仕事があるのだ。
「脱線しようぜ?」と誘惑してくる周囲の雑音を振り払い、私はお兄様に確認を続ける。それが無駄な足掻きだと、心のどこかで理解したまま。
「これを一日でやるんですか? 私ひとりで?」
「時間に指定はないけど、向こうはそのつもりで考えてると思うよ」
――王家からの神殿への、喪神病患者の治療依頼。
王妃様が訪問した本当の理由はこれだったようだ。
っていうか王妃様って私が喪神病治すとこ見たことないよね? 所要時間の計算が絶妙すぎて怖いんですけど。
記憶にある。私は確かに、所要時間を報告した。
私が喪神病を治療できると知ったら必ずこういう依頼が来るとお母様に言われた時に「一人治すのに三十分くらいはかかりますかね〜」と治療に必要な時間を報告した。それはお母様を通してとっくに向こうへと伝わっているはずだ。
なのに初めての依頼でいきなり三十二名分もの治療依頼。
一人を治療するのに私が伝えた通りの時間が掛かったとすれば、推定される所要時間はなんと驚きの十六時間。朝の八時に取り掛かったとしても終わるのは日付けが変わる頃という、狂気と呼ぶのも生ぬるいデスマーチの開幕だ。
しかもこの計算、休み時間無しの想定での時間だからね。
おやつタイムが削られてるどころか、食事もトイレも行けないからね。
もうね、アホかと。バカかと。簡単な計算すらもできないアホタレなのかと小一時間問い詰めたい。
こちとらまだ学院に通ってる未成年の子供ですよ。児童虐待が趣味なのですかと担当者に直接文句を……いや、真性だったら困るからやっぱナシの方向で。
こっちって性にやたらとオープンなせいか結構な割合でホンモノの変態さんが存在してるんだよね。迂闊なことを言うと変態さんが寄って集って……ああ怖い!
ともかく。
遂に私に、国から正式な喪神病の治療依頼が来ました。さりげなく聞いてみたけど、これはやっぱりどう足掻いても断れない類のやつっぽいです。
まあこれも因果応報というかね。割とホイホイ治してたからね。いつかはこーゆーこともあるんじゃないかとは思ってた。
私にだって人の心くらいはあるから、治療をすること自体には何の問題もない。それでお金も貰えるってんなら益々断る理由もない。ただ自分を犠牲にしてまでやるつもりは無いというだけの話だ。
だから問題はホント、この馬鹿げた人数だけなんですよ。
「……初めての依頼にしては、ちょっと大口すぎません?」
パクモグ昼食をとりながら断る口実を探してみても、お兄様はあらかじめ私の質問が分かっていたかのように冷静だ。
……ていうかお兄様がこのキツい条件のまま私に見せてきた時点で断れないのは分かってるんだけどさあ。それでももうちょっと、こう、こちら側に対する気遣いというか? 王妃様の大好きな聖女ちゃんに忖度してみない? とか思っちゃうよね。
こんな無茶な条件突き出されたら、聖女ちゃん、聖女やめたくなっちゃいますよ?
「最初の治療者を選別するのに半年以上かかったらしいよ」
…………や、やめたら大変なことになりそうですね。仕方ない、ちょっぴり気合い入れて頑張るとしますか。
さらりと告げられたお兄様の一言で快諾することを余儀なくされた。これは私以上に苦労した人が大量にいる気配がひしひしとしますね。
人命がかかってるから手抜きなんかは出来ないけど、実際には一人三十分なんてかかるわけない。せいぜい十数分、早ければ五分もせずに治せるだろう。
……ただ、一人平均が十分だとしても、三十二名で合計三百二十分。優に五時間以上も神経を使う魔力操作を強いられるわけで。
これはちょっぴりどころではなく、かなりの覚悟が必要になりそうですね……?
いつもとは勝手の違う神殿生活を堪能するカイルたち。その輪に入りたいのに入れないソフィア。
本人が認識している以上のフラストレーションが、ゆっくりと、しかし確実に溜まっていく……。




