勝利は掌から零れ落ちる
……そういえば私って、その気になればもういつでも向こうの世界に行けるんだよね。正体を隠したままかつての友人たちに会いに行くのもアリかもしれない。
そんなことを考えながら、私は目の前に座るお母様を余裕の心持ちで眺めていた。
くっ殺女騎士みたいに苦々しく顔を歪めている姿を見ても心が痛むことは無い。むしろ私の心が流した血の涙の分だけ悔しがってろとか思っちゃう。あー、いい気味♪
やっぱさー、人を冤罪でエロ娘だの常識が欠けてるだの言っちゃうよーな人にはさ。くだるんだよね、天罰ってやつが。
あーー気分良い!
人を印象だけで決めつけて犯人に仕立て上げるような短絡的な権力者とか存在価値ないもんねぇ! お父様がエロ本のネタにされてたからって真っ先に娘を疑うとか普通に考えたらありえないのにねぇ!! お母様ってばそんな簡単なことすら分からないんだねぷぷぷのぷー!??
めっちゃくちゃニヤニヤニマニマしながら、それでも最低限の情けとして心の中だけで煽り倒せば、私の顔をちらりと見たお母様は顔を背けて実に悔しげに歯ぎしりなんぞ披露してくれた。
……ふふ、ふふふふ。なぁにそれ?
もしかしてお母様ってば、私を喜ばせようとしてくれてる?
ああ、なんてサービス精神が旺盛なんでしょうか!! お母様の見上げた奉仕精神に、ソフィアは歓喜のあまりお礼を言いたくなってしまいそうです!!
はー楽しい。馬鹿にされてると理解してても反論できないお母様眺めるのマジ楽しいわー。
そうだよねー。悪いことしたのにごめんなさいもできないような人が、他人のことを馬鹿になんて出来るはずないもんねー?
ついさっきまで無実な娘に人格攻撃してまで冤罪被せようとしてたんだもん。人として、貴族として、そしてなにより常識のある大人として。娘に模範を見せないと始まらないよねー?
ほらほらぁ、お母様っ。私が見ててあげるから、早く大人の対応を見せてくださいよォ。常識的な大人ならトーゼンするべきことがあるでしょお? うふふっ♪
いい加減諦めて謝っちゃえ♪ と煽りに煽った私の視線を受けて、お母様は人を殺せそうな眼光もそのままに。固く引き結んでいた口を震わせ、僅かに開けて。
そして遂に、その口から敗北を認める文言が――!!
「わ、悪いのは私だから……! 私の為に二人がいがみ合うのは、間違ってる……んじゃないかと、思っ……!」
――……聞けると、思ったんだけどなぁ。
アネットちゃん、マジですか。
今アネットが邪魔しなければ、多分この無言の攻防が円満解決する決着の言葉がお母様から引き出せてたと思うんですよ。
それにも拘わらず、お母様の振り絞った勇気を無にしようとするその試み。
正直、目からウロコというか。尊敬の念を抱かずにはいられないと言いますか。
つまりこーゆー事ですね? お母様の罪はたった一回謝った程度では贖えないと。
謝ろうとする度に邪魔してやって、むしろお母様の方から「私が悪かったです。どうか御願いします、私に謝る機会を下さい!」と泣いて懇願するまで罪を自覚させ追い詰めろと。アネットはそう私に伝えたかったんだね。
成程? それはとても良い案だ。
人に謝るという簡単なことすら覚悟しなければ出来ないお母様の精神構造は、一度しっかりと矯正した方が世のため人のためってものだよね。その恩恵が私に最大限作用しそうな点も実に良い。
だが残念。意外と精神的に打たれ弱いお母様をボロボロ泣くのが癖になっちゃうくらい追い詰めるのも悪くは無いけど、お母様というストッパーが外れてしまったら、多分私は、この世界で生きていけなくなると思うんだ。
――好きの反対は無関心だという話がある。
要は口うるさく注意をしたり心配をするという行為には多大な労力が必要で、その行為には相手への愛が必ずあるという話だ。
まあ実際、それがちゃんと伝わってるから私は甘んじてお母様からの罰を受けているところがある。愛情の欠片も感じていなかったら、お母様役なんて心をボキボキにへし折ったお人形さんでも十分だからね。
「ソフィア。疑ってしまってすみませんでした。でも元凶は貴女だったようですから、お説教はそう的外れでも無いと思うのですが」
「素直に謝れないのはお母様の悪い癖だと思いますよ」
なんだ、謝るのに私以外の理由ができたら簡単に謝れるのか、お母様は? アネットの為に謝るんだから私への謝意は形だけでいいって? いいわけないでしょ。
ちゃんと誠心誠意心から謝れとにっこり笑顔で促す私に対し、お母様も旗色が悪いことを自覚しているのか、メイドに飲み物なんて要求し始めた。
人って都合悪い時には喉が渇くらしいよねー。うん、知ってる知ってるぅー。
でも今回はお兄様引き合いに出されて怒ってるから、そう簡単には引かないぞーう。
逃がすものかよと心の中で牙を剥く私だったが――その時、この場の誰もが想像だにしなかった緊急事態が発生した!!
コンコンと叩かれる扉。
開かれた扉から顔を出したのは――お兄様だ!!
「母上。ソフィアがこちらに来ていると聞いたのですが……」
泣いてるアネット。固まるお母様。神速で本を回収し部屋中の空きスペースを確認する私。
どどどどどどーしようどーする。このエロ本どうしよ。
ここはお母様の執務室だし、もしもバレた時にはお母様の秘蔵本ってことにするしかないかな!? かなァ!?
――後日談ではあるが。
この時現れたロランドを見て、アネットは「救世主だ……!」とロランドへの崇敬を一段と深めたらしい。
それと同時にこの件以降、義母アイリスと話す時に、少し緊張するようになったのだとか……。




