堕ちたアネット
お互いの主張が対立し、会話に熱が入ってくるとどーしても言葉が段々キツくなってくるよね。
でもね、物事には言っていいことと悪いことがあると思うんだ。
お兄様を人質に取ったお母様に対抗してお父様を引き合いに出した事は反省していない。横暴なお母様に対してきちんと反論するのは必要な事だ。
「自分が嫌なことは人に対してもしてはいけませんよ」という基本的なことさえ理解してないお母様に世の常識を教えることは、私の今後の暮らしやすさにも関わる。たとえお母様の不興を買うと分かっていてもここは譲れなかった。
では何が悪かったのだろうか?
何故、私はお兄様を呼び出されるのと同等以上の精神的苦痛を、味わう羽目になっているのだろうか。
それはきっと、私に隙があったからだ。
私の魔法が完璧ではなく、お母様にデリカシーがなかったからだ……。
ぐすん。
◇
――私は敗北した。これ以上ないほど敗北した。
口喧嘩の勝敗が相手を黙らせた方を勝者とするなら、私は間違いなく敗北したんだ。
激しさを増した口論の末。
口にしてはならないことを言ったお母様によって、私は再起不能状態に陥っていた。
「………………」
いや、あのね。反則ではあるのよ。人格への攻撃を受けたの。
確かに今回の件と無関係かと言われたら微妙なトコなんだけど、とにかく卑劣な手段で私は無理矢理だまらされたの。
簡潔に言えば、エロ娘扱いされたの。
泣ける。
「………………」
「………………」
私をやり込めたお母様も気まずそう。
そうだよね。夜の秘密のひとり遊びを理由に人をエロっ子扱いして、「だからこれも貴女が欲しくて作らせたんでしょう!」とか無茶苦茶もいいとこよね。あの時お母様でさえ自分が何を言ってるのか理解してなかったんじゃないかと思うね。
ていうか、執事長さんはともかく、お父様に男の魅力とか感じないし。
このお母様をオトしたんだから夜の技術は凄いのかも……とかは思うけども、むしろそのせいでちょっぴり苦手意識持ってるし。
私、自分がチョロい自覚ありますから。雰囲気イケメンは苦手なのよ。
それをなんだい。ちょっとお父様を引き合いに出されたからって、昔のミスをネチネチと。
ちょっと遮音結界張るの失敗したままひとり遊びしてたくらいで、その……人のことをエロ娘扱いは……ホントにさぁ…………。
正直、私ってクラスでも五指に入れるレベルの清楚さだと思うのよ。
見た目とか性格とかの話ではなく、これは単純に性への興味の問題ね。
十三歳。思春期よ? そーゆーことに興味持つの当然じゃん。欲求が出るのは普通のことじゃん。
それをさぁ……ちょっと、その、シてる時の声を聞いたくらいで……。くらい、で…………。
アカン。心折れそう。
折角忘れかけてたのに、お母様のせいで遮音結界が切れてたと知った時の恥ずかしさが蘇ってきた。恥ずかしすぎて吐き気までしてきた。
そんな時だ。もはや物言わぬ石像と化した私の隣りから、蚊の鳴くような声が聞こえたのは。
「本当に……すみませんでした……」
謝って済む問題じゃないんだよ、アネット。
そもそも謝るべきはアネットじゃなくて、人を冤罪でやりこめてるそこの怒りんぼポンコツ石頭さんだからね。
はああ……と深い溜息を吐いても気分は全く改善されない。
これはもう、お兄様に激甘コースのおねだりでもするしかないかな……。膝枕で頭を撫でてもらってさ……うふふ……。
……っていうか、今気付いたんだけど。
今の話、アネット知らなかったやつじゃない? アネット来る前のことだもんね? 知らないで済んでた話じゃないの??
私の赤裸々話をアネットの前でとかさあ……。お母様はホント、デリカシーってもんがさあ……ありえなくない?
ボッキボキに折られた心でも不満は出るもんだと、私は精神の頑丈さに思いを馳せ、空っぽで渇いた笑いを響かせた。あーしんどい。
「……初めは、軽い興味だったんです」
私が精神的に死んでる横で、アネットが何やら話しだした。
なんだー? エロ本を作り始めた理由でも話すのかなー?
でもそれ、私がお母様に苛められる前に話せば良かったんじゃないのかなー。そこんとこどー思う?
「ソフィアから聞いたのは、そういう嗜好があるという話だけで。その、男の人同士が、仲良くしているのを好む婦女子がいると……。潜在的な需要は驚く程に高いのだと聞いて、それで興味が湧いて……」
ちょおい。私を庇う流れじゃなかったのかよーう。
意を決して性癖の告白してるのは分かるけどさ、ちょっとお母様を見てご覧なさいよ。あれだけ雄弁に「やっぱり貴女のせいですか」と顔に書くのってどうやるの? と思わずにはいられない顔をしているよ。
お母様っていつもむっつり顔のくせして無駄に表情での表現豊かだよね。完全に不必要な技術ですけどー。
私とお母様のことなど気にも留めずに、アネットの告白は続く。
「……私も、想像してみたんです。色々な男の人同士が、もしも恋人のように愛し合っていたらって。あの方は、あの行動は、もしかしたらって。そうしていたら気付いた時には、もう、妄想が止まらなくなってしまって……!」
わっ、と泣き出すように顔を覆うアネット。
泣きたいのはとばっちりを受けた私だし、理解不能の告白を受けているお母様だろう。私が無罪かもしれないとようやく気付き始めたらしい。
正直さ。沼にハマり始めた最初って何を見ても楽しーでしょ。
アネットの今の顔。泣いてるようにも見えるかもしれないけど、それは多分、嬉しい悲鳴ってやつじゃないかと思うのよね。
ヒクヒクと動くアネットの口角を見ながら、私はかつて仲間内で「気怠い系男子っていいよね!」と熱く語っていた友人のことを思い起こしていた――。
「ハマっちゃったなら仕方ないよねー」
アネットの堕落宣言を聞いて、ソフィアは全てを許した。諦めたとも言う。




