アイゼンの街へ行こう
「アイゼンの街に行きたい?」
「ええ、お父様。私達はアイゼンの街でアップルパイを食べなければならないのです」
お姉様がちょっと暴走気味だ。
本当はお母様がいれば良かったんだけど、生憎お仕事が忙しいみたいで捕まらなかった。
「菓子が食べたいだけならわざわざアイゼンまで行かなくてもいいだろう」
「ただのお菓子ではありません!最高級の素材だけで作られた至高のアップルパイなのです!」
お姉様の中でアップルパイが神格化し始めている気がする。
大丈夫かな、いくら美味しいと評判とはいえ理想が高くなりすぎて食べた時にガッカリ、なんてことにならなければいいけど。
「ならば誰かに買いに行かせればいいだろう」
「出来立てを食べねば意味がありません!」
そう、出来立てのが食べたいんだよねー。
アップルパイの話を聞いた時には、密かに練習を重ねた飛行魔法の長距離運用試験として行ってみようかなーとかも思ってたんだけど、お姉様に誘われたので正攻法で行くことにした。
お姉様と一緒に食べるアップルパイが美味しそうだという理由もある。
お姉様も楽しみにしているみたいだ、お父様にアップルパイがどれだけ美味しいのか熱弁していた。
ほぼミランダ様の受け売りだけど。
私の出る幕もなさそうだし、ここはお姉様に任せておこう。
「――その為に、アイゼンの街まで直接出向く必要があるのです」
一通りアップルパイの魅力を語って満足したらしい。
うん、完璧な理論だ。
アップルパイ愛が伝わってくるいい演説だったと思う。
まぁ、残念ながらお父様の説得には何の役にも立たないだろうけど。
「そうか、分かった」
「分かって頂けましたか!」
やった! って顔をしてるお姉様には悪いけど、お父様の顔見て? あれ絶対分かってないよ。上げてから落とすのがお父様のスタイルなんだよ。経験者は語るよ。
「なら我慢しなさい」
ほら。
まぁ、アイゼンまでは馬車で何日かかかるみたいだし、そう簡単には許可してくれないよね。
うーん、どこから攻めるのがいいかな。
「お……」
お?
「お父様のバカっ!」
おぉぉ?
あれ、展開早くない? もしかしてまた妄想してる間に時間が飛んだ?
いや、そうじゃないみたいだ。魔法の訓練の為にと常時動かし続けている脳内時計はさほどの時間も経っていないことを証明している。
お姉様だってもう14歳、前世なら中学二年生だ。私の予想では、もう少し理性的な会話が続くはずだったんだけど。
「親に向かって馬鹿とはなんだ!」
「うるさい! お父様なんかキライ! もういいっ!」
呆けているうちに二人の話し合いは喧嘩別れになってしまった。
お姉様が足音を荒立てながら部屋を出て行く。
私もついて行くべきだろう。けど、お父様のフォローもしておいた方がいいかもしれない。
こんな女遊びが得意そうな顔してるから勘違いしてたけど、お父様って女心が全然分かってないし、もしかしたら、実はかなり人間関係不器用な人なんじゃないか。だとしたら、良好な家族関係を維持するために少し助言くらいしてもいいよね。
「あの、お父様」
「……ソフィアか。どうした」
お父様、声が怖いです。あと睨まないで。
ちょっと萎えそうになったけど、これもお姉様とお父様の為。がんばれソフィア、ソフィアがんばれ!
「お姉様が怒った理由、分かりますか?」
眼光が鋭くなった。
やばい震えそう。ごめんなさい偉そうだったよね、でも無神経なお父様も自業自得だから許して! そしてできれば自覚してぇ!
「我儘が通らなくて癇癪を起こしたんだろう。アレには甘くしすぎたからな」
アレ呼ばわりツラい。
父親はいなくて実体験はないけど、漫画読み込んでたから知ってるよ。この会話を娘が聞いてて余計拗れるパターンでしょこれ、やめてよねホントにもう!
お父様が娘たち大好きなのは傍から見ててもバレバレなのになぜ変な意地を張ろうとするのか。
お父様にはあんまり喋らせない方がいいかもしれない。
「お姉様は、お父様がお仕事で忙しいのを心配していました」
お父様の眉毛がピクリと動いた。効いたっぽい。
仲直りさせるためとはいえ嘘はあまり吐きたくない。お姉様がお父様のことを心配していたのは事実だ。
「ミランダ様がアップルパイの話をして下さって、美味しそうだね、みんなで食べられたらいいのにねって」
これも事実。
少なくとも私は家族で団欒をしながらアップルパイを楽しむ風景を夢想した。
お姉様だって家族思いの優しい人だ。
家族みんなでアップルパイを食べたなら、きっと脳裏に描いた通りの光景が広がるだろう。
「でもお母様はいないし、お父様もお忙しいみたいだから」
お母様がいたらなにも問題なかったのに。あぁお母様、笑顔で怒るの怖いとか思って申し訳ありませんでした。一緒にアップルパイを食べて笑顔になりたいです。これは心からの願いなのです。
あ、違う。今はお父様への対処の時間だった。
次の台詞はえーと、そうだ。
「だからせめて、私達が味見をして、家で同じように作れたらって」
(私が今思いました)
「(お前達の考えは)分かった」とか言っちゃう思わせぶりなお父様に意趣返しだ。ふふふ。
でもこれ結構いい案だと思う。
しかも私とお姉様はしっかり目的のお店でアップルパイを楽しめるというパーフェクトな作戦だ。
アップルパイは美味しい。みんなで食べるともっと美味しい。二つ合わせて最強だね? さすがソフィアちゃん天才ちゃん!
私が理想の絵図を描いていると「そうだったのか……」とお父様の呟きが聞こえてきた。
嘘は言っていないけどグレーゾーンを突っ走った自覚はある。バレそうだから顔を背けておこう。
せめて仲直りしてくれるまではいい感じに勘違いしていて欲しい。
そもそもお姉様は中二病罹患者ナンバーワン世代にして第二次性徴期の只中にあるのだ。
父親なんか嫌いで当たり前。
お姉様は希少種だというのに、お父様はその有難みを全く分かっていない。世の父親に謝るべき事案だ。
「……お前達の考えは、分かった」
あっ、お父様その台詞、最初に欲しかったなー。
「だが、アイゼンへ行くのはダメだ」
やっぱりダメらしい。
でも弱りきった感じになってるから、この様子ならお姉様とも仲直りできそうだ。
「分かりました。お時間を頂き、ありがとうございました」
「いや……」
退室の挨拶も上の空で何か考えているみたいだ。
それがお姉様との仲直りの方法だと頑張ったかいがあるんだけどな。
念押ししとこうか。
「ちゃんとお姉様と仲直りしてくださいね」
パタン。
ドアの閉まる音が反論を許さない。これぞ言い逃げ。
扉の横には予想通り、お姉様がいた。
なんだろう、照れてる?
「ソフィア、ありがとうね」
わぁ、かわいい。頑張ってよかった。
「ちゃんとお父様と仲直りしてくださいね?」
メッと叱ってみた。
さっきまで怒っていたのが嘘みたいに、可憐な笑顔で頷いてくれたから、二人はもう大丈夫だろう。
「でも、アイゼンには行けそうにないね」
「そうですね。なにか理由がありそうでした」
うん、心配事が減ったらお腹減った。
アップルパイ食べたい。
「お姉様、お父様って忙しいんですか?」「そうねー」「心配ですね」「そうねー」