友達
「あぁぁぁ疲れたぁぁぁぁぁぁ……」
殺伐とした空気に包まれた教室を後にしたアルは、入学初日から巻き起こった騒動に辟易しながら足早に寮を目指していた。彼の胸中はただただ早く休みたいという想いだけだった。そんな急ぐアルの背後から「ちょっと待ってぇー!」と呼び止める声が聞こえ、振り返ると手を振りながら駆けてくる二人の少女の姿があった。
「はぁ、追い付いた。あなた歩くのが早いんだね」
「はぁ、はぁ、クーちゃん。今思ったけど単純に身体強化の術使えばよくなくない?」
「それは……言わない…………で」
膝に手を置いて息を乱す彼女達は、クレア・アークライトとニア・キャンベルの二人だった。どうやら、帰宅するアルを走って追って来たようだが一体何の用だろうか、と無言で二人の呼吸が整うのを待つ。
「はぁ……ヨシ、もう大丈夫。えっと私達の事知ってる? 一応同じクラスなんだけど」
顔を上げたクレアは首を傾けながら尋ねた。対するアルは”あれだけ騒いでおいて知りませんなわけ無いじゃん?”とは口が裂けても言えないので無言で頷いた。
「そっかそっか。あ、でも名前は知らないよね? 自己紹介の時、あなたいなかったもんね。とりあえず、私はクレア・アークライトよ。よろしく」
「私はニア・キャンベル。よろしく~」
「はい……よろしくお願いします」
「ねぇ、反応薄くない!? こんな美少女ズが走って追いかけてきたんだから、もっとこう何かドキッとする何かはないのかね!?」
良く分からない理由でニアに文句を付けられたアルは、頬を引き攣らせながら一歩後ずさる。
「ちょっとニア! 妙なこと言って彼を困らせないで! 引いてるじゃない」
「あ、いや大丈夫です。それで、二人はなぜここに?」
胸の前で小さく手を振りながらアルは先を促したが、クレアはどうしてかジト目でアルを見つめるだけで何も言わなかった。
「えっと……アークライトさん? あの、どうしたんですか?」
視線を泳がせながらクレアに尋ねる。何か気に触るような事でもしてしまったのか、と不安が過る。
「敬語」
返ってきた言葉は敬語という一言だった。
「はい?」
「敬語はやめて」
「え?」
「さっき先生も言ってたじゃない。私達は対等よ?」
「はぁ……」
「だから敬語はやめて。それにアークライトさんも無し、クレアでいいわよ」
「私もニアでいいからねっ」
「え、いやぁ……それは無理です」
「「どうして?」」
二人同時に聞き返されアルはさらに一歩後ずさり口を開いた。
「どうしてって決まってるじゃないですか。俺が『悪魔の落胤』だからです。俺みたいな奴は普通に会話することすら快く思われないですし、むしろ口を開くなって感じです。なので呼び捨てもタメ口も論外です」
「そんな事は気にしなくてもいいじゃない。私は気にしない」
「それは同情かなにかですか?」
「いいえ違うわ。あなたはそう感じるかもしれないけれど、私達は別にあなたに同情しているわけではないわ」
「じゃぁ、何の目的でそんな事を?」
「そうやっていちいち勘繰るのはやめて、他意もないわよ。単純にあなたも言葉が通じる”人間”なのだからこうして話しても構わないでしょ?」
「うんうん、最初は私も興味本位って所もあったけど、こうして近くで見ても別に私達となんら変わらない普通の人じゃん! まぁ、こんな世の中だと偏屈になるのも分かるけどねぇ」
「もし仮にあなた方が俺を公平に扱うことに関して抵抗が無くても世界がそれを許さないんです。特にアークライトさんは貴族ですよね? なおさらです、こうして言葉を交わしている事すら憚れます。ということで、それだけが用なら俺は帰ります、さよなら」
踵を返したアルは急ぎ足でその場を離れようとしたが「待ちなさい」という言葉と共に肩を掴まれ止められる。振り返れば変わらぬジト目を向けてくるクレア。そして、面白そうにニヤニヤしているニアと目が合った。
「手前勝手な文句は力でねじ伏せるわ」
「?」
「先生が言ってたじゃない、文句は力でねじ伏せろって。だからあなたの文句はねじ伏せるわ、構わないでしょ?」
「んな、滅茶苦茶な……」
「フッフッフッ、こうなったクーちゃんは頑固だから諦める事を推奨するよ。ちなみに周りを見てみなよ」
ニアに言われるがまま周囲を見れば、パチパチ青白い電流を発したアクセサリーが夕日に照らされながら明らかな攻撃意思を示しアルの周囲を舞っていた。
「力でねじ伏せるってガチな奴じゃないですか!」
周囲のアクセサリーを指差しながら涙目で思わずツッコミを入れた。
「それで? 敬語はやめてくれるの?」
「いや……それは」
拒否の言葉を口にしようとした瞬間、眼前に舞い降りた一つの小さな剣は放電をさらに強くした。
「拒否権無いじゃないっすか……」
「えぇ、ねじ伏せるわ」
「……わかりま」
「ん~?」
「……わ、分かったよ、敬語はやめる」
「うむ、よろしい」
笑顔で満足気に頷くクレアの背後に立つニアが小さく「ドン引きさせてるのはどっちなのかなぁ?」と呟いたのだった。
「あ~それでアークライトさんたちはどうして?」
「ちょっと、名前もだからね?」
すかさず横槍を入れるニアに向かってアルは小さな溜息を吐くと、
「あぁ、分かった分かりましたよ……クレア、ニア。二人はどうして俺を追いかけて来たんだ?」
不承不承な様子でも了承したアルを見て、二人は満足げに頷いた。
「あぁ、それね。アルトス君は身体大丈夫?」
アルの身体をペタペタ触りながらニアが問いつつ、クレアも同じように顔を覗き込んだり背後に回ってアルの状態を確認するように頭から爪先まで値踏みするよにジロジロ見回る。
「ちょ、大丈夫って何が!? あんまり男の身体をベタベタ触るのはよくないと思う!」
「いや、だってあなた。あの男の魔術モロに喰らったでしょ?」
ニアの手から逃れようとするアルの肩を掴んだクレアは、先程の教室での出来事を指す言葉を吐いた。
「いやいや、喰らってないよ。クレアが相殺してたじゃん」
「あくまで術の相殺よ。大口叩くだけあるわね、あの男の術の展開スピードは大したものよ。だから、周囲にまで気を使える余裕はなくて衝撃までは緩和できなかったのよね」
「そっ。だから何人か吹っ飛んでたでしょ? だからアルトス君はただでさえあれな体質だから怪我でもしてんじゃないかって気になってね」
「わざわざそんな事のために?」
「そんな事って……まぁその通りなんだろうけどあの騒動は言ってしまえば私が起こしたようなもんだしね」
「えっと、それはどゆこと?」
「えっとねぇ――」
気まずそう頬を掻きながらニアは、自己紹介の時に起こった事の顛末をアルに説明を始めた。
「――と、そんな事がありましてあんな感じになったんですよ」
一通りの説明が終わったニアはそう締め括り「ゴメンねぇ」と胸の前で手を合わせている。
「いやいや、ニアは悪くないじゃん。むしろホントにクレアの言う通りバカにしたあの男のが悪いじゃん」
「まぁ、彼みたいな俺様主義の貴族は多いからね。なんならそういう貴族が今の覇権を握っているから如何ともし難いのよ」
「でも、クレアみたいな貴族がいるのは安心だ」
「フフ、ありがとう。絶滅危惧種みたいな貴族だけどね」
「さて、クーちゃんそろそろ帰ろっか。アルトス君も元気そうだし明日も学校だよ?」
ニアによるボディチェックが終わり、一歩後ろへと下がる。
「えぇそうね。無事で安心したわ。それじゃぁまた明日」
「あぁ、心配掛けて悪かったな」
手を振りながら踵を返して歩き始めた二人の背に向かってアルは声をかける。
「あ、最後に一つだけいいか?」
立ち止まり振り返ったクレアとニアに向かってもっとも気になっていた己の容姿について尋ねた。
「何で俺にそんなに優しくするんだ? お前らは俺の事気持ち悪くないのか?」
驚きに目を見開き目を見合わせると軽く微笑みを浮かべ、示し合わせたかのように首を振り答える。
「何を言ってんの! んなわけ無いじゃん。それに友達に優しくすんのは世界常識だよ!」
「……友達?」
「えぇ、そう友達よ。それに、こんなに近くで黒髪黒目を見るのは初めてだけど私は好きよ。あなたのその黒」
「!!」
優しく包み込むような二人の言葉にアルは胸を締め付けられる想いだった。そして、脳裏に浮かんだのはかつての姉の言葉――『私は好きだよ。だってキレイじゃないその黒髪』
「だから、あんまり気にしなくてもいいわよ――アル!」
「――ッ!?」
突然聞き覚えのある愛称で呼ばれ思わず過剰な反応を示したアルは、クレアの姿に今はなき姉の姿を垣間見た。
「いや、だってアルトスって呼ぶより短くていいかなって……勝手に省略させてもらったけど嫌だった?」
アルのあまりの大きな反応に申し訳なさそうに、目を泳がせながら尋ねた。
「い、いや、大丈夫。構わないよ」
果たしてちゃんと答えれているだろうか? そんなことすらも分からないくらい動揺をしていたアルはしどろもどろになりながらも頷く。
「馴れ馴れしいかなと思ったんだけど、そっか良かった」
嬉しそうに微笑むクレアと「じゃぁねぇ~!!」と両腕を振るうニアと今度こそ別れると、さっきまで感じていた疲れは無くなり、寮へと向かう足取りは違う意味で軽快だった。
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「う~ん……」
アルと別れてから程なくして薄暗くなった路地を歩いていたニアは、自分の手を握ったり開いたりして首を傾げていた。
「どうかした?」
妙な様子でいるニアにクレアは訝しみながら聞いた。
「いや、さっきアルトス君のボディチェックしたじゃん?」
「えぇ、してたわね」
「何か凄く硬かったの」
「――ッ!?」
一瞬で顔を赤らめたクレアの様子に気が付かずニアは続けた。
「色んな所触ったけどガチガチな気がして、しかもメッチャ太くて大きい……」
「な、何を言っているのよニア! 怪我のチェックの筈でしょ!?」
「うん、そうなんだけど。もう気になって気になって」
「な、な、ニア! まだそんなモノに興味を示すのは早いわ! もっと大人になってからでいいじゃない!」
「何言ってんの?」
「だからそういうのはまだ早いって!」
「…………ねぇ、クーちゃん勘違いしてない?」
「え?」
「私が言ってるのはアルトス君の筋肉の話しなんだけど?」
「………へ?」
「凄く鍛えてるなぁって話し……クーちゃんは何を勘違いをしてたの?」
「あわわわわわ、ち、違う」
「あぁ、”何”じゃなくて”どこ”と勘違いをしていたのかな?」
「ちがちがう」
「ねぇ、クーちゃんそういうのはもっと大人になってからでいいと思う」
「あ、いや、あのね!」
「…………クーちゃんのえっち」
「はうわぁ!?」
顔を隠した手の隙間から覗く肌は茹で上がったかのように赤く染まり、耳まで真っ赤になっている。そして、居た堪れなくなったのか顔を隠したまま駆け出したクレアを追って、ニアは「待ってよ、えっちぃクーちゃぁぁん!」と叫んだのだった。