44話「2人だけの秘密」
俺たちの目的地は付属棟にある『第一音楽室』だ。そこへ向かうため、俺たちはまず本校棟の生徒玄関から内履きに履き替え、渡り廊下を通って付属棟へと向かった。その道中でもやはり岡崎は怯えているのか、俺の手をしっかりと離さないように強く握りしめていた。音楽室は6階遠く、しかも往復するので時間もかかるし、単純に疲れるのでエレベーターを使用させてもらうことにした。まあ……『肝試しでエレベーター』というのも雰囲気ぶち壊しではあるが、俺たちは最後の組で、時間的にも岡崎のためにも早く終わらせたいのでしょうがないだろう。
「なんか、不思議だね。夜の学校って」
エレベーターへまで向かうその道中。岡崎はしばらく歩いてこの環境に慣れてきたのか、岡崎からそんな他愛のない話を振ってくる。確かに岡崎の言うとおり、夜に学校を歩くというのはちょっと変な感覚に苛まれる。辺りは薄暗く、唯一の光は空から差し込む月の明かりだけ。いつもの生徒たちの喧騒はなく、至って静寂。どこまで歩いたって、いるのは俺と岡崎のみで人っ子一人会いやしない。いつもの昼間の学校とは全くと言っていいほど別物で、はたしてここは学校なのだろうかと疑いたくなるほどだった。
「まあ、めったにないからな」
「なんか、新鮮だね」
そんなすっかり安心しきった岡崎の顔を見て、俺の中の悪魔が悪知恵をもたらす。でもすぐさま俺の良心がそれをせき止めようとする。分かってるこんなことしたら可哀想だって。でも俺の悪魔がそれをしたくて、したくてしょうがないのだ。良心でも抑えきれないほどに俺の悪戯心は肥大化し、それを実行させようとしていた。
「あっ、幽霊!」
結果、悪魔に敗北し俺は適当なところを指して、そんな悪ふざけをしてしまう。ちゃんとそれっぽく演技して、信じ込ませるように。
「きゃっ!」
岡崎は叫ぶやいなや、俺の腕へとしがみついてくる。そして怯えるように、肩を震わせている。不本意ながらも、修二にでも見られたら完全に茶化されそうな状況になってしまった。でもやっぱ楽しい。岡崎には申し訳ないけど、こうやって怖がってる姿が可愛くてつい、からかってしまいたくなる。
「なーんて、冗談だよ、冗談」
でもいつまでも怖がらせたままではいけないので、俺は軽く笑いながらそう言って彼女を落ち着かせる。すると岡崎はそれがよっぽど癪に障ったのか、頬を膨らませてこちらを見つめ、
「もーう! 煉ったら――」
と俺に怒った。
「えっ?」
岡崎が怒りのままに言い放ったその言葉に、俺はただただ唖然としてた。もちろん岡崎が俺のことをなんて呼ぼうとも、それは本人の自由だ。たしか、転校初日にも俺が岡崎にそんなことを言った記憶がある。でも、だからといっても流石に『呼び捨て』はいくらなんでも階段を飛ばし過ぎではないだろうか。岡崎も岡崎でそのことに気づいたようで、自分の手で口を抑えている。その反応を見るに、どうも本人も不本意だったようだ。
「れっ、煉くん! ふざけないでよー!」
岡崎は慌てた様子で、今度はちゃんといつも通りの呼び方に直して、再度そんなことを言ってくる。
「はは、ゴメン、ゴメン」
「もう、早く行くよ!」
岡崎はごまかすかのように俺の手をとり、俺を引っ張っていく。よっぽど動揺しているのか、繋ぎ方が『恋人つなぎ』になってしまっている。ただこれについて俺が触れてしまうと、それはそれで気まずくなりそうなので、あえてスルーすることにした。そして俺たちは1階のエレベーターを利用して6階まで行き、そこからはすぐにその目的の教室へとたどり着いた。後は黒板に名前を書くだけ、さっさと終わらせて帰ろう。俺は黒板の左端に普通に自分の名前を書き記す。ふと横目で見ると、正反対の右端で岡崎もまた何かを書いている様子だった。ただ、その書いている手の動きから見ても、どうにも名前だけを書いているようではないようだった。そんなことが気になりつつも、俺は岡崎が書き終えるのを待っていた。
「――よし、んじゃ、いこっか」
そして岡崎が書き終えたのを確認し、俺はそう切り出して教室を後にすることにした。当然、今の位置関係から岡崎の方が先に教室を出て、俺が後になるため、ふと気になっていた先ほどの岡崎の書いていたものを見てみることにした。するとそこには相合傘が書いてあり、その中にはSと……Rという文字が。
「まさかね……」
Sが仮に栞のSだとして、相手はRなわけだ。でもRがイニシャルな名前なんていくらでもあるわけだし、俺の今の考えは流石に自惚れだろう。だけれど、それにしたって相合傘なんて、またなんとも古風なことを。俺だって大昔の映画ぐらいで見て知っている程度なのに。そんなことを思いながら教室を出ると、岡崎は廊下の窓際に立って空を見つめていた。ちょうどその窓に月光が外から差し込んでおり、岡崎をまるでスポットライトみたいに照らしている。そんな姿に思わず見とれていた俺に岡崎は気づいたようで、こちらへと手招きをしている。
「ねぇ、煉くん、ちょっとお話しよっか」
「ああ、いいけど」
「ねぇ、煉くん、知ってる? 友達は互いの秘密を知っているものなんだよ」
岡崎は唐突に、何の脈絡もない話をいきなりし始めた。その表情はいつものそれとは違い、真剣な面持ちだった。
「……まあ、そうかもな。俺も修二の秘密とか知ってるし」
その真剣な表情に戸惑いつつも、その岡崎の言葉を自分の立場で考えてみる。たしかに修二には、人様に決して言えないような秘密なんていくらでもあるし、逆もまた然り。俺たちはその秘密を互いに共有している。それはやはり友達ぐらいの関係にならなければ知ることもないことだろう。
「てことは、私たちも友達だよね?」
「まあ、友達って部分は否定しないけど、岡崎は俺の秘密を知ってんの?」
一応、俺が知っている岡崎の秘密といえば、ホラー系が苦手だってところだろう。たぶん友達以外の人間には知られていないことだろうし、本人の反応を見るに隠したいことだろうし。でも逆に俺の秘密を岡崎は知っているのだろうか。たしか俺がクリパでバカやっていることは秘密にしてもらったけど、アレのことを言っているのか?
「ふふ、言っていいの?」
岡崎はさっきまでの仕返しと言わんばかりの、イタズラっぽい顔をして笑っていた。この女、何を知ってるというのだ。この顔からして、俺の想像しているものではないようだし。
「べ、別にいいけど、でもどうせウワサだろ?」
俺はその表情に少し不安になり、そんな牽制を入れてみる。まだ俺と岡崎の関係は日が浅い。だから、そこまで俺の深い秘密は知れないだろうし、ウワサなら俺のファンクラブの子とかがいっぱいしてそうだからそこで知った情報を『秘密』としている可能性は十分にありえるだろう。
「どうかなぁー? ねぇ、バレンタインの日って絶対カレーでしょ」
岡崎はまるで尋問をするかのように、俺にそんな質問を投げかけてきた。その表情は悪魔のようなそれで、いかにも悪そうな顔をしていた。
「……確かに」
ピンポイントでそんなことを言われ、しかもそれが当たっているので、ちょっと内心ドキッとしている俺がいた。思わず彼女から視線をそらすほどに、俺は焦りを感じ始めていた。
「その中にはチョコいれてるでしょ?」
「……うん、そうだけど……」
なにか嫌な予感がする。まさか『あの事』を知っているというのか。否、それを知っているのは明日美だけなはず。あの幼馴染の諫山姉妹だって知らない事実なのだから、そんなことはありえない。
「実はそのチョコは女の子からもらったものを入れてるんだよねー! あーあ、女の子のせっかくの気持ち踏みにじるなんてサイテー」
岡崎はすごい楽しそうに笑いながら、俺の絶対に知られてはいけない秘密を露呈させてしまう。
「なっ、なんでそれを……」
俺はもう表に漏れ出してしまうほど、かなり焦っていた。明日美しか知りえない情報を岡崎が持っていることに、ただただ動揺していた。それにしても彼女はどこからその情報を得たんだ。まさか明日美がうっかり漏らすなんてそんなヘマするはずないのに。それに明日美は口が堅い人だ。俺との約束は絶対に守ってくれているはず。
「ふふふ、すっごく戸惑ってるーおもしろーい!」
俺への仕返しが出来て嬉しいのか、今までにないくらいテンションが高い岡崎がいた。
「そ、そそ、そのことは誰にもいうなよ!?」
「大丈夫だよ。秘密なんだから、言わないよ」
俺の言葉に対し、さっきまでとは打って変わっていきなり真面目な表情になる岡崎。その急な変化に俺は戸惑いつつも、次の言葉を待った。
「私たちはこうやって互いの秘密を共有している。だから、私たちは友達だよね?」
念を押すようにそう訊いてくる岡崎。よほど言質を取っておきたいほどに、俺たちの関係は不安定なものなのだろうか。俺としてはもうクリパの頃から友達だと思っていたのだが。
「ああ、俺と岡崎は友達だよ。互いの秘密を知ってんだから」
岡崎を安心させる、というのも少し変だけれど、この関係が確証に変わるよう、俺は真面目に答えた。この僅かな時間で彼女の気持ちに何があったかは知らないが、ここはやはり真面目に答えてあげるべきだろう。
「そっか、よかった。じゃあ、戻ろっか」
安堵の表情を浮かべ、満足した様子の岡崎。そう言って階段の方へと走り、俺を急かす。
「あっ、岡崎、後ろにお化けが――!」
なんかしんみりしたままの空気で帰るのが嫌だったので、岡崎をからかいがてら空気を元に戻すことにした。俺は明るい空気の方が好きだから。せっかく『友達』と遊んでいるんだから、楽しくいかなくちゃ。
「きゃっ!?」
そして今度はというと、なんと岡崎は俺に抱きついてきた。岡崎はがっつりと俺にしがみつき、顔を俺の胸に埋めている。いやはや、この状況を誰かに見られでもしたら、間違いなく誤解されることだろう。いや、本当に2人以外に人がいなくてよかった。
「もーう、煉くん! ふん、もう知らない!」
流石に今回はご立腹の様子で、そっぽを向いて先へ行ってしまった。1人で大丈夫なのだろうか、と思いつつもそれとは別の疑問が脳裏をよぎる。
――なぜ岡崎栞はバレンタインチョコの秘密を知っているのか。
岡崎が転校してきたのは12月、まだバレンタインを迎えてはいない。それなのにも関わらず、その事実を知っていた。俺は明日美を信頼している。だから明日美がバラすようなことはしない。これは十年もの間、一緒に暮らしてきた俺が言うんだから間違いない。だとするならば、もうそれを得られる情報源はないはず。仮に他の人にもバレているんだとしたら、1回ぐらいはその件を俺に話してくるはず。それがないということは、明日美以外にはバレていないということ。となるともう岡崎の、その情報の入手経路は全くわからないということだ。それにしても、岡崎にはまだまだ謎が多い。特に俺関連で。
もしや、昔に俺と何かあった?
――いや、だとするならば、俺が覚えていないのがおかしい。それに俺以外の、渚、澪、明日美が覚えていないのもおかしい。仮に昔に何かあったのだとしたら、昔からの仲のその3人も覚えていてもおかしくはないはずだ。でもあの3人は会ったことがない感じだった。うーむ、結局分からず仕舞いだ。
「ほら煉くん、行くよ」
そんな思考を遮るように、俺の手が握られる感覚を覚える。それで我に返ると、どうやら岡崎は結局戻ってきたようだ。それが1人が怖くてなのかどうかは知らないが、今は訊かないことにしてやろう。
「あっ、おう」
こうして俺たちは無事帰還し、肝試しは終りを迎えた。ただ戻ってくるやいなや、周りから『遅い』なんて言われてしまった。それを疑問に思い、時計を見てみると、なんと出発してから1時間近くも経っていたのだ。ただどう贔屓目に見ても、俺たちの感覚では30分ぐらいしか経っていない。岡崎に聞いてもだいたい同じぐらいの感覚だったので、間違いないだろう。もっとも正確に計測したわけじゃないので、確証にはならないが、そのズレに違和感があった。もしや――と思ったのだが、それを言うとたぶん岡崎は今日寝れなくなるだろうし、あえて口には言わないでおくことにした。それにどうせそのズレのことを言ったところで、他のみんなには信じてもらえるはずはないだろう。結局のところ、俺たちは周りから囃し立てられる始末となった。
兎にも角にもこれでみんな無事に帰還し、大団円……といけばいいのだが、なぜか俺『だけ』にはこの後に地獄が待っていた。今回、肝試しで使用した教室の扉のパスワードは全て『0000』で統一されていた。つまりこれは、誰かがそういう風にパスワードを変更した、というわけである。それをしたのは言わずもがな、委員長だ。どうやらお昼に彼女は学園に来て、全てを1人でやったらしい。なので今度は俺が1人でやってくれ、ということになるようだ。当然俺はそれに納得が行かずに抗議したのだが、肝試しで遅れたということもあってか却下され、みんなとっとと帰ってしまいやがった。もちろん、それは岡崎も同じで、申し訳なさそうにしていたが、俺はちょっとショックだった。このままやらないで俺も帰るという選択肢もあったが、結局それでは委員長に後日怒られるわけで、なので泣く泣く1人で作業をすることになった。そんなことをしたもんだから、帰ってこれたのは翌日の1時過ぎ。そんな遅くに帰ったので、明日美は玄関先でガチ泣きしながら待っていた――というのは俺だけの秘密にしておこう。