57話「疑惑の検証のためのカギ」
1月14日(金)
太陽を完全に覆い隠すほどの厚い雲が辺り一面を占領し、その朝だというのに僅かに暗く、とても気持ちのいい朝とは思えないそんな日のこと。先日の俺がした渚への忠告もあってか、今日は渚から誘ってくることも、ストーカーみたいにたまたま居合わせるなんてこともなかった。そして今日はたまたま早く起きることができたので、この間みたく明日美と一緒に登校することにした。個人的にちょっと訊きたいこともあったので、ちょうどよかった。いつものように2人隣同士で歩いているその道中、俺は今か今かとその機会を窺っていた。
「あの……さ、ミスコンの時にとった写真ってまだ貼られてるの?」
それは内容が内容なだけに、自分の姉とはいえ、恥ずかしくて聞きづらい質問だった。今もその気恥ずかしさで明日美と目が合わせられず、顔も若干熱くなっていた。
「え? ああ、うん。ミスコン自体が冬休みに行われたものだから、来れなかった人たちのために、だいたい1週間は掲載されているよーだから、あともうちょっとかな?」
明日美からすれば、その質問はあまりにも突発的でなおかつあまりにも意外なそれだったはず。だから一瞬、不思議そうな顔をみせるも、すぐに俺の質問に丁寧に答えていく。
「へぇーそっか……」
俺にとっては忌々《いまいま》しいあのブツが未だに貼られているという事実は、ちょっと嫌な気分になった。俺としてはそれを見ないように避けたり、それ関連の話題も耳に入れないようにしてきた。だからアレがどうな風に周りに思われているのかは知らないけど、みんなに見られていると思うと恥ずかしかった。でも今の俺にはその情報はとても有益なそれであった。ということはつまり、俺の目的をもしかすると果たせるかもしれないのだから。
「何、まだ嫌なの? いい加減諦めたら――」
明日美は俺の以前からの言動から変な方向に勘違いしているみたいで、眉をひそめて呆れた感じでそう言ってくる。
「いや、そうじゃなくてさ。その……さ、その写真って当事者はもらえたりしないの?」
俺はその誤解を否定しつつ、その流れで本題へと入っていく。自分でも客観的に見て、その質問があまりにも恥ずかしいことを言っていると思っていた。だからもう顔から火を吹きそうなほど、熱かった。
「えっ!? ああ、たしかデータは写真部が持ってるはずだから、写真部に言えばそれもらえるじゃないかな?」
さらに意外な事を言ってくる俺に、とてもビックリした様子でそんな俺に嬉しい情報を提示してくれる。俺としてはあの時のカメラマンが持っていたものだと思っていたから、余計にその事実が嬉しかった。
「そっかぁー」
だからそれが思わず顔にも出てきてしまう。正直、今の俺はとても気持ち悪い顔になっていることだろう。今俺の抱えているこの『悩み』を晴らすことができると思うと、どうしても顔がニヤニヤしてしまう。もちろんその悩みというのも十中八九、その答えはわかっているようなものだけど、やはり『確証』がほしかった。『あの写真』を見れば、きっとそこにたどり着けるはず。
「ふぅーん、なになにっ、そんなに渚ちゃんと撮った写真がほしかったぁ?」
そんな俺の表情を見て何かを察したのか、まるで俺の心の中を見透かしたような事を言ってくる。
「おっ、おお、お姉ちゃんにはかっ、かか、関係ないだろ!?」
そんな思ってもみない言葉に、俺はあからさまなわかりやすすぎる動揺をしてしまう。もはや『恋する乙女』みたいになっている弟の目的が暴かれることは、もはや生きた心地がしなかった。
「ふふふー! 照れちゃってかわいいー!」
頭が真っ白になって混乱している俺をからからうように、明日美は凛先輩みたく抱きついて頭をナデナデしてくる。そこにはもういつもの学園での生徒会長としての明日美の面影はなく、甘々で表情も崩れた感じになっていた。
「あぁーもうくっつくなってぇー!」
周りの目もあるし、姉弟がくっついている状況もどうかと思ったので、俺は直ちにそれを引き離して拒んでいく。それに、昨日の『アレ』が一瞬だけ脳裏をよぎり、思い出しそうになった。すぐに離したからよかったけど、こうなると今日はあの人はもっと危険な人物になるかもしれない。
「ふふーかわいいぃー!」
明日美はそんな嫌がる反応すらも楽しんで、俺を弄んでいた。
「そ、それよりも! こっ、このことは秘密だからなっ!」
明日美がどれだけ俺のことに気づいているかどうかはさておき、とりあえずこの例の写真のことは外に漏れるわけにはいかない。特に修二にバレた日には、それはもう死に値するだろう。だから俺は念を押すように忠告しておく。
「わかってるっ! お姉ちゃん、誰にも言わないよ?」
悪そうな顔をしているが、明日美は一応約束を守ってくれるようだ。もっとも明日美は口が堅い人で、俺の秘密もちゃんと誰にも言わずに守ってくれているから、大丈夫だろう。とりあえず今回はその明日美の言葉を信じることにした。一旦この話はここで終わりにして、俺たちはいつものように並木道へと学園へ向かって歩いていく。それよりも気がかりなことが、この先待ち構えているのだ。それはつまり、俺の天敵である『柚原凛先輩』が当然のようにいるはずなのだ。さっきの明日美とのやり取りでも、あの事を思い出して爆発しそうだったのに、凛先輩だったら確実に抱きしめてくるだろうし、さっきみたいにそう簡単には離してくれないはずだ。もう既に嫌な予感しかしなかった。
「あっ! れええええんくうううううん!」
そんな気の乗らない状態で並木道へと辿り着くと、予想通り俺を見つけてはパーッと明るく嬉しそうな表情へと変えていき、とんでもないスピードで俺の名前を叫びながらこちらへと走ってくる。もちろん抱きつこうとしているようで、腕を広げてやってきている。
「わっ!?」
俺は抱きしめられないためにかわそうと試みるが、一瞬アレを思い出してしまい、判断が鈍ってしまい、
「おはよぉー! はー……あったかーい……」
しかもそのスピードについていけずに結局いつものように抱きしめられてしまった。俺の感触を噛みしめるかのように、いつも以上に密着して俺を抱きしめる凛先輩。そして相変わらず離すもんかと強く抱きしめ、俺が自力で抜け出せないほどに俺を拘束していく。
「毎度毎度、何してんすか……!」
俺の予想通り、そこからいつものように抵抗して逃れることができないでいた。その声はとても弱々しく、全くもって嫌がっている人の出すそれではなかった。やはり『抱きしめられる』というシチュエーションのせいで、アレが俺の脳裏に現れてくる。それと同時にその時の感触、ぬくもりまでも共に湧き出してきて、動きが鈍って、凛先輩のされるがままに抱きしめられていた。
「いやー煉くんを抱きしめないと、一日が始まらなくてねぇー……ってあれ?」
そんな適当な言い訳にも、本来ならツッコむところなのに、それすらできなかった。思ってた以上にアイツのしたことは俺にとって大きかったみたいだ。
「煉くん、今日はやけにおとなしいねぇー……? いつもなら、私から離れたがるのに、今日は静か……」
「そ、それは……」
そんな凛先輩の疑問にまさか『昨日渚に抱きつかれて、それを思い出すから』なんて言えるわけがない。でもうまい言い訳も、頭が混乱しててうまく回らなくて出てこず、言葉に詰まらせてしまう。
「ふふっ、なんか今日の煉くんかわいいねぇー!」
それが凛先輩の心をくすぐったのか、まるでペットのように俺の頭を優しく撫でてくる。
「うぅ……」
悔しくてしょうがないが、ダメだった。完全に俺の中で昨日の渚が頭を占領して、俺の行動を鈍らせていた。今日は、というか今日も俺の完敗。凛先輩にしてやられていた。そして相変わらずつくし先輩も、明日美もニヤニヤしてそれを観戦しているだけだった。それからしばらく抱擁して満足したのか、凛先輩はようやく俺から離れてくれ、いよいよ学園へと向かうこととなった。その学園へ着くまでの間も、俺は渚の件が頭から離れずに、とてもおとなしいままであった。