シアワセの形
人生の形とは何でしょうか。
何を追い求めて、何を成すのでしょうか。
人生における幸せの形。
その一つ、その中で大切な一つを知るのが、私たち日本人なのです。
『和』の精神。その正体について、少しばかり。
—あんたね。そんなことしてたら、自分のことが終わらないじゃない。
—損してばっかりじゃあ、意味ないんじゃな。
わかっている。
わかってはいるんだけど・・・。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
笑顔で去っていく小さな子どもを前に、私は軽く手を振った。
後ろで腕組みして様子を見守っていた幼馴染の土村千草は、呆れたようにため息をつく。
笑顔だった私は、次第に幼馴染の視線が痛くなり、苦笑へと変わる。
完全に子どもが見えなくなってから、千草は口を開いた。
「緋夏。ちょっといい?」
「わかってるよ、ちぐ。言いたいことがあるんでしょう?」
「わかってるなら話は早いわ。」
ちぐの目が怖い。
しっかりものの彼女は、度々私にお説教をする。
「全部あげてどうするのよ。」
呆れる理由は、今しがた子どもに買い上げたばかりのお菓子を全てあげてしまったことだ。
これから、もう一人の幼馴染である中津隆矩とちぐの三人でカラオケに行くところだった。
そこで食べるものを買い込んでいたところ、泣いていた子どもに出会った。
友達の家に遊びに行く最中、お土産にお菓子を買っていこうとしていたところお金を落として途方に暮れて泣いていたらしい。
だから全てあげてしまったのだ。
「ま。喜んでたからよしとしましょうか。」
「で?こっちは?」
「また買ってくればいいじゃん。」
「あのね。困ってる人を放っておけないのはわかるけど、もう少し自分のことも見ないと意味ないでしょうに。」
昔から、ちぐだけじゃない。
親にも、友達にも、色々な人に口を酸っぱくして言われる。
自分のこともしっかりとしなさいと。
「だけどさ、仕方ないじゃん。」
『シアワセの形』
高校を出て、私とちぐは大学に進み、たかは就職した。
町、ではないものの、地方の一都市に過ぎない私達の郷里を離れて、たかは都会に出たのだ。
商店街を並んで歩く私たちとすれ違う車は少ない。
冬真っ盛りの今、たかは年始の休みを利用して帰ってきたのだ。
道中、コンビニでお菓子を買い直して、私とちぐは待ち合わせ場所の公園を目指した。
通っていた高校の裏にある公園は、昔からよく三人で遊んだ場所だ。
横断歩道を渡り、住宅地に入っていくと公園はすぐそこだった。
「助けることには、まず自分がしっかりしていないといけないわけであって、そこをすっ飛ばしてあれこれしても意味ないでしょうに。」
ちぐは、まだ私の隣で喋っている。
「いやぁ。いい仕事したよね、ちぐ。」
「聞いてるの?」
「でもさ、あの子笑ってくれてたじゃん!だったらオッケーじゃないの?ほら、終わりよければ全てよしって偉い人が言ってたよ。」
私が言うと、彼女のため息が白くのぼって消えた。
「あんたのいう偉い人って?」
「え?漱石さんとか?」
「夏目漱石がそんなこと言ってたっけ?」
「そういうことにしておこうって。」
話し込んでいると、急に視界の端に白い何かが映った。
刹那、顔に衝撃を感じ、同時に冷たい感触が走る。
「ぶわ!」
そのまま、その場に倒れる。
「おせーよ!」
公園の方からたかの声が聞こえた。
どうやら、彼が雪玉を作って投げたようだ。
「ひどいな、たかは。」
「お前もだ、千草!」
もう一つ雪玉を作って投げるが、ちぐはそれをひょいっと避ける。
たかは、いくつも雪玉を作って投げ続ける。
「緋夏。ちょっとよろしく。」
手に持っていた荷物を軽く放り投げると、ちぐは姿勢を低くしてたかに駆け寄った。
風のような速さで、あっという間にたかとの間合いを詰める。
雪玉を投げようとするたかの側面に回り込んで、手首をつかむと、外側に反らすようにして投げ飛ばす。
「うおっ!」
たかは華麗に宙を舞って地面に倒れる。
「馬鹿なことやってないの。」
「お前、また強くなったな。」
ちぐは、合気道をやっているのだ。
何度もたかは挑むが、こうして大体ちぐにお仕置きされるのが常だった。
ちなみに、私は投げられたことはない。
ふうと息を吐いて、彼女はコートを正す。
起き上がった私は、二人に近寄った。
「いやあ、たかが元気そうでよかったよ。」
「当たり前だろ。俺はいつだって俺だからな。」
「あっちに出て仕事するのも大変なんじゃない?」
私から荷物を受け取りつつ、ちぐは言う。
「まあな。それより、遅かったな。」
「道中面倒ごとがあったの。」
二人のやり取りを、私は笑って聞く他なかった。
その様子を見て、彼も察したようだ。
「またか。」
「そう。」
「あ、あははは!!」
ため息をつく幼馴染を前に、私はただ笑い声を張り上げるのみだった。
公園から近くにある『猫缶』というカラオケ店に入る。
窓のない狭い部屋で、電源を入れて準備をする。
デンモクを片手に、たかは足を組んでソファに座っている。
「にしても、今度はどんな馬鹿なことやったんだ?ほら、昔は遠足中に昼飯猫にやっちまったこともあったろ。」
「それ、小学校の話じゃん!」
「つったって、なあ?」
テーブルの上にお茶を出すちぐに同意を求める。
「今回も似たようなもの。」
「変わらないな。」
たかは声を立てて笑った。
頬を膨らませながら、私はちぐの入れてくれたお茶に口をつける。
「お前も、いい加減大人になれよ。」
「そういうたかは大人になったの?あんな雪遊びしちゃって。」
「あれはお前らが遅いからだろう!」
そんな話をしていると、ちぐが隣からたかの頭を叩いた。
「いいから早く曲入れなさいよ。」
「お前な。これは、大切な話だろ。」
たかがそう言った瞬間、突然ドアが開いて一人の男が入ってくる。
「それは果たしてどうかな。」
「「・・・・・。」」
男は眼鏡を押し上げて笑った。
知らない人だ。
「誰?ちぐ、たか、知ってる?」
「いや。」
「全然。」
二人とも、知らない人のようだ。
コートを着ているその姿からも、この店の店員でもない。
突然の事態に、私たちはただ固まっている。
暫くの沈黙ののちに、私はようやく絞り出すように声を出した。
「あの、どちら様ですか?」
「そうだな。私は、真実の伝道者、とでも言っておこう。」
聞くんじゃなかった、と後悔する。
ちぐは、私の肩をポンと叩いた。
「相手にするだけ無駄だから。」
そうだね、と頷く私たちを他所に、男は続けた。
「そこのお嬢さんは、まさに真実を理解している。」
「わ、私!?」
男は人差し指をびしっと私の方へ突き出した。
隣で、ちぐは携帯を取り出している。
どうやら、警察に通報しようとしているようだ。
「で、なんだよ。その真実って?」
「ふふふ。言うよりも、お見せしよう。」
男は手をかざして、ぱちんと指を鳴らした。
突然、辺りが歪む。
「な、なに?」
景色がわからなくのと同時に、私たちの意識も薄れていった。
「緋夏。緋夏!」
ちぐの声が聞こえる。
肩を揺さぶられているのがわかる。
はっとなって、私は起き上がった。
ちぐが私をのぞき込んでいる。
「大丈夫?」
「ここは・・・?」
大きなホールのようなところにいる。
目の前には、大勢の人がいる。
人々は、みんな黒一色のスーツ姿。
まるで、葬式のようだ。
「なんなんだ、ここ?」
ちぐに引っ張り起こされる私の横で、たかが呟く。
「ここは真実の間だ!」
後ろに立っていた男が言った。
真実の間?
胡散臭いものを見るような目で、私とたかは男を見た。
どう見ても、ただの葬式にしか見えない。
「何が真実なわけ?」
ちぐが尋ねると、男はふふんと鼻を鳴らして眼鏡を押し上げた。
「人が死した時、その人生が終わる時こそ、真実が姿を現す。死んでしまえば欲望も名誉もない。そこにあるのは真実だけなのだ。」
「わかんないから!」
「俺もだ。」
「言うより、見るほうが早いだろう。では、お見せしよう。」
男がぱちんと指を鳴らした。
すると、棺のところに遺影が現れる。
それが、ちぐの顔だった。
ちぐは、男の手を掴んで投げ飛ばす。
そのまま、きつく締めあげた。
「縁起悪いことしないでくれない。」
「ぐぐっ!わ、わかった。」
締め上げられながら、男は再び指を弾いた。
遺影の顔は、ちぐからたかに変わった。
「今度は俺かよ!」
「だって他にいないだろ。」
痛むだろう手を抑えながら、男は言った。
すると、たかのおばさんがやってきて弔辞を読み上げる。
「たか君。たか君は、自慢の息子でした。あなたは高い車を持っていて、立派な家に住んでいましたね。」
涙ながらにおばさんが語る。
「なんだよこれ。」
不機嫌そうにたかが腕組みしながらいう。
「何か気に食わなかったかね?」
「当たり前だろ。勝手に葬式されてるのもむかつくのに。」
「そうか、ではやり直そう。」
突然、まるでビデオを巻き戻しているかのような動きで、おばさんは席に戻っていく。
それから、再びおばさんが立ち上がった。
「たか君。たか君は、自慢の息子でした。どんな辛い時、大変な時でも、たか君はいつも笑顔でみんなを励ましてくれました。あの笑顔のお陰で、家族はみんな救われました。」
泣きながら語るおばさんを前に、たかはただ茫然としている。
その時、突然辺りの景色が止まる。
「どうだね。」
「なにが?」
「最初の葬式と次の葬式。君はどちらなら成仏できるだろうか。」
「そりゃ、二回目だけど。それがなんなんだよ。」
男は勝ち誇ったような顔で、私を指さした。
「見たまえ!つまり、彼女が正しかった。」
「は?はあ。」
「わかるか!」
飛躍しすぎる話に、私もたかも困惑している。
男は腕組みして不敵に笑う。
「己の幸せを求めて、それをかなえていった先に幸せなどないということだよ。」
「わかんないな。」
「ずばり、人は感謝されることにこそ幸せを感じるのだよ。」
「な、なんかわかるようなわかんないような。」
「昨今は、この真実を忘れてしまう人が多い。実に嘆かわしいことだ。だからこそ、私はこうやって真実を伝えているのだ。若者よ。」
私たちは、ただ顔を見合わせた。
「情けは人のためならず。己のためにもなるものだ。これが世の真理なのだよ。さてと、ではそろそろ戻ろうか。私の役目は終わった。」
「ちょ、ちょっと!」
男は、こちらのことはまるで気にしないで指を鳴らす。
再び、空間が歪んで意識が遠くなっていった。
「う、ううん・・・。」
目が覚める。
私は、カラオケボックスのソファに寝ころんでいた。
ちぐもたかも同じだ。
まだ、二人は目を覚ましていない。
あれは夢だったのだろうか。
「ちぐ。ちぐ、起きてよ。」
とりあえず、ちぐの肩を揺さぶる。
「んっ・・・。」
ちぐは目をこすりながら体を起こした。
それに少し遅れて、たかが起き上がる。
「なんだったんだ、あれ?」
「さあね。それより、今何時?」
言われて、私は携帯を探す。
その時、添えつけてある電話がなった。
立ち上がって受話器を取る。
「はい。」
『フロントです。終了十分前ですが、延長しますか?』
「え!?もうそんな時間ですか!!」
「まじかよ!」
たかはあたふたとし始める。
ちぐは、立ち上がって荷物をまとめた。
「場所変えましょう。」
「あ、ああ。そうだな。」
「うん。えっと、大丈夫です。」
フロントに伝えて電話を切る。
「幸せの形っていうものなのかしらね。」
まとめながら、ぽつりとちぐは呟いた。
「え?」
「なんでもない。ほら、次いくわよ。」
さっさと出ていくちぐに、私もたかも慌ててついていった。
幸せの形か・・・。
『お姉ちゃん、ありがとう!』
あの時、子どもがそう言ってくれたとき、確かに私は嬉しかった。
悪くないのかもなどと思いながら、私はにこにこして部屋を出るのだった。
終
行き過ぎた個人主義の時代がありました。
情けは人のためならず。それを、情けは他人のためにならない、というように誤解していた時代。
果たしてそうでしょうか。人間は、他人に感謝されることにこそ幸せを感じるのです。
と、ある人が言っていました。
確かに、私も売り上げを達成したということよりも、ありがとうと言ってもらえた方が嬉しい。
給料が上がったことよりも、ありがとうと言われたほうが仕事をやり遂げられる。
そんな経験があります。