第二部 勇者の手記より
俺は、勇者の証を持って生まれた。
なんでも勇者は、左手の薬指に赤いリング状の痣ができるらしい。
それが俺の指にもあったから、勇者なんて呼ばれるようになっちまった。
みんな俺に期待して、やれ魔族を倒せだの、やれ魔獣を倒せだのと勝手なことばかり言ってくる。
それも生まれた時から親兄弟に至るまでだ!
ふつう言葉も話せないガキに、いい年した大人がそんなこと言うか? 言わないだろ?
そんな奴がいるから、俺は余計に勇者をやりたくなくなったんだ。
その頃には既に勇者って言葉を聞いただけで、頭痛がしてくるレベルになっていた。
もう勇者アレルギーと言ってもいいね。
けど人の住む所にいたんじゃ、みんな一斉に勇者コールしてくるもんだから、俺は人の来ない場所を探した。
一番手っ取り早いと行ったその場所は、とんでもなく寒い場所だった。
もう極寒よ、極寒。まつ毛や鼻毛だって凍っちまうくらいだ。
そしてさらに困った事に、食い物がほとんどねえ。
たまに出てくる動物を狩って何とかしのいでいたが、さすがの俺も一年が限界だった。
俺は近くの町に戻り、修行がどうのとか訳の解らんことを言って、騒ぎ立てる奴らを無視してたらふく食った。
あの時食った飯の味は、今でも忘れられない。
それから三日くらいそこで過ごしたが、時間が経つにつれて勇者だなんだと寄ってくる奴が増えてきた。
もう嫌だ、限界だ。
何不自由なく飯が食えるのはいいが、勇者アレルギーの俺にここはキツイ。
そう思った俺は、新たに人の来ない新境地を調べたんだ。
そうして見つけたのは、ナルワガとか言う森だった。
そこは俺の求める条件を、悉く満たしていた。
人が立ち入らない。森の中には山菜、果物、水源が豊富。
さらにここは、人が立ち入るとデカい狼が襲って来るらしい。
まさか肉が向こうから歩いてきてくれるなんて──パラダイスじゃねえか!
それを知った俺はいてもたってもいられず、その理想郷に旅立とうと取るものも取らずに町を出ようとした。
けど、ここでまた住民共が邪魔をしてきた。
「ついに旅立たれるのですね」とか、「これをお持ちください」とか、またもや意味解らん事をのたまいながら俺に食料や武器、防具をただでホイホイ押し付けてきた。
その時の勇者コールは本当に頭が痛かった……。
だから早く終わらせようと、片っ端から受け取って逃げるように森へ向かった。
だが、その森で俺は初めて他の人間に感謝することになる。
森に入った途端襲ってきた狼どもを倒した後、解体するのに貰った剣がとても役に立ったんだ。素手じゃここまで綺麗に捌くことはできなかっただろうな。
俺を勇者と呼んだ時にはぶん殴ってやろうかと思ったが、まあ許してやろう。
そしてドンドン森の奥に入っていくと、川を見つけた。
水は綺麗だし、魚も泳いでいる。いいね、最高の場所だ。
そう思った俺はその近くに家を建てることにした。
貰った斧で木々をなぎ倒し、木材と敷地を確保する。
貰った剣で木を加工してから組んでいき、数日かけてログハウスを作り上げた。
そうなってくると家具も欲しい。だからナイフで木を削って色々作っていった。
まあ時間は有り余るほどあるから、なかなか楽しかった事を覚えてる。
そうして数か月の間は、最高の環境で悠々自適に暮らしていたが、ついに終わりがきちまった。
なんと肉が──じゃなかった、狼どもが全滅しちまったんだ。
だから俺は、もっと小出しに来いって言ったんだ。
最後のほうで数百匹が一斉に襲ってきた時は、泣きたくなったね。
そんなに食えねえし、お前らいなくなっちゃうぞってな。
案の定、あれから襲ってくる狼は激減し、遂にはいなくなってしまった。
ああ、グッバイ マイ ミート、俺はその味を忘れないぜ。
そうして、俺の貴重な肉成分が失われた。
だが、そんな俺にもまたツキが巡ってきた。
あれから数日間は、魚と山菜や果物を食べて過ごした。
だが数日後には色んな肉──もとい獣が毎日のようにやって来た!
しかも毎回毎回馬鹿でかい奴ばかり。おいおい、もう食べられないよお。
こうして肉パラダイス復活だぜ!っと、喜んだのも束の間、突然それがパタリと止んでしまった。
今日はどんなお肉が来るかなーと、ワクワクして待ってたのに来ないんだ。
あれは絶望したね。そんで次にやって来たのは人みたいな形をした奴だった。
ふざけんな、人型はさすがに俺だって食うのに抵抗あるわ!
その怒りを、次々とそいつらにぶつけていった。
けど中には触手が生えた奴とか、牛みたいな顔をした、明らかに人には見えない奴がいた。そいつらは我慢して食ってみた。
牛顔はまんま牛肉だった。こいつならまた来てもいいなと思った。
ちなみに触手は意外とうまかったこともここに記す。
そんな日々を過ごして、それなりに楽しく暮らしていると、なんと人間が大量に森に入り込んでくるのが見えた。
冗談じゃねえぞ! てめえらなに入ってきてんだよ! 人が来ねえからここにいるのに、それじゃあ意味がねえ!
おれは急いで、そいつらの元に行った。
するってーと、「加勢しますぞ!」とか「助けに来ました!」とか、また勇者勇者と言いながら、理解不能な言葉をまき散らしてきた。
そんなのいらん! といくら言っても聞く耳を持ちゃしない。
だから俺はついにぶちぎれて、そいつら全員森の外に無理やり追い出した。
──ふう、これで俺の平穏は保たれた。
そんな風に安心していると、後日また三人の人間が俺のとこにやって来た。
またか! と思って追い出そうとする俺に、封筒を渡して直ぐに出ていった。
俺はいったいなんだったのかと首を傾げたが、とりあえず封を切って中を見ると、やたら質のいい紙に、いくつもの印が押された手紙が入っていた。
その中身はだいたいこんな内容だった。
勇者様のお気持ちを察することができずに、申し訳なかった。
これからは見守ることに専念するが、助力が必要の際はいつでも駆けつける。
頑張ってください。応援しています。
みたいな良く解らん謝罪と激励の文が書かれていた。
まあ、俺の人に会いたくないという気持ちは伝わった様なので、良しとすることにしよう。
人が来なくなったのは有難かったが、他の連中も一切来なくなってしまった。
また、魚、山菜、果物の生活か……と、悲嘆にくれて日々を過ごしていると、ある日を境に、入り口の前に山では取れない食べ物が置かれるようになった。
見つけた時はなんじゃこりゃと驚いたものだが、きっと誰かが俺の為に用意してくれたんだろうと思い、有りがたく頂いた。
最初は舌がピリピリしたり、胃が痙攣したりしておかしいなと思ったが、すぐに止んだし、味も良かったから特に気にしなくなった。
それにしても、俺の人嫌いを察して会わずに食料を提供してくれるなんて、良い奴だな。
それからも、毎日いろんな食材が家の前に置かれた。
誰がやっているのか気になったが、それを見るのは止めておいた。
だってせっかく気を使って俺の前に現れない様にしてくれてるのに、それを俺の方から見に行くのは悪いだろうしな。
だが、こうも色々なものがくると、欲も出てくる。
毎日水ばかりで、たまにはお茶が飲みたい。
そう思った俺は試しに、家の前に「茶をくれ」と掘った木の板を置いてみた。
まあ、相手の好意で成り立っている関係だから、来なくてもいい。そんな気持ちでやったんだが、それを置いた次の日には色んな種類の茶葉が置かれていた。
ああ……なんて良い奴なんだ。俺は初めて人の優しさにふれて涙を流した。
そうして俺は何か食べたいものがあれば、それを木に彫ってお願いしてみた。
すると、毎回リクエスト通りの品がちゃんと届いていた。
それに俺は、毎回ありがとうと一言言ってから食べるようになった。
そんなある日。
妙な奴が家を訪ねてきた。
そいつはやたらと横柄な態度だったが、俺の事をキサマとかお前とか呼んで、勇者とは一言も呼ばなかった。
それが俺は気にいった。
だから家に入れて、誰かから貰った茶葉から俺が一番気に入っているものを選んで出した。
するとそいつは突然怒り出して、「やはり、これが何か知っていたんだな!」と言うや否や、体がドンドン膨れ上がって、遂には俺んちの屋根をぶち破ると、今度はその巨大な足で俺の家を踏み潰しやがった。
それには俺も我慢できなかった。いくら気に入った奴とはいえ、俺が初めて建てたお気に入りの家だったんだぞ。
俺はジャンプしてそいつの顔をぶん殴った。
けれどそれじゃあびくともしないで、俺に向かって色んな攻撃を仕掛けてきた。
それは森を破壊していき、俺が家を建て直すための木材をどんどん減らしていった。
なんて陰険な嫌がらせなんだ! そう思った俺は直ぐに止めさせるために、手直にあった巨木を引っこ抜いた。
それで俺は全力を持ってそいつを倒そうと思った瞬間、何故かその木が眩しいくらいに光り輝きだした。
俺は変わった木だなあ、と思いながらそれを振り上げ、暴れる奴の脳天にお見舞いした。
すると、奴は一撃で死んでしまった。
残ったのはデカブツの死骸と荒れ果てた森に、壊れた家……踏んだり蹴ったりだ。
そしてさらに不運は続く。
いつの間にか、鎧を着た人間たちが周りに何人もいたのだ。
デカブツとの戦いに気を取られてたせいで、気付かなかった……。
そいつらは何をするわけでもなく、呆然と俺とデカブツの死骸を見ていた。
もういいから帰れよお……。
それからそいつらは、「これで救われた!」とか「あれは聖なる棍棒だ!」とか、また妙な事を言って騒ぎ出したので追い出そうとしたら、言うに事欠いて「我々と共に帰りましょう」とかほざきおる。
はっ、笑止千万、片腹痛いわ!
なぜに勇者だ英雄だなどと呼んでくる輩と一緒に、ここを出てかにゃならんのだ。
よって即答で断ると、「まだ残党がいるからか……」とか言いだした。
あいかわらず、思考がまるで読み取れん奴らだ。
そんなわけで、俺は力付くで丁重にお帰り願った。
それが終われば、後は後片付けだ。
そう考えた俺は早速荒された家から、まだ使えそうなものを運び出そうと残骸を漁っていると、身に覚えのない紙袋が落ちていた。
そういえば、これはあのデカブツが最初に家を訪ねた時に持っていたものだ。
それに気付いた俺はなんの気なしに中身を見た。
なんと──その中には食材が入っていた。
それも俺が昨日頼んだ、最高級牛のステーキ肉十人前……。
まさかっ! ───そう、これで全ての点と線が繋がった。
今まで俺に食材を運んできてくれたのは、あいつだったんだ!
何てことだ。するとあの時「やはり、これが何か知っていたんだな!」と言ったのは、「俺がこれを届けたことを知っているのに、これを出してきたんだな」と言う意味だったんだ。
俺にはそんな気は無かったが、そりゃ今まで苦労して調達してきたのに、家に招き入れて、おもてなししてますよーと、したり顔で自分が持ってきたものをそのままほいと出されれば、家の一つや二つ壊したくなるだろうさ……ん? なるか? まあいいや。
という事は、俺は恩人を殺してしまったのか……。
ああ、すまない。俺はやっぱり勇者なんかじゃない、ただの愚か者だったんだ。
……けど、よくよく考えてみると、やっぱり家を壊すのはやりすぎじゃね!?
よって、ちゃんと墓は作ってやるからそれでお相子という事で頼むよ。
だから俺は、直ぐに行動にとりかかった。
まずデカブツを焼いて骨だけにしてから、それを全部砕いて粉状にして、穴を掘った地面に埋めた。
その上には「恩人へ、今までさんきゅー」と掘った木の板をぶっ刺しておいた。
はい、合掌。よし、これでもう気にする必要はないな!
俺はすがすがしい気持ちで、周辺の後片付けに戻っていった。
それからも、暫くは平穏な毎日を送ることはできなかった。
「マオウさまの仇ー!」とか言って襲い掛かってくる奴が、何度か現れたんだ。
俺はマオウなんて奴は知らんし、言いがかりもいいところだ。だから遠慮なく返り討ちにさせて貰った。
そしてもう一つ、○○国の使者とか名乗るやつが、国の名前を変えて度々来やがった。
だがその都度追い返し続け、数年後ようやく俺の望んだ平穏が訪れたんだ。
こうして俺、トルーガ・ヒスマリオンは、勇者になることなく平凡な一人の人間として、これを書いている老いぼれになるまで生き続けたとさ。
めでたし、めでたし。
PS. けっ、俺を勇者にした奴ザマーミロ!
「こらっ、それを読んではならん!」
「──っ!? おじいちゃん……」
「……まさか読んでしまったのか?」
「うん」
「何という事だ……それは儂の代で闇に葬ろうとしていたというのに」
「……これに書かれていたことは、本当なの?」
「儂はそのように聞かされて、先代にその勇者の手記を託された。我らが祖先であるトルーガ様の兄が、弟の気持ちを理解できなかった悔恨のために、子々孫々とこの真実を隠し続ける役目を科したのだ。だが、儂は自分の子孫たちにはそんな事をさせたくなかった。英雄の親類の子孫として、誇りを持って理想の勇者の話を信じて生きていけるように──なのにお前は……」
「ううん、きっとこれはまだ背負いなさいとご先祖様の思し召しなんだわ。だから、私もその役目を全うする」
「そうか……」
こうして誰よりも勇者を嫌った勇者の真実は
これから先も誰にも伝わることなく
英雄譚は今もなお語り継がれてゆく事になる。