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第七話:街道にて2

「わあっ!!」


 ハームの濃い緑の葉が左右に分かたれ、その間から何かが飛び出した。一瞬黄色の塊が見えた私は、思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。何か異変に遭ったときは頭を守る。これは基本中の基本だよね。アスマエルが一瞬身体の自由を奪ったみたいだけど、これって取り返したってこと?


「いやあ~、しっけい、しっけい!」

「…………?」


 両手で頭の天辺をガードし、背中はリュックに守ってもらおうと思って木立に背を向けた私の頭上から、ちょっとハスキーな男の人の声が聞こえた。

 私はすぐに返事ができなかった。

 だって、その声は明らかにヒトの頭の高さを越えた位置から聞こえてきたのだから。

 私は身の丈五メートルの黄色い巨人を想像して身震いした。


「君、怖がることはない。こいつ(・ ・ ・)はよく馴らしてあるから、人を襲うことはないんだ」


 男性の声の後、馬の嘶きのような音が頭上から降ってきた。ついでに何か液体も。

 私はそっと目を開けて地面を見た。

 そこには点々と何かの雫が落ちていて、それは乾いた冬の土に浸み込んでいった。とりあえず、溶解液とかじゃないみたい。


『てめーの想像力には恐れ入ったぜ』


 うるさいなあ。自分だって、神様の御使いだなんて言ってるくせに。


『俺のは妄想じゃねえ!!』

 

 はいはい。


 カエルさんの嫌味に軽く応酬してから、私は口を開いた。


「その、立ち上がっても平気ですか?」

「ああ、うん。だがその前に――あっ!」

「あいたっ!?」


 私は勢いよく立ち上がろうとして、固い何かに頭をぶつけて再びうずくまった。


「その前に、三歩前へ進んだ方がいい」

「ううう、早く言ってよぅ」

『どう考えても、言おうとしてただろ』


 くう。『天罰覿面』とか思っているのだろう。アスマエルの嫌な愉悦感が私の心に流れ込んできた。


「うわ……」


 言われた通り、中腰になって三歩前に進んだ私は、頭上に遮るものがないか手をバタバタと振って確認してから身体を起こした。そうして振り返った私の目に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色の、巨大なくちばしを持つ――


『んだよ、このちぐはぐな生き物は』

 

 私の目を通してそれを見たアスマエルが、こんな風に呟くのも仕方がない。それは、巨大なくちばしを持つトカゲっぽいフォルムの生き物だったのだ。

 毒を持つ生き物には、結構派手な模様をしているものが多いと聞いたことがある。あれは、「俺は毒を持っているぞー、食べたら死んじゃうぞー」と警告する意味があるそうだ。事実、彼らの持つ毒は強力で、鏃の先にひと塗りの量で人が殺せるものもあるとか、ないとか。


『適当な知識のご披露はいい。目の前の出来事に集中しろ』


 何よ。自分だって黄色いカエルの仲間みたいなものじゃない。


「どう、どう……」


 とにかく、木立の奥から進み出てきた生き物は、そういう毒でも持っているんじゃないかと思うくらい毒々しい黄色のくちばしをカタカタと鳴らし、その隙間から覗く紫色の太い舌から伝う涎を垂れ流している、大きなトカゲだった。


「驚かせてすまなかった。こいつが突然走り出してしまってね」


 跨っていたものから軽やかに跳躍し、ふわりと街道に着地した男の人が右手で手綱らしい革紐を握ったまま、左手を上げた。暖かそうな厚手のマントを着ていて、その下に着ている服も仕立てのいい、階級の高い軍人さんが着る士官服のようなものだった。背は私よりもずっと高くて、見上げるとそこには艶やかな黒い髪を短く整えて、彫りの深い顔に似合わない柔和な笑顔を浮かべた青年の顔があった。茶色の瞳がまっすぐに私を見つめていた。彼が腰のベルトに下げた細身の剣の鞘には、装飾に金キラの石と糸が使われていて、この人は、かなり偉い軍人さんなのかしらと想像した。


「申し遅れたが、僕はリモワール。近隣を預かる領主ドルトンの命で、この周辺を調査している」

「……アメリーです」


 ちぐはぐなトカゲが「ぶるる!」と嘶くと同時に、さきほどの液体がくちばしの隙間から迸った。

 私は、先ほど頭上から降り注いだ液体がこいつの涎だったと分かり、ハンカチでそれを拭うのに一生懸命だ。なんだか偉そうな口調のリモワールさんの自己紹介に、精いっぱい不機嫌な顔を作って応じた。


「すまないね。どうも興奮してしまっているようで」

「いえ……」


 ネフィリムの血を引く私は、大抵の動物たちの言葉が分かる。動物の方も、相手がネフィリムだと分かるそうで、友好的に話しかけてきてくれることが多い。人に飼われている動物は特にそうだった。でも、リモワールさんが乗ってきたこの生物はちょっと様子が違った。彼の言う通り、酷く興奮していて、話どころじゃないって感じだった。


「それにしてもおかしいな。こいつは本当によく訓練されているんだ。僕の制止を聞かずに走り出すなんて……君、昨晩はラムアの肉でも焼いて食べたのかい?」

「いいえ、そんなことしてないです」

「そうかい……こいつは、ラムアの肉が大好物でね。ラムアの気配を感じたときだけは、こうして走っていってしまうんだよ」


 そう言ってリモワールさんは苦笑いを浮かべたが、それって「よく訓練されている」とは言えないと思う、と私が内心でつっこんでいると、


『本当によく訓練されていても、好物ごときで暴走するのかよ』


 珍しく、私とアスマエルの考えが一致した。

 ちなみにラムアのお肉は独特の香りがあって、それとよく合うハーブをすり込んだスペアリブがとっても美味しいんだよね。私が涎を飲み込むと、心の中でアスマエルがため息をついた。


『やれやれ、色気より食い気とはこのことだな。それにしてもよお、うら若い乙女がいきなり素性を明かして大丈夫か? もう少し、人を疑うことを覚えた方がいいぜ』


 う。確かに。

 身なりがいいからといって、いい人とは限らない。女一人の旅は色々な意味で危険だよね。


「うーん。どこかの薪小屋で、ラムアの肉でも焼いていたかな?」


 キョロキョロと辺りを見回して、参ったよねえ、ははは、と白い歯をキラリと光らせて笑うリモワールさん。なかなか爽やかな笑顔だったけど、すぐに表情をキリリと引き締めて、


「おっと、そろそろ行かないと。隊長の僕が、いつまでも隊を離れているとまずい」


 と言うと、トカゲっぽい生き物にひらりと跨った。


「それではアメリー、驚かせてすまなかったね。僕は、任務に戻る」

「任務って、なんですか?」


 思わず訊ねてしまったけれど、彼の答えを聞いた私はひどくそれを後悔することになる。

 だって、リモワールさんは、


「昨夜我が領の見張り番が、七色の光が天に昇っていくのを見たそうだ。領主様は、そのようなこと自然現象ではまずあり得まい、恐らくは魔法の類いだろうと推察なさってね。また、悪しきもの共の仕業かもしれないということで、僕の隊はそれの調査に赴いたというわけさ。……そうか、この辺りを旅していたなら君、何か知っているかい?」


 なんて言うんだもの。

 私は全力で首を横に振って、逃げるようにリモワールさんと別れた。


「はあ」

『んだよ。陰気くせえな』


 街道を重たい足取りで進む私の溜息に応えたのは、うんざりしたらしいアスマエルだった。


あれ(・ ・)がてめーの仕業だと証明できる奴はいないんだ。しゃんとしてねーと、逆に怪しまれるぜ』

「そうかもしれないけど……初めて使った魔法が兵隊さんの調査を受けてるなんて、ちょっとショックでさ。音声魔法はイメージ力が大事なんでしょ? これじゃ、次に魔法を使うときにいいイメージを描けない気がするよ」

『何言ってんだ。てめーはもう、二度も音声魔法を成功させたじゃねーか』

「え!?」


 私は立ち止まって、セーターを引っ張ってアスマエルを見た。仰向けに寝転がる格好になって、私を見上げるアスマエルは不敵に笑っていた。


『やっぱり気がついてなかったか。ほれ、あの珍妙なトカゲ』

「リモワールさんが乗っていたトカゲ? あれがどうしたの?」

『察しの悪い奴だなー。あいつは、“ラムア”の存在を感じ取って、てめーのところへ突っ走って来たんだろ?』


 うん。リモワールさんもそんな風に言っていたよね。でもそれと音声魔法と何が関係しているのだろう。

 首を捻って考えていると、アスマエルが口を開いた。


『ばーか。てめーが歌ったヘタクソな子守歌だ。トカゲは、あれを聞きつけた結果、近くにラムアが居ると思い込まされたんだよ』

「あ……」


 私は子守歌を歌いながら、フワフワモコモコのラムアを一匹ずつイメージしていた。それが、トカゲに伝わったということなのだろうか。


『そういうこった。あのトカゲは人間よりも聴覚が鋭いんだろう。リモワールとやらには聞こえなかったらしいからな。昨日のシャウトがよかったのか知らんが、てめーは無意識に、歌に魔力を乗せることに成功したのさ』

「そっかぁ……」


 びっくりしたり、トカゲの涎を浴びたりして沈んでいた私の心に、じんわりと嬉しさが込み上げてきた。どうやらアスマエルも弟子の成長を喜んでくれているらしく、彼の出す心の波長も弾んだものに変わっていた。


『だが気を付けな。意識的にコントロールできねーと、お前の感情やイメージがそこら中に伝播して収拾がつかなくなるぜ』

「はい、先生!」


 私は大きく息を吸い込んで胸を張り、歩みを再開した。アスマエルの訓示を胸に、昨夜感じた魔力の流れを探す。声に魔力を乗せるということは、とても魅力的なことに思える。私がこの魔法をうまく使えれば、歌でたくさんの人を幸せにしたり、悲しんでいる人の心を癒せるのではないだろうか。もちろん、ハーフブリードたちの心を癒すことだって。


「ところでさ、カエルさん」

『……言うな』


 リモワールさんに、道を尋ねればよかったねと言おうと思ったのに。

 でも、昨夜の出来事からこんなに早く調査隊が到着したんだから、ドルトン領はそんなに遠くないよね。

 私はお母さんが持たせてくれた乾パンをかじりながら、街道を進んだ。




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