第五話:音声魔法使いの不安
「ん~っ!! よく寝たあ!」
大きな木の洞から這い出した私は、木漏れ日を浴びて大きく伸びをした。巨木の影から出て、できるだけ日光を浴びる。なんだか爬虫類みたいだわと思いながら、コートやマフラーについた枯葉を落とし、洞の奥から枕代わりにしていたリュックを引っ張り出して背負った。
『確かによく寝てたな。豊穣の女神の加護を受けているだけはあるじゃねーか』
「十八の乙女つかまえて何を言ってるの。けっこう辛かったよ」
結局、夜のうちに宿場町までたどり着くことはできず、私はアスマエルの勧めに従って、大きな木の洞に枯葉を敷き詰めて眠った。
洞の内部は風が遮断されていて、ぎっしりと敷き詰めた枯葉ベッドは快適とは言えなかったけれど、色々あって疲れていたのか、私はすぐに眠りに落ちた。
『それにしても、夢の内容が幼稚すぎるな。いつもああなのか?』
「え? 夢なんて見たかなぁ。覚えてないけど、どんなだった?」
『……ってた』
「え?」
アスマエルの声が急に小さくなった。私の中で喋っているくせに、音量が調節できるというのは、どういう仕組みなのだろう。あ、そんなことより今は、私の幼稚だったらしい夢の内容を教えてもらわないと。
『俺は、お前の魂と共生している。想いが強ければ自然と声も大きくなるし、逆もまた然りだ』
「ふーん。それで? 夢はどんなだった?」
『てめーの疑問に答えてやったんだ。そっちはサラッと流しとけ。てめーのために言ってるんだぜ?』
アスマエルが急に男前なセリフを言いだした。カエルのくせに。
『まるまる聞こえてんだよ。カエルのくせにとよく言うが、ネフィリム様ってのは、そんなにお偉いな生き物なんですかね?』
「え……そんなこと言われても。ちょっと魔法が使えるくらいで、人間と変わらないと私は思うよ。天使様と交わったのだって、大昔の話でしょ?」
私の答えに対して、アスマエルの心がざわついたのが分かった。それは怒ったとかそういう波長ではなくて、伝えるべきか迷っているような感じだった。そんな彼の逡巡は数秒という短い時間で消えて、静かな問いかけが頭の中に響いた。
『ネフィリムが人間と変わらないか……なら、ハーフブリードはどうだ?』
「え……」
今度は、アスマエルの質問が私の心を落ち着かなくさせる番だった。
ハーフブリード。悪魔と人間が交わり、文字通りその身に魔を宿した半人半魔の種族のことだと聞いている。
彼らにとって聖霊とは邪神と悪魔のことであり、悪しき世界からやって来た魔の精霊魔法を操るという。
『ハーフブリードについて知ってるのは、そのくらいか?』
あとは、髪が黒くて赤い瞳を持っている奴が多いってことくらいしか知らなかった。子供の頃は、「イタズラすると、赤目のハーフブリードが迎えに来るぞ~」なんて言われたものだ。ルフラの人たちも黒い髪だけど、ハーフブリードのそれとは絶対に違うと思う。
『そうか。じゃあもう少し、奴らについて俺様が教えてやろう。いいか、ハーフブリードはな、悪魔と人間のハイブリッドなんかじゃねーんだ』
「えっ!?」
アスマエルによれば、ハーフブリードは悪魔と人間が交わって生まれたという定説は、戦争に支障が出ないように操作された嘘の情報なんだって。
なんと、悪しき軍勢の尖兵となって戦う彼らは、かつて不毛の大地「アオバネ」へと追いやられたネフィリムたちが、邪神に忠誠を誓って生まれ変わった存在だったのだ。
「じゃあ……今魔法使い同士が戦っているのは……」
『ああ、ただの共食いショーだ』
私の脳裏に浮かんだのはそんな陰惨なイメージじゃないのだけれど、私の言葉をアスマエルが吐き捨てるようにつないだ。
「私……戦えないかも」
『…………』
かつて、人間たちに肥沃な大地を追い出され、呼び戻されてみれば奴隷のように扱われたネフィリム。
神様のおかげで扱いは改善されたらしいけど、人間の中には忌まわしい慣習が根強く残っている人もいて、ルフラにも「ネフィリムお断り」の店が堂々と営業していたりする。
お父さんとお母さんは、かつて人間とネフィリムが協力して築いた都――イーオンダインの出身だ。そこではルフラよりもネフィリムに対して差別的な考えを持つ人が大勢住んでいて、ネフィリムと人間の結婚を認めないという条例が本気で施行されそうになったほどだったそうだ。
両親が故郷を捨てたのには、そんなことも背景にあったんだって。
だからこそ、ネフィリム同士はとっても仲がいい。お互いにいつも安否を気遣っていて、実は駆け落ちした後も、田舎のおじいちゃんおばあちゃんからは手紙が届いていた。イーオンダインではネフィリムの出す手紙に検閲が入ることもあるみたいで、あまり政治のことや戦争のことは書かれていなかったから、手紙は楽しい内容ばかりで。私はそれを読みながらまだ見ぬ祖父母や大都市について空想するのが好きだった。
本来は心優しく、神様や精霊と共に在らんとした私たち祖先が、アオバネの地に追いやられてどれほど絶望したことだろう。人間と同じ神を捨てて、歪んでしまった心を移したかのような漆黒の髪を振り乱し、赤い目を持つ彼らが魔物と共に突撃してくる光景を想像し、私は身震いした。
たとえようもなく恐ろしい。けれど、彼らは私たちと変わらない、もとを辿れば、同じ種族だったなんて――。
『それにな。新しき神々と邪神どもが戦争をすれば、どんどん魔法使いが減って、神の奇跡も精霊の力もこの地に顕現できなくなっちまう。邪神どもは、無限に悪魔を生み出せるし、そもそも精霊なんぞいない世界を創ろうとしてるんだから困らないだろうが、人間側の立場を取っている神どもは、そこんところがわかってねーのさ』
アスマエルの不機嫌そうな声が私の心をチクチクと刺しているようだった。私に早く戦って戦争を終わらせろと言いたいのだろうか。
『そうじゃねえ。いや、早く戦争を終わらせてほしいのは間違いないがな。ミュゼイア様によれば、悪しき心さえ捨てられれば、ハーフブリードはネフィリムに戻れるんだそーだ』
「そう……でもそんな簡単に、先祖代々続いた恨みを捨てられるものなのかな」
『察しの悪いやつだなー。だから、俺様が地上に遣わされたんじゃねーか』
カエルのタトゥーが動いたので、セーターを引っ張って見て見ると、彼は顎を上に逸らして頬を膨らませていた。何してんのかな。いきなりゲロゲロ鳴くつもりなのだろうか。
『これはなあ……俺様なりのドヤ顔だ』
私の心がそのまま伝わったアスマエルは、すっと元の体勢に戻った。心なしか、座っている彼の姿が、意気消沈した様子に見えた。
「それで、なんでミュゼイア様はカエルさんを遣わしたの?」
『音声魔法基本講座。言ったろ? 音声魔法は音を聞かせる相手にイメージ通りの効果をもたらすってな』
肝心なところを言わずに、黙ってしまったので催促したところ、彼はすぐに元気になった。
再びタトゥーが動いたようだったが、どうせ「ドヤ顔」しているのだろうと今度は見なかった。
『見ろよ! つーか今はあれだろ! そっかなるほど! アスマエル先生さすがーとかなんとか言うところだろ!?』
「いやだよ。寒いもん」
『ああ? てめーなぁ……可哀想なハーフブリードを救いたいとは思わねえのかよ? あーあ。お偉いネフィリム様にあるまじきお考えですねえ!』
そんなことはない。私だって、青天の霹靂で授かった力とはいえ、魔法使いになったんだ。世界のためにだとか大きいことは言えないけれど、ハーフブリードと戦って倒すのではなくて、彼らの心を救って仲間に戻してあげられるなら、そんな素敵なことはないと思う。
『おうおう。立派な心掛けじゃねーか。その意気で、みっちり修練に励むんだな』
「でもね……」
『なんだっつーんだよ。ウジウジしやがって! 木の洞で寝て、頭にカビでも生えたか?』
「…………」
『黙ったってな、俺には筒抜け……』
そんなことは分かっている。私が口に出さなくても、アスマエルにはしっかりと考えが伝わったようだ。
『まあ、なんだ……』
かける言葉が見つからない。今初めて、アスマエルの感情がストレートに伝わってきた。少しも嬉しくないけど。
『気にすることねーと思うぜ? 要はほれ、イメージがすべてだからよ? な?』
慰めにはなってないけど、そうだよね。大切なのは、ハーフブリードのみんなを助けたいっていう気持ちだよね!
私は目の端に浮かんだ涙を拭い、ようやく温まってきた身体をもう一度伸ばして歩き出した。街道に突当り、冬にしては穏やかな日差しの下を進む。
『とりあえず一番近い町まで、日中には着いておきたいところだな。いくらてめーが頑強でも、野宿は慣れてねーだろ』
気遣うようなことを言ってくれたアスマエルに心でお礼を言って。私は気になっていたことを質問してみることにした。
「ところでさ、カエルさん」
『なんだ?』
「いちばん近い町ってどこなの?」
『……は?』
「私、ルフラから出たことないから、大雑把な国の位置とか、都の名前くらいしか知らないんだよね。街道沿いに行けば、町はあると思うんだけど……」
アスマエルの感情がまたしてもダイレクトに伝わってきた。初めは驚きが溢れ、少し思案するようなモヤモヤした感情がそれにとってかわり、すぐさま紅蓮の炎のごとき怒りが満ちていった。
『てめー! 人間のくせに! んなことも知らねえで旅に出たのかよ!!』
「えー? 早くしろって急かしたくせに、怒ることないでしょー!? まさか、カエルさんも地理がわからないの!?」
『わかる訳ねーだろ? 俺はカエルだぞ!?』
「都合のいい時だけ両生類ぶらないでよ! 神様の御使いなんでしょ!? 聖霊でしょー!?」
それからしばらく私たちの言い合いは続いた。
どちらも地理に暗く、ルフラに引き返して地図を求めるのは『聖霊のプライドが許さん!』と却下されてしまったので、「とりあえず街道を進めば町はある!」という私の説にアスマエルが異を唱えることはなかった。
二人とも押し黙って――といっても心の中では激しい言い合いを続けて二時間も歩いただろうか。太陽の位置からすると、そろそろお昼だろうという頃になって、口喧嘩にも疲れた私はふと気になっていたことを訊ねてみることにした。
「カエルさん、ところでさあ」
『んだよ』
そんな不機嫌そうに受け答えされると、訊きにくいじゃないか。
『念話するか、会話するかどっちかにしろよ!』
せっかく気まずい雰囲気を変えようと思ったのに。聖霊なのに心が狭いししつこいし。アスマエルって、きっと友達少ないよね。
『……余計なお世話だ』
あれれ。図星だったみたい。
「……ごめんね」
『内心で舌を出すな……まあいい。で、訊きたいことってのはなんだよ?』
タトゥーの動きを感じて見て見れば、カエルの姿はふてくされたようにそっぽを向いて寝そべっていた。これはこれで、愛嬌がある。
『見なくていいときに見るんじゃねえよ。いいから、さっさと訊きたいことを言え!』
「うん。私の夢って、どんなだった?」
『今それかよおおお!?』
アスマエルの絶叫が、私の頭にこだました。空は高く、町はまだ見えない。私はそんなことをしても無駄だと知りながら、背伸びして手を額に当ててみた。
◇
「はあ~。どうしようかな……」
『どうしようもねーことも、あると思うぜ』
めずらしく、私のぼやきにアスマエルのツッコミが入らなかった。代わりに聖霊を崇める信徒たちが聞いたら卒倒する様な慰めの言葉を彼が口にしたのも仕方のないことかもしれない。
私の音声魔法で、ハーフブリードを救い、魔物を倒して世界を救う。本当にそんなことができるのだろうか。
「わたしってさあ……」
『………』
アスマエルには、もう伝わっている。さっきもそれで、二人の間には微妙な空気が流れたからね。それでも、ぼやかずにはいられない。私は、今後音声魔法使いとして暮らしていくにあたって、ある意味では最大の難関とも言える問題を抱えているのだから。
「歌……下手なんだよねえ……」
『……しつけえな……』
雲一つない上空を、トビが滑るように飛んでいく。遠くて何を言っているかわからなかったけど、彼の歌声は澄み切っていた。
私も、あんな風に歌えたらなあ。