第四話:アスマエル先生の音声魔法基本講座
ルフラを初めて出た私は、外の世界に興奮して走り回ったりはしなかった。何しろ季節は冬。初雪はまだだが、夜ともなれば気温は氷点下二度くらいまでは下がる。あと二週間もすると、北西の大陸周辺の寒気が南下して、ルフラガルドにも冬将軍がやってくる。
そんな季節に、夜中に旅立つなんてクレイジーだ。
冷静になって考えてみればわかる話なのだが、カエルの話に踊らされて、勢いのまま旅を始めてしまったことをいきなり後悔する羽目になった。
『踊らされてとはなんだ。てめーが俺を踏み殺したりしていなけりゃ、こうはならなかったんだ。恨むなら、てめーの不注意をこそ恨みやがれ』
だから、踏んじゃったのはごめんなさいって何べんも言ったじゃない。しつこいとモテないよ!
『モテるとかモテないとかいう尺度で人物の出来不出来を語るあたりも、つくづく庶民だな……』
庶民で悪かったね! というか、「も」ってどういうこと? 他にどのあたりが庶民なのよ!?
『さぁな。庶民と言われて怒るあたりじゃねーか?』
きいーっ! いくら神様の使いだからって、態度が大きすぎるよ! 死んだカエルのくせに!
私が心で言い返すと、アスマエルは急に押し黙った。私の心には、彼が怒っているような、それでいて少し悲しんでいるような波長が伝わってきた。
『俺だって好きでカエルなんぞになったわけじゃねーし、てめーに殺されていなけりゃ呪いなんぞ行使せずに、普通に契約して魔法使いにしてやれたんだぜ……』
え? そうなの?
「お嬢ちゃん……行くならさっさと行ってくれねえかな? 門を閉めて、詰所に帰りたいんだが…」
「ああっ! ごめんなさい!」
ルフラを囲む外壁の門を出たところで、私が地団太を踏みながら心でカエルと言い争いをしていると、門番のおじ様が遠慮がちに声をかけてきた。やっぱり傍から見ると、カエルと会話しているときの私はかなり怪しい存在なのだろう。
「こんな夜更けに大荷物を抱えてどこに行くのか知らねえが、道中気を付けてな」
「……ありがとうございます」
どうやら背負った巨大なリュックも、私を怪しく見せるのに一役買っているみたいだった。
私はおじ様に頭を下げて、木枯らしが吹きすさぶ街道へと足を踏み出した。目指すは、南北に長く伸びるルフラガルドの最南端、そこから海路で三日ほどさらに南下した位置に在る、常夏の島と呼ばれるワノイカ諸島だ。アスマエルによれば、そこにはミュゼイアを祀る神殿の遺跡が眠っていて、私はそこで正式に音声魔法使いとして神様に祈りを捧げ、呪いを解いて正式に音声魔法の秘儀を授かるのだとか。
アスマエルが呪いをかけるという手段ではなく、きちんと私と契約をしていれば、ワノイカ神殿には立ち寄らなくてもよかったそうなのだ。それについて私が少々文句を言うと、『しょうがねーだろ。勢いで呪っちまったんだからよ』などとのたまった。
もう呪いは成立してしまったし、こればかりはアスマエルを責め立ててもあとの祭りだ。私だって、踏み潰してしまった負い目がある。それに呪いと言っても、カエルのタトゥーを見られなければ、あとは音声魔法使いとして存分に力を発揮できるらしいのだ。女の子のくせに力自慢で、近所の子供に「ブブ女」なんて言われていた私が魔法少女だなんて、ワクワクしてしまうじゃないか。
ちなみに「ブブ」というのは、ずんぐりむっくりな身体に三本の大きな足が生えていて、突き出た鼻と裂けた口の両脇から耳の方向に曲がって飛び出した牙が特徴の獣だ。冬の間に巣穴で子供産んで、春になると木々の新芽や果物を食べて大きく成長する。力が強くて、大きな雄の突進で一抱えもある木が折られたこともあるんだって。子育ての最中は気が立っていてすごく危険なんだ。
冬に出会うことはまずないだろうけど、考えてみれば野生の獣に遭遇したらどうすればいいのだろう。
「ねえ、カエルさん」
『なんだ』
ルフラの外壁が遠ざかり、かがり火の灯りも届かなくなった。ブブどころか、真冬に街の外を歩いている人なんていない。私は、声に出して呪いの主に話しかけた。
「音声魔法って、どうやって使うの?」
『へっ、やる気を出したってことか?』
「まあ、魔法使いになったからには! って感じかな」
本当のところは、自分の身を守る手段が欲しい。
私の答えに、鎖骨の下におわすカエルが嘆息した。
『どうあれてめーにやってもらうしかねーから、仕方なく……本当他にどうしようもないから教えてやるが、音声魔法の汎用性の高さと効果の大きさは、現存する精霊魔法では太刀打ちできない代物だ。極めれば、神々の奇跡と同等以上に渡りあえる。それを危険視した神々が、悪しきもの共と戦う最中にあって、ミュゼイアの帰還を許さなかったほどだ。したがって、音声魔法は世界を悪しきもの共から守るという大義のためにのみ使え。それを、約束できるか』
「……わかった。約束する」
言葉の始めの方は気に入らなかったけど、なんだかすごいことになりそうな予感がして、私は真面目な顔で頷いた。とりあえず、暖かくなる魔法を教えてほしいと思ったんだけど、それは黙っておこう。
『だから筒抜けだと言ってるだろう……まあ、よろしい。アメリー・ヴォイス。今より汝を、アスマエルの名において呪いの受け子と定め、音声魔術の使い手とする』
カエルがそう言った途端、私は左胸にチクリとした痛みを感じた。
『てめーが大義を忘れたとき、呪いは行使されるという条件が追加された』
大義を忘れたら……カエルになるの?
『そういうことだ。肝に銘じておけ』
がっくりと項垂れた私に、カエルの講釈が始まった。
アスマエル先生の音声魔法基本講座
第一回
音声魔法の構成~イメージこそが全て~
魔法に関してズブの素人であるてめーのために、懇切丁寧に説明してやる。わからないことがあったらその都度聞くように。以降は俺様をアスマエル先生と呼びやがれ。
『先生、質問です』
……いきなりかよ。
『今夜はどこで寝るのですか? 私、野宿は嫌なんですけど』
その辺の巨木の洞に枯葉でも集めるか、土に穴でも掘ればいいだろ。
『そんな、冬眠中のカエルみたいなことできません!』
では、授業を始めます。
『先生!?』
まず、音声魔法も魔法である以上、魔力がないと行使できん。その点てめーはネフィリムの血を受け継いでいるから問題ねーだろ。アメリーの親父は、信仰を捧げる代りに、頑強な肉体と精神力、他者への小規模な治癒術をホルスから授かっているわけだ。
魔法を使うという点に関しては、俺と同化しているてめーはほぼ無尽蔵に俺の力を引き出せる。その時点で、そこら辺の魔法使いなんざ足元にも及ばない力を得たわけだが、もちろん俺がセーブをかけることもできる。だがさきほど行った誓約さえ守られていれば、基本的に邪魔はしない。てめーは溢れる魔力を存分に振るって、世界をババッと救ってくれや。
『それも大事ですけど、今夜の寝床は……』
だが、魔力さえ満ちていれば簡単に力を行使できるわけじゃねぇ。そこが、音声魔法の難しいところだ。
『華麗に無視ですね。先生』
例えば精霊魔法は、火の精霊から力をもらっていれば、当然それに関連した魔法を行使できる。まあ、単純に言って火が出るわけだよな。魔法技術者は、少し加工することで様々な用途に使い分けるが、精霊魔法使いは力を供給する精霊の属性に依存した効果しか発揮できない。
聖霊魔法使いにしても、信仰の代価として得られる加護や奇跡の内容はほとんど決まっている。これも、与える側の意志によって得られる効果が決められるわけだ。ちなみにてめーの親父がホルスから得ている加護は、そのまま血族にも受け継がれるものだ。親父が信仰を失わない限り、てめーが身体の加護を失うこともない。そうじゃなけりゃ、てめーみたいな肉の薄い女を真冬の世界へほっぽり出したりしてねーわな。
『そうだったんだ……意外と考えてるんだね』
俺様をなんだと思ってんだよ。神の使いだぞ?
『キンキラ化けガエル』
次にそれを言ったら、呪いが発動する。
『えっ!? そんな条件あるの!?』
ねーわ。つーかいっぱしの魔法使いになりたかったら、余計な茶々入れんなよ。ここからが、本題だぜ?
さっきも言ったように、音声魔法の最大の特徴はその多様性にある。
音声魔法は、音波に魔力を乗せて行使する。代表的な使い方は歌だ。魔力が乗った歌は、聴く者の心を癒すこともできるし、恐怖のどん底に叩き落とすこともできる。かつての音声魔法使いは、吹奏楽器を用いて人々を楽しませ、心を癒したという。もちろん、それは肉体的な回復力を活性化させることも可能だ。傷を癒す神秘の歌声を持つ音声魔法使いなんて、イケてると思うだろ。
『うん。すごいね……でも歌かぁ』
街にいるときてめーに歌について質問したのは、歌えればこの使い方がとっつきやすかろうと思って聞いただけだ。どうやらルフラでは、徹底して音が中枢に届かないように都市を建設していやがるからな。恐らく中枢に住む連中は、音声魔法の存在を知っているんだろうな……。まあこのことは、ひとまず置いておこう。
それに、別に歌う必要はないんだからな。ただまあ、『癒しの歌』と『癒しの叫び』じゃかなりイメ―ジが違うからな。ミュゼイアのウケを気にするなら、歌の一つも歌えないと、心象が悪いぜ。
『そうなんだ。……困ったなあ』
まあ、ミュゼイア様はそんな些細なことはお気になさらないさ。さて、歌う必要がないと言ったのは、音声魔法の肝は、音声という言葉の解釈によるからだ。てめーは、「音波」という言葉を知っているか?
『…………』
今は先生が質問してんだから、答えるとこなんだよ!
『えっ? ご、ごめんなさい! 知らないです』
ちっ、聞くだけ無駄だったか。
『ちぇっ、答えるだけ無駄だったよ』
てめー、性格悪いって言われたことねぇか?
『…………』
答えろよお!! マジで性格悪いな!!
いいか、普段人間が聞いている音というのは、人や動物が発した音波が空気なり水なりを伝播して伝わり、聴覚器官がそれを捉えて初めて脳で認識される。
この音波というやつは、人間には音として認識されないレベルでも、自然界に存在しているんだぜ。
音波は音の波と書くが、これは波線を描いて伝播していくことを表していて、周波数が人間の可聴領域を越えているものを超音波、それに満たないものを超低周波音というんだ。こいつを使って、コウモリは夜でも木にぶつからずに飛べるし、クジラは何百キロも離れた個体と連絡を取れるってわけだ。
『先生、クジラってなんですか』
海に住む超でかい動物だ。つーか、今それは置いとけよ。
もうわかったと思うが、音声魔法は音波魔法と置き換えてもいい。使用者が発する音波に魔力を乗せて、様々な効果を生むことができるんだ。
さらに、俺が音声魔法こそ最強だと言い張る最大の理由について話そう。それは、音声魔法には『属性がない』ってことだ。
さっきも言ったが、精霊だろうが聖霊だろうが、魔法使いに与える力はある程度決まってる。精霊たちは自分らの属性しか力が使えないし、新しき神々は古き神々の力を分散して与えられたおかげで万能じゃない。
愛と美の女神ミュゼイアが与える魔力は、てめーの想像力によって様々に変化する。それこそ火だろうが水だろうが想いのままだ。悪魔との戦いにだって重宝するぜ? 秒速三百メートル越えで広がる範囲魔法から逃れることなど不可能だからな。
もちろん、嵐を起こして戦うだけが能じゃない。始めに言ったように、魔力によって心を揺らす波長を作り出せれば、人々の心にそれは響き渡り、大きな感動を生むだろう。てめーはこれを極めて、戦争を終わらせるんだ。
◇
『……どうだ?音声魔法の凄さが、ちったーわかったかよ?』
「うん…なんだか凄すぎて、自信無くなった」
長い説明だったけど、要するに、私は掛け声一つで大火事を起こしたり、人々を惑わす歌を歌ったりするってことでだよね。
『惑わすってなんだよ。だがまあ、そういうことだ。悪しきもの共との戦いに必要なのは、奴らに心を支配された連中を救い、邪神や悪魔を信仰することを止めさせることだからな?』
「そっか……私にできるかな」
正直に言って、左胸にカエルのタトゥーが入ったことと、頭で口の悪いやつが喋るようになったこと以外には、私の中に変化が起きたようには思えない。アスマエル先生が言うような邪神や悪霊に魅入られた人々を救う力なんて、本当に私に宿っているのかしら。
『魔力だけは売るほどあるから安心しろ。具体的な魔法の使い方は……いや、まずはてめーの素養を試してみるか。ちょうど、開けた場所に出たしな』
なんだかんだ、講釈を聞きながら寝床を探していた私は、街道から少し逸れて森を探索していた。伐採後なのだろうか、切株が多くみられる開けた草地が目の前に広がっていた。アスマエルはそこで「試し打ちをしよう」と言い出し、再びカエル先生の講釈――実践編が始まった。
まず必要なのは、「魔力を感じること」だそうだ。呪いによってアスマエルと同化した私の身体には、神の御使いである彼が保有する魔力がすでに備わっている。体内を循環するそれを認識し、自在に操る訓練が必要なのだそうだ。
「うーん!」
『呪いが降りかかったときの、痛みを思い出せ!』
アスマエルが檄を飛ばす中、私は左胸に意識を集中させようとしていた。そこには黄金の御使いのタトゥーが彫られている。あのとき感じた鋭い痛み、体表からではなく、内側から食い破られるような痛みだった。私はそこに意識を集中した。痛みの中心に、渦巻く何かがある。まるで輝く無数の星を凝集させたような、色とりどりの光を放つ球体だった。
これが、魔力の塊なのかな?
『おおお! それだ! 次はそいつが、てめーの身体全体に流れていくイメージを作れ。胸から血の流れに乗って、全身にだ!』
美しい光を放つ球体から、虹色の砂金がこぼれ出した。それは私の身体に少しずつ溶け出して、血液の流れに飲み込まれていく。あちこちに枝分かれして、手に足に頭に、髪の毛の一本一本にまで、光る粒子が満ちていく――。
『いいぞ、アメリー! すげーぞ!』
血が通う全ての組織が光を放っているようだった。莫大なエネルギーの奔流が私の中を駆け巡り、やがて熱を帯びていった。熱い……けれど、それで私が火傷を負うようなことはなかった。熱いけれど心地よい。お風呂に入りながらゆりかごに揺られているような、不思議な感覚だった。
『十分だ。魔力の流れをはっきりと認識できたな! いよいよ次は、そいつをてめーの声に乗せて、解き放つんだ! さあ! イメージしろ! お前はその声で何を生みだす?』
アスマエルが興奮した様子で導いてくれる。
私がこのまばゆい光をもってイメージするもの……それは。
身体を駆け巡っていた粒子が、指向性をもって動いた。私の喉に向かって、激流となって集まってくる!
『うおおおおお! 行っけぇぇ!!』
「わーーーーーーーーーーー!!」
カエルの掛け声と共に、私は思いっきり叫んだ。
私の口から、閃光が迸った。夜空に向かって七色のスパークを放つ光の柱が打ち出され、乾燥した空気をビリビリと震わせた。私の叫びが終わると同時に光の放射は止まり、流星のごとく長い尾を引いて、光の柱は天に昇っていった。
「……これって、うまくいった!?」
『……んん? お、おう。まあ、なんだ。成功だが……てめー、いったい何をイメージしたんだ?』
なんだかすごいものが出たことで、私は興奮していた。初めて魔法が使えたことを一緒に喜んでくれるかと思ったけれど、カエルの言葉はずいぶん歯切れが悪いものだった。
「イメージっていうか……なんか、『わー!』って」
『いや、まあいい。被害が出なくてよかったな……』
被害ってどういうことだろう。私は何度か尋ねてみたのだけれど、カエルは答えてくれず、『とりあえず、この場を急いで去ろう』しか言わなくなってしまった。せっかくすごいのが出たのに褒めてもらえないのが悔しいので、もう一発かまそうとしたら全力で止められた。
挙句の果てに『すまん、俺も一発目で興奮しすぎた。もう少しきちんとイメージを練らないと、てめーが化け物扱いされちまうぜ』ときたもんだ。
音声魔法使いの道は、なかなかに険しいようだった。