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第三話:旅立ちは夜

 夜。


 お父さんが仕事を終えて帰ってきた。私とゲルダの様子を見て訝りながらも、ひとっ風呂浴びてきた我が家の家長は、豪快に頭を拭きながら食卓についた。


 ホルス様に祈りを捧げ、オマケで入っていた小ぶりのスマスの蒸し料理がメインの夕食が始まった。いつもなら、お父さんが仕事の成功と失敗の話を織り交ぜて語り、私が笑い、ゲルダが嘆息して、お母さんが二つか三つ前の話題に返事をするのが定番なのだけれど、今夜は様子が違った。


 原因は、私にある。


 お祈りが済んだ直後に立ち上がり、「お父さんとお母さんに、話があるの」と切り出したのだ。


「おうおう、どうした!?」固いパンを噛みちぎりながらお父さんは答えた。


「あらあら、スマスが傷ついてしまったのねぇ……でも、お客さんが良い方で助かったわね」と、お母さんは言った。


「母さん、それは夕方の話」ゲルダが一応言ってくれた。


『てめーの母親は大丈夫なのかよ』

うん。私も時々心配になるけど、あれで話はちゃんと聞いてくれてるの。


 私は、鮮魚店裏で起きた事の顛末を家族に説明した。カエルのタトゥーを見せれば話は早かったかもしれないけど、見せたら私はカエルになってしまうらしいので、それはできない。


 お父さんは目を大きく見開いて瞬きもしないで、お母さんはニコニコしながら、ゲルダは無表情に私が話すのを聞いていた。


「音声魔法なんて聞いたことないぞ? 夢でも見たんだろ」


 そう言って、がははは、とお父さんが笑った。


 私だって、夢ならよかったよと言おうとしたところへ、カエルの声が割り込んできた。


『ミュゼイア様のお力が失われて久しい世界では、音声魔法の知識は失われていて当然だ。よぉ、てめーらは音楽や詩を詠んで楽しむことはしねーのか?』

カエルさん、音楽なんて、お貴族様が楽しむものでね。私たちみたいな庶民は、聞いたことがないんだよ。お祭りのときなんかは、障壁の向こうで音楽が鳴り響いているらしいんだけど、十二区みたいな外周までそれが聞こえてくることはないんだ。


 私が心の中で答えると、カエルはしばしの沈黙を挟んだ。何か考えている――という雰囲気というか、波長みたいなものは伝わってくるのでそれが分かるのだが、その内容までは伝達されない。私の考えだけ筒抜けなんて、不公平だなあ。


『ははーん……なるほどな』

何が、なるほどなの?

『ああ? ま、おいおい話してやるよ。とりあえず、てめーの家族に音声魔法の存在を認めさせて、とっとと旅支度を始めてもらわねーとな』


 どうやら得心したらしいカエルに、何がなるほどなのか尋ねてみたけれど、帰ってきた答えは意味不明なものだった。


旅支度?どういうこと?

『てめーと俺様の、悪を滅する旅の支度に決まってんだろ?』


「なにそれ?聞いてないよ!」

「……アメリー?」


 カエルと心で会話をしているときは、傍から見れば私は黙っているように見えるのだ。沈黙を破って脈絡のない言葉を発した私を、お父さんが心配そうに見ていた。


「あ、ごめんなさい。その……カエルさんと話していたの」

「お前……本気で言ってるのか?」


 お父さんの眼光が鋭くなった。久々に見た、本気のお父さんの視線だった。子供の頃、いたずらを隠そうとして嘘をつくと、いつもこの視線にやられて秘密を吐露し、泣いて謝ったものだ。だけど、今の私は嘘なんかついていない。私は、正面からお父さんの視線を受け止めた。


「……」


 お父さんは、じっと私の目を見ている。


「…………」


 私も、けして目を逸らさずに見返した。


「…………どうやら、本気だな」


 お父さんが目元を緩め、静かに言った。


「で、そのカエルがお前に何をさせたいんだって?」


『父親までカエルとか言ってんじゃねーか。俺様の名はアスマエル様だときちんと伝えろよな』

 

 それを言うなら、私だってアメリーって名前があるんだけどね。


『てめーなんざ、てめーで十分だ。つーか、てめーに説明させておくと、いつまでも問答が終わらんかもしれねーな。おい、ちょっと舌を借りるぞ』


 言うが早いか、私の舌と喉の感覚が消えた。そして、私の口からカエルの声が高らかに発せられた!


「聞け、ヴォイスの家長よ。我はアスマエル。古き神々の一柱、ミュゼイアの使徒である。我が使命は、失われた秘法『音声魔法』の使い手を育て、世界を覆う魔を打ち払うことなり。故あって汝らヴォイスの長女アメリーを、音声魔法使いに任じた。今よりアメリーは、ミュゼイアの加護をその身に宿し、音声魔法にて世界を救う旅に出るのだ!」


 


 ぽかーん。




 お父さんも、ゲルダも、お母さんまでもが口と目を真ん丸にして、私が力強い男性の声で話すのを聞いていた。


「汝らにとってはまさに青天の霹靂であろう。しかし、眼前で娘が私の声でもって話していることが、音声魔法存在の証拠である。そして、南より起こった魔の軍勢は、確実に領土を広げ、世界に広がりつつあるのだ。新しき神々――ミュゼイアの子らと悪しきもの共との戦力は五分と五分だが、いずれはその差も転覆されよう。時は急を要するのだ」




 ぽかーん。




 突然男性の声で、私が喋り出したらびっくりするよね。でもこれは、カエルが魔法か何かで私に喋らせているんだ。私はどんなに声を出そうと思っても、舌と喉の感覚を取り戻せずにいた。ちなみに口の周りも、しびれたように感覚がない。耳だけははっきりと聞こえているため、私の器官が勝手に動いて音を発しているというのは、とても奇妙な感覚だった。


「よって、今夜にもアメリーを出立させたいのだ。旅支度を急げ。汝らの働きには、必ずやミュゼイアが報いるであろう」


 最後にそう言うと、器官の感覚が瞬時に戻ってきた。




「――だそうなんだけど……どう思う?」


 私がヘラッと笑って言うと、お父さんが我に返ったらしく、「うーむ」と唸ってから腕を組んで考え始めた。


 私としては、ずっと外の世界を見てみたいと思っていたので、これはチャンスなのではないかと思っている。しかも、強い力をもった神様の直接的なご加護をもらって旅に出るのだから、これ以上心強いものはない。しかも与えてもらった音声魔法が世界で私しか使えないというのも、とっても魅力的じゃないか!


 まだ使ったことないけど。


「――姉さんは、どう思っているの」


 考える人になって動かないお父さんに代わってか、ゲルダが口を開いた。やや下を向いて、彼女の長い髪が目元まで垂れている上に両手で頭を抱えるようにしているため、立ったままの私からは表情が分からない。いつも冷静な子供らしからぬ口調ではあるけれど、今の彼女からは少なくともごきげんではないという雰囲気が伝わってきた。


「私は……カエルについて行きたいと、思ってるよ」


 突然の出会いだし、神様たちの争いにまで話が及んでしまって、そのスケールの大きさについていけない部分はあるけれど、知らない世界を見てみたいという夢を叶える機会は、今を逃したらもう訪れないかもしれない。


 でも私はあれこれと理由づけはせず、ただ行きたいとだけ告げた。


「観光に行くんじゃないんだよ。音声魔法使いだなんて言われてるけど、ぶきっちょな姉さんに、魔法なんて使えるとは思えない」


 あ、それを言われちゃうと……返す言葉がないわ。


『もう降参かよ。情けねぇ』

うるさいなぁ。カエルのくせに。


「しかも、邪神だか悪魔だか知らないけど、悪い魔法使いと戦いに行くんでしょ? そんな危険なこと、父さんが許すわけない!」


 彼女にしては珍しく声を荒らげて言うと、ゲルダはドン! とテーブルを叩いた。顔を上げて私を睨みつける彼女の目の端に、少しだけ涙が浮かんでいた。


「生きて帰って来れないかもしれないよ!? 父さんと姉さんが一所懸命働いて、やっと家族の暮らしも楽になってきたのに! あたしたちを見捨てて行くの!?」


 彼女は私の身を案じているのか、何でも屋の行く末を案じているのか。きっと、両方なのだろう。


 ゲルダは、いつも心配している。自分が立てた仕事のスケジュールで、私やお父さんの負担が大きすぎないか。お父さんの帰りが遅くなると、怪我でもしたのではないかと度々戸口に立って通りの様子を伺って、治療院の救急隊が走り回っていたりしないかいつも確かめている。


 いつも時計を見ていて、私たちの帰りを今か今かと待っているのだ。ゲルダを出産してから少し身体を壊してしまい、家事に専念せざるを得なくなったお母さんのことも、いつも心配している。


「ゲルダ」


 涙を溜めて肩を怒らせているゲルダに、お父さんが声をかけた。とても穏やかな、それでいて毅然とした決意が宿った目だった。お父さんは私ではなく、ゲルダをまっすぐ見て言った。


「アメリーは、魔法使いになった。家から魔法使いが出て、世の中の役に立つのは素晴らしいことだ。父さんは、誇りに思う」


「――!!」


 ゲルダの目が思い切り見開かれた。眉根をきつく寄せて、怒りをあらわにしている。唇をきつく噛んでいたけれど、何か言おうと口を開きかけたそのとき、この場に相応しくないのんびりとした声がそれを遮った。


「お母さんも……誇りに思うわ」


「母さん!?」


 ゲルダが、テーブルを挟んで対極に座っているお母さんに燃える視線をぶつけた。しかしそれを受け止めるというか、優しい微笑みを浮かべた彼女は、ゲルダの激情を包み込むように、ゆっくりと話し出した。


「お父さんはかつて……ホルス様のご加護を受けた土地の魔法使いでした……。事情があってお家を出てしまったけれど……ホルス様へのお祈りを欠かしたことはありませんでした。おかげでお父さんはいつも身体を守って頂いているし、お母さんはあなたたちを授かることができた、と思っています。でもゲルダ……あなたも気付いているのでしょう?」


 お母さんは一旦言葉を切って、ゲルダの反応を伺っているようだった。彼女は再び俯いて、唇をきつく噛んでいた。そのまま何も言わないようなので、お母さんがまた口を開いた。


「少しずつ……ホルス様のご加護が弱まってきています。これがもし、アメリーの言う邪悪な力の影響なら……誰かが止めなければいけません。人ならぬ神々の戦いに参加できるほどの魔法使いは、ルフラにも数えるほどしかいないでしょう。そのような大役に、アメリーが選ばれたことは、大変誇らしいことです。お姉ちゃんを想うゲルダの気持ちはとてもよくわかります。お母さんがお腹を痛めて産んだ子だもの。お母さんだって、アメリーがとても心配よ……」


「だったら! 止めなきゃ! 姉さん死んじゃうかもしれないよ!?」


「ゲルダ、お姉ちゃんの気持ちを聞いてくれる?」


「姉さんは黙ってて!!」


 お母さんの言葉を遮ったゲルダに、私は声をかけようとしたが、あっさりと黙らされてしまった。


『てめーの両親は、なかなかの人物だな。家族を案ずる妹も立派なもんだ。てめーこそ、家族を誇りに思うんだな』

そんなこと、カエルに言われるまでもないよ。


「ゲルダ――」

「うるさい! もう知らない! 勝手に旅にでもなんでも出ればいいのよ!」


 ゲルダは怒鳴り散らすと、駆け足で二階へと上がって行った。乱暴に閉められたドアが大きな音を立てて、天上から少しだけ木くずが落ちてきた。


「……エイダ」

「はい」


 お父さんが一声かけると、お母さんは静かに頷いて二階へ上がって行った。私が階段を見ていると、お父さんが声をかけてきた。


「アメリー、こっちへ来なさい」

「はい、お父さん」


 お父さんはゲルダの椅子を自分の隣に寄せて、そこへ座るよう促してきた。私はそこに座った。子供の頃、大切な話をするときはいつもこういう位置関係だった。大きくなった私は、座るとお父さんと目線の高さはほとんど変わらない。


「アメリー、さっきはいきなり男の声になってびっくりしたぞ」


 お父さんが、カップの中の冷えたホットミルクに張った膜をスプーンでかき混ぜて溶かしながら言った。小さな渦の中心を見つめながら、苦笑していた。


「ごめんなさい。カエルが急に『舌を借りる』って言ったら、ああなったのよ」

「それが、音声魔法なのか?」

「その通りだ。初歩の初歩だがな」

「うおぉ!?」


ちょっとカエルさん! いきなり舌を奪うのはやめてよ!

『みょ、妙な言い回しをするんじゃねーよ』

え? なにが?

『みなまで言わすな! ガキが!』

なんなのよもう……。


 私とカエルの心の会話は聞こえないとして、またしても声を出す器官を奪われた私を見つめて、お父さんは驚愕の表情を隠せない。


「本当にびっくりだなこりゃ。あんたが、ミュゼなんとか様の御使いなんですかい?」

「ミュゼイア様だ。私は、アスマエル」


 本当はすごく口が悪いくせに、厳かな口調でカエルが答えた。


「あんたは、アメリーに憑依してるってことですかい?」

「憑依とは、異なる。ある理由によって聖霊となり、汝の娘と同化しているのだ。私の霊魂を介して、アメリーはミュゼイアの音声魔法を行使する力を得るのだ」

へぇ~。そうなんだ……カエルと同化してるなんて、どうかしてるわ。なんつって。

「……汝の娘は、肝が据わっているな」

 

 私のダジャレに一ミリも笑うことなく、カエルが呆れた口調で言った。奪われているのは発声と講話に必要な器官だけのようで、私は顔の上半分だけで不満顔を作ることに成功した。


「そうですかね……それで、どうしてウチの娘が、選ばれたんでしょうかね?」

「それは、神の定めとしか答えられん」


 カエルは、相変わらず厳かな口調(アスマエルモード)で話している。本当はすごく口が悪いのに、なぜ隠すんだろう。


 ちなみに音声魔法に関しては、『呪い』であることは伝えない。これは、帰路の途中でカエルと話し合って決めたのだ。そんなことを私の家族が知ったら、きっと「誇りに思う」なんて言ってもらえないだろう。


「やっぱり……危険な旅になるんで?」

「危険がないなどとはもちろん言えない。だが、大いなるミュゼイアの加護のもとに振るわれる音声魔術の力は強大無比。アメリーが無事の帰還を果たせるよう、私も全力を尽くそう」


 小さなカエルが、頼もしいセリフを言っている。


『いちいち感想を漏らすな。しゃべりに集中できねーだろ』


 窘められてしまった。


「わかりました。アメリーに代わってもらえますかね」


 お父さんが言うと、舌の感覚が戻った。


「お父さん……」


 声が戻ったことを示すために、呼んでみようと思っただけなのだが、お父さんの目を見た私は、急にこみあげてくるものがあった。


「アメリー……お前が行きたいのなら、行っておいで。でも、忘れるな。危なくなったら、逃げるんだ。引き返したくなったら、いつでも帰っておいで」

「うん、うん……」


 お父さんの慈愛に満ちた目が、細められた。そして、彼の厚い胸板に私は飛び込んだ。


「よしよし……」


 お父さんの大きな手が、私の頭をポンポンとしていると、階段を誰かが降りてくる音がした。


「お母さん……」


 木製の階段を軋ませて現れたのは、お母さん一人だった。


「行くのね……アメリー」


 お父さんとお母さんが交代した。


「うん……。私、怖いけど行ってみたいの。偶然授かった力で何ができるかわからないし、もしかしたら、世界なんて救えないかもしれないけど……私が選ばれたのなら、やってみたい」


「お母さんとお父さんの子だもの……一つ所に収まるわけないわ……。気を付けてね」


「うん」





 お母さんは二階で荷物をまとめてくれていた。ゆっくりと晩御飯を食べて、お風呂を沸かし直してもらって温まった。十年ぶりくらいに、お母さんが髪に櫛を入れてくれた。


 お父さんは、ホルス様のお守りを作ってくれていた。藁で編んだ人形に、お父さんとお母さんの髪の毛が入ってるんだって。


『逆に呪われそうなアイテムじゃねーか?』とかいうカエルは無視して、私はそれをありがたく受け取った。


 大きなリュックを背負い、コートを着込んだ私は、毛糸の帽子を目深に被って、住み慣れた我が家の扉を開けた。吹き込んでくる冬の夜気が、あっという間に露出した顔の下半分を冷やし、自分でもそこに赤みが差したのがわかった。


「ゲルダー!! 行ってくるからね!!」


 私は二階に向かって声をかけたけど、返事はなかった。


「お父さん、お母さん……」


 私は戸口に立って、二人を振り返った。お父さんとお母さんは、穏やかに微笑んでいた。私はこの光景を絶対に忘れないようにと、しっかり目に焼き付けた。


「行ってきます!!」


 元気よく片手を上げて、私は一歩を踏み出した。



 お父さんとお母さんも戸口に出てきて、一所懸命に手を振ってくれた。


 私は何度も振り返りながら、手を振った。


 五度目に振り返ったとき、二階の窓が開いているのに気が付いた。

 

 ゲルダが、大きく手を振っていた。


「ゲルダーーーー! 行って来まーーーーす!! お土産、買って来るからねーーーー!!!!」


『今の叫びはサービスで妹に届けてやったが、てめー、まだ事の重大さがわかってねーな……』


 カエルのぼやきとともに、私の旅が始まった!!





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