第一話:運命をカエル
「うはぁ~! すっごい、人!」
私はアメリー・ヴォイス。十二区の何でも屋ヴォイスの看板娘(自称)。すっかり経営者気取りの妹におつかいに出されて、大スマスを買いにやってきた。
ユテラーさんの鮮魚店は大きなお店なんてない十二区でも小規模の魚屋だけど、店主のユテラーさんは川の漁師に縁が深い者があり、毎年よい型のスマスを仕入れている。
うちは以前に、ユテラーさんの腰をお父さんが治してあげたのがきっかけで、優先的に大スマスを回してもらえるようになった。値段もそこそこするのだが、なにより大きいので運ぶだけでも骨だ。何でも屋では贈答用の木箱に入れてさらに重たくなったスマスを、スマスの値段のたった一割でお届けするサービスを提供している。これが結構好評なんだ。
おかげで毎年大スマスのおつかいはあるのだが、依頼が来てから買っていたのでは、よい型のスマスが手に入らないこともある。そのため、依頼がくる量を見込んで大スマスを確保しておくのだ。
二年前に妹のゲルダがこの商法を考えだし、大型の魔法冷蔵庫を買おうと言いだしたときには家族全員笑ったものだけど、いつの間にか氷の精霊魔法使いとお友達になり、冷却魔法を安く譲ってもらえるルートと、ユテラーさんが腰痛持ちであるという情報を仕入れてきて、スマスを確保するルートの両方を準備していた妹の慧眼に、今では驚嘆と感謝の念しか浮かばない。
私はお父さん同様体力と力だけは有り余っているから、一匹二十キロもある大スマスを三尾くらい、らくらく運ぶことができる。
ただ、イーオンダインの血が濃く流れている私は、寒いのがとても苦手なのだ。
師走に入って、大陸の北方にあるルフラガルドは毎日が氷点下だ。イーオンダインどころかルフラ以外の土地を知らない私だけど、やっぱりルフラは寒すぎると思う。
いつか、お父さんとお母さんの故郷へも行ってみたい。そのためにも頑張って働いかないと。なんて、このときはのんきに考えていたものだ。
私は温暖で豊穣の女神様がおわすというイーオンダインの地を想像して足腰を奮い立たせると、尋常ならざる熱気を発する(おもにおばちゃまたちで構成された)人込みをかき分けかき分け、ユテラーさんの近くへどうにかたどり着いた。
「こんにちは! ユテラーさん!」
「おおう! アメリー! 今年も大スマスかい?」
私が声をかけると、ルフラガルド人らしい細い身体に黒い髪の男性――ねじり鉢巻きに黒いエプロン姿のユテラーさんが、小ぶりなスマスを切り分けながら笑顔で応じてくれた。
「うん。今日は三尾なんだけど、お願いできます?」
「あたぼうよ! ここじゃごったがえしちまうから、裏で待っててくんな!」
包丁を握ったまま、お店の裏手方向を示したユテラーさんだった。肩越しにスマスを覗き込んでいたお客さんの反応速度が速かったおかげで、彼は殺人者にならなくて済んだ。
「はい! ありがとう!」
再び人の波を押しのけながら、私はお店を出た。年末の買い出しを急ぐ人々で、大通りは埋め尽くされている。今日から一般職の人たちはお休みに入るわけで、いつもは買い物になど現れない男達も、荷物持ちに駆り出されているようだった。
毎年のことではあるが、ルフラにはこんなにもたくさんの人が住んでいるのだなと感心したものだ。今はちょっと、事情があって人目を避けて旅しているので、あの喧騒が懐かしい。
それはともかく私は路地へ入り、お店の裏へと回った。たったそれだけで喧騒は遠ざかり、大通りの人々の声が聞こえなくなった。
「う~ん……いつ見ても……高いよねぇ」
喧騒が消えてしまったのは、単にお店の裏に回ったからだけではない。十二区と十一区を隔てる障壁が、そこにそびえ立っているからなのだ。
十二区と十三区は、私たちのような平民が住んでいる地区だ。九区から向こうはお金持ちとお貴族様の世界が広がっているらしい。行ったことないからよくわからないけど、きっとキンキラキンの宝飾品に身を包んだ紳士淑女の街なんだ。
十一区と十区には、魔法工場地区とお役所、商工会だかギルドだかなんかの、いわゆるオフィス街がある。
こんな風に、二区ごとに区切られているルフラの街。区画を区切る巨大な壁は、防音効果抜群なんだって。この壁に寄りかかっていると、周囲の音は吸収されて、まるで世界に私一人になったような気持ちになる。
人によっては無音の世界が怖いなんて言うけれど、一日中騒がしい十二区で暮らす私は、この静寂が嫌いじゃなかった。
「――!!」
ユテラーさんが裏戸を開けて出て来た。大きなスマスを入れているのだろう、巨大な木箱を抱えてふらふらしている。消音効果抜群の壁のおかげで、彼が何を言っているのかは全く聞こえない。これは、ずっと昔に引退してしまったという、ある神様が与えた魔法の技術がもとになっているんだって。
「――――!?―――!?」
ああ、いけない。ユテラーさんからお魚を受け取ってあげないと。
魚屋のプライドとか言って、絶対に魚を地面に落とさないのはご立派なんだけど、それで腰をやっちゃったのよね。
「ごめんなさい。ユテラーさん、今――」
プチッ!
「……え?」
壁から離れて、一歩踏み出した私は、足の裏に不思議な弾力を感じて歩みを止めた。
石畳を踏みしめた感触とは明らかに違った。何かこう、赤ちゃんの握りこぶしくらいの体積と、ほどよい弾力を足の裏に感じた。私はホルン様のおかげで普通の女の子よりは少々力が強いことも災いして、しっかりとそれを踏み潰してしまっていた。
「あら……」
そっと足を上げてみると、そこには世にも珍しい黄金色の身体がペシャンコになった、カエルがいた。
「ご、ごめんなさい……」
「…………」
念のため謝ったが、もちろんカエルの反応はなかった。罪もないカエルを殺してしまった。豊穣の神様は、大地に生きる者全てを愛せよと教えている。敬虔なホルス様の信徒としては、大地の生き物であるカエルを放置しておくことはできない。
(豊穣の女神ホルス様……)
私はカエルの前に跪き、両手を差し出して祈りを捧げた。
「おい、アメリー!! 早く持ってくれよぉ!!」
「うはぁっ!?」
差し出した両手に、木箱がズシンと置かれた。
「あ、ユテラーさん! ごめんなさい!」
「ったくぅ。いつもそこにいると、ボーッとしちまうんだから……」
ユテラーさんが苦笑いし、右手で腰を叩きながら左手を差し出した。私は木箱を肩にひょいと担いで、右手でポケットからお代を出して手渡した。
「おう! 毎度! 気をつけてな!」
ユテラーさんはニカッと笑うと、裏戸を開けてお店に戻って行った。どうやら私がカエルを踏み潰してしまったことには気付かなかったようだ。
「ごめんね。カエルさん……」
私は立ちあがり、路地を後にしようと歩き出した。本当は大地の生き物が命を落とした場合、土に埋めてあげないといけないのだが、道は石畳で舗装されていた。大地にカエルさんを埋めてあげるには、街の外まで出なければならない。さすがにそんな時間はないし、生きていくためには仕事をしなくてはならない。
『……ちょっと待てよ、ねーちゃん』
路地を抜けようとした私の背後から、胡乱な声がかかった。私以外に鮮魚店の裏には人がいなかったはずだった。
裏戸を開けて、店の誰かが出て来たのだろうか。多分に怒気を孕んだ声は、まるで地の底から響いてくるかのように、私のお腹に不思議な圧力を感じさせた。もしかして、スマスのお代が足りなかったとかで、ユテラーさんが怒っているのかと思い、振り返った私は目を見開いた。
「――!?」
そこには、誰もいなかった。妙に耳に残る声だったけれども、気のせいだったのだろうか。障壁に向かって発せられた声はほとんど吸収されてしまうため、大通り側から声がかけられたということはないはずだった。
「なによもぅ……」
『なによじゃねーだろ。尊い命一つ踏み潰しといて、一言詫びただけではいさようならってか?』
姿の見えない相手に言ったわけでもないのだが、私の独り言には答えが返ってきた。私が声の主を探して辺りを見渡していると、鷹揚な態度の声が怒声に変わり、路地裏に響き渡った。
『おらぁ!! どこ見てんだよ! さっきてめーが踏み潰したカエル様だ! ほら、ボサッとしてねーで、最後まで祈れや。それが終わったらきちんと埋葬してもらおうか!』
「……うそ」
壁の側でペチャンコになったはずのカエルが、フワリフワリと浮いていた。前足で腕組をして、頭の両側に付いた目がグリグリと動き、私を睨みつけて止まった。
「やだ……かわいい♡」
「はぁぁん!? てめーが殺したカエルが化けて出てんだぞ? このトンデモ展開になんでそのリアクションなんだよ!? おかしいだろ!? 恐れおののくか、悲鳴あげて逃げるのがセオリーだろぉ!?」
短い前足と長い後ろ足をばたつかせつつ、小さな目で頑張って私を睨みつけ、長い舌を出したりしまったりして、まさに口角泡を飛ばして怒鳴り散らすカエルであった。踏み潰したことは、本当に申し訳なく思っているけれど、かわいいものはかわいい。
「そうかいそうかい……てめー、このアスマエル様をただのカエルだと思ってナメてんな!?」
「そんなことないよぅ。カエルさん♡」
その姿と口調のギャップがまたいい。一生懸命大きな態度を取っているものの、いかんせんカエルは小さいのだ。どのくらい小さいって、身長百六十センチメートルの、私の手の平よりも小さい。
「よーし、決めた。てめーに今から、『音声魔法の呪い』をかけてやる! 俺様を踏み殺した挙句、不遜な態度をとって怒らせた報いを受けろぉ!!」
「え? 呪いってな――ぐぅっ!?」
カエルさんがビシッと私を指差した瞬間、黄金の身体がまばゆい光を放った!
とたんに私は胸の辺りに激しい衝撃と痛みを感じ、思わずうめき声を上げた。光に包まれた私は動くこともできず、あまりの痛みにスマスの入った木箱を落としてしまった。
逃げなきゃと思ったときにはもう遅く、私の視界は真っ白に塗りつぶされた。