第一話‥二人の問題児
主な登場人物の紹介的な話となっています。
今見ると違和感の塊ですが(笑)
ふと目が醒めた。重い瞼を上げ、珱子はゆっくりと身体を起こす。
窓から差し込む白い光と小鳥の囀りが、朝を告げる。ベッドの反対側に掛けられた壁掛け時計の針は、六時十分を指していた。
「十分寝坊……」
口の中で呟き、布団から出る。
真っ直ぐ向かったのは勉強机。その横の壁に掛けてある制服に手を伸ばした。
胸元に校章が入った紺色のブレザー。同色のスカートに、白いワイシャツと赤いリボン。ついでに黒のカーディガン。
高校の制服で身を包み、部屋を出て一階へ降りる。
顔を洗い、朝食を食べ、歯磨きをし、持ち物と身嗜みを整え、「行って来ます」と家を出た。
外に出ると、ひやりと冷たい空気が頬を掠めた。季節は冬。師走の凍てつくような風が容赦なく吹き付ける中、約二キロ離れた学校まで歩く。白いマフラーを首に巻いた。
清水珱子は、湊高校の一年生。この湊市で生まれ育つこと十六年のキャリアを誇っている。
彼女にとっては大分見飽きた街の風景も、しかし捨てた物ではない。
建物が沢山建ち並ぶ中にも、所々にさり気なく緑が散り、空気の汚れを感じさせない。
また、海に面する港町なだけに、絶えず潮風が走り、特有の匂いが立ち込めている。海鳥が泣き、波は静かに音を立て、まるでCDのようにも聞こえる。
そんな、何の変哲も無い、何処にでもあるような港町。その道を暫く行けば、そこに湊高校は見えてくる。
白い校舎、広いグラウンド。やはり何処にでもありそうな、平凡な学校。何もかもが普通。進学校というわけでもなければ、いずれかの部活が強かったりもしない。突出した特徴など無く、普通を絵に描いたような街と学校。
珱子は、ここで生まれ育った。
今日もいつも通りの風景。いつも通りのざわめき……。
これが彼女の日常。この街の、平凡な日常。
湊高校ーー正式名称、湊市立湊第一高等学校は、二つの校舎「HR棟」「特別教室棟」から成る。朝登校したら、HR棟の昇降口から入って中央階段を昇り、三階奥の教室、一年一組に入る。
珱子の席は、まどが一年から数えて二列目最後尾。黒板の文字が見えにくいという欠点を除けば、まあまあ良い席だ。
一組の席替えはくじ引き形式で、男女の枠なしにくじを引く。つまり、前後左右斜めが誰になってもおかしくはないのだ。
因みに珱子の左隣は女子、右隣も女子、前も女子。ここまできたら……と思わせておいて、斜め前は男子だったりする。
この少年が、正直哀れで仕方がない。何と言っても、彼の周囲は皆女子。ある意味では最高のハーレム状態だが、彼は所謂「そういうキャラ」ではない為、ただ可哀想なだけだ。更に、彼の席は何故か先生の目に付く。そして極めつけは、友達が皆無である……恐らく。
その他にも、思わず涙が滲む程可哀想で悲惨な目に遭いまくっている(現在進行形)少年の名を、伊藤恵一という。名前に「恵」という字が入っていながら、残念な事に彼は恐ろしく恵まれていない。きっと神様に嫌われているのだろう。もしくは、人に幸せを恵み過ぎて、自分に幸福が残らないのだろうか。
とにかく、彼の不幸っぷりは尋常ではない。例えばーー。
「あ、おはよう、伊藤君」
件の、ある意味でかなりの問題児がやってきた。
「え、あ、おはよう」
何気なく……いや、少し動揺しつつ応えた彼だが。
「…………伊藤君、あの……大丈夫?」
「は?」
「血……」
「え、あ、ああ。これ?」
何でも無さそうに、彼が苦笑して指差したのは、額。何が問題なのかといえば、つまるところ、流血沙汰なのだ。右目の上辺りから、おびただしい量の血液が流れ出ている。
「ぶつけただけだよ」
「どこをどのように歩いて、どういう風にどれくらいの勢いで何に衝突したらそうなるの?」
呆れ気味に言った珱子だが、自分自身が言っていることをきちんと把握出来ていない。弁護をするならば、目の前の少年が、それだけ大変な事になっているわけだ。
「いや、後ろから猛スピードで自転車に突っ込まれたっていうか……。あ、でも大丈夫。ただのママチャリだったし、運転してた女の人は無傷だったから」
「あの、君が大丈夫じゃないと思う。病院行ってきたら?」
「だって、自転車に跳ねられて頭打っただけだし」
「それを大怪我と呼ばずして何と呼ぶ……」
慌てた様子で、しかも本気で言っているらしいこの少年が、非常に哀れで仕方がない。しかしやっぱり呆れずには居られなくて、珱子は溜め息を吐いた。
ここまでで、大方彼の不幸っぷりがわかっていただけたであろうか。
朝っぱらから猛スピードでママチャリに突っ込まれる少年は、そう居ないと思われる。
実を言うと、今朝はまだマシな方なのだ。いつもは、流血は勿論、何故かずぶ濡れだったり、何故か制服が破けていたり、あわよくば何かに憑かれていたりーー悪霊だろうかーー他にもまだまだ、筆舌に尽くしがたい悲惨な事まで……。
「あのさ、どうしてそんな目にばかり遭うの?どこまで不運なわけ?」
珱子が率直な質問を投げかけてみると、彼は存外困ったような顔をした。
「……さあ。よくわからないけど。物心ついた頃から、こうなんだ」
何かを瞑想するように目を伏せ、続ける。
「ずっと、こうなんだ……」
その言い方が、どうにも意味深に思えて、珱子は小首を傾げた。
「へえ、友達が居ないのもそのせいなのかしらね」
突然会話に割って入った声に驚き、珱子と恵一は勢い良く振り向いた。
珱子の左隣、つまりは窓際最後尾というベストポジションの主が、机に頬杖をつきまじまじと恵一を見つめていた。
「おはよう、神楽さん。痛い所つくね。結構傷付くんだけどな……」
神楽尊。不吉な噂を纏いし美少女。
腰下まである漆黒の髪を、耳の下で束ねている。均整のとれた華奢な体躯は小さめで、一五〇から一六〇センチくらい。白い肌に長い睫毛、柔和だが意志の強さを見せる黒い瞳、仄かに桃色に染まる綺麗な唇、形の良い鼻。絵に描いたような美人だが、彼女の場合、それだけではない。
雰囲気が、普通ではないのだ。
纏う空気が、清らか過ぎる。冷たく凍りついているように、熱が感じられない。いっそ冷ややかな微笑みは、美し過ぎて、人間ではないみたいだ。
その美貌は、他人を惹きつけると同時に、一抹の疑問を抱かせた。
〈あれで本当に生きているのか〉と----。
因みに、頭は良いのだろうが、不思議と成績は並み。
容量が良いので軽くかわしてはいるが、それでもやはり、どうしても人目に付く。目立ってしまう。
必然的な事だが、彼女はそれを好ましく思っていないようだ。
確かに生活し辛い面もあるのだろうが、それにしても、目立つ事を異常に嫌がり、常に普通であろうと身を砕いているように思われる。おまけに、浅い関係は避けられぬこと故例外として、彼女は”親友”という類の者が少ないようだ。一応珱子と同じ集団に属してはいるが、必要以上に慣れ合おうとはせず、何処であっても順応出来る。
そんな彼女の姿は、まるで何かを、警戒しているようだった。
彼女には、不思議な美少女といった趣がある。
更に、それだけ美人でありながら、男っ気の欠片も無いという事実が、余計に噂を招く。一説によれば、恋人を事故で亡くしたとか、大事な人を亡くして後追い自殺を図ったとか、本当は心中したとかいう話がある。物騒な話題が多いのは、尊の、妙な雰囲気に起因する。また、誰々と付き合っている、などという噂は、絶える事を知らない。
しかし、珱子には、想像出来なかった。
まるで血が通っていないかのように冷たく、思わずどきりとするイメージの彼女とそういうことでは、あまりにも釣り合わないように思えるのだ。
今、目の前に広がるいつも通りの何気ない風景も、尊が加わっただけで、ひどく浮き世離れした光景に見える。
「……おはよう、尊ちゃん」
「おはよう、珱子」
おずおずと挨拶した珱子に、尊は優しく艶やかな笑顔を返した。
神楽尊は、今日も輝いている。
「所で、伊藤君?」
「ん、何?」
心なしか詰問の響きを帯びた呼びかけに、恵一が間抜けな声を返す。
それも、不思議だ。傍目に見て、恵一の態度がさばさばし過ぎている。
そういえば、そんな説もあったっけ。珱子は密かに反芻する。
曰わく、「一組のあの神楽尊が、同級の
あの伊藤恵一と付き合っている」。
この二つの「あの」の意味が全く逆のものであることは、最早明確である。
「ちょっと、来なさい」
「……はい」
尊が溜め息混じりに立ち上がり、恵一は大人しく彼女に従った。
二人が教室を出ると同時に、その場にいるほぼ全員がそちらへ視線を向けてざわつく。理由は、わかりきった事だが。
「失礼します」
冷静で大人びた声がそう言った。ドアから珱子のいるあたりに歩み寄ってくる人影が二つ。
の主であると思われる、眼鏡をかけた長身の女生徒は、しばし教室を見渡した後、珱子に尋ねた。
「神楽尊さんは、どちらへ」
感情を窺わせない堅い表情と淡々とした口調が相まって、機械のようだ。
「あ、えっと……神楽さんなら、今さっき伊藤恵一君と出て行きましたけど」
珱子がドアを指差しながら答えると、少女は僅かに目を細め、恵一の名を呟いた。しかし、直ちに表情を改める。
「どうも、ありがとうございました。ーーひよこ、行こう」
機械のような女生徒は、隣の少女を促し、「失礼しました」と言い置いて教室を後にした。
「ひよこ……?」
その名前を口の中で転がし、ようやく思い出した珱子は、ああ、と溜め息に似た声を洩らした。
「確か三組の……」
田中亜希子と向田ひよこ。尊には劣るものの、そこそこ有名なコンビ。
田中亜希子は、すらりと高い身長が特徴で、事務的、冷静沈着、眼鏡の影響もあってか、知的美人。
一方の向田ひよこは、身長は低く、無邪気で子供っぽい一面が見られる。
全体的にどこを取っても対極に位置する二人が常に行動を共にする様というのは、無条件に人の関心を引くものだ。
しかし、と珱子は意外に思った。不思議な雰囲気を纏っているという共通点はあるものの、あの二人と尊の間に接点があるようには見えなかったのだ。
他に共通点を挙げるとすれば、名前だろうか。神楽尊に、向田ひよこ。そうそうお目に掛かれない名前だ。
そんな中、田中亜希子は割とありきたりな名前である。本人の非凡さとは裏腹に、取って付けたような、どこか違和感を覚える名前。
「やっぱりあの人達謎だ……」
「何ぼやいてんの」
立ち尽くしてひとりごちていた所に声を掛けられ、珱子ははっとして後ろを振り向いた。
右耳の下でおだんごを作っている少女と、セミロングの黒髪を耳に掛けた少女が並んで立っている。珱子の友人である、若木妙子と和泉遥だ。
「あ、いや、何でもない。ーーあれ、夏生と美優は?」
妙子が軽く首を傾げた。
高山夏生と鈴木美優も珱子の友人だ。夏生は、日焼けした肌にポニーテールがチャームポイントのスポーツ少女。美優は長髪の和風な文学少女である。
妙子は活発的で、遥は大人しくても人付き合いは上手い。
そんなはっちゃけ集団の中では、美優は多少浮いて見えるかも知れない。しかし、それは尊の存在による違和感で見事粉砕される。
人を惹きつけつつも寄せ付けない尊が他人と慣れ合う様というのは、神が人の中に紛れるような違和感を生じるのだ。いっそ神秘的な光景と言える。
「それで、神楽ちゃんは?」
遥が、尊の席をちらりと見て問い掛けた。
「伊藤君と出て行った」
「誰?」
きょとんとして問い返したのは、妙子。本当に知らないといった様子だ。もう十二月を迎えたというのに、何故クラスメイトを知らないのか。伊藤恵一はどこまでも哀れである。
遥は流石に知っていたらしく、「クラスメイトじゃない」とフォローを入れた。
「時々、神楽ちゃんと話してるところを見るわ。私の斜め後ろの席で、美優の隣」
座席は皆大体固まっているのに、妙子と夏生だけ離れている。席替えした直後は、夏生が「ずるいずるいっ!これは何かの陰謀だ!」と散々駄々をこねたものだ。
実際は単純にくじ運の問題である。そうでなければ、担任か学級委員の陰謀しか有り得ない。
担任は陵山紗英という英語教師。年齢は二十代後半くらいで、独身らしい。美人、という程ではないが、結婚出来ないほど不細工でもないだろう。生徒からもそこそこに慕われている、普通な教師だ。
また、学級委員は男女各一名。
男子は早水信一。成績外見共に優等生だが、不思議な事に友達が多く人脈もあり、悪い噂は聞かない。
女子は坂口好子。成績はこれまた良く、強気で負けず嫌いな少女。社交的な性格のおかげで、人気者だ。中でも、五組の鈴宮真希子と大の親友で、四組の九条隆の事が好きだという噂があった。同じ中学出身の、三角関係だとか。
何にしても、容疑者達には動機も悪気も無い。
結果、くじ運の問題だ。
「ああ、あいつ、伊藤って言うんだ。初めて知った」
「……それも相当薄情だと思うわ」
ぽんと手を打って納得した妙子に、遥が呆れと溜め息を返す。
「うーん、でも伊藤ってどっかで……えっと、なんだっけ。…………………あ、思い出した!あのやたらめったら不幸な事で有名なあの伊藤君でしょ?」
妙子はけらけらと笑っているが。
「どこまでも失礼ね」
全く持って遥の言うとおりである。
「でもその通りよ。特技無し、根性無し、友達無し、ヘタレで哀れな少年、もとい〈可哀想な伊藤君〉。神楽ちゃんにも匹敵する知名度を誇るわ。色んな意味で」
「はる、あんたほど失礼な人を私は他に見た事が無いよ。妙子なんて目じゃないね」
「あら、本当の事よ」
「まあ、そうだけど」
真顔で参戦した珱子に真顔で反撃する遥。
そう、遥は、大人しいと見せかけて実は腹が真っ黒な毒舌少女なのである。本性を知った者は皆、「くそ、騙された!」と歯軋りをする。
「ふぅん、まあつまり有名人なんだね。尊ちゃんと伊藤君って仲が良いの?」
妙子が無邪気な笑顔で言った。
遥が遥なら、妙子も妙子だ。きっとこの二人だからバランスがとれているに違いない。遥の腹黒毒舌っぷりも、妙子の天然幸せ思考回路にかかったら、てんで効力を失うのだろう。恐らく周囲の目もそうして欺いているのだ。
「仲が良いっていうのは、どうなんだろうね。なんか友達っていう感じでも無いし…そう言えば不思議だ。はる、なんか知らないの?」
「この間二人が一緒にいるの見たけど、様子が……変だった」
遥が眉を顰めた。何かを訝るように。
「変?」
「……でも、私の思い違いかも知れないし……ごめん、気にしないで」
無表情のまま、遥は謝った。
彼女は基本ポーカーフェイスで、感情が読み取りにくい。考えてみれば、珱子は一度も、遥が笑った所を見た事が無い。
ただ、今わかるのは……。
(何か、隠してる……?)
遥は、何を見たのだろうか。
珱子は、少し靄がかった心を抑えて、尊が出て行ったドアを見つめた。




