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碧翠の使役士  作者: 白縫 綾
 Ⅰ:候補者たちの課題
6/18

2

お待たせしました。次回から四章に入ります。


訂正部分が多く、また伏線が増えた気がしますが……


不自然な点があったらお知らせください。             白縫

 碧翠使役団本部には大きく二つの棟がある。

 一つは使役動物たちが専用で使うもの。もう一つは、人間が生活し、仕事をする場となっている。そこの最上階にある、限られた者しか入り方を知らない会議室の円状卓に肘をのせて老人は口を開く。


「先ず、というのも変なのだが、既にあれは見たと思う」


 あれ、とは一枚きりの写真。彼が見たその風景が収められたもの。皆が食事を終えたのを確かめてから、木佐原が回し始めたもので、此処にいる者はその中身を知っている。


「……これだな」


 丁度机の上にあったそれの端を摘んでひらひらとさせる天堂に有村は頷く。


「意味は分かるか。読み取れるか」


 この異常さが分かるか。どれ程我等の脅威となるか、理解できるか。

 誰も、何も言わなかった。だが皆、分かってはいた。ただ、それが酷く非現実的に感じられたから言葉にできなかったのだ。


 不意に小さく、声が響く。それは猫梨のものだった。


「――白の大型種。群れ以上の群れを率いて、いずれは此処にやって来る。わたしたちは戦わなければいけなくなる」


 それでも続く沈黙を破るように澪が言う。


「……しかし、これまでこんなことは無かった。私の持つ過去の情報に間違いが無ければ、これは初めて

の出来事なのだろう。文献による対策が無いから私からは何とも言えんが、我等自身で対策を講じ、備えるべきだろうな」


 もっともな意見だった。

 有村が難しい顔をして一点を指し示した。


「奴らは多い。五十、いや、百はいると思ってかまわない。殆どは中型種、率いているのは、この“白”」


 とん、と静止する画を指で弾き音を鳴らす。


「ただしこの数だ。進みは非常に遅いからこちらが準備をするだけの時間はある。その点では有利と、そう言えるのだろうな」


 有村は言い、全ての隊に指示を出す。


「第十研究部隊、第九研究部隊ははっきり言って戦力にはならない。第八部隊の乾たちは刃物の類はお手の物だろう、サポートをしろ。第十部隊の者たちには第九部隊から連絡して、奴には隠せるだけ隠しておけ」

 第八調理部隊の戦える者は主戦力として前線へ。それ以外はいつも通りの通常作業。

 他第四・第五鍛冶部隊、第六・第七処理部隊は全員前線へ。


「そして一から三までの対竜専門部隊。第二の水上は不在だが、連絡(トリ)は送ったからいずれ来るだろう。だから今いるお前らにだけ言っておこう――天堂はいつも通りにしていて構わない。いざという時には新入りの舞川も使え」


 これは命をかける仕事だということを、あの少年は理解している。あの目の中に宿るものを有村は知っている。


 しかし彼と同じくらいの年齢の少女は、どう思っているのか。


「そして第一部隊」


 そう思いつつ有村は猫梨に顔を向けた。

 少女は目だけで返事をする。何でしょう、とでもいうように一回、瞬きをする。

 その若草の目を見つめ、他の者から見ればおよそありえないようなことを有村はを口にした。


「猫梨――お前の部下だけだ。自身を決して動かすな。前線に出ることを禁ずる」


 それは思いがけない言葉だったに違いない、と猫梨は思う。自分は今頃、驚いた顔をしているのだろう、とも。


 つい何時間か前の話を思い出す。その時、有村はこう言った筈だ。ここには三人もいるんだ、自信を持て、と。

 若くしてその才能を認められ、信頼を勝ち得ることで“虹色”の一員となった木佐原と、一見は老人だが未だその力は衰えないまま長官を務める、かつての競技場の覇者の有村。

 彼らに比べたら、自分はなんてちっぽけなものだろう。

 無論、それなりに強いという自負はあった。実際に見せたことはあまり無いにしても、大抵の者は捻じ伏せることができる。しかし使役動物についての情報がなく、普段は戦うこともない。だから他隊員たちに疑いの目を向けられるかもしれない。

 それでもこの非常事態、当然のように竜と戦うものと思っていたのだ。


「……何故です」


 短く発せられた疑問に有村は言う。

 お前が一番その理由を知っていると。


 木佐原は思わないのだろうか。猫梨は彼をそっと見た。

 髪と同じ、栗色の双眸がこちらを見ていた。視線がぶつかる。

 猫梨は口には出さず、ただ目だけで問う。

 三人が二人になる。それで竜の侵攻を食い止められるのかと。

 それが伝わったのかは定かではないが、木佐原は目を伏せた。

 彼自身、おそらく分かっていないのだと思う。体感したことのない数を相手にすること、そのことを曖昧にしかイメージ出来ないのだろう。

 そしてそれがきっと、正しいのだ。


 不意に、猫梨は笑みを浮かべた。注目していた九人が、その表情に目を見開く。

 それは無邪気で子供らしい笑みではなく、何かを悟りきったような、そんな顔だった。


「……それが望みなら、そうしましょう。隊の指揮は市谷に一任します」


 鈴音ならうまくやってくれるだろうと猫梨は思う。仲間を扱うこともお手の物、他の者からの信頼も厚い。今回の会議は各隊に今の現状を伝えるためだけにあるのであって、戦略を決める作戦会議も多々ある筈だから、間に合わない、ということはないだろう。


 本来ならば彼女が隊長になるべきだったのだと、猫梨は思う。

 鈴音は、一隊長と同じくらいの実力があり、隊長候補として名も挙がっていたことがある人間だった。しかし本人が嫌がっているために、それに甘んじられる。上の権力を行使して自身の情を秘匿している、それだけのことなのだ。

 年端の行かない少女よりも、そちらの方が他の部下たちも力強いと、そう思うだろう。


 猫梨は服にとりつけていた通信機を取り出し、電源を入れて呼ぶべき相手が出るのを待つ。それは程なくつながり、聞きなれた女性の声がした。


『……隊長。何処にいるんですか』

「そのことなんだけど、今からわたしのところに来てほしいんです」

『……理由は何でしょう、というか何処にいるんですか』

「来たら教えてあげるねー」

『……ちょっと、隊ちょ』


 用件だけさっさと伝えると、慌てる声も聞かずに電源を切った。

 向こうで彼女が呆然としているのが目に浮かぶ。

 その行動を天堂が呆れた様子で見つめていた。


「酷いな」

「それが人間です。……あ、天堂さん迎えに行ってあげてください」


 隠された場所を案内する者がいなければいけないからだった。

 彼が会議室を出る間際、無言に見せかけながらぼそりと呟いた言葉を猫梨は知っている。


「その上人使いも荒い」


 そうかもしれない、と思った。




 比較的早く、彼らはやってきた。開いた扉から入る二人を認めると、猫梨は腰を浮かせる。

 天堂は情報のことを考慮してか、丁寧にも同行者に目隠しをしていた。


「鈴音、早かったですね……ここに座ってください」


 布を外された鈴音に自分の席を譲ると、彼女は不思議そうな顔で辺りを見渡す。その様子を見て有村が破顔した。


「お前の観察眼も中々だな」


 猫梨はにこりと笑う。


「今更ですか?」


 慣れない環境に驚きつつ、鈴音は隣にこそこそと尋ねる。


「……ちょっと、どうなってるのよこれ」

「知らん」


 答えない天堂につれないわね、と口の中で呟いて彼女は有村と猫梨に問いかけた。


「一介の使役士にすぎない私に、何の用があるのです?」


 ため息をつきながら言うと、途端に少女は真面目な顔になった。


「笑っている場合でもありませんでしたね。……状況説明はわたしが後でちゃんとします。だから鈴音は

今は、わたしの代理を務める、そのことだけを確約してください」


 それは即ち、隊長の指揮権が自分に委ねられたということであると瞬時に理解した。

 そして、権限を託す相手に一番最適であるのが、至って普通の人間であることにも。


 今回はそれが市谷鈴音という一人――自分だったというわけだ、と知ってしまう。


「……こんな私が出る幕があるほど切迫しているのですか」


 その言葉に有村は思う。


 彼は、この使役士が自分を周りより格下に、卑下する傾向にあることを知っていた。

 自分に厳しく、自分を決して許さない。それが過小評価であると本人が気付いていないからこそ、彼女は信頼されている。


 今も昔も、人間の持つ本質はいつまでも変わらずにその時を生きている。教え子たちも己もそれはきっと変わっていないのだろう。


「市谷、事態は思っているよりも深刻だと思ってもらっていい。お前なら可能であると信じて

いる」


 何が、とは言わない。

 鈴音には嫌な予感しかしなかったが、それでも頷いた。


「お受けしましょう。一時の間、隊長の代理を務めさせていただきます」





 それからは特別変わった出来事も無く、議事は滞りなく進み、次の会議の日程だけを知らされて場は解散となった。


 皆が立ち去っていく中、鈴音は座り込んで空を見つめていた。彼女は他隊長たちのように、既に全てを知っていた。

 まだ立ち上がっていなかった天堂が椅子をくるりと回して彼女のほうを向く。


「緊張するか」


 何故そんなことを聞くのか。疲れがにじんだ顔で彼女はため息をついた。


「……当たり前じゃない」


 小さな声で呟くと、手で顔を覆った。肩までの黒髪がさらりと動きにあわせて揺れる。


 いつまで経っても不器用だ、と天堂は思う。

 彼女はどのような時に壁を作ればいいか、素をさらけ出したらいいか全く分かっていない。人前で無理に完璧であろうとするからぎくしゃくとした動きになり、思ったことが言えない。


 今、不安をさらけ出すこの状態が、市谷鈴音という人間の本物の一片であると彼にははっきりと分かっていた。それは長い付き合いであるからこそ見えるものだ。


 天堂は立ち上がりざまに彼女の頭をくしゃりとなでた。


「ちょっと、何するの」


 抗議する声に構うことなく言う。


「これからしばらくの間、よろしく頼む。ほら、帰るぞ」


 いつの間にか場に人はいない。今回は気を遣ったのか、錆色の少女の姿もない。

 扉を開けると、栗色が視界に入った。

 壁に寄りかかってにやにやと笑う友人を認め、また聞いていたのか、と目で問う。

 鈴音は再び目隠しをされているために木佐原がいることを知らない。華奢な体を歩かせつつ嫌そうな顔する天堂は、今にも笑いそうな友人の頭を無音で殴った。


 通路を無事に抜け、鈴音を帰らせた後に木佐原が遅れて隠し通路から出てきた。


「お前も大概不器用だろうよ」


 第一声がそれだった。

 やはり聞いていたらしい。彼は嘆息した。


「分かってるさ」


 天堂は、自分が彼女と同じくらいそうであること位は理解しているつもりだった。

 だが一方で、知らないこともある。

 いつもより早足で廊下を歩きながら彼女が言った言葉も、


「……ばか」


 そして、目尻の涙を拭いながら、淋しげな顔をしていたことも、知ることはない。



 澪と共に金鎖を回収してから猫梨は隊の部屋に戻る。

 歩きながら、取り留めもないことを考えていた。

 何故自分がこの戦いに参加することが出来ないのか。何故そうすることを咎められるのか。

そして、自分は一体何なのか。その全ては有村が言ったように、理由は己が一番理解していた。だから自ずと諦めなければいけなくなると薄々予感はしていたし、実際そうなった。いくら大の大人以上に強くとも、使役士たちのなかで一、ニを争う強さであろうとも、人間は完全ではない。完璧な人間などこの世にはいない。皆どこかしらに欠陥、若しくは陰の部分を隠し持っている。


 ただ自分の場合、それは人には見せられないものであるということは自身が一番知っていた。

 だから自嘲というどこか冷たい感情で、自分を嘲笑った。もどかしくて、しかし何も出来ず、自由になるための術を持たない自分を実感する度それを顔に浮かべた。使役士の隊長のみ付けることがきまっている金鎖は、がんじがらめにこちらを縛ってくる。そこに自身の意思はない。

 今回だって、そうだった。


「おかえり。猫梨ちゃん」


 猫梨が扉を開け、するりとの部屋の中に入るともとからその場にいた女性がそう言った。


「ただいま。麗さん……お酒は飲んでないんですね」


 普段、この時間帯は夜酒と称して必ずアルコール臭を漂わせている彼女は不満げな顔をし、姉が来たから、と理由を言った。


「さっき帰ったけれど、多分入れ違いになったんじゃないかと思うの。久しぶりに来たと思ったら瓶を押収してさっさと帰るんだもの、本当に困るわ。何だか居心地が悪くて」


 水で我慢しているらしく、いつもは必ず酒が満たされているグラスは透明だった。嫌そうにそれを口に含んでいる様子に、何故か猫梨は顔がほころぶのを感じていた。

 どうしてだろうと考え、思い当たった。

 これが毎日の中にある日常の一端だからだ。


 ――そして、これこそが。


 そう思う時は長くは続かなかった。

 再び扉が開き、入ってきた人を認めて麗は声をかける。

 この場に来るのは一人しかいない。


「鈴音、遅かったわね。寄り道?」

「どこにそんなことする余裕があるのよ」


 ほぼ即答の速さで答え、手近な椅子に腰をおろす。話を切り出すために口を開きかけたのを片手で制して猫梨は行き際に外したそれを手渡した。


 金鎖だった。


 それは責任に縛られることを忘れないようにする、いわば戒めのようなものだ。

 澪の言うように、その存在を“認証”するためというような役割もあるにはあるが、そもそもの始まりは、忘れてはいけないことを留めるために作られたものであると、入隊時にそう告げられたのを覚えている。 

 渡して、猫梨は麗の方に顔を向けた。


「麗さん、これから戦いがあります。竜と……わたしたちとは相容れない敵と、本部の使役士

全てが総動員されます。――わたしたちは戦わなければいけません」


 いきなりの話題にも関わらず彼女は静かに頷いた。

 落ち着いた様子から、既に知っていたのだと理解する。


「先刻姉が言っていたわ。簡単にしか聞いていないけれど、猫梨ちゃんが何らかの理由で戦うことを禁じ

られたのも知ってる。でも……」


 苦笑した。


「皆忘れているような気がしてならないの。隊長の候補者選び、このままじゃ忘れられたまま終わるのではないかしら。この緊急事態、課題が中止されない方がおかしいでしょう?」


 候補者にはかわいそうだけれど。

 そう言った彼女の中に憐れみはなく、寧ろ楽しげで、場にはそぐわない笑みだった。

 それを見て、猫梨は問う。


「麗さんは、……」

「何?」


 ――これからの事が、怖くありませんか。

 いいえ。何故?

 ――だって、そうでしょう。これまで例がないことは、未知ということですよ。

 ……何故かしら、ね。姉も難しい顔をしていたし、これがわたしの悪いところかもしれないけれど、怖くないの。

 ――死ぬこともですか。

 ええ。だってわたしたちはそうならないように生きて、今まで多くの訓練を続けてきたのだもの。そうじゃなくて?


 二人の静かなやり取りを聞きながら、鈴音は徽章に金鎖をつけた。

 酒のみな同僚には、何かしら言われると思っていたから、拍子抜けしていた。

 それを指先で弾いてみる。

 小さく澄んだ音が響いて、光りながら軌跡を描くその様子を見つめ、何故か外に出たくなった。


 窓越しの外は暗く、星が瞬いている。

 未だ話し込む二人を尻目に、部屋を出た。



『施錠、解除』


 許可証をかざし、電子音と共に足を踏み入れる。急いでいるわけではないため、廊下をゆっくりと歩いて目的地に向かう。


「……起きてる?」


 扉を静かに開けて中に入ると見つけた、大きなそれの頭をそっと撫で、鈴音は語りかけた。

 黒の彼女の相棒はそれまで眠っていたように閉じていた瞼を開けて、頭をもたげる。


『悩み事だろう』

「ええ」


 体に背中を預けて、暫く黙りこむ。何も見ていないようでその実頭上を見上げる瞳には何が映っているのか。

 虚空を見つめる彼女は、一時の間をおいてから唐突に尋ねた。


「ねえ、ライル。竜って何?」


 その声音が迷いを含んでいることに、ライル――相棒である黒の狼は気付いていた。

 とうの昔に失われた、しかしそれでも残る日の言葉を思い出す。


 *


 『大丈夫、怖がらないで。私が素敵な名前を付けてあげるから……』


 相棒として選ばれたライルがライルという名前を授かった時、その場に居たのは四人の人間、そして多くの動物だった。

 幾多の生き物の中から、彼女はライルを選んだ。



「本当にいいのかい?大型種だがおそらくこれは虚弱体質。元気なものを選べばいいものを」

「……鈴音かいいならいいんだろ、自分で選んでるんだ。黙ってろ」

 

 初めは二種類の男の声がした。片方が大袈裟にもう片方を非難しているようだった。


「うわ、天堂酷い」


 声は上から降ってきていた。その頃、ライルはまだ言葉の意味を理解しきれていなかったし、理解しようとも思っていなかった。ただ寒いと、それだけを感じていた。


「いいのよ別に。丈夫さなんて関係ない。直感的に感じただけだけれど、これが私の相棒にな

る。そう思うの」


 今度は女の声だった。

 何かに、下から掬い上げられるように、持ち上げられて、あっという間にライルの視界は広がった。覗き込んできた黒の双眸はきらきらと嬉しげにこちらを見つめていた。そして、身体を支えるために添えられた手はとても温かかった。


『大丈夫、怖がらないで』


 一瞬視線が交わった後ににこりと笑い、紡がれたその詞をそれが忘れることは、おそらく一瞬であろうとないだろう。それ程までに、ぼんやりとしていたこれまでの生をより鮮明に、より鮮烈に感じさせた時だった。


「素敵な名前……ってさ。鈴音のネーミングセンスが無いのは知ってるけど」

「さっきから何なの、沙紗。失礼なことばかり言って。もう決めてるのよ、このコの名前」


 そう言って黒い犬の風をした小さい動物にほお擦りする彼女を見た天堂は、己の選んだ相棒に目を移して囁いた。

「クルル、宜しく頼む」

 その名前の通りに、雛はくるると鳴いて喉を鳴らして返事をした。



「天堂のも可愛いわね。勿論私のライルには勝てないでしょうけど」

「……別に俺はお前と相棒の可愛さで競争しようとは思っていない」

「あら、そう」


 *


 昔、そんな会話を交わしていた彼女が使役士という職業を夢としていること、そして己を命をかける仕事だということを承知した上で当時のライルを相棒とすることを決めたのだということを、随分後に聞かされた。言葉では言えないほど驚いたのを覚えている。

 これ程までに弱い自分に命を任せようとしていたのかと。

 しかし、それは過去の話だ。

 彼女は夢を叶えた。ライルは彼女の相棒として立派に仕事を果たしていた。今では強い絆が間にあり戦場に立たない時は常に彼女の支えとして、相談されるものとしての役割を果たしていた。


 鈴音は憂鬱そうな表情で寄りかかっている。彼女がぼんやりするのは、はっきりいえばらしくない、そんな行動だ。

 華奢な体躯は今見るととても小さく、覇気がない。


『悩み事だろう』


 そう問うた。

 彼女は、自分の相棒は、そのために此処へ来たのだ。その理由は完全には知らないが、彼女の身につけているものがいつもより一つ多いことから大抵のことは理解できる。


「ええ……」


 憂えた顔を見えることのない空に向けている。先程からそれの毛を弄る手は止まっていない。その様相は意味もないことを繰り返す、まるで抜け殻だ。


 ただそれが、彼女が困惑して、同時に何も考えられなくなった時にとる行動だと知っているから何も言わずに、彼女が話し始めるのを待った。

 暫くしてぽつりと吐き出されたものは、あきらめたような、それでも聞かずにはいられないような、そんな響きを持っていた。


 ――竜って何?


 それは聞いて知ることではなく、己が身をもって知らなければいけないことなのだ、と問われた狼は思った。周りの見解で納得するのではなく、己の目で、己の全てで捉えなければならないこともあるのだ、とも。

 以前、彼女と同じような言葉を一人の少女にぶつけたことがある。

 少女は、今ライルが思っている通りの返答をし、何も教えてはくれなかった。


 この考え方は影響だと、自覚している。その面では他人の見解に依存している己が相棒に対して言える事ではないのかもしれない。

 しかしいつか、自分の意思で物事を決める日が来る。今は自分の思いを模索しているのだ。 


 静かな夜に、一瞬荒々しい音が混じる。

 壁を隔てた外が荒れている。今の空は騒がしいようで、顔を上方に向けると細かい音も聞き取れる耳が自然の呼吸を感じ取る。


 竜が来る。

 多くを引き連れて、竜が来る。

 鈴音はそれだけを相棒に言った。


 ライルの中の何かが、滾っていく。 

 おそらくこれを、人は「本能」と呼ぶのだろうと、半ば他人事のように思った。


 *


「おやすみ、猫梨ちゃん」

「おやすみなさい、麗さん」


 一方で、二人は女性寮、二階にある自室へと向かっていた。

 隣で生活している麗の部屋の扉が閉まるのを見届け、猫梨もまた、自分のみの世界に入った。

 一緒に部屋へ向かうとき、鈴音は側にはいなかった。猫梨は目の端で彼女がそっと出ていったのを捉えていたが、あえて気づかないふりをしていた。

 彼女には彼女自身の考えがある。いつか帰ってくるだろうと、思っていたからだった。

 何とはなしに、麗のいる方向とは反対の壁を眺める。

 使役士たちには、本部の中に彼らの生活の場――寮が設けられている。

 女性の部屋は二階に、男性の部屋は一階というように分けられている。

 もちろん猫梨の寝起きする場所も二階であり、そこは一人分の小さなスペースしかない。


「……ふう」


 一人になって、そっと息を吐いた。

 隊の部屋にもないのだから、勿論個室にも冷房などという便利なものは取り付けられていない。熱気のせいで否応なしに滲み出てくる額の汗は気分が悪くなる。

 窓を開ける。入ってくる風に目を細めた。

 暑い夜だが風は吹いていたらしく、温い気流が草の臭いと共に部屋の中に入りこんでくる。


 猫梨はこの瞬間、むせ返るほどの草の臭いが鼻孔を満たすときが好きだった。

 しかし、これ程風が吹くのは、


「……予兆、なのかな」


 珍しい出来事だった。

 何故か小さく笑いがもれ、猫梨は星の瞬く空を見上げる。その間、耳に響くのは轟々と鳴る風音のみだ。もともと聴覚が優れている猫梨には、それは何倍にも増幅されて聞こえる。

 しかし、それが不快だとは思わない。

 風の訪れは、竜の訪れともいわれていた。

 それが事実の物事だということは、最早知らぬものはいないと言っても過言ではない。いつ発見されたかも分からないが、昔からそう人々に言われてきた。だから使役士たちもいつ仕事が来るか、大体の見当がつくのだ。

 

 通常は三・四体でそよ風が吹きつけてくる程度だ。ならば今の状態はいくらくらいだろうか。


「ざっと五十、それかそれ以上?」


 猫梨は自問し、そうだと自答する。

 有村が証拠とした写真もそれを示している。間違いはない。

 しかし間違っている、と猫梨は過去を振り返る。


「カイ爺、三人で、って言ったよね」


 嘘つき、と呟いて少しだけ笑い、その後少しだけ泣き、しかしすぐに涙を拭いた。

 再び呟く。


「……好い夜」


 風が吹いていた。

 誰の、どんな声をも掻き消してしまうほどに強く、強く吹いていた。それは使役士たちにとって未知の体験の始まりともいえる夜だった。 しかし少女にとってのその時は好い夜だった。

 風が強く吹く音は、猫梨の小さな声をさらい誰にも聞かれることなく消えていった。



 ――それと同時刻。

 一羽の鳥が、夜色の空を飛んでいた。

 碧翠使役団より遠く離れた、しかしグラール草原の一部である場所。緑の中に、ぽつりと建つ夜営用のテント。火が起こされており、人の住んでいる気配がある。

 そこの地面に、一人の男が寝そべっていた。鳥が羽ばたく時の、ばさりという微弱な音を聞き付けたのか、目を開ける。


「…………」


 視界に捉え、それがゆっくりと降下していく様をずっと見ていた。

 鳥は手紙を掴んでいた。封筒に描かれたその模様を見つけて、男はそれが自分の所属する場所から来たものであると知った。

 鳥は地に降り立つ。男によって手紙を外されると、用は済んだとばかりに去っていきすぐにいなくなった。


 再び一人になって暫くして、男は大きく息を吐いた。

 一時起こしていた体を倒す。片手に持っていた紙が地面に投げだされる。

 封筒の中身を見たのだ。


「……帰るか、な」


 その時がもう、来たか。

 男が体を起こすと、その場に小さな金属音が微かに響いた。同時に、そよと吹いてきた風がその黒髪を揺らした。

 手放していた紙は何処かへと飛んでいく。

 

 男は思う。

 遠い場所で、夜空を見上げているであろう者のことを。


 ――猫梨。


 あの少女に、何を言えばいいのか。

 一人で途方にくれながらも自分の思いを模索し、思ったことがある。

 彼女には、意味を違えてほしくない。

 自らを知って、留める。そのことを、己の在る意味を忘れてほしくなかった。

 そして、彼は友人のことを思う。

 夜空を眺めて夜更かししていた猫梨がちょうど眠りに落ちた頃でも、未だに自室に帰っていない天堂のことを。



 その頃の天堂は電気を消した暗闇の中で椅子に座り、何かを考えていた。

 彼の部下たちは既に寝たあとで、そこには時折漏れる一人分の息遣いと、強風に揺れる窓ががたがたと音を立てているのみである。

 話す相手もおらず、ため息ばかりがこぼれた。その原因は、有村が言ったある一言からだ。


 ――沙紗が帰ってくる……


 いつもしかめられた顔がますます険しくなるのを天堂は感じていた。

 第二遠征専門戦闘部隊。迅速に出撃できる地域の範囲外を常に移動し続け、見つけ次第殲滅するという面倒極まりない作業を延々とする者たち。そしてそれを指揮するのが隊長の水上沙紗、使役士を育成する学舎で鈴音や天堂と同じ班になった友人だった。



「……何というか」


 嬉しいような、嫌なような。複雑な気分だった。

 これから面倒なことが多発することを予想しながらふんと鼻を鳴らすと、椅子を回転させて背後の窓を見た。月が出ているお陰で外は少しばかり明るい。

 目視でも風の強さが確認できた。何の感慨も無くそれを暫く眺めて、はたと気付く。


 この強風で帰ってこれるのだろうか。

 天堂の唯一の心配事である。第一部隊の戦力が欠けるのは若干気になる所ではあるが、それで大人しく引き下がるような奴ではないことは付き合いの長さから十分承知していた。

 が、その上で第二部隊が帰ってこないとなれば、指揮はほとんど自分に委ねられるということになる。


 しかし、それでもなるようにはなるのだ。


 未来のことは現在は分からない。

 ならば考える必要もない。


 天堂は、無駄なことはしない主義だった。半ば思考を放棄して伸びをする。今はつかの間の平和を楽しむようにしようと決めたのだった。
















 



――


――――


――――――……本当は共に戦いたいのでしょう?


 声が、言った。


 わたしには分からない。自分の気持ちが何なのか。

 偽りを見せつづけたわたし。今更本当の自分を見せようといっても、そんなのは偽りに埋もれてもう見えない。


 ――自分に正直になりなさい。そうしなければあなたはきっと後悔するわ。誤った運命を辿って、そしていつかは……


 言い返す。


 あなたに何が分かるの。運命?後悔?そんなのはわたしが決めること。大体、あなたは誰。わたしの人生に何で口出しするの。

 何も……何も知らないくせに。


 ――それでも、私はあなたを誰よりも思っている。

 知らないでしょうけれど、忘れないで。わたしはあなたを、


 それきり声は沈黙した。その後は何も言わなかった。暫くして、名も知らぬ誰かと話をしていた彼女は目を開けた。先刻の感情とは正反対に、ゆるやかな目覚めだった。

 しかし、彼女自身はそれを忘れている。


「……何の夢を見てたんだろう、わたし」

 指に絡まる錆色の髪を梳きながら、呟いた。

 答える声はなく、少女にも詰る相手はいなかった。








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