『異端達 / 世界の果て』
まとめました。
少し付け加えあり。
「そもそも、隊長って鍛えたりしてます?」
「んー?隊長は基本鍛えてますよ」
「……いや、言い間違えたわ。あなたに聞いたつもりだったのだけれど、緑央隊長」
じりじりと肌を焼く太陽。触れただけで火傷しそうなほど熱を持った窓ガラス。
その近くで、陽光に照らされる場所にある机に突っ伏する一人の少女がいた。
――……暑い。
「何で冷房ついてないんだろう。赤字だからかな」
だらだらと手を動かして書類の作成をする猫梨に、鈴音はきっぱりと言った。
「そんなこと言う暇があったら手を動かしなさい」
寒くもなく、むしろ暑いくらい位なのにびくりと体が一瞬震える。
「……了解……でも何でそんなこと聞くんですか?」
そんなこと。
最初の問いのことだ。即ち隊長は鍛えているのか、という疑問。
何故そんなことをを言ったのか。
問い返す猫梨に、鈴音は至極当然のように答える。
「そうすれば、その贈り物の量も減るのではないかなと思って。それに、酔っ払いがずっといるのも困りものでしょう?」
その視線の先にいるのはこの暑さにも関わらず純白の長袖のコートを着こんで酒を煽っている女性。
最近いつも見る光景になってしまっても、苦笑を隠さずにはいられない。
「麗さんは本当にお酒好きですよね。弱いのに」
「未成年者の贈り物には不適切だと思うの。麗、そろそろやめなさい」
軽い気持ちで、何気なくボトルに手を伸ばして取り上げようとする。
と、その手をがっしり掴まれた。
鈴音はかまわずもう片方の手で取り上げる。
「あら、あんまり飲んでないみたい」
驚いた表情になった鈴音はその後すぐに、さっと顔を固くした。
「……忘れていたというかなんというか。酒を飲むと乱暴になるのよね、この人。でも同僚に得物を向けられるのは微妙な気持ちだわ」
「鈴音は肝心なところで抜けてますから」
多少の緊張感を持つ鈴音を、のんびりと猫梨は見つめて欠伸をした。
「……放置する気?」
「わたしが助けるんですか?やめてくださいよ、そんな度胸ありませんって」
しかしそれでも、嘆息しながらでも。少女は静かに立ち上がる。
普段は温厚で女性の鑑ともいえる麗が目を据わらせて己の使用武器である火器――拳銃を同じ隊の仲間である鈴音に突きつけているのは、正直見ていられない。
酔っ払って精神的な制御が聞かなくなっているものの、鈴音がボトルを取り上げる一連の動作で彼女も同時に動いたと考えれるのだから少々厄介だとは思う。だがそれも、後ろを取ればいい話で。
猫梨は音もなく椅子から立ち上がると、軽やかに部屋を駆ける。
枯れ草色の残滓が鈴音の目の端を掠めていく。
「酔ってる人って、簡単に昏倒しますよね。楽でいいです」
前もこんなことあったな、と言いながら一仕事終えたようにうんと伸びをする少女は、落とされた拳銃をしげしげと見つめて呟いた。
「麗さん、本気だったみたいですね。撃鉄が――」
「……いや、言わないで」
……なんか一気に疲れた気がする。
鈴音は緊張で肺に溜まっていた吐息を微かに吐き出して、内心そう思いながら己の上司に声をかける。
「心配事はなくなったし、訓練場に行きましょうか」
暫く後。
「ただでさえ暑いのに。ここ暑い。暑すぎる。そして汗臭い」
「仕方ないでしょう。そういう場所なんだから」
無理矢理眠らせた、否、昏倒させた麗を置いて二人は訓練場の門の前に来ていた。
鈴音は、扉が閉まっているというのに既に汗臭いと文句を言う上司の隣に立って彼女を諫めている。
ここに来たのには理由があった。
彼女曰く、
“手練れの者は絶対と言って良いほど訓練場にいる。そしてその者たちの中には必ず候補者たちがいる。候補者たちは情報が欲しい。即ち、あなたの使役動物についての情報。使役士はそれぞれの相棒と戦うのに一番適した動きをするらしい。戦い方を見せることがヒントになるはずであり、そうすればぼんやりとでもその謎に包まれた使役動物の輪郭がぼんやりと浮かび上がってくるはずなの”
そうすれば、贈り物という名の情報収集も減っていくはずなのだと、そう語られた。
なるほど、と感心する。それならば確かに減るだろう。
しかし、
「……本当にいるんでしょうか?」
「確実にいると思うわ。戦闘専門の隊長があなたと天堂しかいない今、彼らの相手をするのはあいつだけ。そして今の時刻はあいつが訓練をしている時間のはずよ」
それって、もしかして――
「わざと見計らってたりは、」
「そういうわけじゃない。ほら、さっさと行きますよ」
先をすたすたと歩いていく彼女を慌てて追いかけながらも、猫梨は顔の緩みを押えることが出来なかった。
思わず、くすりと笑い声が漏れる。
――耳赤いです。ばれてますよ、鈴音。
そして、訓練場の中に通じる扉を二人は開けた。
木が軋む音を捉えて振り向いた彼は、やはり天堂だった。
「お前……」
訓練場に訪れた二人を見つけ“訓練場に来るなら自分の仕事くらいこなせ”と呆れを混じえて言う彼に、猫梨は言い返す。
「普段は使ってないじゃないですか。ここ汗臭くて嫌なんです。それに、今回は感謝して下さいよ天堂さん」
――今日は候補者さんたちの相手をしようと思ってきたんです。
そうにこにこしながら前の男の様子を窺う。
言った途端にいつもの眉を顰めていた。
「まあ確かに俺の負担も減ることにはなるんだがな」
その意図を理解した天堂は面倒そうに指である一点を指し示した。
こちらを食い入るように見つめる者が、数人。
……もしかして、あの人たちですか。
無言で、表情のみでそう尋ねると、彼は頷いて大きくため息をついた。
「執着心が強いんだよな、あいつら」
小声でそう言い、その候補者たちを手招きした。
「お手柔らかに頼む」
勿論、去り際に少女にそう囁くことを忘れずに。
そして前に集まった彼らは、四人。
見事に全員そろっていた。
――鈴音の言うとおりだった。
その言葉が的中したことに驚きつつ、猫梨は彼らを観察する。
「ふむ」
体格、顔つき。纏っている気やこちらに放たれる鋭い眼光をものともせずゆっくりと吟味する。
しばらくしてから、彼女は口を開いた。
「そうだね。君たち四人でかかってきていいよ」
まるで挑発。
しかし四人は何も言わず、少女の様子を窺う。
一呼吸の間。
――そこまで頭に血が上ってるわけでもないのか。
ならばこれは本気の証。普通に開始しようと、猫梨は口を開いた。
「じゃあ……始め?」
その声が疑問形になっていたのは気のせいではないと、鈴音は思った。
*
彼らは上手い具合に分かれていた。
一人は剣を扱い、一人は銃を扱う双銃士。そして残る二人は体術の拾得者。
同時に攻撃することもあれば、入れ替わるようにして相手の隙を突こうとする。
それは見事な統制。あまりに流麗であり、無駄なところのない動きである。
しかしそれを乱すようにしている影が一つ。候補者たちの間を駆け抜ける枯れ草色の残滓。
――速い…………いいえ、そうじゃない。これは、柔らかいとでもいうべきなのかしら。
滑らかで、鋭さや硬さをどこかに置いてきたような、自然な動き。
しかしそれは完璧に近すぎて逆に危うく、儚げにもみえた。
一人が銃の引き金を引く。空気を無機質に響かせる乾いた音。
目を閉じる間もない一瞬。しかしそれでも。
少女は身を捩ってかわして見せた。
その後方には剣を持つ一人。大上段にそれを振りおろす。しかし剣が穿ったのは硬い床のみで。
その更に後方に猫梨は立っていた。
彼らを挑発するように彼女は言う。
「これが、君たちの本気なのかな」
涼しい顔で、普段とはどこか違う落ち着いた声音で佇立する。息は少しも乱れてはいなく、余裕だということがそこかしこから窺える。
候補者たちの視線、殺気が一段と強まると同時に緊張の気も高まっていく。
猫梨は静かに息を整えてその時を待っていた。
待つ者と向かい行く者。
それぞれが交錯するその時――
それが訪れることはなかった。
「待て」
低い声に制されて。否、気圧されて、の方が正しいか。候補者たちは動きを止めてそちらを見る。
何故こういう時に邪魔が入るのだろう、と猫梨はよく思う。しかしその声は彼女にとっては嬉しい存在の声だった。
彼女はぱっとそちらを向いて嬉しげに手を振る。
そこには先ほどまでのものが見えることはない。いつも通りのお転婆な少女の仕草だ。
「カイ爺、お久しぶりです」
突然の来訪、突然の帰還。
数年に一度位しか本部に帰らず、その権限の全てを木佐原に託した気ままな使役士。
鈴音が驚きに漏らした声は掠れていた。
「……長官殿。お帰りでしたか」
使役士たちの中でも一、二を争うほどの強さ。即ち、最強と謳われる少女がカイ爺と呼ぶ老人、有村海。
その後ろに従いながら、木佐原は先ほど見たその光景を脳内で再現していた。
副長官として、それなりの技能を持っているという自負がある彼も人の知らぬ場所で少女と一度戦ったことがあるから分かる。
――あの雰囲気は明らかに演技だった。
擬似的な殺気。見せ付けるような動き。
本当の彼女はそんな優しくない。
あの恐ろしい“気”は偽りだ。そしてそれに気付いていない彼らはいつそれを知るのか。
「猫梨、来い」
しわのある手で少女を招き寄せた老人は、周りから見ても明らかにそうと分かる険しい顔でもと来た道を戻り始めた。
彼らに背を向け、有村の後を追いながら歩く木佐原の横に猫梨は並ぶ。
「……かなり怒ってるっぽいですね」
そう言うと、彼は肩を竦めて小さい声で言い返した。
「僕が言える事は、こんな時に君は動くべきじゃなかった、ってことだよ」
*
連れて行かれる少女と副長官の後ろ姿を見つめていた彼女は、こちらに近づく姿に目を留めた。
「……天堂」
すぐ横。女の中では十分に高いと思っている身長のその更に上から、懐かしい声がする。
「鈴音、意図はよく分かるぞ」
何の前ぶりもなく彼はそう言ってくる。
――そんなこと、分かってるわよ。これが駄目なことだってことでしょう?
「意図は分かるがそれは公平じゃない、って言いたいのよね」
「よく分かってるじゃないか」
これまでの候補者たちよりも状況が有利になるという危惧。
しかしその面での心配は無用だと鈴音は思っている。そして、それはおそらく天堂も感じていることだ。
「あの娘は、一体何なのかしらね」
少女のあの戦闘の仕方。それにはまるで、型というものがなかった。
――これはどういうこと?
この状況のみを見れば、彼女には使役動物がいないと見て取れる。
しかしその真実は。全てが闇に内包されているかのようにつかみ所のないものだった。
「真実は何処にあるのかしら」
鈴音は呟き、見えなくなった上官の辿った道を歩き始める。
「戻るのか」
そう問うてくる彼に鈴音は少し笑って見せた。
それが少し寂しそうに見えたのを彼女は知らない。
「あの娘がこの場にいない今、私はここに用はない」
何故なら私はあの少女の部下だから。
言って去っていった姿を見つめた天堂は、長官は何故帰ってきたのかと考える。
しかし考えごとをする程周りの声はよく耳に入るものだ。
『おい、さっきのあれ見たか』
『あの殺気。体が震えたぜ』
いつしか考える内容は変わっていく。
本物の殺気に当てられたことに興奮する使役士たち。彼らは知らないのだ。
あれが本物でないことを。
そんな中、すぐ近くで聞こえた声に、天堂は目を向けた。
最近入隊してきた、使役士の見習いの位置にいる少年。猫梨よりも三歳年上だった筈だ。
本来は見習いという位置はないのだが、使役動物を彼は見つけていないため、戦場には出ない。ただ、その実力は。
彼はもう一人の部下と話していた。
「あの動き……ぞっとする程に父さんのに似ていた」
微かに驚きの混じったようなそれ。
もう一人が続きを促す。
「でもあれ程ではないだろう?」
しかし少年は否定した。
「いや」
あれはまだ本気になってない。あの動きにはまだまだ先がある。直感だけどそんな気がする。
そしてそれは正しい。天堂は内心少年に賞賛を贈った。
名前はなんと言ったか。確か――
「……いや、それは流石に有り得ないぜ、千草」
そうだ。少年の名は確か、舞川千草。
彼もまたいつか、少女の姿を知ることになるのだろう、と天堂は一人思った。
その頃、長官室にて猫梨は座っていた。
しかしただの座り方ではない。
「お前は本当に困ったやつだ。入隊時に“誰とも戦うな”そう言った筈だが。それを幾度も破るか」
「失礼な。この間の偶然を抜かしたら今日が初めてですよ」
そう言ってはみたものの、如何せん足が痛い。
畳の上に正座でお叱りとは、流石に年寄り。
痺れてきた足を擦りながら、長官室で猫梨は有村と向かい合っていた。
木佐原さんがいるのは何でだろうと、ぼんやり考えていると、苛立った声がまた聞こえてきた。
「聞こえているのか」
「……聞こえていますよ」
旅装のままで暑苦しいだろうに、そのまま小言を言い続ける老人。その様子を半ば他人事のように眺めて猫梨は首を傾げた。
「でも、そんなこと言ってましたっけ」
入隊といえば丁度三年前。十一歳のころだった筈だ。
竜と戦うな、と言われたことはある。が、不確かな過去は具体的なことを教えてくれない。
尋ねてくる少女を、有村はため息混じりに諭した。
「もしそうでなくても、自分でも分かっているだろう。猫梨、お前は強い。されど――――」
あまりに脆く、あまりに儚く。
繰り返し戦っていれば、気付かずとも少女の体は悲鳴を上げ始めるだろう。
分かっているのか、と言われると彼女は眉尻を下げ、困ったように頭を掻いた。
「でも、最近はそこまで危険な気もしないんです。何というか…… 馴染んでいる、とでも言うべきなんでしょうか」
動くことが苦にならない。むしろ、それが心地よくさえ感じるのだ。
まるで、羽を伸ばしたかのような自由な感覚になる。
「例えそうであっても、今後戦闘は自重するように」
「……はぁい」
勿論、そんな理由だけで有村の決定を覆すことなど出来はしないのだが。
――さて、話を戻そう。
「そもそもだ、叱ることはしたがこの部屋にお前を呼ぶとき、木佐原を同席させたのには理由がある。心当たりはあるだろう?」
話が少しばかり長引いてしまったが、と吐息を零しつつ老人は言った。
途端、二人の顔が真面目さのある表情に変化する。
長官室に来てから今までずっと黙していた木佐原が呟く。
「碧翠使役団本部でこの顔揃い……予想はしていましたが、今ですか。貴公がいきなり帰っ
てきたのには訳がありそうですね」
「何かあったんですね。“虹色”の関連で呼び出しがかかるくらいのことが」
「察しがよくて助かる」
個人としての名はあれど、他人と交わることのなく単独で動く異端たちが集うたった七人の少数組織。
その名を知る者はほとんど無きに等しい。
それは、しがらみを嫌う彼らが表向きの活動をすることが滅多にない故だ。
「他の色たちも集めます?」
猫梨が問う。
有村は難しい顔のまま頷きかけ、しかし首を横に振りなおした。
「……いや。おそらく大丈夫だろう、そう思いたい」
「しかし、本当に大――」
言いかけた木佐原の言葉を制して彼は言う。
「心配するな。ここには三人もいるんだ、自信を持て」
そう言ってにやりと笑ってみせる老人。
しかし彼は見てしまった。
――これは……
その目の奥にあったもの。中に宿っているのは、使役士としての誇りに制御されている怯え。
「私が短い放浪をした後に辿り着いた、人一人いない、草一つない乾いた場所。そこは世界の果てであり、同時に終わりの地でもあり。そしてそこで私が見たものは――」
有村の口が言葉を紡ぐ。
その直後、木佐原が目を見開き驚きを示す。
しかし少女は微動だにせず顔も動かさず。しかし声を出さずにふらふらと立ち上がり、向かった先は窓際。
近寄って、その外を見る。
青々とした草。それが何百年の時を経て再び侵される。
これまでの比ではないくらい甚大な被害がでるだろう。
この草原が復活するのに幾年月をかけたか、竜は覚えていないのか。
「お前は未来に何を求めているの、“――――”」
その呟きは、誰にも聞こえることなく、空気に溶けて消えていった。
これを読んでくれたあなたに感謝の言葉を。