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碧翠の使役士  作者: 白縫 綾
 Ⅰ:候補者たちの課題
3/18

『竜と少女 / 交錯』

クルルの大きさが変わってます。

3m→5m


「畜生っ!――――っ畜生、畜生!」


 その日、一人の男が汚い言葉をつばとともに吐き散らかしながら声の限りに叫んでいた。

 頭上には青々とした空。まわりには緑しか見えない、広大なグラール草原。そこに建つ碧翠使役団本部の前でだ。

 今の時期は仕方がない、というあきらめも多少入ってはいるのだが自然しかない場所でいくら叫んだ所で、誰も苦情は言わない。そこはそんなところだった。

 この時期、というのは即ち団の隊長昇格試験の課題が出された時期、ということである。


「畜生!」


 もう一つ、罵倒の言葉を吐き出す。今の彼には、そうすることしか出来なかった。

 もし同じ団の者なら、彼が隊長候補者である、ということに薄々ながらも気づいただろう。

 そう、彼は課題に必死に取り組んでいる一人であった。

 そして、今まさに難題に直面していた。


 ――何なのだ……あの苛酷さは。


 彼の苛々は収まらなかった。

 今、一人で罵倒の言葉を吐き続けたとて足りないほど苛々していた。

 しかし彼の真の敵は己の苛々などではない。一人の少女だった。


「そうだ、おれの真の敵は。今戦うべき相手は緑央隊長だろう!忘れるな!」

 彼は自分を叱咤激励する。

 傍から見ればおかしな光景にしか見えないだろう。だが今は、なりふりなど構ってはいられない。


 彼には夢があった。隊長というものになって初めて叶えられる夢が。


 隊長に昇進すると、給料はぐっと上がる。普通の団員よりはるかに多い。

 さっさと隊長になり、そうして得た給料で遠恋中の彼女に指輪を買い、僅かな有休を使って会いに行く。高級な料理店でさりげなくエスコートしながら、二人きりで楽しい食事をし、最後に(ふところ)から指輪を出して渡すのだ。そして「結婚しよう」と――


「それなのに……隊長が俺の恋路を……」


 あのあどけない顔は偽りだ。中身は悪魔、いや魔王だ。竜よりも恐ろしい。

 彼は身震いをした。

 自分の予定がどんどん崩れていくのを感じていた。

 これほど苛酷であるなんて思いもしなかったのだ。たかが一人の少女の秘密を暴くことなど簡単であると思っていたのだ。あの年頃の少女が喜びそうなものを与えれば済んでしまうのだろう、と。

 そしてこの結果がこれだ。

 財布の金はいつの間にかもうほとんど無かった。良いようにしか扱われてないのかもしれない。


「ああ……神は無慈悲だ」


 彼はそう呟いて天を仰ぐと、一羽の白い鳥が視界に入った。旋回しながら彼の方へ向かって何かをひらりと落とした。はらはらと落ちていく白いもの。


「俺宛の手紙……?」

 

 地面に落ちたそれを拾い、宛名を見る。

 と、彼の顔が緩んだ。手紙は、彼女からだった。

 いったい何を書いてきたのだろうか。ああ、早く会いたい。

 彼がにやけながら手紙の封をきり、便箋を取り出して中を見ると――


「なっ…………!?」


『近頃は同じ団の少女のところへ通い詰めているそうですね。あなたがそんな趣味だとは知りませんでした。わたしは必要とされていなかったのですね、さようなら――――』


 彼は天国から地獄へ叩きつけられたような、壮絶で貴重な体験をした。


「俺は何のために……誤解だあああああぁぁぁぁぁ!」



 少女の秘密の犠牲になった人間がまた一人増え、それは変わることのない事実として残った。しかしそれを信じたくないという悲しみのせいで勤務を二時間ほどサボってしまった使役士の男が未だそこにいた。


 手にはぐしゃぐしゃに握りつぶされた紙。顔は涙で汚れている。彼の涙は止まることを知らない。

 頭上には強い日差しを降らせている太陽がある。気温は二時間前と比べたらかなり上がっていた。


 彼はそこで膝を抱えてうずくまっていた。

 来訪者はその時まで誰もいなかった。一人くらい出てきてもいいはずではあるが、それまでの間は他の隊員たちが気を使っていたからである、ということを彼自身は知らない。

 しかしそんな悠長なことをしていられなかったからそれは現れた。


 不意に彼は自分にあたっていた陽光が遮られるのを感じた。

 顔を下に向け俯いている状態で見えるのは、使役士たちに支給されるつくりの頑丈そうな靴である。大きさはかなり大きい。足の大きさは身長と比例するというから長身だと思

われた。


 が、そんなことよりも注目すべき点は、“その人物がこの草地で気配を殺し、音もなく近寄ってきた”ということだ。

 そんなことを普段からやってのける者はなかなかいない。


 ――……となると、おそらく。

 突然の来訪者が誰か、彼は分かったような気がした。


天堂(てんどう)隊長ですか」

 その言葉に、微動だにしない来訪者。


 ――違っただろうか。

 彼がそう思い顔を上げかけたとき、

「いかにも」


 そう言う男の声が聞こえた。


 今まで黙っていたのは何の意味があったのか。

 自分が仕事をサボった事に対しての処遇を決めていたのか。彼はそう思わずにはいられなかった。

 しかし。天堂は全く別のことを口にした。


「お前、彼女にふられたか」

「……なんで知ってるんです」

「大抵の奴はそうして独り身になるんだ。まあ、俺もその一人だが」

 飄々としたその顔からは、かつてそんな事があったことなど思いもよらない。

 彼は、己の隊長の顔を思わずまじまじと見つめた。

「天堂隊長にも、そんな時期があったのですか」

「ああ」

 そしてしばらくの沈黙。

 今度こそ、自分の処罰が下されるのか。そう思い生唾を飲み込んだ彼に言われたのは、厳しい言葉ではなかった。


「諦めろ。そして仕事をしろ。誰しも一度は通る道だ」


 彼は目が覚めた気がした。


 ――そうだ、俺は今まで何をやっていたんだ。

 考えてみればくだらない。結婚を目指すことに何の意味がある?それよりは竜を倒して世界の平和に貢献した方が余程ましだ。


 彼は立ち上がった。

「はい、天堂隊長!女は諦めます、そしてばりばり仕事をします!」

 天堂はその様子を見て黒の目を細めるとにやりと笑った。

「よし、その意気だ。それにお前を呼んだのも、丁度竜が俺たちの巡回する区域(エリア)に出没したせいだからな。行くぞ」

「はいっ」


 そう、それは五分前の出来事であった。

 天堂を隊長とする使役士たちが、それぞれの隊に割り当てられた部屋でくつろいでいる時に無線機がコールを鳴らしたのだ。

『第三部隊の巡回区域にて、小型の竜を三体確認。繰り返す、第三部隊の巡回区域にて、小型の竜を三体確認。天堂隊長、いらっしゃいますか』

 機械越しに響く隊員の男の冷静な声。八人編成の隊のなかでも二人ずつで組を作るので、

その区域にいるのは二人のみだろう。いや、使役動物も入れると二人と二体、ということになるだろうか。


「ああ、いる。援軍に行こう。そのまま待機しておけ」

 天堂は即答すると、部屋にいる他四人の部下に呼びかけた。

「お前ら、先に自分の相棒(パートナー)を連れた二人一組で区域に行ってろ。俺は自分の相手を探さなきゃいけないからな」


 そして今。

 天堂とそのペアの使役士は自分の使役動物を連れて行くために、急ぎ足で獣舎(じゅうしゃ)へと向かっているのだ。


 そこは使役士たちの足で行くとおよそ五分かかるところ、本部の真横にある。

 純白ともいえる白の外壁(がいへき)。獣の住処なので大抵の人間はもっと汚い様を想像するが、

 否。

 到底そうとは思えない、清潔そのものといえる建物が獣舎である。

 しかし、実際のところはその獣舎は本部の隣にあるのだ。

 何故そんなに時間をかけて行かなければいけないのか、にはそれなりにごく簡単な理由がある。


 とにかく、やたらと横に長いのだ。

 建物自体の堆積は本部とほとんど等しい。が、そこに住むのは獣。やはり勝手が違うのである。


 天堂とその部下が急ぎ足で獣舎の中に入る入り口の扉に立つ。

 人の体温を感知した機械が音を高く響かせて許可証の提示を求めた。

『ここをお通りの方は、扉の前で許可証を見えるように提示してください。繰りか……』

「時間が惜しい。早くしろ」

 全て言い終わらないうちに天堂が懐から小さな許可証(カード)を出して扉の前に突き出した。

 しかし冷たくそう言う言葉が伝わるわけでもなく、多くの情報が刻まれているそれを、機械が確認をし始める。

 一分ほど経っただろうか。

『確認中、確認中…………認証いたしました。第三部隊隊長天堂(てんどう)(かける)、以下一名の使役士の通過を許可します。施錠(ロック)、解除』

 長々と言葉を紡ぐ無機質な声は扉を開けた。

 中から漂ってくるのは獣独特のにおい。

 天堂は一歩足を踏み出し、建物内へと入った。もう一人もそれに続く。


 再び移動し始めた彼らの後ろで、扉が音もなく閉まった。

 

 *


「急げ」

「分かってます、隊長」

 風を切るような速さで走る二人の息は全く乱れず、体勢(フォーム)も整っている。

 常人ならばとっくに息が上がっている頃だ。

 しかし、その常人を超えた域に達して初めて、使役士の新米と認められるのだから、彼らにとってこんなことは当たり前といってもいい。

 そして、天堂を含む現在の隊長たち十人はそれ以上の技量と体力を身につけている。それはもう、言葉では言い表せない。


 しかし、彼女――猫梨に関してはそういうことも全く分かっていないのだが。


 *


『第三部隊獣舎』

 そう書かれた扉を乱暴に押し開けると、中でばさり、という大きな音が突風にのって聞こえてきた。

 ――どうやら入れ違いだったらしい。

「隊長、先に行ってますよ」

 一人がそう言って、使役動物(パートナー)の背にひらりと飛び乗った。


 天堂率いる第三部隊が相棒とするのは、鳥。上空から標的(竜)を追い詰めていく者たちだ。

 無論、天堂の相棒も鳥。


「クルル」

 先程からずっとこちらに注がれている視線を感じつつ、天堂は呼びかけた。

 体長およそ五メートルはあろうか、という位の巨大な鷲が、首を地に近づけて目を彼に合わせて(くちばし)を開く。

『行くか、天堂よ。話は同胞から聞いたぞ』

 そこから放たれる柔らかな女性の声は、どこか嬉しげでもあった。

「状況は知っているんだな?」

『少しばかり。小型の竜種が三体、巡回区域(エリア)に現れた、だろう?』

 天堂は頷き、飛行の準備を始める。

 頭に手際よく風除けのゴーグルを着用し、手足に鋼で出来た機械を取り付ける。

 重さはかなりのものだが、彼はこれまでそれを苦に感じるような鍛錬を積んできたわけではない。

『最新の天翔機(てんしょうき)を使うのか』

 天堂の足を見ながらクルルは尋ねた。

 天翔機、とは、その名の通り足に装着することで空を駆けられるようにするものである。

 どのような仕組みになっているのかは発明者しか知らない。使役士たちが活用できている、ということが重要なのである。

 扱いは至極簡単。

 電源を入れれば天翔機は重力に逆らい浮き上がる。電源を切れば普通の機械へと戻る。

 電気を通すことで重力が変化する特殊な素材を使用していると書いてあった説明書の内容を思い出しながら天堂はそれを足に装着する。


「試したら案外合っていたものでな……よし、これでいいか」

 己の準備を終えた天堂あ、隣のパートナーを見やり、声をかける。

「出来たか」

「ええ」

 ゴーグルをしっかり着用し終えたパートナーは頷いた。

「では……行くぞ」


 廊下を渡る必要はない。

 天堂は壁についている一つのボタンを押す。

 それは大きな音を立てながら天井を二分にしていった。

 彼らはこのまま飛ぶのだ。行った後は機械が勝手に感知して閉めるので問題はない。

 クルルの体にひらりと飛び乗り、天堂は合図を送る。


 二体の鳥が、翼を動かして地を蹴った。



 問題が起こったのは、その後である。

 「うにゃああぁぁぁ!?寒いっ、というか冷たい!」

 飛び始めてしばらくした後、後方で天堂はそんな叫び声を聞いた。

 彼らが飛んでいるのは上空五千メートル、本部が小さく見える高さである。


 そんなところで、同乗者がいると発覚するとなるとは、天堂でさえも予想していない事だった。


「クルル、何かいるようなのだが。知ってたか?」

『知らんが、聞こえたな。この声は猫娘だろう』

「何でいるんだよ……」


 天堂が後を振り向くと、そこにはやはり彼女がいた。

 前方から来る突風に(さび)色の髪をなびかせる少女、緑央猫梨が。


 猫梨は途方にくれたように緑の目をきょろきょろと動かし、そこに天堂を見つけると叫び声をあげた。


「てんどーさん、助けてぇ」


 助けを求められた本人はというと。

「俺にはそれしか道は残されていないだろう」

 深くため息をついて体勢をかえると、猫梨に手を差し伸べる。


 安定する場所に引っ張りあげられ、移動する景色を下に見る猫梨はぶるりと体を震わせた。

 体の冷たさと、高所にいるという恐怖。どちらのせいかは定かではないが、青ざめた顔で己を落ち着かせるように深呼吸する少女を見ていられなかったのか。

 天堂が空中部隊のみに支給される防寒用の上着をおもむろに脱いで彼女にかぶせた。

「着ろ」


 単純明快な言葉でそう言い放つ彼に、思わず笑みを浮かべる猫梨。

「あぁ、これって暖かいんですねぇ。普段地上にしかいないわたしたちはこんなに厚手のものを着ませんけれど。……眠くなりそうです」

「寝るな。もう着く。奴らも見えるだろう」

 無表情に返した天堂の目は既に標的を捉えていた。

「天堂さんは視力が良すぎです。わたしには見えませんが……確かに咆哮は聞こえますね」


 猫梨は、そこでふう、とため息をついた。

「戦いの場にでるな、と言われてたんですけどどうしましょう?また長官に怒られますね、天堂さん」

「俺は被害者だ。知らん。それに鈴音(すずね)にも叱られるだろう」


 忘れてました、と項垂れる少女と己の相棒を背に乗せたクルルが、

『降下する。しっかり摑まっていろ』

 と小さく忠告をした。


 *


 竜というものは、とにかくすばしこい。そのくせ一撃ごとの威力で簡単に人を死に至らしめることが出来る。そして何よりも大きい。


 小型の竜三体。

 小型といっても、その全長は十メートルを超える。彼らよりも大きい生物はまだ見つかってはいない。

 そんなものと戦う数人の人間と動物たち。

 小さく、無力。それが人間というものである。傍から見れば全滅も想像できる場面だ。

 しかしその全滅を免れるために訓練してきて生まれたのが、使役士。彼らはそこまで柔ではない。

 気の遠くなるような過酷な訓練を積み、動物との絆を深める。

 互いの呼吸を理解し合い、完璧に、無駄な動きがないように動く。

 天堂の部下たちは、着々と竜の体力を削っていたのだった。


 そして、戦闘がはじまってから何分か経過したとき。

「待たせたな」

 各片耳に装着している小さな無線機から声が届いた。

 同時に、地面に影を作る巨大な鷲の姿。


「これより、竜の殲滅を開始する。各自、機械の装着等抜かりのないように」

「了解しました」


 その声を聞いて確認すると、天堂は足に装着している天翔機(てんしょうき)のスイッチを入れる。そしてクルルの背中から飛び降りた。

「猫梨、絶対に動くな。そして余計なことはするな」

「了解ですー」


 相棒の背中に猫梨を残し天堂は空をまっすぐに駆ける。そして標的に向かって呟いた。


「覚悟しろ」


 直後に彼のすぐ側を通り過ぎる火炎。

 それに動じず、天堂は口の端を少しだけつりあげて笑った。

 その声が三体に届いたかどうかは釈然としない。ただ、敵と認識されたのは確かなようであり、それを上から見ていた猫梨は、初めてぴりぴりとした空気を体全体で感じ取っていた。




 天翔機で空を駆けることにより彼は今の状況を十分に把握し、無線機の電源を入れ、隊の全員に声が届くようにする。

「一組で一体を相手にしていたようだな。一体は両翼損傷、しかしまだ飛翔可能。二体は片翼完全破壊。うち一体が尾を切断。追加すべき点はあるか」

「ありません」

「…………よし。狙うところも良し、あとは連携で止めを刺す。尾を切断したのは得策だったな」


 隊員たちが竜たちに集中的に攻撃を当てたところは翼と尾。どちらも彼らにとっては必要不可欠なものである。

 翼は言うまでもなく、竜が空へ上がることを防ぐ。尾はあまり狙われることはないが、これはこれで重要な役割を担っている。

「バランスを保つために尾はある。命中率を下げるにはいい。こうなっては奴らなど地を這う巨大トカゲと大して変わらんな」

 天堂はふんと鼻を鳴らす。そんな様子をクルルの背から見ていた猫梨は僅かに笑みを浮かべた。

「天堂さんって、前置きが長いですよね。早く倒しちゃえば良いのに」

『奴はお前みたいに本能で動かず頭で筋道だてているからな。それはそうだろう』

 ――確かに話は長い。

 だがそれも奴の長所であり、同時に短所でもあるだろうよ。

 心の中で彼の相棒はそっと付け加えた。




「では、始めよう」

 天堂は半ば独り言のようにそう呟き、部下に指示を出した。

「一組は援護・迎撃。二組は束縛を。俺たちは止めを刺す。――――クルル。囮になってくれるか」

『承知』

「了解」

 クルルに続き、部下たちも口々に言う。

 天堂は無言で頷くと、滞空状態から抜け出すべく空を蹴った。

 (使役士)が暫く動いていなかったために攻撃を一時停止していた竜も、害を為す者と再び認識し、攻撃を再開した。

 その口から放たれる火炎を、空を駆けながらスムーズに交わす天堂。

 部下たちは三体のうちの二体を抑えにかかっている。やはり飛翔可能な方の竜には手を出してはいない。

 傷を負っていても彼らは十分に破壊力を持っている。

 天堂は自分とペアの使役士に向かって叫んだ。

「奴の翼を落とせ!」

 飛ぶ竜は危険。それを知っている使役士は、頷いて天堂の側を離れた。





 ――さて。

 天堂は周りを素早く見て束縛が終了したかを確かめる。

 飛翔可能な一体は勿論後回しだが、残る二体は……


 一体はまだ終わっていない。己の相棒(使役動物)に乗った状態、低空飛行をしながら鋼製の鎖を振り回し、巻きつけようとしている。

 もう一組は――


「束縛、完了です」

 無線機から聞こえてくる声。

 どうやら竜の足を槍で地面に縫いとめたらしい。無事な方の翼のみを懸命に動かてもがく竜が居た。その足元には二人の使役士と二体の動物。


 よくやった――と言おうとして、天堂は僅かな変化に気づいた。

 ――竜の胸辺りが、膨らんでいる?

 これは、まさか。


「伏せろ!」


 部下に向かって叫ぶ。彼らは慌てて頭を下げた、が。

 それよりも早かったか同じくらいだったか、巨鳥は咆哮をしようとする竜の眼前へと躍り出る。


 どちらが速く動くか。

 ――もう少し早く気づけば警告できたものを。


「避けろ!」


 頼むから、避けてくれ。

 天堂は、相棒が竜の放つ火炎を避けることを祈って、そう叫んだ。


 *


 ――クルルが飛んでいる。


 向かいくる風の感覚。耳元で鳴る轟々という音。

 風は強い。むしろ突風、といった方が正しいかもしれない。そのせいで目が開けられないのは辛い。

 大抵の人は目から情報を得る。一番大事な感覚が視覚。これなくして戦闘は出来ない。

 でも、わたしは今。竜と戦う為に飛ぶ使役動物に乗っている。

 一時であっても目が不自由な状態。それは大きな命取りになる。


 それが普通の人間ならば。


 誰も見ていないのをいいことに、猫梨は口を歪めて苦笑いをする。

「生憎なことに、わたしにはこの耳があるから」


 そう。わたしは感覚が人よりも鋭い。この耳はどんな音も漏らさず聞き取る。だから、出来るはずだ。

 この風の中に音を見出すことを。

 さあ、聞け――

 今、わたしは何処にいる?

 心を鎮め、耳を澄ませる。


 鷲が羽を動かす音。

 どこかで天堂さんが呟く声。

 じゃらじゃらと鳴る鎖の音。

 何か大きなものが呼吸する音。

 様々な音が飛び込んでくる。


「……………………」


 大きなもの、呼吸。――まさか。

 確信はないけれど、そんな予感がする。


「クルル。竜から離れて」


 猫梨はそっとクルルに囁いた。

 暫くの沈黙。その後に、静かな声。


『咆哮か。すっかり忘れていた』


 途端、がくんと体の向きが変わる。ますます風の音が大きくなる。

 その瞬間、体のすぐ側で感じる熱気。


「避けろ!」


 天堂さんが大声でそう言うのが聞こえる。


 天堂さん、わたしがいるのに避けられないなんてことあるわけないでしょう。確かに少し危なかったけれど、それでもわたしだって……


「……隊長の座にいる人間なんですよ」


 誰の耳にも届かない声を漏らした少女は目を閉じたまま微かに笑った。


 *


 警告する必要は果たしてあったのか、なかったのか。

 クルルは向きを変えて垂直に、天に向かって上昇した。つい先程まで居た所は炎で埋められている。

 自力でかわしたのだろうか、と天堂は一瞬思ったが、その答えは違った。

 上空で何回か旋回してこちらにやってきた相棒(クルル)の背中に乗る少女。

 静止したことで風が多少おさまり、目を開けられるようになった猫梨は得意げな声と顔で高らかに言う。


「一つ貸しですよ、わたしの指示がなければクルル焦げてますから。尤も、わたし自身が助かりたいということもあったんですけどね」


 嘆息するように、相棒もそれを肯定する。


『小娘に借りとは嫌なものだが、仕方あるまい。拾った命で囮役に徹するとするさ』


 言うことだけを伝え、再び舞い上がっていく鷲に。否、その背に乗る彼女に天堂は声をかける。


「猫梨。もうない、そう願いたいが目が届かん時は指示を頼む」


 誰に、とは言わない。ただ、彼女もそれなりの実力はあるからそれに任せるのみ。


 錆色の少女は再び笑む。この戦場ともいえる中で、重さを感じさせない態度で。


「勿論ですよ。でもその時は貸し、二つですよ」



 声を遠くに聞きながら、彼女が承諾してくれたことを確認、そして敵に集中する。

 ――随分遠回りをしていた気がするが、止めはおそらく直ぐに終わるだろう。

 動けない竜は脅威ではない。火が身に迫らない限りは安全に限りなく近い。

 そして、そうなってしまった後の彼らの最期は呆気ない。

 しかしその過程に時間がかかるのだから矢張り仲間はいなければならない。


「大変なものだ。戦闘は簡単、しかし仲間の関係は複雑に絡み合う」


 天堂は半ば口ずさむように呟きながら、空を駆けた。


 苦しむほどの間も与えない。それが自身のやり方。

 天翔機が出せる限りの速さ(スピード)で標的との距離を一気に詰める。それこそ何にも抵抗できないくらいの短い間で。


 ――どうか、苦しまないでくれ。


 言葉は発さない。ただ静かに葬るのみだ。

 天堂は竜の最大の急所である喉に、己の足を叩きつけた。

 瞬間、何かの折れる音。慣れた動きで地上にいる部下が竜の戒めを解いた……







……

………

…………











 ごめんなさい、でもこれが彼ら、そしてわたしの仕事なの。

 だからどうか安らかに眠って、気高き生き物達。

 わたしたちはとても身勝手なのに。


 争いを好まず、また戦いも知らない人びと。

 竜を嫌い、迫害するくせに己が傷つくのを嫌がる。

 街中はきっと平和なのに。

 世界のどこかで、血を流された者がいるということに気づかないことがどれほど幸せなことなのか知らないのに。


「……終わったんですね」


 竜を三体、一通り掃討し終えた第三部隊の者たちは各々の相棒に乗り本部に戻っていた。

 行くときと同じように、猫梨もまたクルルに乗っている。


「何がだ」


 ただ、彼女の様子がいつもと少しばかり違うことに天堂は気づいた。

 上の空というべきか。それとも憂いを含んだ表情(かお)、というべきか。


「決まってますよ、竜の話です。…………終わってしまったんですね」


 頭上に青々と広がる蒼穹を見上げて、微かに吐息を漏らす。


 そんな様子に、思わず天堂は口を挟んだ。


「それがどうかしたのか」


「――――どうかした、ですか?別にどうって事はないんです。ただ、」



 使役士というものは、人間が持ち合わせている心を少しずつなくすのでしょうか。



 ぽつりと呟いた疑問に、はっきりと答えることはできなかった。

 人間が持ち合わせる心。それはおそらく、生きるものを殺すことに関して葛藤すること。しかし彼は代わりにこう言った。


「竜は俺たちに害を与える」

 遠まわしな言い方でも事足りる回答。即ち、


 ――諦めろ。

 無言でそう諭されているのを感じた。


 ……別に、使役士が嫌いなわけじゃない。諦めているわけでもない。

 哀れ。そういう言葉が正しいのだと思う。

 竜に対しても、使役士に関しても。勿論、自分(わたし)も含めて。


 それきり二人は本部に着くまで何の言葉も交わさずに黙って空を見上げていた。






「……で。そういうことになったわけね」


「ええ、そういうことです」


 碧翠使役団本部、副長官室にて。帰還してきた二人はその部屋の主と相対していた。

 飄々と肯定する猫梨に、彼は大きくため息をつく。


「絶対反省してないね」


「してますよ、一応。でもこれは不可抗力だったんです」


 猫梨は勝手にそう結論付けると、目の前に座る彼に改めて目をやった。

 先ず目に付くのは使役士たちが身につけなければいけない枯れ草色。そして紐で縛っている栗色の長髪。


 ……ふらふらと他の隊の獣舎に入ることは、不可抗力とは言わないだろう。

 そんな言葉を飲み込み、副長官である木佐原(きさはら)(けい)はもう一度嘆息した。


「天堂も可哀想に。思いっきり被害者になってるね」


 労わりの言葉をむけられた天堂は何も言わずに少し顔を顰めた。

 ここでの労わりは哀れみと等しい。


 ――さて、処分はどうするかな。

 といっても大したことにはならないだろう。何故なら今回のことは偶然なのだから。


「とりあえず処分は、君の仕事を少しばかり増やす。それくらいで良いかな」


 そう言った直後だった。


「そんな事しちゃいけません!!」

 扉の外からそんな声が聞こえ、轟音が響いた。


鈴音(すずね)……気配には気づいてたけど扉を蹴破るのはやめようよ」


 他の二人が驚く中で、猫梨だけが呆れ顔でそう言い、そこで市谷(いちたに)鈴音(すずね)の姿を認め天堂は、先程から顰めていた顔をますます歪めた。


「……鈴音、お前か」

「あら、天堂。久しぶり。どうせあんたの事だからその無愛想顔が悪いってお叱り受けてたんでしょ」


 木佐原は、そう言ってからからと笑う彼女のことを、朧気ならがに覚えていた。


「市谷さんは天堂の同期で緑央の部下だった……かな」

「ご名答」


 パチン、と指を鳴らして、妖しげな笑みを浮かべる彼女。


「ついでに補足もしておきましょうか?」

「するな」


 天堂に制され、それでも笑みを変えずに鈴音は話題を変える。


 ――ところで。


 その目つきだけが、本気のそれに変わる大きな変化。


「うちの隊長は、一体何をしでかしたんです」


 あまりにも鋭い眼光に、木佐原は肩を竦める。

 一般人がその目で見られたら動けなくなるだろうが、そこは矢張り使役士である。


「たまたま標的()の殲滅に居合わせた。それだけだよ」


 そう、これは偶然。

 決して仕事から逃げているわけではないと思うのだが。


 鈴音は、不意にため息をついた。


「……副長官。貴公(あなた)はあの娘を見誤っておられる。あの()は既にここにいないというのに」

「――――何?」


 二人は慌てて周りを見回した。

 一体いつからだったのか。錆色の髪を持つ少女の姿はそこにはない。


「まさか気づかないとは。これ程だったか」


 微弱な気配、音、動き。手練の使役士にも気づかせず、己の存在をその場に持ちながらも存在を殺す。


 確かに、彼女は実戦では強さを示していない。しかし扱われる技能は誰よりも完璧、誰よりも完全。

 そして、それを日常で行使しているからこそ、今鈴音はここにいるのだ。


「隊長の家事仕事の増加は、書類仕事をしない格好の言い訳です。ただでさえ未確認のものが多いのにそんなことしてしまったら……」


 言いながら、一つしかない出入り口に目を向ける。

 ――本当に、困った()

 もう一度、ため息を吐く。

 しかしだからと言って、方法がないわけではない。彼女はほぼ確実に、どこか匿ってくれる所に赴いたはずなのだから。


「……では、私はこれで失礼します」


 そして歩き去ろうと背を向けたのだが。

 不意に思いついたかのように、何でもないことを言うかのように無造作に。


「それと、壊した扉の修理代は給料から引いて構いませんので」


 ……一使役士、というよりは秘書みたいだな。

 木佐原は苦笑した。

 彼女とはあまり関わりを持ってはいなかったのだが、中々に面白い。



「あんな奴でも昔はいい女でしたよ」


 天堂は呟く。

 憂いているのかと思わせるその目は、彼方に流れ去った記憶を映しているように見受けられた。


 彼に昔何があったのかは知らない。

 しかし余計なことは何も言わないのが一番いいのは十分に承知している。


『そうなんですか』


 ………………

 今、声が重なったような。しかも、これは。


「鈴音からそういう話は聞きませんからね。居てよかったです」


 音源の方を向くと、何故か棚の中に小さく納まる少女がにこりと笑いながら一人。


「猫梨、貴様」


 男だけだからこそ漏れた言葉を、こともあろうに聞かれるとは。

 天堂は内心歯噛みをしていた。


 そんな彼を気にせず彼女は明るく言う。


「それよりも、ここから出してくれませんか?入れたのはいいんですけど、出にくくて。出たら一度、元の場所に戻りますから」


 そのままにしておくわけにもいかないためそこから解放された猫梨は足音を殺して動く。というよりかは、気配を殺すの方が正しいか。

 何の装飾もない真っ白な床をひた走る。走って、行き着く先は自分の隊専用の部屋だ。

 音をたてずにゆっくり動いて、静かに扉の取っ手をつかむ。

 しかしこちらの場合は、部屋の構造上完全に見られる設計になっている。


「猫梨ちゃん、どこに行っていたの?鈴音が探していたのに」


 ころころと、それこそ鈴を鳴らすような可憐な声。

 猫梨は彼女(・・)を一瞥した。


「忙しかったんです逃げるのに。麗さんは暇そうですね」


 ――彼女の方が、余程鈴音という名前が似合うだろうに。


 勿論そんなことを言うはずもない。言ったら確実に説教部屋に連れて行かれる。

 そう思いながら、猫梨は椅子にゆったりと座る一人の部下の横に腰を下ろした。


「うーん、暇に見えるのかしら?」

「見えます。業務中の飲酒は禁止に決まってます」

「あら」


 手に持つグラスの中に入る赤の液をゆらゆらと揺らし、その余韻を楽しむように、(いぬい)(れい)は口の端をつりあげてにこりと笑った。

 心なしか薄く染まっている頬に手を添えて、気持ちよさげな口調で。


「だってあなたの贈り物に入っているのだもの。未成年じゃないわたしが飲まなきゃいけ

ない。ねえ、いいでしょう?」


 髪色と同じ漆黒の瞳を潤ませてそういう姿は、性別問わず誰もを赤面させる。

 ただ、そんな姿を毎日のように見ている猫梨にそうしても意味はないのだが、猫梨は常日頃思うのである。

 ――こんなに綺麗なのにどうして、麗さんは使役士になったのだろう。


 見にまとう装束は色気のない枯れ草色ではない。

 襟元に何かの動物の毛をあしらった純白のコートに足首までを隠す薄青色の長いスカート。それが彼女の格好である。

 逆に言えば、規則を破っていることにもなるのだが。


『可愛いも綺麗も、とにかく目の保養になるものは正義』


 そんなモットーを持つ輩たちが多いので見逃されていたりもする。


 だが、猫梨はそんな男たちと同列の存在ではない。


「はいはい。また後で飲んでくださいね」


 やれやれと首を振って立ち上がり、背中に回りこむ。

 首筋にやや強めの手刀を叩き込み、呆気なく崩れ落ちた彼女の手からグラスを素早く取り上げると、猫梨はため息をついた。


 ――鈴音はこういう人こそ注意すべきなのに。

 でも、それでも確かに麗さんのいうことは一理ある。


「……確かにこれは酷いかもね。部屋狭いし」


 そう一人ごちる少女の前には、贈り物の山が黙って鎮座している。

 そこからいくつかの箱を取り上げ、猫梨はいそいそと扉に向かった。


「うん、暇だし他の人に配ってこようかな?」


 が、彼女は気づいていなかった。

 扉を開けたその先に、先程撒いてきた部下がいることを。


「……こういうときに限って見つけなくても」

「隊長?きちんと書類作成はして下さいね?それと、“こういうときに限って”とはどういうことでしょう?」

 危険を感じ始めた猫梨の首筋に、冷や汗がつっとつたう。


「いや、それは言葉を選び損ねたというか……誰か助けてぇっ!」


 その頃、副長官室にて。


「市谷さん、捕獲したみたいだね」

「猫梨はおそらく逃げられんだろうな」


 木佐原と天堂は、遠くから聞こえる叫び声を聞き流しながら二人で茶を飲んでいた。


「うん、旨い」

 ごくごくと飲み物を飲み干す彼に、木佐原はしみじみとした面持ちで言う。


「……こうするのも久しぶりだな。昔はよく飲みに行ったりしたもんだけど。というか市谷さんとの関係もしらなかったな。流石に暫くこういうことをする時間がないと情報が手に入らない」


 同じ歳ではあるが階級が違うせいでお前は大変だな、と天堂は大笑した。


「そういう愚痴は気まぐれな爺さんにでも言ってやれ」

「ああ、そうだった。長官にも報告しておかないと」


 ――やれやれ、忙しくて目が回りそうだ。


 それでも今のひと時を楽しもうと、木佐原は親友に尋ねた。




「もう一杯飲んでいくか?」

「……ああ、頼む」








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