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スランプってます。
聞くなり動き出した沙紗の行動は早かった。その顔が何故か面白いことを思い付いたかのような笑いを湛えていたのは、天堂にとっては甚だ不本意ではあったが、確かに行動力の素晴らしさには舌を巻くものがあった。
二人はまた、廊下を歩いていた。
彼女が何処にいるか、見当がつくかと言われればそうであるし、ついてないかと言われればそうでないとも言えるだろう。無言でかつかつと歩いていると、すぐ目的地に着いた。
調整装置たちを含めた研究者が集まる場所である。
「いっきまーすっよー」
変な節をつけながら、沙紗は足で扉を蹴り飛ばす。
天堂は片眉だけつり上げながら、それがぶっ飛んでいくのを見ていた。
「おー、割と飛んだねぇ」
当人はのほほんと言っているが、部屋の中の者たちからすればいい迷惑だった。
ただ、立場上というか、階級のせいというか。それがどんな奴であろうと上司であるのは確かであるので、彼らの内心を口に出せるのは一人しかいなかった。
「お、弟じゃないか。身長伸びてないねっ!」
「大きなお世話だ! てか、一応備品なんだから壊すな、お前もさっさと兄さん止めろよ!」
その天堂はといえば、いつもすぎる光景にため息をついていた。
奴の行動を本当の意味で止められるのは一人しか、あの少女しかいないというのに、こいつは何故こうも無茶を言うのか。
「だから天堂、無視すんな!」
罵倒じみた言葉は、天堂が思考を聞き流すことを中断し、その頭をわしづかみにするまで続いた。
結局、本題に入れたのは少し経ってからになる。
「ほら、隊長がいるかなーって思って。会いに来たんだよ」
「え、兄さん知り合い?」
「そそ、親友。多分ね! (仮)ってやつだよ!」
「わー、流石だねっ」
「……おい、本題に入れ」
沙紗がこほん、とわざとらしく咳払いをする。
「まあともかく、用件はそんな感じって考えてていいよ。あとはお前の顔を見に来たくらい」
「え、僕?」
「そうだけど?」
「!」
彼の弟は驚いた顔で慌てて一瞬そっぽを向いた。耳を赤らめたままでまた向き直ると、
「……ん、そういうのはどうでもいいから。入って」
ともう一つの扉を指し示した。
そこは彼だけの研究場所。彼にしか分からない、他の者には決して入らせていない領域。沙紗は感謝を示すように頷いて、慣れたように向かう。その後に天堂は続いた。
すると、扉の前で不意に立ち止まられる。
「入らんのか」
「入るよ。入るけど、」
おもむろに首を回して、沙紗は天堂と目を合わせる。
どこか飄々とした目だ。それが天堂を見据えて言った。
「あー、天ちゃん。ここからは俺だけで行くよ」
「……何でだ」
沙紗はにへら、と笑った。
こんな状況では一番浮かべてほしくない、というか単純にむかつく笑みだった。
「えーと、そっちの方がいいから?」
「だからその理由を聞いている」
天堂は疲れたように目を閉じて、
「おい、沙紗。何でお前なんだ」
一つだけ問うた。
沙紗はその問に、大人しく考える。とはいっても、答えなどはとうに決まっているのだが、言葉を選びつつ沙紗は言った。
「そーだな。天ちゃんはね……」
一回言葉を切る。ふわりと、風も吹いていないのにその髪が微かに揺れていった。感じることも難しい程の微風の中で、不意に閃いたかのように両手を合わせた。
「――うん、こう言えばいいかな。そう、いわば、資格がないんだ」
「…………」
無言で聞く天堂の目を見ながら、
「それはね、俺はもう持っていて、鈴は多分もう、手に入れた。天ちゃんは持っていないし、多分これからも手に入れることなんてない資格」
「……どういうことだ。お前は何か知っているのか」
重ねられたその質問に、思わず沙紗は笑みをこぼした。
「ま、気にしなくていーよ。鈴はいつか話してくれる。俺は話さないけどねっ!」
進むべき扉へと入っていったあとを暫く見つめて、天堂は手近な椅子に腰を下ろした。同じように、それ見送った青年も大人しく椅子に座った。
「……弟。沙紗について知っていることを言え」
「え、何でさ」
「いいから言え」
彼ははいはい、と面倒くさげに返事をして、指折り始める。
「兄さんはね、物心ついた時から僕たちと一緒だった。当時兄さんは旅人だったからね。何時だって居るわけではなかったけれど、居るのならその時は兄さんを頼ったし、兄さんは兄さんで面倒を見てくれた。
澪だって麗だって、それは同じさ。まあ性格に多少の難はあったけど…………」
声を聞きながら、天堂はじわじわと恐怖を見出だしていた。
それは、生存に関わるものではなかったが、常に近くにあるものでもあった。
考えれば考えるほど、沙紗の、あの雰囲気は猫梨のそれに酷似していた。諦観を湛えているようにも見える瞳も、つかみどころのない危うさも。そして何より、彼らが時折見せるのは全てを見透かすような目だ。そんな目で、この世界を見つめている。
まるで、そうなることを予見していたかのように。
そこかしこに、類似点は存在する。ありふれた、しかしこれ以上ない位にふざけた男と、錆色の少女。彼らは出会うべくして出会ったのか。それとも、お互いが引き寄せられるようにあるのは単に偶然のことなのか――――
彼の部屋へは、少々特殊な道程を必要とする。
幾つかの部屋を通り過ぎ、沙紗はある部屋で歩みを止めた。
その部屋には竜を模したと思われる歪な絵が額縁にかけられている。
一見何の変哲もないそれの裏側を見れば、そこにはボタンの文字列があった。
「仕掛けを変えるなんて手が込んでいるねぇ。でも、お前も大概分かりやすい」
彼はその中から、三つを選んで押した。みしり、という音がして額縁にのすぐ横の壁に亀裂が入り、スライドして扉が現れ、ためらいもなくその取手を捻って、開けた。
「やあ、元気にしてるー?」
勿論、中には部屋の主がいて。
「……ああ、貴方でしたか。勝手に来るのは良いですが、くれぐれも邪魔はしないでくださいよ」
彼はうっそりと笑う。沙紗は軽口を叩くかのように、分かってるよ、と笑い返した。
「もう手遅れなんだろう、彼女は?」
「ご名答です。まぁ、上手くいくでしょうが、成功ならじきに目を覚ましますよ」
自信ありげな様子に肩をすくめ、沙紗は話題を変えた。
「へぇ、ならいいけど。……まあ、しかし、あの解除鍵はなんだ?
お前も趣味が悪いな、――『クルエ』を使うなんて」
彼らの会話の中、ソファの上で目を閉じ眠っていた鈴音が、呼応するかのようにぴくりと体を震わせた。
因みに。
沙紗弟は、実際には沙紗とは血縁関係にありません。
あと、なんかツンデレ疑惑。
これを読んでくださったあなたに感謝の言葉を。




