がんばれの声
「・・・・何分経ったかしら?」
「わからない。でも、一年ぐらい経ったような気持ちではある」
「・・・・そうだよね」
栞奈はそう言うと、机に伏せた。多分、そろそろ疲れ始めたのだろう。
俺だって何もしていないが、この重い空気に気力と体力を吸い取られ、
意識をしていないと倒れこんでしまいそうだ。
「辛いのであれば、家に帰ってもいいぞ。
この緊迫した空気に長時間いたら誰だって疲れるだろうし、
瑞人が意識を取り戻したら連絡するから」
そんな亜稀の申し出に首を振ると、一度だけ伸びをする。
今日はしっかりと睡眠をとったはずなのに、なぜかとても眠いのだ。
「あいつらだって頑張ってる。俺たちが途中で帰れる訳ないだろ?」
「・・・・そっちは?」
「わっ、私も・・・・修がいるなら、私も残ります。
私達が出来ることは何もないけど、残りたいんです」
栞奈の言葉に亜稀はゆっくりとうなずくと、そのまま席を外した。
それを確認した後、俺達は同時に机に伏した。
「・・・・なんか、変な薬入れなかったか?」
「えっ!?」
「・・・・変な薬だよ。睡眠薬とか、そう言う類のものだ」
「いっ、入れるわけないでしょ!わたしが作ったんだから・・・・」
「そうなのか、それは悪かった。てっきり、亜稀達と一緒に作ったのかと思ってた」
「違うよ、亜稀さん達はとても疲れてたみたいだからさ、私が作ってあげたの」
「ふーん、どおりで・・・・」
俺がそこで言葉を切ると、栞奈が顔を上げてこちらを見つめて来た。
俺は腕に顔をうずめているから栞奈の様子を見ることができない。
なら、なぜそんな行動をしているとわかったのか。
それは、今まで培って来た勘と言うやつだ。
「勘が鋭いなら、私が言いたいこともわかるんじゃない?」
「・・・・心を読むなって」
「さっきだって言ってたじゃない。わたしに感謝してよ!」
「・・・・めちゃくちゃだ」
「もう、はっきり言ってよ!まずいのか美味しいのか!でなきゃ、眠れなくなるもん」
「・・・・言わずと伝わってるだろ?」
「ダメ!そうやってごまかしたの、今回で3543回目!」
「・・・・」
栞奈のおもわぬ反撃に、俺は何も言い返せなくなる。
栞奈の性格だから、きっと食い下がると思っていた。
しかし、まさか、このような形で反撃をうけるとは思ってもいなかったんだ。
「こう言えば、ごまかしに逃げないと思ってずっと数えてました!」
「変なこと数えるなよ。それなら、俺が素直になった回数を数えてくれよ」
「数えてるよ。365回。
何十年も生きてるって言うのに、1年間分の素直さしか出さないんだから!」
「・・・・そう言えば、凜達は何してるんだろうな?ずっと姿を現さないけど」
「ふーん、そうやって話しを逸らすんですか。
・・・・もういいよ。凛達なら多分、楽しくしてるんじゃないの?」
すっかりふてくされてしまった栞奈を横目に、俺はため息をついた。
あいつは昔から強引だった。
俺の本気の言葉を引き出そうとしているうちに、
素で強引な性格になってしまったらしい。
そこは謝らなければいけない。
「・・・・くそっ」
やりきれない思いになって、再び腕に顔をうずめる。
さっきは、あいつの強引さで忘れることが出来たのだが、今、再び思い出した。
自分ではどうしようもない現在の状況を。
・ ・・・俺は、無力な自分が嫌いだった。
だから、出来るだけ自分の出来ることをしたいと思っていた。
しかし、頑張っても自分に成すべきことがない時がある。
そんな時に俺は、無力感を感じる。その瞬間が物凄く嫌いだった。
世の中には、自分の手ではどうにも出来ないことが沢山あるはずなのに、
そのことについて物凄く嫌悪感を覚えるのだ。
「・・・・大丈夫。亜修羅には成すべきことがあるから」
「・・・・本当に?」
「うん。応援すること」
「・・・・そんなの、相手からしてみれば単なる迷惑じゃないか。
全然助けになんかなってない」
俺が栞奈から顔を背けるように言うと、
栞奈はわざわざ俺の顔が見えるところまで回り込み、右手を包んだ。
「そんなことない。
頑張りたいと思ってる人にとって、『がんばれ』の声は、
普通に聞く時の何十倍もの勇気を与えてくれる。
・ ・・・でもね、『がんばれ』の声は、時に相手を苦しめてしまう時もあるの。
悪気はなくても、ね。
だけど、今の有澤君にとって、『がんばれ』の声は苦しめる為ものじゃない。
『がんばれ!』って言われるだけで、背中を後押しされるほど、大きな言葉なの。
だから、その言葉をかけてあげることが、今の亜修羅が成すべきこと」
「・・・・声は届かないだろ?」
俺の冷たい言葉に栞奈の表情は悲しみを帯びたものに変わるけれど、
直ぐにいつもの表情に戻り、言葉を連ね続ける。
「届く。絶対に届く!私、お父さんの病院で何人もの人達を見てきて思ったの。
意識がないって言われてる人達でも、声をかけてあげれば口を動かすことがあるの。
きっと、声が届いてるから、それに答えようとしてるんだって。・・・・そう思ったの」
そう必死に訴えて来る栞奈の表情を見て、ようやく我に返る。
「・・・・わかった。俺が悪かった。ごめんな、心配かけて」
「ううん、いいの!私だって、亜修羅があんな状態のままだったら嫌だからね」
「それでも・・・・助かった」
「それならよかった。それじゃ、一緒にお祈りしよ!」
そう言って栞奈が手を俺達の目線まで持ち上げた時、
自分が栞奈と手をつないでいる状態だったことを思い出し、慌てて手を離す。
「何やってんだ!今はこんなことしてる場合じゃないんだぞ!」
「・・・・そっ、そうだね。ごめん。
有澤君が大変な時に、こんなことしてる場合じゃないよね」
栞奈は、俺の言葉を繰り返すように言うと、そのまま外へ出て行ってしまった。
雰囲気からして、何かまずいことを言ってしまったとわかり、
栞奈の後を追おうとした時、丁度亜稀が部屋の中に入ってきた為、
そのまま机に座り直した。
栞奈を追いたいと言う気持ちはあるが、
亜稀にもあんなことを言ってしまった後の為、動くことはためらわれたのだ。
それに、今から追いかけたところで、
一度傷つけた心はどうにもならないだろうなと思って、
二次被害を避ける為にも追いかけることを諦めた。