妖狐解禁
学校の授業はいつも通りの半分聞いて、半分聞いていないのまま受けた。その態度にムカつくのか、数学の教師が何度も俺を指したけれど、それに答えるから更に腹が立つらしい。バカバカしいな、大人なのに。
相変わらず女は話しかけて来ず、静かな時間を過ごせた。それはそれで楽しいものもあったが、なぜか、少し寂しく思った。なぜだか自分でもわからない。
「石村、やっと伊織のこと諦めたみたいだぜ?」
「そうだな、話しかけないところからすると・・・・。告って失敗したとかなのか?可哀想だな、あんな無愛想な奴にフられるなんて」
俺の席から斜め向こう側にいる男達がこっちを見て話している。本人達は離れているから聞こえないだろうと思って話しているんだとしても、生憎、俺には丸聞こえだ。いくら教室の隅から隅まで離れても、そんなの嫌でも耳に入って来る。
俺は、出来るだけ気づいていないと言う風に、本を顔まで持ち上げた。しかし、そうしたって、話は嫌でも耳に入って来るし、ただ男達の表情が見えないだけだが、そっちの方が幾分マシだった。
勝手に想像して、バカバカしいにも程がある。俺は何にもしていないし、告白されてもいない。ただ、女が急に話しかけて来なくなっただけだ。
チラッと右隣に視線を向けると、女は、表情が晴れないような顔つきで、紙に何かを書いていた。
俺は、また本に視線を戻すと、本に集中出来るように出来るだけ頑張った。
そして、放課後。
なぜか、俺の前を女が歩いている。こう言うのを、偶然とか運命とか人は言うけれど、俺はそうは思わない。ただの嫌がらせだと思う。
毎回そうだ。なぜか俺の前をいつも歩いている。嫌がらせなのか、それとも、単に帰る方向が同じなのか。それは未だに疑問だが、あまり考えないようにしている。
その時、なぜだか知らないが、嫌な予感がした。この先にある四つ角の左にだ。妖気に似たような物が渦巻いている。
女は、いつもその角を左に曲がっている。と言うことは、女が妖怪に襲われかねないと言うことになる。それだけはまずい。人には、妖怪なんていないと思わせておいた方が、断然楽だからだ。
少し気は引けたが、前を歩く女に話しかけた。
「何で、昨日から全くしゃべろうとしない?」
「だって、私のこと・・・・嫌いなんでしょ?」
「さあな。俺は、あんたのことを好きでも嫌いでもない。ただのクラスメートとして見てるからな」
「そっか。じゃあ、嫌いじゃないんだね!!」
「・・・・」
もっと言い方を考えればよかったのだが、いくら言葉を頑張って考えたって、きっと同じ勘違いをされていただろう。
「私のこと、好きなんでしょ?」
「・・・・」
俺は、「あんたのことが好きでも嫌いでもない。ただのクラスメートとして見てるからな」と言ったはずだ。しかしどうだ。女はすっかり自分を好きだと思っているじゃないか。物分かりが悪いと言うのか、ポジティブだと言うのか。ただ呆れるしかなかった。
「そっか、よかった。私、伊織君に嫌われてると思ってて、ずっと話しかけるの我慢してたんだ。よかった。じゃあ、これからもドンドン話しかけてもいいかな?」
俺は、それには答えずに、ため息をついた。しかし、女はなぜか喜んだ。きっと、また変な勘違いをしているのだろう。決して何も話していないのに。
その時、背後でしっかりと妖気を感じた。こいつが元凶だなと思って、視線を軽くそちらにやると、いた。水溜りみたいな奴だが、俺が見ているのに気がついたのか姿を現した。
女に気づかれないように、一瞬の隙をついてそいつから逃げる。人間に変化している間は、あまり力が出せない。だから、こいつにもギリギリで勝てるぐらいだろう。
しかし、俺はそう言う駆け引きが嫌いだからな。それに、確実にしとめる方法を選んだら、女に正体がバレる。だから、逃げるのが一番無難なところなのだ。
突然、手を掴んで走り出した俺に、女は驚いていたけれど、妖怪の姿は見ていなかったらしく、一緒に走って来た。今では、もう妖気を全開に発しているらしく、後ろを振り向かずとも、妖怪がついて来るのがわかった。
「何?どうしてそんなに急いでるの?」
「今は言えない。とにかく走れ!」
「わかった」
女は素直にうなずくと、聞くのをやめた。こんな状況を誰が説明出来るって言うんだ。せめてもの救いは、しつこく聞いてこないところだ。きっと、本能的にまずいなと思ったのだろう。普段もそうしてくれればいいのだが・・・・。
その時、水溜りに似た妖怪が、無色透明な液を俺達の足元に飛ばして来た。最初は、いっそのこと、女を抱えてそのままこの状況を打破する方法も考えたが、やっぱりそれではバレると思った。
「飛べ!」
「なっ、何で?」
「いいから!」
何とか勢いで押し、女はジャンプした。俺も続けてジャンプする。
液は道路に当たってジュッと溶けた。これは、人間の体が耐え切れる程度のものじゃない。人間が当ったら、きっと骨もろとも崩れるだろうな。
考えを察知したかのように、妖怪は液を逃げられないところに乱射した。俺ならジャンプで何とか回避することは出来るけれど、人間の足では無理だ。仕方ない。
俺は女を抱えると、そのままコンクリート塀に飛び上がり、更に屋根までも飛び乗った。それからは、もう屋根を飛び石のように飛んで逃げることしか出来なかった。
「伊織君・・・・?」
女は、ありえないと言うような顔でこちらを見ているが、そんなことを気にしている余裕はない。とにかく、神社に隠れようと思った。一番近い場所だからだ。
神社の真上まで来ると、そのまま地面に飛び降りた。人間では、骨が折れても仕方ない高さなのを平気で飛び降りた俺に対し、女は気絶寸前の顔で見ていた。
人間の姿とはいえ、人間よりも頑丈な体だから、こんなところから飛び降りても全然平気だ。しかし、人にとってはあり得ない行動なのだろう。
地面に飛び降りると、女を降ろし、辺りを見渡す。すると、さっきの妖怪がいた。どうして俺が下りる位置がわかったのか知らないが、そいつが後ろにいた。
「亜修羅、なんで逃げるんだよ」
「えっ?亜修羅って?」
「そいつの本当の名だよ」
「黙れ、ヘドロ」
「ああっ、怖い怖い。人間界に来て俺のことすら忘れちゃったのかい?」
「み、水溜りがしゃべってる!?」
「おしゃべりは過ぎない方がいいぞ。でないと、お前を殺すことになる」
ここまで話されたら、もう弁解の余地もない。だから、妖狐の姿に戻って、妖怪を追いやることは可能だ。
「いいのか?女の前で妖狐の姿に戻って」
少し怯えたように俺を見る妖怪。人間のままでの俺は、こいつに勝てるかわからないけれど、妖狐になれば、俺の方が断然強いからだ。・・・・哀れだな。
「ああ、なってやるさ。死ぬ覚悟はいいか?」
俺は、そう言うと同時に妖狐の姿に戻った。