その人の気持ちになって考えてみましょう
「俺と雅は兄弟ではあるけれど、血が繋がってないんだ」
「・・・・それって、どう言う・・・・」
僕がそう言いかけた時、突然、後ろから草を踏むような音が聞こえて、僕らは振り返った。そこには、浮かない顔をしている雅さんが立っていた。
「・・・・俺が話すよ、兄さん」
「・・・・でも、思い出すのは辛いんじゃないか?」
「それは、兄さんだって一緒だろ?」
浅岡さんはそう言うと、ゆっくりとした足取りで僕らの正面に来ると、目線を合わせるように座った。
「でも、また思い出して苦しい思いをするんじゃないのか?」
「大丈夫」
雅さんはそう言うと、大きく息を吐くと、話し出した。
「血がつながってないって言うのはどういうことかって言うとね、俺は、兄さんの母さんと、その浮気相手との間に出来た子供なんだ。最初のうちは、母さんの浮気もバレてなかったんだけど、俺が出来たせいで、浮気をしていることがバレたんだ。だから、俺のせいで、兄さんの両親は離婚しちゃったんだよ。
離婚した後、兄さんは母さんの方に預けられて、しばらくは二人で暮らしていたけれど、俺が生まれたことで、三人での暮らしが始まった。
俺の父さんはと言うと、俺が出来た途端、連絡がとれなくなっちゃったらしい。多分、めんどくさいことになりそうだからって逃げたんだろうね。
こうして、血の繋がってない兄弟ってことになってしまったんだ。まぁ・・・・正しく言えば、血が繋がっていないと言うよりは、父親の血が違う兄弟ってことになるね。
これは、俺が産まれて来る前に起こった事だから、生まれて来た俺は、当然、そのことを知らない。だから、いつも傍にいて、優しくしてくれる兄さんが、実は、同じ血が流れていなくて、しかも、兄さんの両親を離婚に追いやったのは自分だとも知らずに、優しくしてくれる兄さんに懐いていたんだ。
真実を知らない時は凄く楽しかった。父さんはいないけど、優しい兄や母さんがいて、勉強とかは苦手だったけど、それでも、幸せって思えてた。この楽しい時がずっと続きますようにといつも願ってた。
でも、その幸せは、案外早くに終わりを迎えた。俺が小学五年生の時、親戚のおばさんから真実を聞かされた。実は、俺と兄さんの血は繋がってなくて、尚且つ、兄さんの両親が離婚したのは、俺が出来てしまったせいだと。
そう聞かされた時は、その言葉が信じられなかった。だから俺は、真実を知りたくて、母さんに聞いたんだ。
・・・・今思えば、NOと言ってくれると信じて聞いたのかも知れない。でも、返って来た答えは、とても残酷なものだった。
あまりにも大きなショックに、俺はそのまま家を飛び出した。何も考えられなくなって、ただ只管、兄さんに申し訳ない気持ちで一杯だった。俺が生まれなければ、兄さんは、片親がいないと言う寂しい思いをしなくて済んだかもしれない。俺自身、片親がいないから、その寂しさは痛いほどわかる。だけど、兄さんの両親を離婚に追いやったのは、生まれて来てしまった俺のせいなんだ。
そう思うと、どうして自分は生まれて来たんだろうって思った。兄さんはあんなに優しくしてくれたのに、俺は、兄さんに嫌な思いしかさせてないじゃないかって。
気がついたら、俺は、十階建ての廃ビルの屋上に立ってた。そうだ、このまま死んでしまおうと思った。頭の中が真っ白で、目の前は見えなかった。俺が死んでしまった後のことなんか、その時は考えられなかったんだ。柵に手をかけると、柵の外側に立つ。そして、ゆっくりと下を見下ろした。もう、何も見えない。とめどなく涙が出て来て、高さへの恐怖すらなかった。そして、今度は、空を見上げた。空は、憎いほど透き通っていて、星が綺麗に見えた。
もう嫌だった。自分が憎くて憎くて仕方なかった。むしろ、もっと高いところから飛び降りて、自身の体をボロボロに壊してやりたかった。それほど、自身が嫌になった。そして、柵から手を離し、飛び降りたんだ・・・・」
「飛び降りた」と言われた時、僕は思わず息を飲んだ。雅さんが自殺する必要はないと思う。でも、もし、僕が同じ立場に立った時、そうしないとは言い切れない。多分、その時は何も考えられないんだろう。だから・・・・。
「・・・・でも、俺は下に落ちなかった。もうろうとした意識で上を見上げると、兄さんが僕の腕を摑んでいるのが見えた。だけど、俺はその後、意識を失った。今考えても、どうしてあの時意識を失ってしまったのかわからないけど、お医者さんに見てもらったところ、体に異常はなかったらしい。
もしかしたら、感情が高ぶりすぎちゃったのかもね。気がついたら病院にいて、母さんと兄さんが俺のことを心配そうに覗き込んでいたのは覚えてるよ。
俺が目を覚ました途端、母さんは俺のことを思い切り怒った。引っ叩いても来た。だけど、兄さんは、怒りも叩きもしなかった。ただ、無言で俺の傍にいてくれた。母さんとは少し違った心配の仕方なのかもしれない。兄さんは、俺が自殺をしようとしたことを怒ることもなく、ただ、『間に合ってよかった・・・・』って言ってたんだ。その言葉に偽りはないと思う。だからこそ、俺は不思議だった。
俺のせいで両親が別れてしまったと言うのに、どうして優しくしてくれたんだろう。普通なら、別れる原因となった俺を恨んで、優しく出来ないはずなのに・・・・って。そう疑問に思って、兄さんに聞いてみたいと思ったことは何度もある。でも、兄さんと口を利くことは愚か、目を合わせることすらも出来なくて、そのことは聞けなかったんだ。その間もずっと、兄さんは変わらず優しかった。
だけど、それを知った日からと言うもの、俺は、兄さんを避けるように生活して来た。兄さんのことは大好きだったし、慕ってもいた。だからこそ、目を合わせるのすら辛くて、避けてたんだ。
兄さんも、そんな俺に気を使って、出来るだけ一緒に過ごさないようにしてくれた。でも、それが凄く申し訳なくて、謝りたかった。
・・・・でも、それすらも出来ないうちに、兄さんは成人して、家を出て行ってしまったんだ。その時は、ほんとに後悔したよ。『もっと早く謝っていればよかった・・・・。本当は、もっとやりたいことやしたいことが沢山あったのに・・・・』って。
だけど、自分のせいで兄さんの両親を離婚させてしまったと思うと、申し訳なくて、何も出来ないし、何も言えなくなっちゃうんだ」
雅さんは、話している途中、ずっとうつむいていて、どんな顔をしているのかわからなかったけど、凄く辛いと思う。まさか、こんなに重たい話だとは思わなかったから聞いちゃったけど、もう話さなくていいですよって言いたくなる。でも、そう言う言葉を言うことさえ、僕は出来なかった。