ピエロは命がけ
俺も続けて中に入ったが、そのにおいの臭さに、一瞬下水に降りてしまったのかとすら思った。しかし、目の前に広がっている薬品の山と、沢山の実験器具に、研究所らしいものを感じる。しかし、においだけは下水だった。
「あっ、そうだ。これを付けておいて下さい」
そう言って渡されたのは、普通の紙マスクらしいもので、俺は顔をしかめたが、何もつけないよりはこのとてつもないにおいを防ぐ事が出来るだろうと思い、マスクをしてみて、とても驚いた。
「なんだこれは?普通のマスクと違うな?」
「そうですよ。それは、毒と臭いを防ぐことが出来ます」
「凄いな、全くにおいを感じないぞ。さっきまで下水みたいなにおいがしてたのに、無臭になった」
「まぁ、それはどうでもいいです。それよりも、そこに埋もれてる人形を運んで下さい」
「・・・これか?」
俺は、直ぐ傍に転がっていた人形を持ち上げたのだが、それを見てギョッとした。最初は普通の人形かと思っていたのだが、持ち上げてみて、骸骨だと気づいたのだ。
「・・・・これ、人形とは言えないんじゃないか?」
「そうですね。でもまぁ・・・・それで誤魔化すことは出来ると思います。・・・・しかし、とても役に立ちそうな薬品はないですね。みんな、扱い方が乱雑で、既に使い物にならなくなったものばかりです。とりあえず、部屋に戻りましょうか。もうそろそろ警備員が来る頃ですから」
そう言って研究所から出る優羅の後を、俺はどうしていいのかわからずにうろたえていたが、でかい骸骨を抱えて、俺は、何とか音を立てないように歩き出した。
「・・・・なんで、俺のことを考えないで、こんな狭い道を歩くんだよ!」
「慣れて下さいよ、私達の道は、普通の道じゃないんです」
「でもな、もう少し歩き易い道があるだろうに・・・・」
「そんなわがままを言わないで下さい。ここしか道がないんですよ」
「チッ」
俺は、下を見ないように、ただ只管、真っ直ぐに歩き続ける。
今俺達が歩いているのは、横幅二十センチしかない道だ。それを、俺の体よりもでかい骸骨を抱えて歩いているのだ。ここまででも結構酷いとは思うが、まだ許されるだろう。俺だって、ここまで怒りはしない。
なぜ怒るのか。それは、その道の高さに問題がある。その道は、一番下の地面から六十メートルぐらいの高い位置にあって、下を向くと、目が眩みそうになる。しかも、自分の体よりもでかい骸骨を抱えている為、俺は、ほとんど前を見ることが出来ないのだ。
いつ落ちるかわからないような状態で、俺はなんとか歩き続けて来たのだ。これだけでも評価されるだろう。まるで、サーカスで綱渡りを披露しているピエロの気分だ。ただ違うのは、その高さから落ちたら、即死レベルだと言うことだけだ。
「・・・・おい、俺を殺す気か?」
「どうしてですか?」
「俺が、骸骨で足元が見えないのをわかってるか?それでも歩いて来てるのを知ってるか?」
「ええ、知ってますよ。だから、ゆっくり歩いてるじゃないですか」
「・・・・嘘付け。俺の遥か先を歩いてるじゃないか。・・・・とか、なんでお前はそんなにすいすい歩いて行けるんだよ。足元が見えているとは言え、普通の奴なら、一歩も踏み出せないような高さなんだぞ!」
「これぐらい、訓練で歩きますからね、なんとも思いませんよ」
「お前は訓練してるかもしれないが、俺は、そんな訓練してないんだぞ!」
「まぁ、ゆっくりと歩いて来て下さいよ」
優羅は、既にこの細い道を渡り終えて、微笑みすらも浮かべているのだが、俺は、そんな表情にはとてもなれない。
足元も見えないのに、命綱すらもない。しかし、ゆっくり歩いたら、警備員に見つかるリスクが上がる。今の俺は、まさに、究極の危機と言えるだろう。
俺は、一端立ち止まり、頬を伝った冷や汗を拭って、骸骨を抱えなおすと、何回か深呼吸をしてから、再び歩き出す。かなり慎重に動いている為、集中力が切れるのも時間の問題かもしれない。
そんなことをふと思った時だった。一瞬だけ気を抜いたのがいけなかったのか、俺は足を踏み外して、空中に投げ出された。
その途端、体中から血の気が引いて、一瞬で、「死ぬんだな」と思った。今までの出来事が走馬灯のように蘇って、大きく息を吐いた。
心が穏やかで、もう、死ぬことに抗おうとしない自分がいて、こんなにも簡単に死を受け入れるんだなと感じた。
その時だった。突然腹に縄のようなものがまとわりつき、その縄が腹を締め付けた。思わず呻きをあげて、腹に巻きついている縄を緩めようとしたが、優羅に止められて、動くのをやめる。
「全く、集中力のない人ですね」
「うるさい!」
「それにしても、骸骨を離さなかった事は、偉いと言うべきかなんなのか・・・・自分の身をもっと大事にして下さいよ」
「・・・・うるさいな。もし、俺が手を離して骸骨を落としたとして、その下に人がいたら、怪我するだろ」
俺がそうボソッとつぶやくと、今まで文句を言っていた優羅がしゃべるのをやめた。今、奴がどんな表情をしているのかはわからないが、なんとも言えない表情をしているのだろう。
「・・・・もっと、自分の命を大切にしなくちゃいけませんよ。あの神羅とか言う人の他にも、貴方の身を案じる方は沢山いるんです。人に怪我をさせないことも大切ですが、人を守って、自分が死んでしまえば、意味がないんですよ」
そう言う優羅の言葉に、ただ、温かいような感情が、心に流れて来るのを感じた。