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世界に抗して

 戦い続けること、それが答えだ!


 共和国の首都ドグマにある、サイス高校。

 その教室のガラス窓を開け放って、一人の男子生徒が鬼神のような目つきで大空を睨みつけていた。あたかも、そこに、恐るべき宿敵がいるかのごとくに。

 良く晴れた青い空、所々に鱗状の雲。朗らかな風景だ。何もない。

「おい、サギノミヤ! 寒いから窓閉めろよ!」

 血気盛んな男子が一人、彼に向かっていった。

「お、おお。わりぃ」

 サギノミヤと呼ばれた男子生徒は、我に返ったように動き出し、窓の桟に手を掛けた。


 その時、晴れているはずの空に、地面と平行な紫電が走った。

 遅れて、雷鳴。

「な、なんだ?」

 教室中の生徒が、窓の外を見る。

 だが、その時には空は、朗らかに静まりかえっていた。

 これは、俺に対する警告か、サギノミヤは思う。

 だが、サギノミヤは負けるつもりも、死ぬつもりもなかった。


 そろそろ授業の合間の十分休憩が終わる。次は理科室で実験だ。

 サギノミヤは机から、教科書・ノート・ペンケースを取り出すと、立ち上がった。

「ほら、リョーコ、理科室へ行くぞ!」

 彼は、リョーコと呼ばれた女子生徒の前に立って言った。

「ああ……うん。わたし、教科書忘れちゃったみたい」

「しょうがねーな、俺のを見せてやるから」

「ありがとう」

 リョーコははにかむように笑った。

 サギノミヤは小さく息を吐き出した。

「な、何よ! ため息なんかついちゃって」

「いやー、相変わらずおまえ、忘れ物が多いなってな」

「そうなのよ……、自分でも嫌になるわ」

「まあ、それも個性だけどな! お前にはきっと何か才能があるよ!」

「か、からかわないで!」

 今は、明るく学校生活を送っている二人だったが、一年生の時、彼らはいじめられていた。だが、二人で協力してそのいじめを打倒したのだった。その後、二人は付き合っている。いじめていた奴らは、今学校で小さくなっている。それを見ると、彼らに同情すらできるから、不思議なものだ。

 二人が、リノリウムの廊下を連れだって歩いていると、いきなり一人の女子生徒がぶつかってきた。マリー・オダだった。珍しく、首から八芒星の装飾のあるペンダントを下げている。

「よっ、お二人さん。今日も熱々だねー」

「マリー、お前はいつも元気だな」

 サギノミヤはまた、ため息をつく。

「悩みなんて何にもないような顔している。なあ」

 サギノミヤはリョーコに同意を求める。頷くリョーコ。

「し、失礼ね! わたしにだって悩みはあるわよ!」

「へー、どんなだ!」

「……言えないわよ、そんなこと! 言えないから、悩みって言うんじゃない」

「あっそうですか」

 実際、マリーは絵に描いたような幸福な人生を歩んでいると、サギノミヤは思う。

 家は、サイス高校生徒随一の資産家だし、頭はいいし、友達は多いし、ただ恋人は未だにいないようだが。彼女の相当美しい容姿に、逆に男子生徒はためらってしまうのかも知れなかった。

 サギノミヤとリョーコは、マリーに恩があった。去年のいじめを打倒するのに、彼女の協力は不可欠だったのだ。

 と、そんなことを話している間に、理科室に着いた。

 理科室には、実験設備のついた黒いテーブルが六卓あった。恋人達二人は前から二番目・左端のテーブルに、マリーは教室中央のテーブルに着いた。マリーと二人は、別の班なのだ。

 チャイムが鳴ると同時に、生物の教師が入ってきた。白衣に眼鏡、頭は大分はげ上がっている。

「皆さん、えー、今日は先週の授業で予告いたしましたとおり、ユスリカの幼虫の、染色体の観察を行いたいと思います。染色体というのは、えーもう皆さんも分かっていらっしゃると思いますが、遺伝情報を担う生体物質のことですね」

 染色体、と言う言葉は学校の授業以外でも良く聞くが、その正確な定義はよく分からなかった。授業で簡単な説明は受けたが、それだけでは物足りなかった。調べてみる必要があるな、と思った。

「では、早速ユスリカの幼虫の、唾液腺を取り出してみましょう。えー何故ユスリカの幼虫の唾液腺を使うかといいますと、先週説明したとおり、その部分だけ染色体が巨大で、普通の顕微鏡でも、簡単に観察できるからです……。では皆さん、この水槽から、人数分幼虫を取り出し、シャーレに入れましょう」

 実験の概要はこうだった。まず、ユスリカの幼虫を一匹、プレパラートの上に置く。その後、柄付き針で幼虫の頭を抑え、胴体から引き抜く。そうすると、唾液腺が露出する。その唾液腺を、酢酸オルセイン液で染色、後に顕微鏡で観察する。すると、染色体が見えるはずなのだ。

 サギノミヤは、班を代表し、人数分のユスリカを水槽からピンセットでつまみ上げた。初めて見るユスリカの幼虫は、赤く、小さく、弱々しく、しかし生き物だった。

 班の皆は、シャーレから一斉にユスリカをつまみ、自分のプレパラートに置いた。キモイ、とか、エグイとかいう声が、時折聞こえる。

 サギノミヤは、となりに座るリョーコの顔を窺おうとした。しかし、リョーコは俯いて、この哀れな生き物を見つめており、何を考えているのか分からなかった。

 合法的に生き物を殺すことができる、と言うことで、喜んでいるのではないか? そんな考えがふと頭に浮かんで、すぐそれを打ち消した。

「えー、皆さん。これは実験とはいえ、生き物を殺すわけです。僕は大学時代に、多くの動物を実験台にしたことがあります。そうした、生き物の多くの犠牲がない限り、科学の進歩はないのだから、致し方ないことなのかも知れません。しかし、だからといって、機械的に生き物を殺していたわけではない。いつも、心のどこかに後ろめたさがあった。僕は、思うのです。人は、たとえ合法的に生き物を殺すときでも、後ろめたさを忘れてはならない、と。皆さんも、機械的に生き物を殺す人間にはならないようにしてください。たとえ、それが仕事となるとしても」

 実験を始める前に、禿げた教師は熱弁した。

 彼の言ったことは、リョーコにはどう聞こえているのだろうか。

 下らない、虚構だと思っているのだろうか。

 

 高校一年生、サギノミヤと出会ったときのリョーコは、恐ろしい性癖を持っていた。

 生き物を、殺すのである。

 初めて、そのことを知ったのは、夏、学校の屋上で、だった。当時、いじめられていたサギノミヤは、朝、野球部員さえ誰もいない時間帯に登校していた。そして教室には向かわずに、誰にも気がつかれないように、屋上に向かったのだった。

 屋上には、誰も入れないように鍵がかかっていた。この学校ができた当初は、屋上にも自由に出入りができたらしいのだが、転落する危険性があるので、大分前に頑丈な鍵が備え付けられたのだという。

 だが、サギノミヤは合い鍵を作っていた。学校で行事が行われた際のどさくさに紛れたのだ。

 その日、屋上には先客がいた。

 リョーコだった。

 彼女は背中を向け、何かを踏みつけているかのような動作をしていた。

 風が吹き、ドアが壁にぶつかる音がした。それでリョーコは、サギノミヤに気がついた。

 リョーコがいじめられているのを知っていたから、ああ、彼女も屋上の合い鍵を作って、逃げ場所を作っていたんだな、そう思った。

 リョーコとサギノミヤは、そこで初めて会話をした。初めは、お互い触れ合わずに通りすぎようとした。だが、そうするには二人は、あまりにも似通っていた。

 二人が教室に同時に姿を現すと、面倒なことになるので、リョーコが先に教室に戻ることになった。

 リョーコが立っていた場所を見ると、潰れたコガネムシの死骸がへばりついていた。神聖な屋上に、それは似つかわしくないなと思った。

 それから、リョーコとサギノミヤは、よく話すようになった。いじめは相変わらず続いたが、リョーコといればそんなことなど乗り越えられる気がした。

 ある時、リョーコの服に、小さな血痕がついているのが分かった。まさか、血が出るほどのいじめを受けているのかと、サギノミヤは問い詰めた。

 だが、リョーコは違うと言った。では、なぜ? 俺達の間に、隠し事はないはずじゃないか、そう図々しいことをサギノミヤは言った。

 すると、リョーコは「テスカトリポカの日記」というブログを見てくれ、とだけ言った。テスカトリポカが何のことなのか、その時のサギノミヤにはよく分からなかった。

 そのブログは、*テスカ*という管理人が、小動物を残忍に殺していく様を日記風に綴ったものだった。生きたまま鶏の首を切ると、下半身の方はしばらく生きており、ばたばたと羽ばたきながら走る。猫の延髄に釘を突き刺し絶命させた後、四肢をバラバラにした。というようなことがずらずらと書かれていた。

 そのほかの日常生活について書いた日記の内容から、ブログを書いているのはリョーコだと言うことが簡単に分かった。あの大人しいリョーコがこんなことをするなんて、信じられなかった。

「ブログ見たよ。君がどんな性癖を持っていようとも、俺にとっての君の価値は変わらないから。ただ、警察に捕まるようなへまは、しないでくれよ」

 すぐに、そうメールを送った。偽善だった。本当に彼女のためを思うのなら、全力で説得して、止めさせるべきだったのだ。もっともその時には、ブログに書かれていることはほとんど嘘だと思っていたのだが……。

 そのブログをリョーコが書いていたことを知っているのは、サギノミヤだけだった。

「何、ボーッとしてるんだ、サギノミヤ?」

 一緒の班の男子が声を掛けてくれた。

「あと、唾液腺を取り出していないの、お前だけだぜ」

「おお、わりぃ」

 慌てて、サギノミヤは柄付き針を握る。

 そして、自分自身に問う。俺は、生き物を殺す権利があるのか、と。


「ナディン……、悪いけれど、今日は一緒に帰れないの」

 放課後、リョーコが言ってきた。ナディンとは、サギノミヤのファーストネームである。

「ん? 何でだ?」

「父の使っているプリンタのインクがなくなってしまって、駅前まで買いに行かないといけないの」

「ああ、昨日言っていたわね」

 とマリー。

「ふ~ん。付き合おうか?」

「いや、いいよ。だって、ナディンの家と駅、反対方向じゃない」

「そうか。まあ俺も、今プログラミングの勉強してるから、早く家に帰りたいんだが。じゃあ、悪いけど」

「うん」

 リョーコと、サギノミヤ、マリーは自転車で坂道を降りきると、左右に分かれた。左の道へ行けばハト川、それを越えたところにセージ駅、右に行けばサギノミヤの家がある住宅街だ。 

 十二月の頭、もう辺りは薄暗い。逢魔が時というのだろうか。

 横を並んで走るマリーの姿も、ぼんやりと闇に沈んで分からない。

「ねえ、ナディン?」

「何だ?」

「リョーコのこと、好き?」

「ああ、まあな。なんだ突然?」

「ううん、何でもない。ナディンはさ、神様っていると思う?」

「ん?」

 サギノミヤは目を見開いて、マリーの表情を見ようとする。だが、よく分からない。

「人間の世界を創造した、神様」

「えらくまじめな話題だな。まあ、いるんじゃないかと思うことはある」

「どうして」

「俺は数学とか好きだからさ。世界の全ての事象が、ある一本の美しい数式の表現形なんじゃないかって思うことはある。物理の法則も、花びらの形も、人間の心の動きも、みんな最終的にはその数式に還元できるってね。まあ妄想なんだが。ただ、世界を創造した神と呼ぶべきものが存在するなら、その数式のことなんじゃないかなって」

「難しいね。わたしのイメージする神様とは、大分違う」

「そうか……」

「わたしの考える神様はね、ちゃんと人格があるの。ただ、人の持ちうる能力を無限大に拡大した存在。だから結局、神様が何を考えているのかわたし達には分からないわけだけれど」

「ふむ。そう言う考えもあるか」

「でも、本当に神様が世界を創ったのならば、何で世界はこんなにも矛盾に満ちているのかしらね。生まれて、生きて、生き、生き、老いて、老いさらばえて、病んで、病みつかれて、死に、死んでいく。なぜ?」

「さあな。確かに、世界が完璧ならば、世界はもっと静謐で、風のない時の湖面のように、微塵も揺るがないものなのかも知れないな。でも、それじゃあ、つまらないからな」

「そうね。恋の楽しみも、苦しみも無い世界かも知れないわね」

「なんだ、そりゃあ」

「何でもない、女の子の妄想よ。忘れて」

「……」

 それから二人は、別れるときまで無言だった。さよならを言った時には、辺りは完全に闇に包まれて、どこまでが自分でどこまでが世界なのか、少しだけ分からなくなった。


 一年前、マリー達とともにいじめっ子を全生徒の前で糾弾した。それで、サギノミヤ達は解放されたが、それで良かったのか今でも分からない。今では、いじめていた方がいじめられる方になっているからだ。もちろん、サギノミヤは関わっていないが、積極的に助けようともしていない。やはり、自分は偽善者なのかも知れない、そう思う。

 とにかく、解放以来、リョーコは小動物を殺すのを止めたようだ。ブログも閉鎖して、今では新しいホームページを立ち上げている。その内容は、趣味で作った小説や、イラストなどだ。以前の根暗さは、どこにもない。


 自分の部屋へはいると、サギノミヤはノート型パソコンを開き、C言語のエディタ&コンパイラを起動した。フラクタル図形を描くプログラムを書いているのだが、どうしてもエラーが出てしまう。諦めて、解答を見るべきなのか?

 その時だった、母親が、血相を変えて部屋に入ってきたのは。

「なんだよ、部屋にはいるときはノックするなりなんなり……」

「さっき、連絡網が回ってきて、あんたの高校の生徒の、死体が見つかったんだってよ!」

「何だって!?」

 サギノミヤは思わず椅子から立ち上がろうとして、椅子の脚に、足の親指をぶつけた。

「いって~!」

「何やってるのよ……。死体が見つかったのは、ハト川の河川敷よ」

「誰なんだ、殺されたのは?」

「……あっ、それ聞き忘れたわ」

「全く母さんも間抜けだな。ニュースでやるかな?」

 夜の八時時半、ちょうどニュースの時間だ。

「じゃあ、俺テレビ見とくから、母さん早いとこ、連絡網回しといてね」


 サギノミヤは居間に向かうと、テレビの電源を付けた。

 国営放送、中年の男性キャスターが、今日のニュースを放送している。

『宗教団体「T1000S」が、ケントルム・ドグマで大規模なデモ行進を行いました』

 ケントルム・ドグマとは、首都ドグマの官庁街、文字どおり中枢を指す言葉だ。

『……人数は、およそ二百人。これほどの規模のデモが行われたのは、国内では……』

 そんなニュースはどうでもいい。早く次のニュースへ行け。

『彼らの主張は、「政府中枢の人間は、完全に*造物主*と呼ばれる存在に支配されているため……」』

 造物主。

『なお「T1000S」は、二年前に死亡したサヤカ・ガーディナーの創設した宗教組織の分派です。その中でも、「世界を*造物主*の手から解放するためにはテロ行為も辞さない」という教義を掲げているとされ、国家公安部は警戒を強めています』

 サヤカ・ガーディナー。世界が*瞳*で支配されているという奇妙な教えを残した、自称預言者。彼女の宗教は、何度も分裂を繰り返しながら、次第に影響圏を拡大していた。高校生のサギノミヤですら、そのことを知っている。

『次のニュースです。首都ドグマで、またも悲惨な事件が発生してしまいました』

 来た! サギノミヤは不謹慎にも、画面に身を乗り出した。

『首都ドグマ、イリヤ区を流れるハト川の河川敷で、女性が頭から血を流して倒れているのが発見されました。病院に搬送されましたが、まもなく死亡が確認されました。

 死亡していたのは近郊の区立サイス高校の生徒、ユカ・ヒダさん、十六歳です。

 警察によれば、ヒダさんは頭を鈍器のようなもので殴られた形跡があり、何者かに殺害されたものと見て捜査を進めています。

 死亡した時刻は、学校が終了した夕方五時から、死体が発見される七時までのあいだと見られております。現場は、普段から人通りが少なく、今のところ有力な目撃情報はありません』

 頭を鈍器のようなもので殴られた? サギノミヤはその死因に、心当たりがあった。

 ブログ「テスカトリポカの日記」に書かれていた小動物の殺害方法。その中で一番多いのが、金属バットで頭を潰す、というものだった。本当はもっと残酷に殺したいのだが、人に見られるといけない。だから、手っ取り早く頭を潰す。それがクセになってしまった……。サギノミヤはその記事を読んだとき、吐き気がしたものだった。そして現実にリョーコの家の近くで頭を潰された猫の死骸を見つけたことがある。

 殺されたユカ・ヒダのことは知っていた。あまり話したことはないが、二年三組の生徒でバスケ部員だった。

 ユカとリョーコの接点は分からない。だが。

 だが、リョーコに電話しなければならない、そうサギノミヤは思った。

 テレビを消し、居間を出て、自室に戻る。部屋の電気を付ける。

 居間と違って暖房がないから寒い。

 携帯を手に持ち、リョーコに電話。

 なかなか出ない。三十秒ほど待つ。

 四十秒。

「はい?」

 やっと繋がった。

「ああ、リョーコか? 俺だ」

「うん」

「連絡網、回ってきたか?」

「死体が発見されたっていう?」

「そう」

「それで、今し方ニュースでやってたんだが、見たか?」

「いいえ。本を読んでいたから」

「そうか……」

「……」

 沈黙が、続く。

「気にならないのか?」

 サギノミヤは何とかそれだけ言う。

「気にはなるけれど」

「ニュースでいっていた殺害方法、鈍器で頭を殴ったって」

「そう」

「まさかとは思うが、お前が」

「……」

 彼女は黙る。

「おい、何とか言え!」

「殺してないよ、あの時、ナディンと約束したじゃない。もう二度と動物は殺さないって。それに……」

「それに、何だって?」

「いい。何でもない」

「おい……」

 彼女との通話は、突飛にとぎれた。拒絶されたのだ。

 当たり前だ、お前が殺人犯なのではないかと問い詰められて、無実の人間が怒らないわけがない。

 だが、本当に彼女は無実なのだろうか? 


 いじめに反撃するのだと三人で決意した一年前の冬。

 ナディン・サギノミヤはついに決意して、リョーコに言ったのだった。

「俺達は、これから、奴らを糾弾する。だけれど、その前に、止めないか?」

「……」

「もちろん、止める、止めないは君の自由だ。善悪の基準は、しょせん集団社会が決めた制度に過ぎないからだ。本来、全て人間の行為に、善悪はない。でも、俺達が奴らを悪として糾弾する以上、俺達が悪であってはならないんじゃないか? たぶん、今までリョーコも俺も、制度という土俵の外にいた。そうすることでしか、いじめに耐える方法を知らなかったからだ。だが、これから俺達は土俵に上がる。後ろめたいことがあってはならない」

「……」

 リョーコは無言だ。だがその目が、屁理屈を言うなと語っている。

「今のは屁理屈だ、悪かった。俺も、リョーコのことを悪く言えるような性癖じゃないことは分かっている。だけれど」

 俺はリョーコの目から涙が流れ落ちるのを見た。俺もつられて泣き出しているのが分かる。

「俺は、自分の気持ちを素直に言うなら、理屈じゃなく、もうリョーコに何も殺して欲しくないんだ。それは決して許される行為じゃない。だから」

 リョーコは俯く。サギノミヤは、自然に彼女の方を抱き寄せていた。

 リョーコがその手を軽く触る。

「初めてだね……、ナディンくんがこうやってわたしの身体を自然に触ってくれたのは」

「あ、そうかな」

「そう。だから、やっと……」

「やっと、何だ?」

「分かったわ。もうこれから、わたしは動物を殺すのを止める。だから、その代わり約束して。ナディンくんも、自分の性癖を捨てて。これからはわたしだけを見て」

「……ああ、分かったよ」  

 そう、サギノミヤも人に言えないような性癖を持っていたのだ。ただ、それを実行しているかしていないかだけが、二人の違いだった。


「俺はリョーコとの約束を守っている。だから、あいつも約束を守っていると信じよう。俺が信じることができずに、どうなるというのだ」

 明日、休校になるようだ。いつ、学校が再開されるのかは分からない。だが、直接リョーコにあって、疑ったことを謝罪しよう。

 リョーコが心配だ、ということをマリーに電話しようと思ったのだが、その話しをすると、リョーコの性癖まで話さなければならなくなる。それだけは、避けたかった。


 食事をして、風呂に入って、その後一時間ほどプログラミングの勉強をした。マンデブロー図形を描くプログラムは、まだ成功しない。

 寝る前に、夜空を見上げた。月よりも大きなそれと、目が合う。サギノミヤは恐怖で押し潰されそうになりながらも、決して目を逸らせなかった。


 翌日、何か変わった記事はないかとリョーコのホームページを見た。昨日の日付の日記に、今日は「まどろみの中で」という小説を読んだ、ということが書かれていただけだった。

 サギノミヤはなんだか安心して、C言語の勉強を再開した。

 ついに、ウインドウ一杯に見事なマンデブロー図形を描くことに成功した。

 何のことはない、初歩的なミスを犯していただけだった。

 では、問題集の解答を見て、自分が考えたものとどちらがエレガントか比べてみよう。

 そう思ったとき。

「ナディン! また学校からの連絡網よ!」

「何だって!」

 サギノミヤは、部屋の扉を開けた。母が青い顔をして立っていた。

「また、あんたの学校の生徒が殺されたって」

「は。今度は誰が?」

「シロー・モンテヨシュア君だって」

「モンテヨシュア……、まさか」

 サギノミヤもよく知っている奴だ。サギノミヤと同じようにいじめられていて、冬の反撃の際にともに闘った、二年二組の生徒だ。

「凶器も現場で発見されたって。金属バット」

「犯人は? 捕まったのか」

「捕まったとは言っていなかったわね」

「……」

 嫌な予感がした。

 サギノミヤは、自分の部屋からカバンをひったくると、自転車を転がしてリョーコの家へ向かった。

 二十分ほどで、彼女の家の前へ着く。

 パトカーが停まっている。

 黒い玄関の扉が開いて、スーツ姿の男達四人が出てきた。彼らに囲まれるようにして、リョーコが。

 彼女は俯いていた。サギノミヤに気がつかない。だから。

「リョーコ!」

 サギノミヤは叫ぶ。彼女は振り向く。潤んだ瞳。だが公安は無理矢理彼女を後部座席に押し込む。

「お前は無実だ! 俺が知っている。必ず、助けてやるから!」

 その声が、リョーコに届いたどうかは分からない。サギノミヤは自転車の向きを変えると、急いで自宅へと戻った。

 

 まずは、情報収集だ。居間に入ると、テレビの電源を付ける。

 おあつらえ向きに、昼のニュースの時間だ。

『次に入りましたニュースです。イリヤ区でまたしても殺人事件が発生しました。殺されたのは、区立サイス高校の生徒、二年生のシロー・モンテヨシュアさんです』

 やはり、殺されたのはモンテヨシュアか。

『場所は、イリヤ区セージの住宅街近郊にある、森林の中です。モンテ・ヨシュアさんのしていた腕時計が夜の八時半を指したまま破損して動かなくなっていたため、殺害された時間は、その前後と推測されています。現場には凶器と思われる金属バットが捨てられており、指紋の採取等が……。ん。 あ、失礼しました、ただいま入りました情報によりますと、容疑者と思われる人物が、先ほど逮捕されたようです。容疑者が、先ほど逮捕されたようです。

 詳しい情報が入り次第、またお伝えいたします』

 まだ、マスコミでも事件の概要を把握していないということか。だが、その内リョーコのことについて好き勝手に論じた報道が始まるだろう。裁判所が真理を決める前に、世間が虚構を作り出してしまう。その前に、何としても。


 サギノミヤは自分の部屋にこもり、あの時自分を助けてくれた*反逆者*に祈った。

「*反逆者*、助けてくれ。俺の愛した人が、追い詰められている。なんとか、してくれ」

 だが、何も起こらない。

 サギノミヤは目をつぶる。まぶたの裏側に血が流れているのが見える。

 さらに強くまぶたを閉じる。

 願いを、もっと強く。

 そうすると、闇の視界の中心に、小さな明るい点が現れた。

 それは、次第に大きくなっていく。

 やがて、それは美しい天使の顔になった。

 *反逆者*だ。

『わたしを呼んだか。ナディン・サギノミヤよ』

「助けてくれ。こんなことをあんたに頼むのは筋違いだってことは分かっている。だが、俺の彼女を助けてくれ。彼女はかけがえのない」

『まて、わたしは、超越者ではない。ナディン・サギノミヤが現在、どういう状況にあるのか、即座には分からない。あなたの思考を読ませてもらうぞ。いいか』

「ああ、構わないさ」 

サギノミヤは前頭部にうずくような痛みを感じた。ただ、それが*反逆者*が心を読んでいるからなのか、ただの頭痛なのか分からなかったが。

『成る程な、君の恋人が、警察に逮捕された、と』

「そうだ。助けてくれ」

『わたしは神ではない。*瞳*ですら世界で起こる事象を自由に操ることはできない。それに、世界に過剰介入して取り返しのつかない崩壊を招きたくはない』

「……」

 一年前の冬、*反逆者*が助けてくれたときも、同じ様なことを言っていた。彼や*瞳*が世界の運命を改変しようとする行為は、いわばティッシュペーパーに描かれた落書きを消しゴムで消そうとする行為だ。一歩間違えれば、穴が空いてしまう。それは、世界を壊す行為だから……。

「だが、結局あの時、俺達を助けてくれたじゃないか。少なくとも*反逆者*の助けがあるのだと信じることで、俺は自信を持って行動することができた」

『む……。あの時は、*瞳*が、君を排除しようと世界に介入していたから。多分……君を自殺に追い込もうとしていたから。だが、今回は……』

「今回は違うのか。だから、助けてくれないのか?」

『まて、今から調べる。もし、この件に*瞳*が介入していたとするのならば……」

 反逆者は、いったんサギノミヤの視野から姿を消した。多分、人間には決して見えない世界の裏側(コンピュータでいうならCPUやメモリ上の電子一つ一つの動き)を見透して、因果関係に無理のある事象を探しているのだ。

 やがて、天使の顔は視野に戻ってきた。

『確かに、*瞳*が君の身の回りに介入している兆候はある。彼女の逮捕は*瞳*の策動のほんの一端に過ぎない。やはり、わたしが助ける必要はありそうだ』

「そうか、ありがとう」

『とはいえ、わたしが事件解決のヒントを与えることは、もちろんできない。それは明らかな過剰介入だ。ただ、因果律の歯車を、少しだけあなたに有利な方向へ動かすだけに過ぎない』

「あなたが、ついてくれているというだけで、どれだけ心の支えになるか分からない」

『ふむ……。では、わたしはもう去る』

「待ってくれ、最後に一つだけ聞かせてくれ。リョーコは、犯人じゃないんだな」

「犯人ではない」

「そうか。良かった……」

 *反逆者*の姿は、あっという間に消えた。サギノミヤはゆっくりとまぶたを開く。

 部屋の蛍光灯の光で、目が眩んだ。

 一年前の時も、*反逆者*は直接助けてくれることはしなかった。ただ、見守ってくれている気配を感じさせてくれただけだった。

『*瞳*の予想から逸脱し続けること、それがあなたの使命だ。戦い続けること、それが答えだ!』

 彼はそう言ったのだった。

 戦い続けなければならないとしたら、今は考えることだ。

 リョーコ以外に犯人がいないか、ということを。


 ……誰か、他に動機があるものはいないだろうか。

 そこからだ。

 彼を排除したかったもの。一番考えられるのは、かつて、彼をいじめていた奴ら。

 モンテヨシュアはこう言っては何だが、いじめていた奴らが思う以上に陰険な男だった。

 いじめていた奴ら(その一部はサギノミヤをそうしていた連中と重なる)は、主に彼に殴る蹴る等の暴行を加えていた。通路を歩いているときに足をかけて転ばせたりもしたそうだ。

 だが、いじめを一斉に糾弾して立場が逆転したときに、モンテヨシュアはより陰険な手法で復讐を開始した。彼は、いじめられている間に、いじめっ子達の弱みを調べていたのだ。

 そのいじめっ子達の一番の弱点を、小出しにして噂で広めた。その一部はサギノミヤの耳にも届いている。いじめっ子達は「悪」というレッテルを貼られているから(実際に悪いのは彼らなのだが)誰も助けない。しかも、その弱みの中には「仲間の悪口を言った」等のこともあったから、元いじめっ子達は次第に分裂して、抵抗力を無くしていった。

 その上で、モンテヨシュアは最後の仕上げをしたのだ。あいつらは病気を持っている、触ると腐る、臭い、近づくな、机も近づけるなとそういった噂を広めたのである。恐るべきことだ。しかし、より恐ろしいのは、いじめの糾弾に同意したその他の生徒達は、モンテヨシュアの行為を咎めることはしなかったことだ。多分、新たな生け贄が欲しかったのだろう。

 血で血を洗う行為。その血もまた、血で洗われたのではないだろうか。そして見ているだけの奴らがぬくぬくと生き残る、自分も含めて……。

 だが、この推理には欠点がある。

 ユカ・ヒダを殺す動機は、彼らにはないのだ。多分。いや、無いとは言い切れないか……、サギノミヤはヒダのことをよく知らないのだから。

 情報収集を、する必要がある、そう思った。まずは、悪名名高き学校裏サイトを調べてみよう。


 サギノミヤはパソコンの電源を付けると、ウェブブラウザソフトを起動した。

 検索画面でトチニトナ・悪口・学校と入力すると、一件ヒットする。トチニトナとは「ローマ字入力」ではなく、「かな入力」で「SAISU」とタイプしたときに打ち込まれる文字だ。「トチニトナ噂話掲示板」がサイス高校裏サイトのタイトルだ。何とも露骨なタイトルの付け方だが、サイスという単語がどこにも出てこないので、普通に検索してもたどり着かないはずだ。いわば、簡単な暗号だ。サイス高校の大部分の生徒はこのサイトの存在を知っているが、生徒の親族も、教師も、全く認知していないはずなのだ。

 ただ、サギノミヤがこのサイトの存在を知ったのは、いじめを糾弾してからしばらく経ったときのことだった。マリーが、教えてくれたのだ。

 明らかにいじめの温床となりそうなサイトだが、サギノミヤもリョーコも先生に「チクる」ことはしなかった。せっかくいじめから解放されたばかりなのに、再び「空気の読めない奴」として孤立するのはごめんだったからだ。やはり自分は偽善者なのだ、そう思う。

 さて、その掲示板には無数のスレが立っていた。三年生のナントカ先輩はかっこいいとか、国語教師のナントカの息は臭いだとか、そういう下らないスレばかり立っている。

 その中でも人の悪口は多い。匿名の場所で、人はこれほどまでに残忍になれるのかと思うほどに……。

 ざっとスクロールして見渡す。一つのスレッドが目についた。

 <ちまちまが家族ぐるみでT1000Sに入ったってよ>

ちまちま、と聞いて一人の男子生徒の顔が思い浮かぶ。ガキ・アスアー。モンテヨシュアの復讐の標的にされていた男だ。

 そのスレッドの、返信数は50の長さに及ぶ。最初に立てられたのは今から二ヶ月ほど前。それから、一日に1~5の書き込みがあったことになる。

 その記事を最初から読む。

 1リンホー<二年二組の某ちまちま君が、家族ぐるみでT1000Sに入信したようです>

 T1000S、サヤカ・ガーディナーの衣鉢を受け継ぐと称する、新興宗教。サヤカ・ガーディナーが唱えていた教義から考えて、彼女にはサギノミヤと同じものが見えていたのかも知れない。だからといって、彼女の自称後継者達の起こした宗教に入信するつもりはない。

 さて、それに対する最初の返信から読んでいこう。

 2ホリデ<T1000Sってあの新興宗教の? ちまちまマジキモイんですけど>

 3サモ<何で、そんな宗教に入っちゃったの? 家族そろってバカだから? ていうか、バカなのか?>

 4リンホー<正確に言えば、T1000Sのさらに分派らしいが。どういう教義を掲げているかまでは不明。どうも、彼の家、最近父母が離婚したらしくてね、彼は母親に引き取られたんだが。自分たちに災難が降り注ぐのは、*造物主*とかいう存在がいけないらしいって言われて、入信しちゃったらしいよ>

 この情報収集力。やはり、スレ立てしたリンホーは、モンテヨシュアか。

 それから暫く、ちまちま=ガキ・アスアーのどうでもいい悪口が続く。その後、40スレ目、また引っかかる発言が登場する。

 40うっぴー<T1000Sに関する噂なんだが。うちの教師の誰かがT1000Sの分派に入信しているっていう。それで、密かに生徒を勧誘してるとか、してないとか>

 41サモ<誰だ、お前? ていうか、その教師マジぃう゛ぇrい>

 42うっぴー<噂ですよ、あくまで噂。それがもし本当だったら、リンホーさんの耳に入っているでしょうしね。どうですか? リンホーさん?>

 43天麩羅<うわ、初めて見るけど、このスレすごいことになってるね>

 44リンホー<さあ、そんな噂は聞きませんね……。いや、待てよ……>

 そこで、このスレは終わっている。今から一ヶ月ほど前のことだ。


 モンテヨシュアはこのスレで、色々アカウント名を変えている。だから、彼がどのぐらい頻繁にこの掲示板を使っているのかは分からない。ただ、ガキ・アスアーがもっとも残酷に標的にされていることは分かる。

 そして、ガキ・アスアーがT1000Sの分派に加入していたとするならば。T1000Sは、反*造物主*を掲げる集団だ。*瞳*が目障りに思って、排除のための布石を打っていることは考えられる。

 *反逆者*は言った。今回の殺人事件に*瞳*が介入していると。だとすれば、少なく見積もっても、ガキ・アスアーが何かを知っている可能性はある。

 手がかりはつかめた。薄汚い掲示板だが、今日ばかりは多少、制作者に感謝したいと思った。

「ちまちま」についての掲示板を見ている間に、新しいスレッドが立った。

 二つの殺人事件についてだった。

 <高校生打撲殺人事件の容疑者が逮捕されたようです>

「ちっ!」

 サギノミヤは舌打ちする。

 1佐々木<うちの学校の二年生が殺された事件。犯人が逮捕されたってニュースでやってた>

 2たもつ<逮捕されたんか? 知らなかった>

3たもつ<で? 犯人、誰?>

 4佐々木<詳しくは知らない。でも、どうやらうちの学校の生徒のよう>

 5ダシイ<貴様、どこからその情報を得た?>

 そこでスレッドはとぎれている。まだ、誰が容疑者として警察に連行されたか、という情報については書き込みがない。だが、それも時間の問題だろう。いずれ、リョーコについてのあること無いこと書き込まれるに違いない。

 

 サギノミヤは、静かにパソコンの電源を落とした。


 高校の連絡網が回ってきて、犯人が逮捕されたため、明日から一週間自主登校になったと知った。もちろん、休むつもりはない。登校して、情報を収集するのだ。

 サギノミヤは形容しがたい胸の高鳴りの中で、眠りについた。


 翌朝、食事を取りながら、民放のニュースを見た。

 前日に放送する予定だったニュースを後回しにして、容疑者逮捕の報道をしていた。

『逮捕されたのは、高校の同級生でした』

 女のキャスターが、やけにメリハリのきいた声を出す。

『第二の殺人事件の現場に落ちていた凶器と思われるバットから、少女の指紋が大量に見つかっていることから、彼女が犯行をおかしたことはほぼ間違いないと警察は見ています。ただし、少女は今のところ犯行を否定しており、従って動機についての自白も得られていません』

 サギノミヤは拳を握りしめる。凶器から指紋が見つかっているのに、それでもリョーコは犯人ではないと言えるのか? 彼女を信じる気持ちが揺らぐ。

『なぜ、彼女はこのような犯罪に到ったのでしょうか。そこには驚愕の事実がありました。少女は、以前より小動物を頻繁に殺していたのです。今回使われた凶器のバットも、小動物を殺す道具として使っていたようです。一体、彼女はどのような心理状態にあったのでしょうか。今日は専門家の先生をお呼びしています』

 ここで画面が切り替わり、眼鏡をかけた恰幅のいい、中年のオヤジが映し出される。テロップには、国立ドグマ大学医学部ドゥーク・オオハシ教授とある。

 大橋教授は画面に向かって一礼する。

『なぜ、彼女は今回のような犯罪に到ったとお考えですか。オオハシさん』

『そうですね。警察の発表や、その他非公式の資料からしますと、少女が頻繁に生き物を殺していたことは間違いないようです。今回の殺人も、その延長線上に位置しているのだと思います。

 彼女はかなり幼い頃から、生物を殺すことに楽しみを感じる人間だったのではないでしょうか? もちろん、幼い子供は平気で虫や小動物を殺すことがある。のたうち回るミミズを、実に楽しそうに観察することもね。でも、大人になるにつれて、次第にそのような部分は消えていくのが常です。ところが、生まれつき、そうした衝動を強く持っている人や、それを捨てることのできない人はいる。彼女はそうだったのではないかと思います』

『成る程。ではその場合、動機としてはどのようなものが考えられますか?』

『およそ、一般的な人が考えつくような動機はないのではないかと思います。ただ、殺すのが好きだから殺した、そうとしか思えません』

 サギノミヤは歯ぎしりする。この大学教授が言うことは、ほぼ正鵠を射ている。サギノミヤが知っている彼女の一面は、確かにオオハシのいうとおりだった。だが、同時にリョーコは、他人の心を理解できる美しい心の持ち主でもあったのだ。だから、好きになった。

 もっとニュースを聞いていたかったが、学校へ登校する時間になってしまった。

 テレビの電源を消すと、サギノミヤは席を立った。

 たぶん、今日から一週間、テレビではどのチャンネルでも、似たようなことを放送するだろう。そして、世間では、人々の望む醜い虚構が作られていくのだ。決してそれが真実ではないとしても。


 家の外に出ると、凍えるような寒さだった。

 自転車のハンドルのグリップは、刺すように冷たい。サドルに腰掛けると、冬の冷気が尻から心臓にまで伝わってきそうだった。

 サギノミヤは空を見上げる。相変わらず、巨大な*瞳*が天頂にあった。

 物心ついたときから見えていた。だが、自分の他に、あれが見えるという人間に会ったことがない。*瞳*が何者なのか教えてくれたのは*反逆者*だった。

 *反逆者*に出会ったのは、小学校一年生の時だった。それ以来、たまにサギノミヤのもとに現れては、助けてくれる。

 *瞳*を一睨みすると、サギノミヤはペダルをこぎ出した。


 いつも朝早く登校するサギノミヤだが、今日はニュースを見ていたので、遅刻ぎりぎりだった。しかし、扉ののぞき窓から教室を見ると、いつもの半分も生徒がいない。当たり前だ、自主登校の時に、わざわざ学校に来るのは、学校でよい成績を取るために命を懸けている優等生か、変人ぐらいのものだろう。あるいは、事件についての噂話を聞きたいものもいるのかも知れない。   

 サギノミヤが扉を開けると、皆の視線が一斉に集まった。ただでさえ人の少ない教室が、静まりかえる。

 リョーコが容疑者として警察に連行されたこと、すでに知れ渡っているのか。

 サギノミヤは、誰とも挨拶を交わさずに席に着く。皆がひそひそ話しているが、何を言っているかまでは聞こえてこない。教室の状況がどんなものなのか尋ねたかったが、マリーの姿は見えない。欠席か?

 ホームルームが始まるまで、あと三分ほど時間がある。思い切って誰かに聞いてみるか?

 サギノミヤは席を立つと、教室の後ろの方にたむろしている、男子生徒の集団の中へと入っていった。

「おはよう」

「おう、サギノミヤ!」

 サギノミヤの挨拶に、真っ先に答えてくれたのはセイレーン・ノヤだった。彼とは、パソコンが好きという趣味が一致して、ある程度の親交があったからだ。

「容疑者、逮捕されたようだけれど……」

 重々しく、サギノミヤは切り出す。

「……」

 ノヤは眉間にしわを寄せ、サギノミヤから目を逸らした。

「どうやら、誰が逮捕されたか、知っているんだな?」

「……ああ」

「リョーコ・ギブリール、俺の彼女だな」

「そうだ」

 パソコンマニアにしては厳つい顔をしたノヤの顔は、苦渋に満ちた表情をしていた。それで、サギノミヤ自身が今どんな表情をしているのか分かる。無理矢理肩の力を抜き、少しでも表情を和らげようとするが、上手くいかない。

「誓っていうが、俺はあの大人しかったギブリールが……犯人だとはとても思えない、けど」

 とノヤ。

「朝のニュースを聞いたみたいだな。彼女が、恐ろしい性癖を持っていたっていうのも、知っているか?」

「……そう報道されているな」

「俺も、正義に懸けていうが、あいつは好んで生き物を殺すような奴じゃない。俺は、あいつが生き物を殺したところを一度も見たことはない」

 大嘘だ。

「だから、あいつも今回の犯人じゃない。絶対に」

 これは本当だ。サギノミヤはリョーコを信じると決めたのだ。

「そうか。お前が自分の大切な人を信じられる奴だってことは、知っている。誠実な奴だから、僕はお前と付き合っている。だが、信じるだけではダメだ。客観的に全てを見ろ」

 ノヤは、真っ直ぐな視線を向けてきた。

「リョーコが犯人だと言いたいのか?」

「違う。調べろってことだ。警察が見逃しているような証拠を集めて、誰もが納得のいく論理的な手続を踏んで、ギブリールが犯人で無いことを証明して見せろ。お前の得意な物理や数学と同じだ」

「……」

「僕は、そのための協力を惜しまない。いや言い直す、僕の手の届く範囲でのことなら、手伝ってやる」

「そうか、ありがとう……」

 自分自身の目が潤んでいるのを感じた。


 ホームルームの時間、教師がひとしきり事件のことについて喋った。犯人が学校の生徒であることも言ったが、それが誰かまでは口にしなかった。

 やがて、ホームルームの時間が終わり、現代文の時間が始まった。教師の名前はシンハー・ドヴァだ。

 といっても、生徒が半分以上欠席しているのに授業を先に進めるわけにはいかない。

 そこで、教科書とは関係ない小説の一部を抜粋して配り、それを三十分で読解するように言った。さらに最後の十五分間で、読解できたかどうかの小テストをやるそうだ。

 ドヴァは授業の最後にいつも小テストをやる意地の悪い先生として有名だった。だから、みなさして驚かない。むしろ、受験のためには、こういう教師の方が必要なのだ。

 小説の内容は、不治の病にかかっている少女と、そのボーイフレンドとの会話で構成されている。病室から出ることのできない少女のために、今度旅行先の写真を撮影して、見せてやろうと少年が決意するところで話は終わっている。

 どんな問題が出題されるのか分からないから、彼のテストは難しい。普通現代文のテストは、あらかじめ問題を把握してから読解していくというコツがあるのだけれど、それができない。

 テストの問題は、相変わらず意地の悪いものだった。

「フミコは、自分は天体観測をする科学者よりも、宇宙飛行士になりたいと言っていますが、それは何故ですか。次の1~4の中から当てはまるものを選びなさい」

 はっきり言ってサギノミヤは、小説の読解が一番苦手だった。どうしても、答えが一つであるようには思えなかったからだ。大体、小説の著者が問題を解いたとして、はたしてどの程度正解するのかはなはだ疑問だ。

「段落三の二行目に出てくる「これ」とは何のことを指しているのでしょうか。本文中の言葉から選んで書きなさい」

 くだらねー、サギノミヤはそう思い、適当に答えを書いてテストを終わらせた。ドヴァの出題は、悪問が多い。答えが一つとは限らない、そう奴は公言しているくらいだ。

 真実は常に一つだ。

 そう、真実は。

 サギノミヤはシャーペンを置くと、事件についての思索を始めた。

 モンテヨシュアを殺す動機がある奴、ガキ・アスアー。彼は今日、登校しているだろうか? 彼は今、どんな立場に置かれているのだろうか? 学校裏サイトにまで記事を書かれて、本人はそれを知っているのだろうか?

 

 それから、数学、物理と自習が続き、放課となった。

 サギノミヤは取るものも取り敢えず、セイレーン・ノヤの席へと向かった。彼はカバンの中に勉強道具を詰め込んで、帰り支度をしている。

「ノヤ、早速だが聞きたいことがある」

「何だ?」

 ノヤは顔を上げる。

「二組の事情、詳しいか?」

 サギノミヤは他クラスにあまり多くの友達がいない。特に、二組で付き合いのあったのは殺されたモンテヨシュアだけだ。

「一応、古い付き合いの友達もいるぜ」

「そうか……、ガキ・アスアー、知ってるか?」

「個人的には、あまり話したことはないが……、知ってはいるさ」

「あいつの立場、今、どうなっているんだ?」

 一年前の冬、サギノミヤ達は、担任教師と生徒達全員の前で、いじめっ子達の名前を挙げ、彼らに何をされたのか、ほぼ全てを喋った。そして、謝れ、と言った。先生にはあらかじめ、何をするか伝えてあった。クラスのほとんどが、エスカレートするいじめに嫌悪感を思え始めていたから、この弾劾は成功した。

 いじめっ子達は失脚した。だが、中核になっていた奴らに復讐をすることはできたが、密かにいじめに参加していた日和見主義者は無傷だった。結局彼らは、一部の人間を生け贄にすることで、平和を保ったのだった。

 サギノミヤは、それ以上いじめていた奴らを追い詰めることはしなかった。彼らは、それ以後居心地の悪い思いをしていただろうが、完全に居場所が無くなることはなかった。それでいいのだ。必要以上の復讐は、何も生み出さない。

 だが、同じ時に二組で弾劾を開始したモンテヨシュアは、それは甘すぎると言った。

 与えられた苦痛の何倍も仕返ししなければ、完全に踏みつぶしてしまわなければ、またいずれいじめの対象になってしまう、と。

 その後でモンテヨシュアが何をしたか、うすうすは知っていた。

「かなり追い詰められていると、思う。昔仲の良かった奴からもはぶられて、今は、いつも一人だ」

「どういう奴なんだ?」

「う~ん、僕もあまり話したことはないからな……。ただ、一人では何もできないような奴だって、噂で聞いたことはあるけれど。虎の威を借る狐、的な」

「うーん、そうか。それ以上のことはよく分からないかな?」

「分からないけれど、二組の教室にまだ僕の知り合いが残っていれば、分かるかも知れない。二組へ行ってみよう」


 二組の教室では、まだ数人の生徒が残って話しをしていた。

 その中の一人に、ノヤは声を掛ける。

「アサダ、ちょっと話しを聞きたいことがあるんだけれど」

「なんだ。そろそろ帰りたいんだけれどな」

 アサダは仲間との会話を中断して、こちらを振り向いた。そして、サギノミヤの顔を見て、少し驚いた。

「話を聞きたいのは俺だ。知っているかも知れないけれど、俺は四組のサギノミヤだ」

「ああ、知ってる。俺はアサダだ」

 サギノミヤは一つ咳払いをした。知らない人間と話しをするのは緊張する。

「単刀直入に言う。ガキ・アスアーってどんな奴なんだ」

「あいつか……。はっきり言って気持ち悪い奴だった」

「どんな風に?」

「誰かが苦しんでいるのをにやにや笑ってみていたり、自分より弱い立場の人間には嫌がらせをしたり、な。強いものに媚びを売って、それで自分の権力を保っていたんだ。俺もやられたことがある。だから、ほら、いじめてた奴らが糾弾されるとすぐに、友達を失って孤立した。ゴマすってた本人にも見捨てられて」

 そうしたガキ・アスアーのイメージを作り出したのがモンテヨシュアだとすれば、彼の策略は驚くべきほど用意周到だと言える。自分の代わりに、クラスにより弱いものを一人作る。そして、そいつを生け贄にしたのだ。かつての仲間達達にまで裏切らせることによって。やがて自分をいじめていた奴らは分裂し、互いに疑心暗鬼にとらわれる。彼は復讐という名の正義に酔いしれていたのかも知れない。

「モンテヨシュアが、ガキの悪口を広めていたのか?」

「……そうとも言える。だけど、ガキはそれぐらいのことをされて当然の奴さ」

「そうか」

 サギノミヤは心の中でため息をついた。このアサダという奴は、自分の意見を持たない日和見主義者の典型なのだろう。決して自分からいじめられているものを助けようとはしないのだ。

 しかし、これではっきりとした。ガキには動機がある。

「ところで、ガキ・アスアーは、一日の八時半頃、何をやっていたか知っているか?」

「ああん? 学習塾にいた。スウィップていう塾。俺とあいつは塾で同じクラスだからな」

「スウィップの同じクラスなんだな。ちなみに何の授業だった?」

「世界史」

「授業時間は?」

「夜の八時から九時半までだな……」

「そうか。途中で抜け出したりとかは、しなかったんだな」

「ああ。……何でそんなことを聞くんだ? まさか、ガキ・アスアーが殺人事件の犯人だなんて言い出すんじゃないだろうな」

「いいや。ただ、聞いてみただけだ」

「犯人は、リョーコ・ギブリールじゃないのか?」

「さあな」

 もう、このアサダという奴と話していたくはなかった。サギノミヤは礼を言うと、踵を返した。ノヤも、慌ててそれに従う。


「ノヤ、付き合わせて悪かった」

 昇降口へと繋がる階段を下りながら、サギノミヤは言う。

「いいや。何か分かったか?」

「全然。見当もつかない。ガキには動機がありそうだが……、殺されたとき、あいつにはアリバイがあったことになる」

「そうだな」

「それに、ユカ・ヒダを殺す動機がない」

「今のところ、な」

「そう。探せばあるのかも知れないが、分からない」

「……」

「あと、問題は凶器だ。何しろリョーコの指紋が見つかってる。これは決定的な証拠に見えるが」

「……、そうだな」

 ノヤは言いづらそうに呟く。

 だが、凶器からリョーコの指紋が見つかったことは、それほど絶望的な事態じゃない。 例えば、ガキが、普段リョーコの使っているバットを盗み出して使った、という想像は簡単につく。問題は、リョーコが小動物を殺すためにバットを持っているのを、どうして知ったのか、だ。

 だめだ、まだ上手く像を結ばない。いくつも大事なピースが抜け落ちている。

「じゃあな」

「ああ」

 俺とノヤは、駐輪場で別れた。家の遠いノヤは、バスで通学しているのだ。

 少なくとも、モンテヨシュア殺害の側だけから、ヤマを掘り進めていくことはできないようだ。さらに縁が遠くなってしまうが、ユカ・ヒダについても調べてみる必要がある。 明日は、ユカ・ヒダの通夜があり、クラスメイト達も参加するから、そこで話を聞いてみよう。


 家に帰ると、真っ先にパソコンを立ち上げ、ネットの海へダイブ。

 今回の事件には、どうも宗教団体T1000Sが絡んでいる節がある。彼らについての情報を、集める必要がある。

 T1000Sで検索をすると、すぐに彼らの公式サイトが引っかかる。

 サイトを開く。意外に美しくデザインされたトップページ、背景には一筆で書けるように巧妙にデザインされた八芒星が描かれている。多分、これが彼らのシンボルマークなのだろう。

 教団の沿革のページを開く。

 教祖「ジャニ・カグラザカ」の写真。ヒゲを生やしているが、以外に若い。

 教団が正式に発足してから、まだ一年も経っていない。しかし、信者の数は1000人を超えているという。ジャニ・カグラザカの手腕がどれほどのものか窺われる。

 教義。基本的には、サヤカ・ガーディナーの唱えたものを継承する。つまり、*瞳*の支配するこの世界から、修行によって脱出しなければならない、と。

 ただ、恐ろしいのは、修行の阻害となるものがあるならば、それを力ずくで排除しても構わないという教義があることだ。人殺しもやむを得ないと。

 その他、ジャニ・カグラザカが考案した壮大な神話、教団への入会金、修行の中身など様々なことが記載されている。その中で、ふと気になったのが「天命鑑定」というページだ。

 どうやら、心理テストのようなものらしい。与えられた300程度の質問に、選択肢で答えていくことによって、結果が出力される。すなわち、自分自身に*瞳*の創った世界から逸脱できる素質があるのかどうか、どのように生活態度を改めれば逸脱することができるのかどうか、などだ。

 試しにやってみる。

『電車で席に座っていると、一人の老婆が乗り込んできました。あなたならどうしますか?』

『机に向かって勉強することと、外で友達とスポーツをするのとどちらが好きですか』

『天体を観測する科学者と、宇宙飛行士、どちらになりたいですか?』 

 下らない。こんな心理ゲームで何が分かるというのだ。

 ただ、不思議なのは問題の一部が、どこかでやったことがあるようなものだったことだ。しかも、最近。思い出せないが。まあ、この手の心理ゲームは、世の中に氾濫しているから、知っているものもあるのだろう。

『あなたは*瞳*の存在を信じますか?』

 三十分ほどで、ようやく最後の問題まで答えることができた。300問は結構疲れた。

 解答は電子メールで送られてくるらしく、アドレスを入力しなければならなかった。

 送信。

 解答は、十五分ほどで来るらしい。全てをシステムに任せているのだ。


 ケータイの着信音が鳴った。マリー・オダからだった。

「はい。サギノミヤだけど」

「ああ、ナディン。リョーコが逮捕されたって、本当なの?」

「そうだ。今頃知ったのか?」

 若干自分の語気が荒くなっているのに気がつき、咳払いする。

「まさか。昼頃から何度も電話したのに、出ないから」

 今度はマリーの声が荒くなる。

「そうだったか。わりぃ」

「もう! で、どうなの。本当なの」

「本当だ。俺、あいつの家の前にったら、公安に連れて行かれるところだった」

「そう……」

 沈黙。マリーは、何を話せばいいのか分からないらしい。

「……リョーコが、昔から小動物を殺してたっていうのも、本当なの?」

「本当だ。今更お前に隠してもしょうがないからな。知っていたか?」

「ううん。知らない」

「だがな、この事件、俺はあいつが真犯人じゃないと思っている」

「え?」

「あいつは誰かにはめられたんだ。恐ろしく頭の切れる奴に」

「まさか」

「しかも、今回の件、T1000Sが絡んでいる可能性が高い」

「T1000Sって、あの新興宗教の? なぜ」

「正確に言えばT1000Sのそのまた分派かな? 色々調べていくと、そいつらの影がちらつくんだ」

「……リョーコが犯人だってこと、本当に信じていないのね?」

「ああ、彼氏の俺がそれを認めてしまって、どうするんだって」

「……分かったわ。わたしだって信じられない。わたしも、できうる限りの協力はするから」

「……すまない、助けが必要だったら、こちらから連絡するから」

「うん」


 マリーとの電話が終わった後、サギノミヤはパソコンのメールソフトを起動した。

 先ほどの心理テストの結果が送られてきた。

 サギノミヤの「逸脱可能性」は50パーセント前後だそうだ。このままだらだら人生を過ごしてしまえば、死ぬまで*瞳*の支配下から逃れることは出来ないが、教団に入って修行を積めば「逸脱」することが出来る。

 これからの生き方についてもアドバイスがあった。人生において些細なことから重大なことまで無数の選択肢がこれから待っているだろう。その時、安易な道ではなく、困難な道を選べ、と言う主旨のものだった。

 なんだ、下らない。やっぱりそのへんの心理ゲームと内容は変わらないではないか。当たるも八卦当たらぬも八卦。

 それにしても、T1000Sはなぜこんな心理テストをウェブサイトに載せたのだろうか。単なる信者獲得のためなのか?

 まあいい、本当に問題とすべきなのはT1000Sではなく、そのさらに分派なのだから。少なくとも、トチニトナ噂話掲示板で「リンホー(多分モンテヨシュア)」が語るところによれば、カギ・アスアーはT1000Sの分派に入信していたのだ。

 だが、ネットでどんなに検索してもT1000Sの分派について、有力な情報を得ることはできなかった。

 

 頭を使うのに疲れたサギノミヤは、モニターの前で暫し放心状態になった。そうすると、自分の欲望がジワジワと頭をもたげてくる。そんなことを考えている場合ではないのに。

 実はサギノミヤは、少年に性的欲求を持ってしまうどうしようもない人間だった。しかも、自分より若い男の子にだ。

 彼のパソコンのハードディスクは、一時期そうした画像で一杯だった。何度も自分を抑えようとし、ノーマルな人間になろうとした。しかし、それは無理だった。

 しかし、男を恋愛対象にしたことは一度もなかった。それは、あくまで性的興味の対象だった。

 そんな彼が、初めて恋に落ちたのが、リョーコだった。彼女は女だったので、自分でも意外だった。

 最初は、いじめという共通の敵と戦うための同志だった。しかし、お互いに喋りあったり、かばい合ったり、泣いたり笑ったりしていくうちに、心惹かれていった。

 性欲と恋愛は別のものだとサギノミヤは気がついた。リョーコと一緒にいると心がドキドキしたし、彼女と離れていると胸が苦しくなった。

 だが不思議と、リョーコのことを性欲の対象として見ることはなかった。どんなにリョーコのことが好きでも、少年への性的嗜好は消えることがなかった。彼女を目の前にしながら、あられもない想像をすることも良くあった。

 だが、どうやらサギノミヤの性的嗜好について、リョーコは早くから気がついていたようだった。だから、サギノミヤが彼女に、生き物を殺すのを止めるように言ったとき、リョーコも彼に、自分の性癖を捨てるように言ったのだった。

 そして、サギノミヤはリョーコ以外のことを考えないように自分自身に命じた。だがその決心は、決して揺らがないものではなかった。

 今も、こうして無意識のうちにネットで画像を探そうとしている自分がいる。

 サギノミヤは暫く拳を握りしめてじっとしていたが、やがてパソコンの電源を落とすと、席を離れた。   

 リョーコを信じるために、彼女との約束を破るわけにはいかなかった。


 朝、目を覚ますと真っ先に新聞を見た。十二月四日、土曜日。二つの殺人事件があってから、丸三日経った。

 新聞の三面は、大々的に事件を取り上げていた。

 あたかも少女Aすなわちリョーコが犯人であるかのような物言いをしている。

 サギノミヤはその記事を隅々まで読んで、何か新しい情報はないかと探した。

 どうやらリョーコは、犯行を否定しているらしい。ヒダが殺されたときは駅前で買い物を、モンテヨシュアが殺されたときは家族で食事をしていたと証言している。

 だが、いわゆるアリバイは、彼女にない。彼女はサギノミヤと別れてからほとんど単独で行動していたし、家族の証言は通用しないからだ。

 リョーコに不利なことばかりだ。

 やがて、自分の部屋で悶々と考えているうちに、正午になってしまった。

 ヒダの葬儀が始まるのが、十三時半。

 喪服など持っていないので、サギノミヤは慌てて学校の制服に着替えると、転がるように家を出た。

 斎場の近くに鉄道の駅はない。タクシーで行こうかとも思ったが、事件のことについて運転手から根掘り葉掘り聞かれるのはごめんだった。制服でサイス高校の生徒だと分かってしまうだろうから。結局、自転車で行くことにした。

 自転車を漕ぎながら、空を見上げる。どんよりとした灰色の雲が覆っており、*瞳*の姿を見ることはできなかった。それで、*瞳*が、サギノミヤの幻覚などではなく、物理空間に存在していることが分かる。あたかも月のように。

 結局斎場まで三十分かかってしまった。現在十二時四十分。

 祭壇の飾られた一室には十五脚程の椅子が並べられており、ヒダの家族を含む親族が、項垂れて座っている。

 親族以外の人間は、まだその部屋にはいることはできず、フロアで焼香が始まるまで待機することになっていた。サギノミヤは香典を受付に渡すと、集まりつつある同級生達の輪の中へと入ろうとする。マリーの姿を探したが、やはりいない。完全な、アウェイ。

 辺りを見回すと、外からの扉付近に、知った顔の女子がいた。他の二人の女子と話しをしているが、幾分蒼白な顔をしている。ヒダと同じバスケ部員だったはずだ。

「やあ。ナガヒメさんだったけ」

 ナガヒメと呼ばれた少女は、サギノミヤの顔を見て、目を見開いた。

「あなたは……」

「容疑者ギブリール・リョーコの彼氏。サギノミヤだ」

 隠してもしょうがない。どうせ分かることだ。

 だが、ナガヒメはその自己紹介を聞いて、眉をつり上げた。

「あんた! ユカを殺した犯人の男が、どの面下げて!」

 見た目と同じ、彼女は本来勝ち気な女らしい。

「まだ犯人と決まった訳じゃあない」

「決まったようなものよ!」

 ナガヒメは金色に染めた髪を振り乱して言った。  

「ユカは、多少クセはあるけどいい子だった。なぜ、何故殺されなければならないの!?ただ、殺すのが楽しいという理由だけで!」

「それは、俺もその通りだと思う。だが」

「だが、何よ!」

「俺はリョーコが犯人でないと確信している」

 サギノミヤは、真っ直ぐにナガヒメを見つめた。

「……何を、言うの?」

「これは、ただの妄想じゃないと思う。リョーコが犯人だとしては、何か不自然な点があるんだ」

「……」

「リョーコははめられたんだ」

「……、あんた、苦し紛れにそんなことを言ってるんじゃないでしょうね?」

「いいや」

 ナガヒメとサギノミヤは、暫くにらみ合った。

 そのまま、ナガヒメは口を開く。

「ふん。あんたが、自分の彼女を信じてるんだってことだけは分かったわ。で、あたしに何を聞きたいの?」

「何でもいい。ヒダさんが、誰かに恨まれていたとか、そういったことはなかったかな?」

「……、あの子は、何でも物事をはっきり言う子だった。だから、仲間も多いけれど、敵も多かったでしょうね」

「そうか。う~ん。じゃあ、最近何か変わったことを言っていなかったか?」 

「そう言われてもね」

「……」

「あっ、そう言えば」

「何だ?」

「現代文教師のドヴァ、あいつはT1000Sかも知れないって言ってたかな」

「何? 新興宗教のT1000Sか?」

「そう。ぼそっとね」

「ふ~む。他には?」

「あとは、全く関係ないけれど、まとまったお金が手にはいるかも知れないとも」

「お金?」

「あの子、お父さんが病気で働けなくって、結構家計が苦しいらしいのよ。週に四日はバイトを入れてたわね」

「ふうん」

「でも、これで少しは楽になるかなって、笑顔で喋ってた」

「ふむ」

「どう、これで満足?」

「ああ。貴重な情報をありがとう」

 サギノミヤはナガヒメの前から立ち去った。


 焼香が終わり、駐輪場へと繋がる道を歩いていると、一人の大きな男が話しかけてきた。

「やあ、君」

「何です?」

 男はスーツの内ポケットから公安手帳を取り出して、サギノミヤに見せた。彼は刑事だった。

「公安のものですが、ちょっと話を聞いていいかな。ああ、もちろん正式に許可を得た上での詰問じゃないから、喋りたくなかったら、それでいい」

 多分事情聴取という奴だろう。厳つい体つきに似合わず、温厚な声だ。

「はあ」

「君、サイス高校の生徒だよね。ユカ・ヒダさんとはどういう関係?」

「……同級生と言うだけで、あまり話したこともありません」

「話したこともないのに、通夜に参列した? 何故かな?」

「はあ、それが一応、同級生としての礼儀だと思いまして」

「ふうん。礼儀ね」

 刑事は眉毛の辺りをぽりぽりと搔いた。

「差し支えなければだけど、君の名前を教えてくれる」

「……ナディン・サギノミヤです」

「サギノミヤ君か。知っている。悪いけれど、ギブリールさんの周囲は調べさせてもらった」

「そうですか」

「君は、ギブリールさんの彼氏だね」

「確かにリョーコは僕の彼女ですが?」

「良かった。君にちょっと話を聞きたかったんだ」

「何です?」

「彼女のここ一年ぐらいの動向を知りたい。付き合っていたなら知っているだろう? ギブリールさんは、どのぐらい生き物を殺してたんだ? 彼女が生き物を殺していたであろうことは、色々な証言から分かっているが、君は殺しているところを見たことはあるかい? 特に、金属バットで猫などを殴り殺しているところとか」

「いいえ。僕らが付き合い始めたのは一年ほど前からですが、少なくとも彼女は僕の前で生き物を殺すようなことはしなかった」

「ふむ、そうか。それじゃあもう一つ聞くけれど、彼女は日記のようなものを付けていなかったかい? いや、彼女が今、ホームページを持っていて、そこで日記を書いていることは知っているんだが。ただ、半年より前のことは、載っていなくてね。あれだけまめに日記を付けている子だから、それ以前にも何かあったんじゃないかと思ったんだ」

 公安は、まだ「テスカトリポカの日記」の存在に気がついていないようだ。確かに、一年も前に削除されたブログについて調べるのは至難の業だ。当事者が口にしない限り。

「いや……。彼女が日記を付けていたなんてことは、知りませんが」

 どうやらリョーコは、日記について何も喋っていないようだ。ならば、彼女の意思を尊重すべきだ。

「そうか。分かったよ。……じゃあ、何か分かったら、公安の私あてに電話してくれ。電話番号は……」

 彼は胸ポケットから名刺を取り出した。

 

 太陽が西の空に傾き始めた頃、サギノミヤはようやく家に帰った。

 パソコンのワープロソフトを起動し、今までにあったことを箇条書きで整理してみる。

 ①第一の殺人。

  ・被害者 ユカ・ヒダ

  ・殺害日時 十二月一日 午後十七時から午後十九時までの間だ

  ・凶器 鈍器のようなもの

  ・動機のありそうな人間 不明

  ・その他 ヒダはドヴァがT1000Sの信者だと思っていた?

       ヒダはまとまった金がはいる予定だった?   

 

 ②第二の殺人。

  ・被害者 シロー・モンテヨシュア 

・殺害日時 十二月一日 午後二十時半頃

・凶器 現場に落ちていた金属バット

・動機のありそうな人間 ガキ・アスアー

・その他 ガキ・アスアーがモンテヨシュアを憎んでいたことは確か。ただ彼にはアリバイがある。


そして、サギノミヤは突然に閃いた!

 全ての材料を論理的に組み立てると、たった一つの結論にしか到らない。

 だが、その結論が正しいとしたら。

 酷く、悲しい。


 サギノミヤは携帯で、まずノヤに連絡を取る。

「突然わりぃ。事件が解決しそうなんだ」

「何だって!」

「結論は、本当に解決したら話す。ただ、ガキ・アスアーが事件に絡んでいることは確かだ。今夜、あいつと話しがしたい。連絡はつくか?」

「話しをするって、どこでだ?」

「多分、学校の屋上がいいと思う」

「……僕も、ガキ・アスアーの携帯番号、知らないんだ」

「誰か、知っている奴に聞き出してもらえないかな。事態は急を要する」

「分かったよ。ただ、個人情報だろ……。本人の知らないところで……」

「面倒なことになったら、俺が全部責任を取るから。頼む」

「仕方ないなぁ。じゃあ、分かったらメールで送るから」

「うん。ありがとう」


 次に、彼はマリーの携帯に電話を掛ける。彼女はすぐに出る。

「なあに? ナディン」

「事件が解決しそうなんだ」

「まさか!?」

「テスカトリポカの日記っていうブログを知っているか?」

「いいえ、知らないわ」

「リョーコの持っているブログだ。最近、そのブログにある宗教への勧誘の書き込みがあった」

「宗教?」

「あの有名なT1000Sだよ」

「そ、そうなの」

「その書き込みをした人物こそが、今回の真犯人だ」

「真犯人……」

「今夜、その人物を呼び出して話を聞こうと思う。マリーにも協力してもらいたいんだ」

「呼び出すって、いつ?」

「今夜十時頃がいいかな。場所は学校の屋上だ」

「屋上に、入れるの」

「校門は乗り越えればいい。校舎への出入り口や屋上の合い鍵は持っているから、俺が開ける」

「わたしも、そこへ行けばいいのね?」

「そう言うこと。俺一人で真犯人を相手にするのはきついんでね。頼む」

「分かったわ」

 これで準備は整った。

 マリーとの通話を終えると、ちょうどノヤからのメールが来た。思ったよりも早かった。メールにはガキのメールアドレスと電話番号が記入されていた。

 早速電話を掛ける。たっぷり四十秒も経っただろうか、ようやくガキが出た。

「誰ですか?」

 やけにくぐもった声だった。

「四組のサギノミヤだ。勝手に電話番号調べさせてもらった。すまん」

「はぁー、ふざけるなよ!」

「大事な要件があってね。君と会って話がしたいんだ」

「何だよ」

「事件のことについてだ」

「はぁ? 俺と事件と何の関係があるんだよ! 犯人はギブリールで、とっくに逮捕されてる」

「真犯人は別にいる」

「……なんだ、素人の推理ごっこか。くだらねぇ」

「とにかく、今夜十時、学校の屋上に来て欲しい。もし来ない場合は、自分の推理を公安に話す。それでもいいか」

 ガキは舌打ちした。

「いいな、来るんだよ」

 ガキは、最後まで聞かずに通話を切った。多分、気が弱いくせに短気なのだろう。だから、もう一度電話を掛ける気にはなれなかった。

 それから刻限が来るまでの間だ、サギノミヤは自分の推理が正しいかどうか、目をつぶって何度も黙考した。

 問題は、確たる証拠が無いことだ。この段階で公安に推理を話しても、取り扱ってもらえまい。


 そして、夜十時。学校の屋上に、サギノミヤは立っていた。

 空はどんよりと曇り、今にも雨が降りそうだ。酷く寒い。

 やがて、なんだかふわふわとしたかわいらしい服を着たマリーが入ってきた。

「本当にいたんだね。ナディン」

「ああ。マリーこそ、本当に来たんだな」

「事件が解決するって聞いちゃったらね」

「うん。もう一人、来るはずだから待っていよう」

 それから、寒空のした十五分ほど二人は佇んでいた。

 サギノミヤは心の中で舌打ちする。ガキは来ないか。

 もう一度ガキに連絡してみようと思った矢先、出入口の扉が開いた。

 ガキ・アスアーが現れた。

 電話の口ぶりとは違い、酷く弱々しく、卑屈に見える男だった。

「やあ、来たね」

「……えらく自信たっぷりだな。だが、俺は何もしていない」

「どうかな」


「さて、推理を始めようか」

 ガキはサギノミヤと相対するように、マリーは横に並んで立っている。

「結論から言おう。ガキ、今回の殺人のうち、一つの犯人は君だ」

「はっ、証拠はあるのか!?」

「まず、君には動機がある。君はモンテヨシュアに大分いたぶられていたようだからね。このままでは学校での居場所を完全に失ってしまう」

「ふん! 俺はモンテヨシュアが殺されたとき、ずっと塾にいたんだがな」

「誰も、君が直接殺したなんて言っていないよ。確かに君は塾にいた。裏はとれている。だから、誰か他の人物にモンテヨシュアを殺させたのさ」

「誰にだよ!」

「まあ、それは追々話すよ。モンテヨシュアの事件はひとまず置いておいて、今度はユカ・ヒダの事件についてだ」

「ヒダさんも、ガキ君が殺させたって言いたいの。なぜ」

「いや、そうじゃない。ヒダを殺害する動機のあった人物。それは、僕の推理によれば、最近『テスカトリポカの日記』に宗教T1000Sへの勧誘の書き込みをした人物だ」

「それは、リョーコの昔書いていた日記ね」

「そうだ。俺が、コンピュータについて、ちょっとした知識を持っているのは知っているね?」

「ええ、まあ」

「それで、ちょっとクラッキングをかけてみたのさ。かなり時間はかかったが、その書き込みをした個人が特定できたよ」

「まさか!?」

「それは君だ。マリー・オダ」

「な、何を言っているの。『テスカトリポカの日記』は、一年前にとっくに閉鎖したじゃない。その閉鎖したサイトに、どうやって書き込めるって言うのよ」

「そう、書き込むことはできない。だから、今僕が言ったことは大嘘さ」

「なっ」

「ところで、君は僕が電話したとき『テスカトリポカの日記』について、知らないと言っていた。ところが、一年前に閉鎖したことを知っている。公安もまだ知らないし、当然マスコミにも発表されていないのに。つまり、君は嘘をついていたことになる」

 マリーは露骨に分かるほど取り乱した。

「それは、あまりにも日記の内容が凄まじいから知らない振りをしていただけで」

「つまり、日記の存在は以前から知っていたんだな?」

「そう……ね」

「だから、君はどんな方法で、リョーコが小動物を殺していたか知っていることになる」

「それがどうしたの」

「君は、リョーコと仲が良かった。だから、リョーコの家から、凶器である金属バットを密かに盗むことはできたかも知れない」

「何を言っているの。そんなの妄想だわ!」

「そして、君は、あの日リョーコが一人で駅前まで買い物に行くので、アリバイがないことも知っていた。もし、リョーコが誰かにはめられたという仮説を信じるならば、それができたのは君だけだ」

「だから、私がヒダさんを殺して、リョーコに罪をなすりつけたって言うの? バカなこと言わないで。第一、あの日、わたしはナディンと一緒に自転車で帰ったじゃない」

「確かに、俺と一緒に帰った。俺達が別れたのが十八時十分頃。あの場所から、犯行現場のハト川河川敷まで自転車をかっ飛ばしても一時間はかかるから、たどり着くのは遺体発見よりも後になってしまう」

「そうよ!」

「だから、君も誰か代理人に、ヒダを殺させたことになる」

「私が何故、ヒダさんを殺さないといけないのよ」

「それは、はっきりとは言えない。ただ、君がT1000Sの分派に入信していたことで、脅されて、金をせびられていたんじゃないか。多分、法外な金を」

「何を言うの。わたしはそんな宗教に入信していません!」

「そうだな。これに関しては、たいした根拠がある訳じゃない。ただ、今までの推理の結論としては、これは交換殺人だったと言うことになる」

「……」

「ユカ・ヒダを殺したのは、ガキ、お前だ。そして、シロー・モンテヨシュアを殺したのは、マリー、君なんだ。そうすれば犯行時間の問題も解決する。その時間帯、君たちにアリバイはないはずなんだ」

「ははは! そんなのは全部空想だ! 何の証拠もないじゃないか!」

 ガキは下卑た声を出した。

「そう、証拠はない。俺の力で証拠を見つけることはできない。だけれど、公安はバカじゃない。いずれ、リョーコが犯人ではないって気がつくさ。そして、必ず君たちに行き着く。その前に出頭するんだな」

 マリーは悲しそうな顔をしてサギノミヤを見つめている。

 ガキが何か言おうとして口を開いたとき……、

 出入口の扉が開いた。

 現れたのは、背の高い、中年の男だった。

「ドヴァ先生……」

 マリーがかすれた声で呟く。

 そう、彼は現代文の教師、シンハー・ドヴァだった。

「サギノミヤ君。まさか、君にここまで想像力があるとは思わなかったよ!」

 ドヴァは、どこかの国の独裁者のように、数回手を叩いた。

「だけれど、所詮は高校生だな。こんな屋上のような、誰も来ない場所に呼び出すなんて」

 サギノミヤはぞくりとする。殺すつもりなのか?

「ドヴァ先生。あなたがここに来たということは、やはり、あなたがT1000Sの関係者なのですね? そして今回の殺人を二人に促したのも、あなただ」

「何を言っているんだ? どこからそんな妄想が浮かぶんだね? 私はたまたま学校の近くを通りかかって、屋上に人がいるのを不審に思って来てみただけさ」

 ドヴァの丸い顔には、薄笑いが浮かんでいる。余裕だ。

「とぼけるな。ガキ、先生にこの事を連絡したのは君だな?」

「……だったら何だ」

 ガキはサギノミヤの目を決して見ようとはしない。

「俺は調べました。先生、あなたは現代文のテストの中に、少しずつ、心理検査の問題を混ぜ込んでいる」

「……」

「前からおかしいとは思っていた。あなたのテストには、どう論理的に考えても一つの答えが出ない問題が、毎回含まれていた。どの選択肢を選んでも、正解とも不正解ともとれないような問題が。現代文のテストなんてそんなもんかと流していたけれど、まさか」

「それがどうして、心理検査の問題だと思うんだね?」

「同じような心理テストがT1000Sの公式サイトに掲げられていた。俺は、あなたのテスト一年間の問題を全て見直したが、必ず一つのテストに一問は、そっくりなものがあった」

「……ほう、よく調べたな」

 ドヴァの声色が若干低いものに変わる。

「なぜ、T1000Sが公式サイトで心理テストの問題を掲示しているのか、よく分からなかった。だけれど、あれは、宗教に引っかかりやすい奴と、そうでない奴を巧妙に仕分けるための問題だったんだ。そして、信者になりやすいと判定が出た人間には、勧誘のメールを送るのさ。そうでない人間には、何も送らない。実に効率的なやり方だ。それと同じことを、あんたは学校のテストでやっていたんだ」

「はっはっは、実に面白い。だが、残念ながら証拠はないな」

「公安が調べれば、証拠は出てくるさ」

「……」

「それで、あんたは、一年前、ちょうど俺達がいじめと闘っているときに、ガキとマリーを宗教に誘ったんだな。この一年間で、あんたマリーに何をした」

「ククク、たいした頭の切れだ。それで、わたしがオダ君に何をしたと、君は思うね?」

「多分、口で言うのもはばかるようなことを、だ。それで、そのことをネタにマリーはヒダに脅され、金をせびられていたんだ」

「フフフ、本当にたいした想像力だよ! じゃあ、君が死ぬ前に教えてやろうか。わたしはT1000Sの分派の、代表さ。分派と言っても信者数は十人に満たないがね」

「どうせほとんどが、うちの高校の生徒だろうか! ゲスが!」

「そうさ。それでとても楽しいことをしてきたのさ。T1000Sの教祖のやっていることは緩い。真に世界の限界を超えようとするならば、理性という土俵で考えていてはダメなのさ。真に背徳的な行為を行ってこそ、*創造主*の理から逃れることが出来るのさ! なあ、オダ君」

 ドヴァは、嫌らしい目つきでマリーを見た。マリーは形容しがたい表情になって、ドヴァから目を背ける。

「ほら、マリー君も、私との生活を充分楽しんでいることが分かるじゃないか」

「屑!」

 サギノミヤは一喝する。

 ポツリと、水滴が落ちた。雨だ。

「アスアー君、オダ君。突き落とせ、そいつを」

 ドヴァが低い声で命じた。

 呆然と突っ立っていたガキは、まるで傀儡人形のような動きで歩いてくる。サギノミヤは後ずさる。しかし、唯一の逃げ道は、ドヴァにふさがれている。

 遅れて、マリーも動き出した。目には涙を浮かべている。

「……いいのか、俺を殺して。リスクが高まるだけだぞ」

「なあに、もう手は打ってある。君は、自分の彼女が逮捕され、絶望して自殺した、哀れな高校生として新聞に載るだけだ」

「そうか」

 次々に空から水滴が落ちてくる。凍てつくような雨。

 サギノミヤは制服のポケットから、何かを取り出した。

「これが何か分かるか。携帯型の録音機だ。お前達の喋ったことは、全部この機械に録音されて、さらに電波で飛ばして俺のパソコンにも流れている。俺が死んでも、データは消せないだろ?」

「何だと!」

 初めてドヴァから余裕の表情が消えた。

「俺が、学校の屋上なんていう、いかにも危険なところを選んだのは、あんた達を油断させるつもりだったのさ。いつでも殺せるから、好き勝手なことを喋ってくれると思ってね」

 ドヴァは眉をしかめる。そして、眉をしかめたまま笑顔になった。

 雨は次第に強くなり、サギノミヤの体温を奪っていく。目に水滴が入り、景色がにじむ。

「サギノミヤ君。君、取引をしないか?」

「何を言い出す」

「私の作った心理検査、あれな。単に宗教に引っかかりやすいかどうかを調べるだけじゃないんだ。他にも色々なことが分かる」

 目が霞んで、ドヴァの表情がよく見えない。ただ、声はこの期に及んでまだ落ち着いていた。

「君についても、色々なデータがとれたよ。どうやら君は、同性愛的な傾向があるようだね」

「……」

「素晴らしい。実に背徳的だ! わたしの宗教に入って欲しいぐらいだよ!」

「それがどうしたって言うんだ?」

「わたしなら、私の信者の男の子を、君にあてがうことができる。わたしの言うことは何でも聞くからね。君、今まで自分の性癖を満足させたことがないのだろう? それもテストから分かっているぞ」

「……」

「君がこの事を黙っていてくれれば、そうすることができる」

 サギノミヤは空を見上げた。雲が透き通って、その遙か上空にある瞳がはっきりと見えた。

「ふざけるな! 俺の目的はただ一つ、リョーコを助けることだ!」

「そうか。残念だ。ではやはり君には死んでもらう」

「なにを……」

「わたしにはいと高きお方がついて下さっている!」

 ドヴァは真っ直ぐにサギノミヤにつっこんできた。当て身を喰らって、サギノミヤの身体は吹っ飛ぶ。

 仰向けに寝転んだサギノミヤの上に乗ると、ドヴァは首を締め上げてきた。

「ふひひ、どうだ、苦しいか?」

「ぐああ」

 ドヴァの両手を掴んで引き離そうとするが、すごい力だ。

 世界が歪む。

 みしみしと音がする。このままでは死ぬ……。

 意識を失いかけたとき、急にドヴァが両手を話した。

 見ると、マリーがドヴァの背中にかかと落としを喰らわせたのだった。

「ぎっ」

 ドヴァは背中を押さえながら立ち上がり、マリーの方へ向き直った。

「いいのかね、私に逆らって。私に逆らうのは、いと高きお方に逆らうと言うことだぞ」

「うるさい! もう、あんたのいいなりになるのはごめんよ!」

 雨に濡れたマリーの顔は、気高さを取り戻していた。

 サギノミヤは、ゴホゴホと咳をしながら立ち上がる。そして言った。

「いと高きお方、か。それは*瞳*のことだな。あんたは、*瞳*に抗うという宗教を標榜していながら、その実*瞳*の奴隷だった」

「黙れ! これまでだ! ガキ、手伝え! そいつらを殺せ!」

 だが、ガキは下を向いたまま動かない。

「どうした、お前まで?」

 ガキは、それまでの卑屈さを捨てて、ドヴァを睨みつけた。彼も何かを悟ったのだろう。

「くそ、本当に、これまでだ!」

 ドヴァはスラックスのポケットから、刃渡り三十センチはあるかと思われるナイフを取り出した。

「みんな殺してやる。殺してやるぞ」

 ドヴァはナイフを振りかざして、マリーに襲いかかる。

 マリーは避けるが、肩口に深い傷を負う。

「マリー!」

 サギノミヤは叫ぶ。

 次は、殺される、そう思ったとき。

 

 屋上の扉が開いて、屈強な男達が侵入してきた。

 振り返るドヴァ。

 ナイフは警棒ではじき飛ばされる。

 あっという間に、ドヴァは取り押さえられた。

「公安だ。シンハー・ドヴァ、お前を現行犯で逮捕する」

 

 サギノミヤはその場にへたり込んだ。空を見上げると、*瞳*は完全に姿を消し、代わりに羽の生えた生き物が旋回していた。*反逆者*だ。


 四人はすぐに公安へ連行された。マリーとガキは、犯行を自白した。サギノミヤは事情聴取された後、すぐに解放された。

 ただ、ドヴァは意味不明なことを喋り、完全に狂ってしまっているようだった。

 あの時公安が現れたのは、ノヤが通報してくれたかららしい。

 サギノミヤがガキを学校に呼び出すと聞いて、心配になったノヤは、様子を見に来たのだ。そしてたまたま、あの修羅場を発見した……。サギノミヤは運が良かった。


 リョーコは釈放された。

 そして今、二人は喫茶店で、コーヒーを飲んでいる。

「マリーはいい奴だった。そう思うだろ、リョーコ」

「そう。辛いときに私を助けてくれた。今でも、親友だって思っている」

「俺もだよ。だけど、あいつはお前のことを陥れようとした。何故だ」

「本当のところは分からない。ただ、あの子も多分、ナディンに恋をしていた」

「何だって!?」

「だから、私を陥れるという計画に参加してしまったのかも知れない」

「……そうか」

 サギノミヤはコーヒーを一口飲む。ものすごく苦い。

「ねえ、ナディン」

「何だ?」

「ううん、何でもない」

「……」

 それから暫く、二人は無言だった。


 サギノミヤは無意識のうちに考える。

 今回の事件、*瞳*の目的は何だったのかと。

 *瞳*の支配への反抗を掲げるT1000Sを貶めるためか。

 *反逆者*とサヤカ・ガーディナーが立ち上げた宗教は、(少なくともその一部は)逆に*瞳*の手先となって、彼の支配を強化するために、無意識に動かされているのかも知れなかった。

 それと、これだけは確実に言えることがある。*瞳*は、彼の存在を直接見、*反逆者*と対話できる、サギノミヤを殺害したかったのだ、と。

 だから、闘いはまだまだ続くのだ、サギノミヤはため息をついた。


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