表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

短編集 雨露霜雪

雨音と刻の観測者

作者: RENREN VS riA
掲載日:2026/06/01

 何度同じ会話をするのだろうか。


 この世界はループしているのだろうか。


 日付は進んでいる、ならばこれは一体なんなのであろうか。


 窓の外では、昨日と同じ雨が降っていた。


 いや、昨日と同じではない。


 雨粒の落ちる位置も、通り過ぎる車の色も、微かに違う。


 世界は確かに進んでいる。


 進んでいるはずなのに、僕だけが同じ場所に取り残されているようだった。


 同じ空間、世界にいるはずなのに僕だけが世界に取り残されていると感じるのは何故か。


 元々この世界は本当の世界なのだろうか?


 真実はその目で見た者にしか理解できない。


 伝えようとも、それは一種の変人と捉えられる。


 僕が世界に取り残されていることは僕以外に理解できない常識外の事象であった。


 それでも僕は、世界の綻びを探すように今日を歩く。


 誰も気づかない違和感だけが、ここが「本物の世界ではない」と静かに囁いていた。


 繰り返される景色、僅かにズレた会話。


 僕だけがその異変、違和感を覚えている。


 だからこそ、僕自身が確かめなければならないんだと。


「また、その顔してる」


 向かいに座る彼女が、湯気の立つコーヒーを片手に笑った。


 その台詞も、僕は知っている気がした。


 次に彼女が角砂糖を二つ入れることも。


 少し混ぜてから、『苦いの嫌いなんだよね』と言うことも。


 全部、知っていた。


「自分が世界に取り残されてる気がする……なんて言ったら君はどう思うかい?」


 この質問もどこかであったように感じられた。


 彼女は言った。


「……あなたはどう思ったの?」


 彼女は僕が思っている事全て見透かした様に言う。


 その言葉が違和感を増長させ、世界が本物でないとの確信を僕に持たせた。


 僕は喉まで出かかった言葉を飲み込み、ただ彼女を見つめて思った。


 もし、彼女まで"こちら側"の存在なのだとしたら…?


 この世界で偽物なのはホントに世界の方なのだろうか。


 窓に映る自分の輪郭が僅かに揺らいだ、そして彼女は笑った。


 その顔は、もう僕が口にする次の言葉を既に知っているかのように。


 僕は喉まで出かかった言葉を飲み込み、ただ彼女を見つめて思った。


 もし、彼女まで"こちら側"の存在なのだとしたら…?


 この世界で偽物なのはホントに世界の方なのだろうか。


 窓に映る自分の輪郭が僅かに揺らいだ、そして彼女は笑った。


 その顔は、もう僕が口にする次の言葉を既に知っているかのように。


「僕は……君は……この世界は一体……?」


 自身に危機が迫る事実を本能で理解した。


 そんな僕を見て彼女は言う。


「あなたは違和感を違和感として強く意識してしまっただけ、世界という無機質で強大な存在があなたを無かったことにしようとしているだけ」


 それは僕が異分子として世界に排除される事だった。


 彼女の声すら、もう遠かった。


 輪郭の崩れた街並みの中で、僕だけが不自然に鮮明なまま立ち尽くしている。


 世界は静かに、だが確実に僕という異分子を消去し始めていた。


「もう戻れないよ」


 彼女は悲しそうに笑う。


 その表情を見た瞬間、僕はようやく理解した。


 彼女だけは最初から、この結末を知っていたのだと。


「でもね」


 そう彼女は静かに続けた。


「あなたは気づいてしまった。だから、まだ完全には消えていない」


 視界の端から世界がノイズのように崩れていく。


 目に見える色は滲み、通り過ぎる人々の顔は判別できなくなっていた。


「選んで」


 彼女は僕へ手を伸ばす。


「世界に溶けて、また何も知らない誰かになるか。それとも……全部を知ったまま、この世界の外へ行くか」


 僕は落ち着いて考えようとした。


 世界に対する選択はとても重いものである。


 自らが世界に拒絶されているならそのまま消えてもいいのではないか。


「僕は……」


 自らを消すという選択を取ろうとしたとき内なる生存本能がある可能性を指摘する。


 この最初から違和感しかなかった世界を偽物と感じるなら、僕は本物の世界を知っているのではないか?


 崩れ行くように見えるこの世界は私にとって本物でないのではないか、僕は何故この世界に存在して、異物として排除されようとされているのか?


 実際、本物の世界が存在するとしてそこに帰ることは叶わないと直感で理解した。


 僕は自らの結論を彼女に話す。


「僕は、この世界に残って自分のこの世界での役目を理解する」


「そう…でもこの事実を知らないあなたにそれを成すことはできるの?」


「僕は世界に消されるくらい頭のネジが飛んでいるんだぞ、きっとできるさ」


「……あなたのその蛮勇とも言える行動に対して、健闘を祈っておきます」


 ……


「雨……か」


 窓の外では昨日よりも少し弱い雨が降っていた。


 同じようで昨日と違う世界は少し居心地が悪く、他の人と同じ場所にいることが少し鬱陶しく感じられた。


 僕は徐に向かいに座る彼女に話しかけた。


「僕は何をしたらいいのかな」


 彼女は言った。


「……あなたが決めたことを成し遂げなさい」


 彼女の言葉は静かだった。


 けれど、その声だけが妙に現実味を持って耳に残っていた。


 部屋には雨音と、時計が刻む乾いた音だけが響いていた。


 世界は何事もなかったかのように時間を進めている。


 その規則正しさが、今の僕にはひどく不気味に思えた。


 まるで、世界が壊れていないフリをしているかのように。


 僕は机に視線を落とした。


 そこには見覚えの無い傷跡が1本走っていた。


 いや、違う。


 見覚えがないのではない。


 昨日までこの机に傷など無かった。


「……また違う……のか……」


 僕は小さく呟いた。


 世界は修復されたのではない。


 継ぎ接ぎにされたのだ。


 誰にも分からないほどの誤差だ、しかし一度違和感を知ってしまった僕にはとても鮮明に見えてしまった。


 僕はゆっくり部屋を見渡した。


 時計の針は1秒だけ遅れて時を刻んでいた。


 棚に置かれた本の順番が違う。


 カーテンの長さが微妙に短い。


 そして床に落ちていたはずのペンが無くなっていた。


 どれも些細なものだ、普通なら気のせいで済ましてしまう程度の、曖昧で、不確かなズレ。


 けれど僕には、それが世界の綻びにしか見えなかった。


 雨が窓を叩く。


 一定だったリズムが時折不自然に途切れる。


 まるで誰かが途中で音を切り貼りしているかのように。


「…………本当に、気持ちが悪いな」


 僕は無意識に独り言を零した。


 その瞬間の事だった。


 ──────カチッ…


 時計の針が止まる。


 僕は咄嗟に顔を上げた。


 秒針は十二の位置を刺したまま微動だにしていない。


 雨音も止んでいた。


 いや、止んだのではない。


 停止している。


 窓の外に見える雨粒は、空中に縫い付けられたように動かなくなった。


 息が浅くなる。


 嫌な汗が背中を伝っていくのを感じた。


 静止した世界で、僕だけが動いている。


 その異常を理解した瞬間の事。


 部屋の隅に置かれた鏡の中から。


『やっぱり、気づいてしまったんだね』


 聞き覚えのない声がした。


 僕じゃない“僕”がこちらを見ていた。


 彼は不敵に笑いながら言った


『──君は、ほんとに“そっち側”の人間なの?』


 曖昧さ、不自然さ、その他多くのことが直感的に自らが“そっち側”の人間でないと告げる。


 また、この世界の違和感はそれを自らに伝えるきっかけとなっていたように感じられた。


「そうだ……僕はこの世界に……残ることを選んだんだ……」


 その事実に気づき、忘れていた重要な選択の記憶が蘇る。


「思い出したかい?」


 鏡の中の“僕”は左右反転せずに、そのままもう一人僕がいるように振る舞っていた。


 元々、独立した行動をしている時点で現実味が全くないように感じられていたが。


「僕がやらなくてはいけない事は……」


『この世界で与えられた役目を探すんでしょ?』


 そう……この世界での役目、私がこの世界に呼ばれた理由、理解してみせると啖呵を切ったのは良いが、実際何をすれば良いのだろうか?


「どうかしたの?」


 僕は彼女の元を訪れた。


 この世界に残ると選択した時にいた彼女とは違い、違和感が感じられなかった。


 今の彼女は本物なのだろうか?


「少し落ち着きたくてね」


「あら、あなたは私といると落ち着けるの?」


「……難しい話だな」


 実際、彼女が現在どのような状況下にあるのかがわからないという点では様々な面で心配なことはあるが、それでもいつもの習慣のようなものが僕を落ち着かせてくれている。


「自分の役目は自分で理解しなければいけないものなのか?」


「何いきなり変な話してるの……まぁ役目なしに生きてる人間なんていないと思うけどね」


 彼女は笑いながらそう言った。


 少なくとも僕には今の彼女が本物であるという安心感を持って会話をすることが出来ている。


「君は自分にどんな役目があると思っているんだい?」


 彼女は悩むこともなく即答する。


「さぁ? 私はこの世界での役目なんてものを気にして生きていないもの」


 少し期待はずれに感じられた言葉だったが、それはそれで彼女らしいと感じた。


「僕は自分の役目を見つけなければいけない、これは絶対だ」


 僕は少し微笑みながら彼女にそう言った。


 彼女はそんな僕を見て、小さく息を漏らした。


「真面目ね……本当に。」


 窓の外では雨が降り続いている。


 世界の違和感も、自分の存在理由すら、まだ何一つ分からない。


 それでも。


 探さなければならない、という確信だけが、胸の奥で静かに脈打っていた。


「なら、見つかるといいわね。あなたがここにいる理由」


 そう言って、彼女が笑った。


 次の瞬間、視界が微かに揺らいだ。


 気づけば僕は自分の部屋に立っていた。


「役目、か……」


 僕は小さく言葉を零した。


  そのときだった。


 ───ピシッ。


 小さく亀裂音が走る。


 僕は反射的に顔を上げた。


 音の発生源は、部屋の隅に置かれた鏡だった。


 鏡面にはいくつもの細かいヒビが入っている。


 いや、違う。


 ヒビが“広がっている”


 まるで内側から何かが押し出そうとしているかのように。


「…………おい」


 思わず後ずさる。


 次の瞬間、鏡の中の景色が僅かにズレた。


 僕の部屋のはずなのに、鏡の向こう側だけ雨が降っていない。


 静止した空気、薄暗い部屋、そして。


 鏡の中の“僕”が、ゆっくり立ち上がった。


『時間が無い』


 掠れたノイズ混じりの声。


『世界が、お前を“固定”する前に思い出せ』


「固定……?」


『お前はまだ、どちら側にも定まっていない』


 鏡のヒビが更に広がる。


 部屋の時計が狂ったように逆回転を始めた。


 カチカチカチカチ、と耳障りな音が部屋中に響き渡る。


『次に“ヤツら”がお前を見つけたら、今度こそ修正される』


「ヤツらってなんだよ!!」


 そう叫んだ刹那。


 世界からあかりが消えた。


 雨音すら消えた暗闇の中、窓の外に無数の人影が立っているのが見えた。


 街灯も消えているはずなのに、


 “それら”の輪郭だけは妙にはっきりと見える。


 誰一人として動かない。


「……なんだよ、あれ」


 あまりの緊張感に喉が張り付く。

 

 人影たちは傘もささず、雨に濡れている様子もない。


 まるで最初からそこに存在していないように、現実感が欠落している。


 すると、一人の影が、不自然に首を傾げた。


 ギシッ、と言う嫌な音が聞こえた気がした。


 人間であればありえない角度。


 それを合図にしたように、他の影たちも一斉にこちらに首を向ける。


 ゾワリと、背筋が粟立つ。


『来るぞ』


 鏡の中の“僕”が低い声で言う。


 次の瞬間、窓の外の人影が、音もなく消えた。


 いや、違う。


 “近づいた”


 それを理解した瞬間。


 ──ドン、ドンドン


 部屋の窓が揺れた。


 外側から何かがぶつかっている。


 ─ドン、ドン、ドン


 徐々に強くなる衝撃。


 窓の隙間から、黒い液体のような影がゆっくり染み込んでくる。


『もう猶予はないぞ』


 鏡の中の“僕”がこちらへ手を伸ばす。


『選べ』


 世界が軋む。


 扉を叩く音。


 止まった雨音。


 砕け散る窓。


 停止した刻。


 その全てが、僕に決断を迫っていた。


 僕はこのような摩訶不思議な現象に巻き込まれるが、特別な力なんて何一つ持ち合わせていない。


 だからこそ、自らがどうなろうとも最善と思える行動をするしかなかった。

 戦う?


 そんなことをしても無謀だという事は目に見えていた。ならばやることは一つのみ。

 僕は鏡の中の僕へ手を伸ばした。


 いくら鏡の向こうが自らにとって危険な領域であろうとも、そこに向かうことをしなければなにも理解することができない。


 実際にそうだったかは定かではないが、鏡が輝いたように見えた。


 次の瞬間、僕は元の部屋にいた。


 外では依然、雨が降り続けている。


 部屋の中に微かに聞こえる雨音は僕を部屋の中に閉じ込めているような気がしてならない。


 先程まで、異変だらけだった鏡も何もなかったように部屋の隅に置かれている。


 窓の結露が人影のような形をしているわけでもない。


 あの選択は正解だったのだろうか?


 窓の外を見れば、違和感のある世界が続いていた。


「……まだ終わったというわけではなさそうだな」


 私はすでに思い出していたことをまとめる。


 まず、最初は別の世界の存在だった僕は世界に異分子として排除されようとされていた。


 次に、記憶を一度失った後の世界では世界に固定されようとしていた。


 この差は何なのだろうか?


 あの影たちが僕を世界に固定するために動いていたというのならば、ひとまず逃げ切ったという事でいいのだろうか。


 僕は鏡を指でなぞる。鏡の中の僕は鏡像として同じ動きをする。


 時計を見ると、普段通りの動きをしていた。


 秒針は規則正しく時を刻む。


 カチ、カチ、と。


 先程まで狂ったように逆回転していたとは思えないほどに、世界は静かだった。


 だが。


「……静かすぎる」


 僕は小さく呟く。


 違和感は消えていない、寧ろ“何かを取り繕った後”のような不自然さが部屋中に漂っていた。


 机の上に置かれたペン、閉じられたカーテン、止まったままのパソコンの画面。


 どれも見慣れているはずなのに、どこか現実味がない。


 まるで僕だけが、世界から隔離された場所に立たされているみたいだった。


 そのとき。


 ──ピコン。


 不意に、机の上のスマートフォンが小さく震える。


 僕は眉を顰めながら画面を見る。


 通知は一件だけ。


 差出人:不明


 そこに書かれた文章を見た瞬間、僕の呼吸が止まった。


『固定を確認、観測を開始します。』


「っ……!」


 僕は反射的にスマートフォンの電源を切った。


 その直後。


 真っ暗だったはずのスマートフォンの画面に、ノイズ混じりの文字がゆっくりと浮かび上がる。


『──お前は、“境界の外”を覚えているのか?』


 画面から文字が消える瞬間、ノイズの奥で“誰かが笑った気がした”


 観測……また奇妙な単語が増えてしまった。


 固定を確認されてから観測のフェーズに移行したと考えるべきか、まず、鏡の中の僕から言われて気をつけていた固定という事象がいつの間にか完了されていたという事。


 次に、境界の外……ここではない世界のことなら覚えているというのは事実だ。


 あの誰かが笑ったような奇妙な感覚……良いものではないだろう。


 僕はスマートフォンから離れながら考える。


 沈黙を先に破ったのはスマートフォンだった。


 ノイズが消え、高い電子音が鳴り、電源を消したはずの画面が光る。


『観測完了まで残り95%』


 息を呑むことすら許されない緊張感が僕を襲った。


 観測が完了してしまったならば次は何が起こる?


 観測を終了させる方法は?


 その前提の固定を解く方法があったりしないか?


 考えることは山ほどあるが、考える猶予は無いように感じられた。


 この間にも完了までのパーセンテージは減っていく。


 縋るように鏡を見る。


 鏡の中の僕は何も言わない。


 僕は自分の部屋から飛び出した。


 結局、元居た世界でも、偽物としか感じられなかった世界でも、今、僕を観測している世界でも、僕は彼女に頼り続けてきた。


「あら、思ったよりは行動が早かったわね」


 彼女はコーヒーを飲みながらいつものように座っていた。


「……結局、僕は何もわからない、だからこそ君に聞かなければならなない」


 彼女なら、知っていると思った。


 彼女はカップを静かに机へ置く。


 雨音だけが、部屋の隙間を満たしていた。


「観測、固定、修正……随分と深いところまで触れてしまったみたいね」


「……知っているのか?」


 僕が問いかけると、彼女はすぐには答えなかった。


 まるで言葉を選ぶように、窓の外へ視線を向ける。


「あなたは、“世界違和”を起こしている」


 その単語に、なぜか胸の奥がざわついた。


「“世界違和”……?」


「本来存在しないはずの異分子が、世界の認識にズレを生じさせる現象よ。だから前の世界はあなたを排除しようとした」


 彼女はそこで一度言葉を切る。


「でも、固定された」


「……それが何なんだ」


 彼女はゆっくりと僕を見る。


 その瞳だけが、妙に静かだった。


「世界があなたを“この世界の存在”として認識し始めたということ」


 背筋が冷える。


 なら。


 排除されなくなった代わりに、今度はこの世界の一部にされようとしているということか。


「観測が完了したら、僕はどうなる」


 その問いに、彼女は小さく息を漏らした。


「さぁ? でも少なくとも──」


 彼女は薄く笑う。


「“元のあなた”ではいられなくなるでしょうね」


 窓の外を見る。時刻は昼過ぎであるはずなのに人通りは全くなかった。


「……君はこの世界の何なんだ?」


 彼女は僕を真っ直ぐ見つめ、言う。


「この世界の“観測者”の一人……と言ったところかしら」


 その言葉を聞いて僕は後ろに飛び下がった。


「そんなに身構えなくても良いわよ? 別に直接的に干渉するわけじゃないわ」


 彼女は少し呆れたように溜息をついて言葉を続ける。


「“観測者”はどこでもいるわ、“観測者”はこの世界に必要かどうか、どのように処置すべきかを決めるための情報を集める……謂わば定点カメラね」


 “観測者”、それが僕のこれからの運命に直結することは明らかだ。


 僕は冷静になろうとするが、焦燥感は消えなかった。


「……なら、僕はもう処分対象ってわけか」


 掠れた声でそう言うと、彼女は静かに首を横に振った。


「まだ決まってはいないわ。だから観測しているの」


 彼女は冷めかけたコーヒーへ視線を落とす。


「あなたは本来、この世界に存在してはいけなかった。でも、固定されたことで世界は迷い始めた。“異分子”として排除するべきか、“この世界の存在”として受け入れるべきかを」


 窓の外では雨の気配を宿した灰色の空が広がっている。


 人影一つ無い世界は、まるで答えを待っているようだった。


「観測が完了した時、あなたは最後の選択を迫られることになるわ」


 彼女はゆっくりと僕を見る。

「この世界に残るのか。それとも、“境界の外側”へ戻るのか──最後に決めるのは、あなた自身よ」


 彼女は静かに微笑む。


「さあ、選びなさい」


 窓の外を見れば、雨が降る中向かいの電器店の店頭に置いてあるテレビには、観測完了まで20%と表記されていた。


「思っていたより猶予はなさそうだな……」


「そうね、あと10分もかからないんじゃないかしら?」


 決断の刻まで僕は必死で考え続けた。“境界の外側”、僕が最初に戻ろうとしていた世界、だが、最初の選択で僕はこの世界に残る事を選んだ。


 僕はこのジレンマに悩まされ、どちらを選ぶか決めかねていた。


『観測完了まで2%』


 外を見ればもう考える時間は無い事をいやでも理解した。


『観完了まで1%』


「僕は……」


 僕はある結論を語り始める。


「この世界に残ることにする」


「……そう」


 その時、電子機器が何かしら近くにあるわけではないのに、無機質な機械音声が聞こえた。


『観測が完了しました。存在を確定しました。』


 音声が聞こえた後、どこか常に違和感のあった雨模様の空からは光芒が差し込んでいた。


「終わったという事でいいのか?」


「ええ……最後に残るという明確な意思を伝えたことで観測は完了してあなたはこの世界の正しい存在になったのよ」


「……本当にこれでよかったのか?」


「あなたが決めたことよ、きっと正しいと思うわ」


 世界は僕を受け入れた。ならばこの世界の人間として精一杯生きるべきなのだろう。


「これから止まっていた刻は動き出す、この世界の人間として頑張ることね」


 僕にはあまり自信がなかったがゆっくりと頷いた。


「僕がこの世界に来た意味は……まだ理解するには難しいかもしれない」


「もう刻は動き出したわ、私はこれからもあなたの行く道を見守っているわ」


 彼女の言葉と同時に、時計の秒針が力強くカチリと進んだ気がした。


 窓の外からは、今まで聞こえなかった車の走行音や、雨の中を急ぐ人々の足音が、堰を切ったように流れ込んでくる。


「コーヒーが冷めてしまったわね」


 彼女は少し微笑みながらそう言う。


「まだ僕には自分の役目を理解することはできていないけれど……」


 僕は彼女を見ながら笑って話す。


「まずは君のコーヒーを淹れ直すところから始めてもいいかな?」


 すると彼女はゆっくりと言った。


「ええ、これからのあなたの役目に期待しているわ」


 動き始めた刻の中で“観測者”と“異分子”だった彼女と僕は、それぞれただの人間としてまた歩み始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ありがとう
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ