100話
翌朝、ギルドの扉を開けると、そこは甘く切ない熱気に包まれていた。
「なあリルド、今話題の『麗しの雫』はもう読んだか? あのヒロインの健気さに、俺ぁ酒場でもらい泣きしちまったよ」
「あはは、僕も読んでいるよ。切ないけれど、誰かを想う気持ちって温かいよね」
リルドが穏やかに答えると、周囲の冒険者たちは「リルドにそう言われると、物語が現実に飛び出してきたみたいだな」と、なぜか自分たちまで頬を赤らめている。
そんな中、リルドは掲示板の隅に、またしても詩的な……いや、どこか意味深な依頼札を見つけた。
『殿様の隣にいるのはいつもあの少女だ。わたしではない。それでもわたしはいつも殿様の隣だ』
「なんだか面白い依頼書だね。これも僕が行ってみようかな」
リルドがその札を剥がして受付へ持っていくと、受付嬢は頭を抱えた。
「おはようございます、リルドさん……。またそれですか……。本当に、リルドさんが来るまで誰も見向きもしなかった依頼ばかりで。正直、私も何が正解なのか、さっぱりわからなくて困惑しているんです」
「よし、その依頼、俺も付き合うぜ」
声をかけてきたのは、Bランク冒険者のマルクトだった。彼はリルドにとって昔馴染みの腐れ縁だ。
「あ、マルクトくん。よろしくね」
「お、おう……(……いかん。昔から知ってるはずなのに、今のリルドはなんだか……見惚れるほど可愛くなったな。男相手に何を考えてるんだ、俺は!)」
マルクトは顔を赤くして咳払いをし、必死に邪念を振り払いながら歩き出した。
道中、リルドは「言語理解」と、かつて城勤めの依頼で得た知識を総動員して依頼書を読み解いていく。
「『殿様』っていうのは、特定の貴族のことじゃないかもしれないね」
「どういうことだ?」
「チェスの駒、あるいは『将棋』の王将……。その隣にいつもいる『少女』は……きっと、飾り物の人形か何かだよ」
リルドとマルクトが辿り着いたのは、街の古い骨董品店だった。
そこのショーケースには、立派な王の置物のすぐ隣に、美しく細工された少女の人形が並んでいた。しかし、リルドが注目したのはその背後――。
「『わたし』というのは、王の影を支える『台座』のことだね」
リルドは店主から、古くなってガタついていたその「台座」を受け取った。一見ただの板だが、裏側には依頼書と同じ言葉が刻まれていた。これは、かつてこの置物を作った職人が、影で支える己の矜持を綴ったものだったのだ。
夕刻、リルドはマルクトと共に、修理を終えた「台座」を手にギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。依頼の答えは、この『台座』だったよ。目立たないけれど、これがないと殿様は立っていられないんだ」
「おかえりなさい! ……ええっ、そんな理由があったんですか!?」
受付嬢が驚きの声を上げたその時、ギルドの隅で静かに酒を飲んでいた、初老の職人風の男が立ち上がった。彼は震える手でリルドの持つ台座を受け取ると、目に涙を浮かべた。
「……まさか、こんな若い冒険者が、私の込めた想いに気づいてくれるとは。そう、私はずっと師匠の作った『王』の隣で、誰にも気づかれぬ『台座』を作り続けてきた。それを『わたしはいつも隣だ』と肯定してほしかったのだ……」
依頼主である職人は、リルドの手を固く握りしめた。
「君のその美しく澄んだ瞳には、隠された真実が見えているのだな。本当に、ありがとう」
横で見ていたマルクトは「……リルド、お前やっぱりすごいよ。俺には一生解けねえわ」と、どこか誇らしげにリルドの肩をぽんぽんと叩いた。
「あはは、僕も勉強になったよ。お役に立ててよかった」
リルドは報酬を受け取ると、満足げに微笑んでギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、誰かを支える台座のような、温かいスープでも作ってゆっくりしようかな」
万年Fランク冒険者の日常は、職人の誇りを優しく掬い上げながら、穏やかに更けていく。




