97話
翌朝、リルドがギルドに入ると、いつもの喧騒とは少し違う、ねっとりとした視線を感じた。
掲示板の前で依頼を探していると、背後から一人の男がじりじりと距離を詰めてくる。その男は、リルドのしなやかな筋肉や身のこなしを、まるで品定めするかのような目で見つめていた。
リルドが『ウェアウルフの調査(及び警戒)』という依頼札を剥がそうとした、その瞬間。
「捕まえたぞ……!」
ガシッ、と男がリルドの手首を掴んだ。
「はい? あの……何か御用かな?」
リルドが首を傾げる間もなく、男はリルドの腰を引き寄せ、空いた方の手を掲げさせた。そしてそのまま、リルドを軸にしてくるくると回し始めたのだ。
「ステップが甘い! 軸をぶらすな! もっとしなやかに!」
「えっ、えっと……なに? 僕はダンスの練習をしに来たわけじゃ……わわっ」
まるで社交ダンスの猛特訓でも受けているかのように、リルドはギルドの真ん中で華麗に踊らされた。全盛期の反射神経があるため、不意の動きにも完璧に追従してしまい、周囲からは「なんて美しいダンスだ……」とため息が漏れる始末。
一通り振り回された後、男は「……合格だ」とだけ言い残して去っていった。リルドは目を回しながらも、なんとか目的の依頼札を握りしめ、受付へと向かった。
今回の調査対象は、凶暴なことで知られるウェアウルフの群れだ。
リルドはいつもの軽いナイフではなく、家の奥に眠っていた、身の丈ほどもある重厚なグレートソードを背負って森へ入った。
お散歩には少し重すぎるが、相手がウェアウルフなら、礼儀としてこのくらいの「重み」が必要だと判断したのだ。
森の奥、薄暗い広場で、銀色の毛並みを持つ巨体のウェアウルフが姿を現した。
「ぐるる……っ!」
ウェアウルフは鋭い爪を剥き出し、低く唸って間合いを詰めてくる。
リルドは無造作に背中のグレートソードを抜き放った。その巨大な剣身が夕陽を反射し、鋭い光を放つ。
「さあ、こい」
リルドは剣を構えた。
相手の出方を見定めるための、隙のない構え。しかし、リルド自身はそれほど戦意を出していない。むしろ、「今日はお散歩のついでだから、怪我をしないで帰ってほしいな」という穏やかな空気が、彼の全身から溢れていた。
ウェアウルフはその「静かなる強さ」に圧倒され、飛びかかることができない。剣の一振りで山を断つような全盛期の威圧感が、リルドの優しさの裏側に透けて見えたからだ。
結局、ウェアウルフは静かに頭を下げ、森の奥へと去っていった。
夕刻、リルドは巨大な剣を再び背負い、ギルドへと戻った。
「ただいま、受付さん。ウェアウルフの調査、終わったよ。彼ら、今日はとっても物分かりが良かったから、もう心配ないと思うよ」
「おかえりなさい、リルドさん! ……えっ、その背中の大きな剣は!? そんな重そうなもの、どこに隠してたんですか? というか、それで戦ったんですか?」
「あはは、ただの重石だよ。さっきダンスで目が回っちゃったから、足元を安定させるのにちょうど良かったんだ」
リルドが冗談めかして笑うと、受付嬢は「そんな理由でグレートソードを……?」と呆れつつ、報酬の銀貨を並べた。
「さて、僕(僕)も今夜は、この剣を磨き直してから、温かいシチューでも食べてゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、隠し持った伝説級の武技を「お散歩の重石」に変えて、穏やかに更けていく。




