92話
翌朝、リルドはいつものようにギルドの扉を開けた。館内は「あの新作のロマンス小説、最後が泣けるんだよ」といった話し声で相変わらず賑やかだ。
リルドは掲示板の端から、自分のペースにぴったりの『薬草採取』の依頼札を剥がし、受付へと向かった。
「おはよう、受付さん。今日もこれをお願いするよ」
「おはようございます、リルドさん。はい、受理いたしま……」
受付嬢が手続きをしようとしたその時、横からガサリと二枚の依頼札が置かれた。
「おい、これ頼むわ」
声をかけてきたのは、鋭い目つきをしたCランク冒険者の男だった。
「あ、はい! Cランクの討伐依頼ですね、喜んでお受けします!」
受付嬢が少し緊張した面持ちで対応する。リルドは気にせず「それじゃ、行ってくるね」と会釈してギルドを出た。
森へ向かう道すがら、偶然にもそのCランク冒険者と同じ方向になった。
「……あんた、そんな装備で森の奥へ行くのか? 死ぬぞ」
男はリルドの軽装を見て鼻で笑ったが、リルドは「あはは、僕は入り口の方で草を摘むだけだからね」と穏やかに返した。
しばらくはつかず離れずの距離で歩いていたが、リルドが薬草の群生地を見つけると、男は「ふん、ままごとでもしてな」と言い捨てて、さらに険しい森の深部へと消えていった。
リルドが丁寧に薬草を摘み終え、籠いっぱいの緑を抱えて帰り道を歩いていると、前方から激しい怒号と、魔獣の不気味な咆哮が聞こえてきた。
「くそっ! なんでこんな所に上位種が……!」
見れば、先ほどのCランク冒険者が、数体の魔獣に囲まれ、肩を貸しながら苦戦を強いられていた。彼の剣は折れ、絶体絶命の状況だ。
(……お散歩の邪魔をさせるわけにはいかないね)
リルドは足元に落ちていた、なんの変哲もない一本の木の棒を拾い上げた。
彼はかつて埋め尽くした「魔術ツリー」の端くれを使い、その棒にほんの少しだけ、衝撃を増幅させる魔力を込める。
「よっと」
軽く手首をスナップさせて投げた木の棒は、空気を切り裂く鋭い音を立てて飛んでいき、魔獣の眉間に吸い込まれるように命中した。
――ゴンッ!
「ギャフン!?」
強大な魔獣は、ただの棒切れに当たったとは思えないほどの衝撃で目を回し、その場でドサリと倒れ伏した。
「え……?」
呆然とするCランク冒険者を余所に、リルドは「今のうちに逃げたほうがいいよ」とだけ声をかけ、スタスタと街の方へ歩き出した。
夕刻、リルドはギルドに戻り、いつものように受付へ向かった。
「ただいま、受付さん。薬草、持ってきたよ」
「おかえりなさい! ……あれ、リルドさん。さっきCランクの方が真っ青な顔で戻ってきて、『空飛ぶ木の棒に救われた』ってうわ言のように繰り返してましたけど……何か見ませんでした?」
「あはは、森には不思議なこともあるもんだね。きっと森の精霊さんが悪戯したんじゃないかな」
リルドは報酬の銅貨を受け取ると、満足げに微笑んでギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、拾った枝で新しいお箸でも削りながら、ゆっくりお茶にしようかな」
万年Fランク冒険者の日常は、驚愕する周囲を余所に、どこまでも穏やかに更けていく。




