89話
翌朝、リルドがギルドの扉を開けると、館内はいつにも増して「最新の冒険譚」の話題で持ちきりだった。しかしリルドは、そんな喧騒を心地よい背景音として聞き流しながら、掲示板のいつもの場所へと手を伸ばした。
「今日はこれと……これかな」
彼が剥がしたのは、定番の『薬草採取』と、少し珍しい『マンティスの調査』の二枚だった。
「おはよう、受付さん。今日はこの二つに行ってくるよ」
「おはようございます、リルドさん。あ、マンティスの調査ですね。実は最近、あの森のマンティスの個体数が急激に減っているという報告が入っているんです。天敵が増えたのか、それとも環境の変化か……生態系のバランスが崩れていないか見てきていただけますか?」
「天敵が増えたのかな? それとも……何か別の理由があるのかもね。気をつけて見てくるよ」
リルドはまず、森の入り口付近で薬草採取を開始した。「視野拡大」を使い、土の湿り気や魔力の通り道を読み取る。
「(……うん、薬草はいつも通り元気だね。でも、少し森の奥が静かすぎる気がするな)」
籠を瑞々しい薬草で満たした後、リルドはさらに森の深部へと足を進めた。
かつてあらゆるスキルツリーを埋め尽くしたリルドにとって、隠密行動はお手の物だ。気配を完全に消し、森の守り手のように静かに移動しながら、マンティスの生息地を確認していく。
「(……いた。でも、みんな何かに怯えているみたいだ)」
調査を進めると、個体数が減っている本当の理由が見えてきた。天敵が増えたわけではなく、森のさらに奥に迷い込んだ「上位種」の気配に恐れをなし、マンティスたちが別の場所へ移動を開始していたのだ。
リルドはわざと戦うことはせず、彼らの移動ルートや現在の健康状態を「鑑定」スキルで詳細に記録した。
「(今はそっとしておいてあげよう。僕が道を少し整えてあげれば、彼らも安心して移動できるはずだからね)」
リルドはさりげなく、マンティスたちが移動しやすいように倒木を動かし、天敵となる魔獣が近寄らないよう、微かな威圧の魔力を通り道に置いておいた。
夕刻、リルドはギルドに戻り、いつもの穏やかな顔で受付に立った。
「ただいま、受付さん。薬草と、マンティスの調査結果を持ってきたよ」
「おかえりなさい! ……えっ、この調査報告、すごく細かいですね! 移動の兆候や、その原因まで……。なるほど、奥地に強い個体が現れたから逃げていたんですね」
「うん。でも、もう安全なルートを確保しているみたいだから、心配ないと思うよ。彼らもしばらくすれば落ち着くんじゃないかな」
受付嬢が感心して報告書を読み耽る中、リルドは報酬の銀貨を受け取り、そっとギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、マンティスたちの門出を祝って、緑の野菜をたっぷり使ったサラダでも作ろうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、森の小さな変化に優しく寄り添いながら、穏やかに更けていく。




