85話
翌朝、リルドがギルドの扉を開けると、そこには昨日と変わらぬ、しかし心地よい活気に満ちた喧騒が広がっていた。
「おい、次の遠征の準備はできたか?」
「ああ、腹ごしらえもバッチリだ!」
そんな仲間たちの声をBGMに、リルドは掲示板の前へ。特別大きな事件や変わった依頼があるわけではない。ただ、いつも通りの日常がそこにある。リルドは迷うことなく、最も慣れ親しんだ『薬草採取』の依頼札をそっと剥がした。
「おはよう、受付さん。今日もこれに行ってくるよ」
「おはようございます、リルドさん。はい、受理しました! 毎日コツコツと……リルドさんの届けてくれる薬草は質が良いって評判ですよ。いってらっしゃい!」
リルドは街を抜け、柔らかな光が差し込む森へと向かった。
「視野拡大」を使うまでもなく、彼にはどこに元気な薬草が眠っているかが、土の匂いや風のざわめきで伝わってくる。
「……見つけた。今日もいい色だね」
リルドは膝をつき、丁寧に薬草を摘み取っていく。指先から伝わる植物の生命力を楽しみながら、籠の中を瑞々しい緑で満たしていった。かつて世界を揺るがすような魔力や剣技を振るっていた時よりも、今の彼は、この小さな命に触れている時間の方がずっと誇らしく感じていた。
採取を終え、籠を背負って街への道を歩き出す。
ふと立ち止まると、頭上の枝で数羽の小鳥たちが、競い合うように美しい声で囀っていた。
「ぴっぴー、ちちっ」
「ふふ、いい歌だね。春が近いのかもしれない」
リルドは小鳥たちの歌声に耳を傾け、その調べを口ずさみながら、軽やかな足取りで森を下りていった。新しい服の裾が風に揺れ、彼の心もまた、澄み渡る空気のように穏やかだった。
夕刻、リルドはギルドに戻り、収穫した薬草をカウンターに並べた。
「ただいま、受付さん。薬草、持ってきたよ」
「おかえりなさい、リルドさん! お疲れ様です。……わあ、今日も本当に綺麗ですね。なんだかリルドさんが戻ってくると、ギルドの空気まで少し爽やかになる気がします」
「あはは、森の小鳥たちが素敵な歌を聴かせてくれたからかな。僕も元気をもらっちゃったよ」
リルドは報酬の銅貨を数枚受け取ると、満足げに微笑んでギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、小鳥の囀りを思い出しながら、温かいスープを飲んでゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、特別なことは何も起きなくても、確かな幸せを積み重ねて、穏やかに更けていく。




