84話
翌朝、リルドがギルドへ向かうと、昨日の「お姫様抱っこ事件」など誰も覚えていないかのように、いつも通りの呑気な空気が漂っていた。リルドにとっては、その「都合の良さ」こそが居心地が良い。
掲示板を眺めると、新しい依頼が貼られていた。
「『綿花の納品』か……種でも可、と。今の時期なら花は難しいから、種を探してみようかな」
リルドは『綿花の納品』と、いつもの『薬草採取』の二枚を剥がし、受付へと持っていった。
「おはよう、受付さん。今日はこれに行ってくるよ」
「おはようございます、リルドさん! 綿花の方は種でも大丈夫ですからね、無理に花を探さなくていいですよ。いってらっしゃい!」
リルドはまず、活気ある市場の種苗屋を訪ねた。
「おじさん、綿花の種って置いてるかな?」
「おう、あるぞ。今の時期に種を欲しがるなんて、熱心な農家か、気の利いた冒険者くらいだな!」
おじさんと軽口を叩きながら、質の良い種を無事に購入。
その後、街外れの森へと足を延ばした。
「視野拡大」で地中の水分量を確認し、一番瑞々しい状態の薬草を選んでいく。リルドの指先が触れると、薬草たちはまるで喜んでいるかのように、爽やかな香りを一層強く放った。
採取を終えて街へ戻る道中、木々に囲まれた小さな茶店を見つけた。
「ふぅ……。ここでお茶にするのも、いいお散歩の締めくくりだね」
リルドが縁側の席で、香ばしい焙じ茶と三色団子を注文して一息ついていると、顔見知りの冒険者がふらりとやってきた。
「おっ、リルドじゃないか。奇遇だな、隣いいか?」
「やあ、こんにちは。どうぞ、お茶が美味しいよ」
彼らは冒険の苦労話ではなく、「最近の街の流行り」や「美味しいパン屋」の話で盛り上がり、穏やかなティータイムを楽しんだ。かつての殺伐とした戦いの中にいた自分には想像もできなかった、贅沢な時間だ。
夕刻、リルドはギルドに戻り、納品物をカウンターに並べた。
「ただいま、受付さん。綿花の種と、薬草を持ってきたよ」
「おかえりなさい! わぁ、この種、すごく綺麗で立派ですね。農家さんも喜びます。……リルドさん、なんだか少し、お茶のいい香りがしますね?」
「あはは、帰り道に素敵な茶店を見つけてね。お散歩のご褒美だよ」
リルドは報酬を受け取ると、満足げに微笑んでギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、今日買った種がどんな花を咲かせるか想像しながら、ゆっくりとハーブティーでも飲もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、美味しいお茶と穏やかな会話を添えて、今日も静かに更けていく。




