80話
翌朝、リルドはいつものようにギルドの掲示板の前で足を止めた。
賑わう館内、新米冒険者たちは高額な報酬の討伐依頼に目を輝かせているが、リルドの視線は一番下の、隅っこで埃を被っている古い依頼札に向いていた。
「……お、どうした? そんなもん眺めて」
声をかけてきたのは、最近Fランクになったばかりの別の冒険者だ。リルドはふわりと微笑んで答える。
「あ、この下の依頼書が気になってね」
リルドが剥がしたのは、『裏通りの水路の詰まり解消』という、地味で報酬も低い、誰もが見向きもしない清掃依頼だった。
「ははっ、マジかよ! そんなもん、小遣いにもならねぇだろ。なんであんな他が見向きもしない依頼なんか持っていくんだ?」
新米冒険者は、リルドの背中を見ながらうっすらと笑って仲間と肩を叩き合った。しかし、カウンターの奥でその様子を眺めていたギルドマスターは、静かに溜息をつき、心の中で呟いた。
(……フン、あいつが動く意味をわからんとは、まだまだだな新米冒険者。街の循環を支えることが、どれだけ大きな災厄を防ぐか、お前らには見えていないだけだ)
リルドは受付で依頼を受理すると、鼻歌を歌いながら街の裏通りへ向かった。
「さて、詰まっているのはどこかな」
リルドはかつて、がむしゃらに生きていた時代がある。その頃に鍛え上げた魔術ツリーや剣術ツリー、あらゆるスキルツリーはすでにほぼ全て埋まっている。彼はその圧倒的な力を使わず、ただ「お散歩」として、詰まったゴミを丁寧に手で取り除いていった。
作業を終え、水路に清らかな水が流れ出したのを確認して帰り道を歩いていると、突然、激しい金属音と罵声が聞こえてきた。
「くそっ、なんでこんなところに『影鰐』がいるんだよ!」
見れば、先ほどギルドでリルドを笑っていたFランク冒険者たちが、水路から現れた不運な魔獣に追い詰められ、腰を抜かしていた。
「……やれやれ。お散歩の邪魔は困るね」
リルドは腰に下げていた、少し使い古したロングソードを抜き放った。
彼はただ、埋まりきった剣術スキルの中から、その場に最適な一撃を流れるように繰り出した。
――キィィィィン!
鋭い閃光が走り、魔獣の牙を真っ向から弾き飛ばす。リルドは無駄のない動きで剣を振るい、新米たちが手も足も出なかった魔獣を瞬く間に圧倒し、最後は峰打ちで気絶させて水底へ追い返した。
「……あ、あ……」
呆然とする彼らを残し、リルドは剣を鞘に収めると、いつもの穏やかな表情に戻った。
「大丈夫? 街の裏は、たまに迷子になった子が来るから気をつけてね」
夕刻、リルドはギルドに戻り、完了の報告をした。
「ただいま、受付さん。水路の掃除、終わったよ。水が綺麗に流れると気持ちいいね」
「おかえりなさい、リルドさん! ありがとうございます。……あ、あれ? 後ろから戻ってきたあの子たち、なんだか魂が抜けたような顔をしてますけど……何かありました?」
「あはは、ちょっと大きなトカゲと鉢合わせたみたいだよ。僕は横で見ていただけだけどね」
リルドは平然とした顔で報酬の銅貨を受け取ると、ギルドマスターの「お疲れさん」という無言の頷きを受け、家路についた。
「さて、僕も今夜は、使い込んだ剣の手入れでもして、ゆっくり休みの日を考えようかな」
万年Fランク冒険者の日常は、全盛期の力を当たり前のように秘めたまま、穏やかに更けていく。




