75話
翌朝、リルドがギルドで掲示板を眺めていると、昨日一緒にテントを選んだ冒険者志望の若者が、目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「リルドさん! 昨日はありがとうございました。あの後、教えてもらった通りに手入れをしたら、スキルの習熟度が跳ね上がって……!」
「あはは、それは君の努力だよ」
リルドが穏やかに微笑んでいると、横から豪快な笑い声と共に、ベテラン冒険者のガルドが肩を叩いてきた。
「ようリルド、相変わらず隅っこの依頼ばっかり見てるな。……おい坊主、驚くなよ。こいつは昔、がむしゃらにやりすぎて実力だけならとっくにSランクに届いてる怪物なんだ。なのに何故か本人が『お散歩が一番』なんて言って、ずっとFランクのまま過ごしてやがるんだからな」
「も、もう……ちょっとガルドさん、変なこと言わないでください」
「え? え? ええええっ!? Sランク級……!? リルドさんが!?」
若者が口をあんぐりと開けて固まっている隙に、リルドは掲示板の端っこ、誰の目にも留まらないほど色褪せた一枚の依頼書を「スッ」と剥がした。
「じゃあ、僕はこれに行ってくるから。……驚かせちゃってごめんね」
リルドが向かったのは、街の外れにある霧の深い廃墟群だった。
彼は静かに依頼書を読み返す。
『旧市街の深部に潜む、名もなき災厄の芽を摘んでほしい』
「……やっぱり、これは放っておけないね。少し、空気が重すぎる」
リルドが廃墟の奥へ進もうとしたその時、向こうから数人の冒険者たちが、武器も投げ出さんばかりの血相で走り去っていくのが見えた。
「逃げろ! あんなの勝てるわけがない!」「化け物だ、ありゃ化け物だ!」
絶望に染まった彼らの背中を見送り、リルドはふぅと深く息をついた。
(……やれやれ。たまには、昔のやり方で片付けるとするかな)
リルドはゆっくりと目元を隠すようにフードを深く被った。
その瞬間、彼の纏う「穏やかなお散歩好き」のオーラが消失し、冷徹で研ぎ澄まされた「死神」の気配へと変貌した。
「音も、影も、残さないよ」
リルドの姿が掻き消えた。
廃墟の深部で咆哮を上げていた巨大な魔獣の背後に、影のように「降臨」する。リルドの手元に、かつていつも使っていた漆黒の双剣が握られた。
(ふふ……また頼むよ)
――刹那。
銀光が幾筋も走り、魔獣は何が起きたのかさえ理解できぬまま、その巨体を細切れにされて浄化の光の中に消えた。
返り血一つ浴びず、リルドは静かにフードを脱ぎ、再びいつもの柔らかな表情に戻った。
夕刻、リルドはいつものように少し眠たそうな顔でギルドの受付に立った。
「ただいま、受付さん。指定の場所、見てきたよ。魔獣は……なんだか、勝手に消えていっちゃったみたいだね」
「おかえりなさい! ……えっ? 逃げ帰ってきた冒険者たちが『白い影のような暗殺者が一瞬で片付けた』って震えてましたけど……リルドさん、何か見ませんでした?」
「暗殺者? ……あはは、霧が人の形に見えただけじゃないかな。お散歩するには、ちょっと視界が悪すぎたよ」
リルドは報酬の銀貨を受け取ると、遠くで自分を凝視している若者に軽く手を振り、ギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、久しぶりに体を動かしたから、特製のハーブ風呂にでも入ってゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも知られることのない「伝説の背中」を一瞬だけ見せて、穏やかに更けていく。




