72話
翌朝、リルドがギルドの扉を開けると、そこには昨日までの張り詰めた空気は微塵もなかった。
「鎌鼬」の正体が怪我をした小さなイタチだったという真実は、リルドの報告によって静かに処理されたようで、血気盛んな冒険者たちの話題はすでに別の方向へ向かっていた。
「おい、『ソードソーサリー』の最新刊読んだか? 魔法剣士が格好良すぎるだろ!」
「それより今はロマンス系小説だろ。昨晩読み耽って寝不足だよ……」
そんな喧騒をBGMに、リルドは掲示板の最下段、埃を被って変色した古い依頼札を見つけた。そこには、およそ冒険者ギルドには似つかわしくない詩的な一節が綴られていた。
『ピカリと光る夢の荒野、あなたと不思議な恋をしたい。でも、その麗しのプリンスは何処にも居ない』
リルドはその風変わりな札を剥がし、受付へと運んだ。
「おはよう、受付さん。今日は、この不思議な探し物をしてくるよ」
「おはようございます、リルドさん。……ああっ、その依頼! ずっと放置されていたポエムのような依頼書ですね。特徴も場所も分からないので、みんな悪戯だと思って放っておいたんですが……。受理しますね。リルドさん、本当に見つけられるんですか?」
「うん、なんとなく『場所』が呼んでいる気がするんだ。行ってくるね」
リルドが向かったのは、街から少し離れた、夕刻には黄金に輝くと言われる「陽光の荒野」だった。
彼は「視野拡大」を使い、荒野の微かな魔力の揺らぎを追いかけた。やがて、岩陰にひっそりと咲く、鏡のように光を反射する珍しい花を見つけた。
「(……きっとこれだね)」
その花の名は『純白の王子』。非常に見つけにくく、恋を叶えるという言い伝えがある希少種だ。リルドはそれを丁寧に摘み取り、大切に籠に収めた。
帰り道、街道の大きな石に腰を下ろし、ぐったりと肩を落としているBランク冒険者の男を見かけた。
「……お疲れ様。どうかしたのかい?」
リルドが隣に腰を下ろし、穏やかに声をかける。
すると、その男は顔を上げ、リルドの姿――夕日に照らされ、どこか浮世離れした美しさを持つその顔――をじっと見つめた。
次の瞬間、男は衝動的にリルドの手首を力強く掴んだ。
「……す、好きだ! 俺と付き合ってくれ!」
突然の告白。リルドは瞬きを一つして、困ったように微笑んだ。
「ええと……気持ちは嬉しいけれど、僕は男だよ?」
男は一瞬、時間が止まったかのように硬直した。リルドの声を聴き、喉仏を確認し、そしてようやく現実を理解した。
「……あ」
男は真っ赤になり、ガバッと頭を下げて「す、すまん! 綺麗すぎてつい!」と叫び、脱兎のごとく走り去っていった。リルドはその後姿を見送りながら、「お散歩コースに恋の罠があったのかな」と苦笑いした。
夕刻、リルドはギルドに戻り、あの不思議な花を受付に差し出した。
「ただいま、受付さん。依頼の『プリンス』、見つけてきたよ。それと……今日はなんだか、情熱的なお散歩だったよ」
「おかえりなさい! ……うわあ、これが伝説のプリンス・リリー!? 依頼主のお嬢様が泣いて喜ぶはずです! それにしてもリルドさん、また何かあったんですか?」
「あはは、ちょっと道を聞かれただけだよ。……たぶん」
リルドは報酬を受け取ると、ひょいと手を振ってギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、この花みたいな甘い香りのハーブティーを淹れて、ゆっくり読書でも楽しもうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰かの勘違いと小さな奇跡を乗せて、穏やかに更けていく。




