68話
翌朝、リルドは窓の外でキラキラと輝く朝露を眺め、「今日は身の回りを整えるような、静かな一日になりそうだ」と呟き、ギルドへと向かった。
ギルド内は、昨日リルドが泥濘地帯をピカピカのまま帰還した噂が広まり、「あのFランク、実は洗浄魔法の使い手か?」と一部の冒険者たちが騒いでいた。リルドはそんな喧騒をすり抜け、掲示板の最下段、今にも剥がれ落ちそうになっていた一枚の依頼札を拾い上げた。
「おはよう、受付さん。今日はこれをお願いするよ」
「おはようございます、リルドさん。……ええと、それは『図書館の古い棚の整理』ですね。受理しました。あそこは迷路みたいに本が積まれていて、丸一日かかっても終わらないって司書さんが嘆いていましたよ。根気がいりますが、大丈夫ですか?」
「うん、お散歩のついでに、背筋を伸ばしてやってくるよ」
街外れの図書室へ向かう近道として、リルドは小さな林の中を通り抜けた。
木漏れ日が揺れる中、ふと足を止めると、一頭の鹿が静かにこちらを見つめていた。その鹿は神々しいほどに澄んだ瞳をしており、リルドに何かを伝えるように一度だけ小さく鳴いた。
「やあ、こんにちは。……おや、角に蔦が絡まってしまっているね」
リルドが歩み寄り、そっと角に触れると、複雑に絡んでいた蔦が魔法のようにハラリと解けた。鹿は軽やかになった頭を振り、リルドの肩に一度鼻先を寄せてから、森の奥へと消えていった。
「お礼に、いい風を運んでくれるかな。ありがとう」
依頼場所である古い図書室に到着すると、そこは噂通り、天井まで届く大きな棚に本が乱雑に詰め込まれ、床には紙束が散乱していた。
「これは……本たちが少し息苦しそうだね」
リルドは袖をまくり、作業を開始した。
普通なら一冊ずつ背表紙を確認して並べ替える膨大な作業だが、リルドが棚の前に立つと、「視野拡大」で全てのタイトルの配置を一瞬で把握し、さらに「言語理解」によって本たちが「どこに置かれたいか」を汲み取っていった。
リルドが指を軽く振ると、重たい古書たちが自ら整列するかのようにスルスルと棚に収まっていく。埃は精霊の羽ばたきのような風に飛ばされ、数時間後には、迷路のようだった図書室が、清々しい空気の流れる知の宝庫へと生まれ変わった。
夕刻、リルドはギルドに戻り、完了の報告をした。
「ただいま、受付さん。棚の整理、終わったよ。本たちが綺麗に並んで、なんだか嬉しそうだった」
「おかえりなさい、リルドさん! お疲れ様です。……えっ!? 今、図書室の司書さんから連絡が来ましたよ。『一週間はかかると思っていた作業が、完璧な分類で終わっている! 整理の神様が現れた!』って腰を抜かしているそうです」
「整理の神様? ……あはは、きっと森の鹿さんが、僕に幸運を運んでくれたんだね」
リルドはとぼけた顔で報酬の銅貨を受け取ると、家路についた。
「さて、僕も今夜は、家の中の棚を少し整理して、ゆっくり温かいお茶でも淹れようかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも気づかれない「世界の秩序」を整えて、穏やかに更けていく。




