67話
翌朝、リルドは窓の外の少し湿った空気を感じて、「今日は足元を気にするお散歩になりそうだね」と呟き、ギルドへと足を運んだ。
ギルド内は、昨日リルドを「かわいい」と評した新人たちの噂が広まり、一部の冒険者たちが「一体どんな奴だ?」と入り口をチラチラと気にしていた。リルドはそんな視線をふわりと避け、掲示板の最も端、他の依頼書に押し潰されるようにして貼られていた二枚の紙を丁寧に剥がした。
「おはよう、受付さん。今日はこの二つに行ってくるよ」
「おはようございます、リルドさん。……えっ、『泥濘地帯の植生調査』と『排水溝に詰まった異物の除去』ですか? 両方とも泥だらけになるし、臭いもきついから、誰も受けたがらない依頼ですよ?」
「うん、だからこそ僕がやっておくよ。土地が詰まっていると、風通しが悪くなっちゃうからね」
リルドはギルドを出ると、まずは馴染みの靴屋に立ち寄った。
「おじさん、丈夫な長靴を一つちょうだい。今日は泥遊びをするんだ」
新調したのは、深い紺色の、膝下までしっかり守ってくれる上質な長靴。それを履いて意気揚々と目的地へ向かう途中、路地裏の木箱の上で、一匹の黒猫が丸まっているのを見つけた。
「やあ、こんにちは。いい毛並みだね」
リルドがそっと手をかざすと、黒猫は眠たげに目を開け、リルドの指先をペロリと舐めた。その瞬間、リルドの周囲にだけ、汚れを寄せ付けない「微風の結界」がふんわりと展開された。
「……ふふ、ありがとう。お礼にこれ、おすそ分けだよ」
ポケットからコボルトの集落で貰った乾燥肉を一切れ置くと、黒猫は満足げに尻尾を振った。
新調した長靴を履いて、リルドは泥濘地帯へと足を踏み入れた。
本来なら足を取られて動けなくなるような深い泥だが、リルドが歩く場所だけは、土が意志を持っているかのように程よく固まり、長靴を汚すことさえない。
「さて、詰まっているのはここだね……」
排水溝を塞いでいた大きな石やゴミを、リルドが指先で軽く弾くと、水は勢いよく流れ出した。
「視野拡大」で地中の根の張り具合を確認し、滞っていた魔力の流れを整えると、泥だらけだった地表から、みるみるうちに綺麗な野花が芽吹いていった。
夕刻、リルドはギルドに戻った。
驚くべきことに、泥仕事帰りのはずのリルドの服や、新調したばかりの長靴には、泥一つ付いておらず、新品のように輝いていた。
「ただいま、受付さん。お掃除、終わったよ。水が綺麗に流れるようになったから、明日にはもっと良い匂いがすると思うよ」
「おかえりなさい! ……えっ、リルドさん、本当に泥濘地帯に行ってきたんですか? なんでそんなにピカピカなんですか……? 普通なら長靴ごと泥に沈む場所ですよ!」
「あはは、新しい長靴が頑張ってくれたんだよ。途中で会った猫さんも応援してくれたしね」
リルドはとぼけた顔で報酬を受け取ると、軽く手を振ってギルドを出た。
「さて、僕も今夜は、この素敵な長靴を磨いてから、ゆっくり温かいココアでも飲もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも気づかれない「世界の循環」を整えて、穏やかに更けていく。




